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2010年09月27日

『エレーヌ・ベールの日記』エレーヌ・ベール著 飛幡祐規訳(岩波書店)

エレーヌ・ベールの日記 →bookwebで購入

「60余年を経て発表されたユダヤ系フランス人女性の日記」

前回取りあげたジェラルディン・ブルックスの『古書の来歴』は、ユダヤ教徒が過越しの祭りのときに読むハガダーという書物の物語だった。本来は挿画を入れてはいけないはずなのに美しい絵入りのハガダーが古書として存在する謎、その本がたどった流浪の旅。モノとしての本がユダヤ人の歴史を明らかにしていく興味深い小説だった。

今回取りあげるのはユダヤ系フランス人女性の書いた日記である。つづられたのは1942年4月から44年にかけての2年間。それが60年以上たった2008年にはじめて公開された。フランスでは発売と同時に大きな反響を巻き起こし、それが世界に飛び火して20数カ国語に翻訳された。本書はその日本語版なのだが、なぜそんなに長い期間秘匿されていたのか。そのことからしてさまざまなことを考えさせる。

日記をつづりはじめたとき、著者のエレーヌ・ベールはソルボンヌ大学で英文学を専攻する大学院生だった。図書館の司書をしながら修士論文の準備をしている彼女は、裕福な家庭に育った聡明な女性で、ひとりの男に恋をしている。ナチズムの影響下でパリは不穏な気配に包まれており、間もなくユダヤ系市民は胸に黄色い星をつけずに外出してはならないという法律ができる。

こういう時代でなければどんな人生を生きていただろうと想像させる才能と知性を備えた人だった。逆らえない運命を感じた彼女は日記をつけ、それを一家に出入りしていた料理人に託し、自分が死んだら恋人のジャンに渡して欲しいと頼む。アウシュヴィッツで7ヶ月生き延びた後、北ドイツの収容所に移されたエレーヌは、イギリス軍によってそこが解放される5日前に亡くなる。知らせを受けたエレーヌの弟はジャンに訃報を伝え、料理人のアンドレから受け取っていたノートを彼に渡したのだった。

ジャンはその直筆の日記を手元に置き、その一方でタイプしたものが残された家族のあいだで読みつがれた。日記の出版に尽力したのはエレーヌの姉の娘、つまりエレーヌの姪にあたる女性である。彼女は15歳のときのこの日記の存在を知り、それ以来何かしなければならないという思いにとりつかれていた。そして1992年、ついに日記の原文を見ようと決意し、ジャンに連絡を取って会うのである。ふたりのあいだに友情と信頼が芽生え、日記の出版が話し合われる。だが、一部の親戚から賛同を得られず、15年たった2008年にようやくそれが実現したのだった。

一家にとってもジャンにとっても、その日記は公にするのをためらうような痛みをともなったものだった。傷が深いだけに不特定の他者に読まれることに躊躇があった。現代において出版の行為がこれほど吟味され熟考されることはめずらしいだろう。まさにその手から離すようにして世の中に出て行った本なのである。

逮捕されたとしても料理人のアンドレがこの日記をとっておいてくれると思うと幸せな気分になるとエレーヌは書く。
「今となっては、物質的なもので執着するものはほかに何もない。守るべきものは、自分の魂と記憶なのだ」。
いつ捕まるか知れない状態ではどんな豪華な衣裳も宝石も意味をなさない。しかも、彼女は守るべきものとして命すらも挙げていない。命はやがて絶える。魂と記憶だけが不死のものであるのを彼女は21歳で悟ったのだ。

「わたしは絶えず「考えている」のだ。それはわたしの発見したことのひとつでさえある。絶え間ない意識のなかに自分がいる」
エレーヌに無意識の状態はなかった。絶えずなにかを意識し、考えようとした。そうすることで生きている実感をつかまえていた。この日記はまさにそうした意識状態を自動筆記するような緊張感をもって書かれたのだった。だが彼女は同時にそれが読まれたときの時間差についてもよくわかっていた。

日記は現在進行中の時間を止めて記述しようとする行為だ。とくに彼女の日記の後半はその色が濃く、頭のなかに浮かんでくる考えや思考をひとつもらさず紙の上に留めようとする気迫に満ちている。それはいわば、流れる時間の一瞬をフィルムに定着させようとする写真の行為に近いと言えるだろう。

書きながら彼女は、そのことばが時間を経てジャンによって読まれたときのことを想像する。それらのことばは、自分の死が成立したときにはじめて彼に届くのだ。そのことを意識するとジャンに対して語りかけるような気持ちになり、いまのように三人称では書けなくなると感じる。なら二人称で語りかけたらどうだろうかと考え、「即座に、芝居をしているような、自分自身でないような気がしてしまう」と述べる。

こうした書くこと、読まれることへの繊細な思索は本書の大きな魅力のひとつだ。文学を愛し深く読み込んでいた人ならではの省察が随所に見いだせる。と同時に、この日記にはむごくて残酷な外界とのあつれきも記されている。黄色い星をつけなければならなくなった1942年6月7日の日記は衝撃的だ。

「ああ神さま、こんなに辛いことだとは思っていなかった。
一日じゅう、わたしはすごく勇敢だった。しゃんと背筋を伸ばして、人々の顔を真っ正面からとてもしっかり見つめたので、みんな目をそらした。でもなんて辛いんだろう」

その前の6月4日にエレーヌはこう書いているのだ。

「もし身につけるなら、それがどういうことが人々によく見えるように、わたしは常にとてもエレガントで、とても堂々としていたい。わたしはいちばん勇気ある行為をしたい。今夜、それは記章を身につけることだと思う」
そしてそのとおりに実行してみて、「こんなに辛いことだとは思わなかった」ともらしたのだった。

この記述はわたしを恐ろしく具体的な想像へと導いた。もしわたしが海外にいて日本人が記章を付けなければならなくなったとしたら。あるいは日本にいる中国人や韓国人が記章なしには外を歩けなくなったら。そう考えると、これはユダヤ人だけに起きた特殊な出来事だという気休めを言うことは不可能だ。心の防護壁はいとも簡単に崩れて恐怖が接近してくる。肉声にちかい日記のことばならではの力を実感させる箇所だ。

エレーヌは不条理な運命をのろったり、怒りを爆発させるような書き方はしない。すべてを自分への課題として受け止めるのが彼女のやりかたなのだ。日記の公開はセンセーショナルな出来事だったが、内容は少しもそうではなく、ことばに鎮静したトーンが滲んでいる。そこに深いなぐさめと励ましを受け取った。

来る10月27日に東京日仏学院で、本書の翻訳者・飛幡祐規と作家ノルベール・チャルニーとのトークショーが行われる。フランスにいて、いまもこうした出来事を身近に感じている彼らからどんなことばが聞けるだろうか。
http://www.institut.jp/ja/evenements/10083


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