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2010年08月23日

『古書の来歴』ジェラルディン・ブルックス(ランダムハウス講談社)

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「1冊のヘブライ語の古書、その物質的な豊かさ」

ジェラルディン・ブルックスの作品で最初に読んだのは『マーチ家の父』だった。これは『若草物語』に着想を得て、四人姉妹の父アーチが家庭を離れているあいだに戦地でどんな体験をしたかを綴った父サイドの物語で、この作家の筆力に圧倒された。本書を手にとったのは彼女のものをもう1冊読んでみたいと思ったからだが、どんな内容かは知らなかった。文字どおり、古書の来歴を語っているのだろうなというくらいの感じで読みはじめたところ、ユダヤ人の流浪の歴史を古書に託して語ったものであるのがわかり、驚いた。

今年1月に取りあげた『通訳ダニエル・シュタイン』もそうだったが、ユダヤ教とキリスト教の相克の歴史や、それに翻弄されたユダヤ人の運命に光を当てたものに遭遇する機会が、このところ多い。西欧社会にとっては避けて通れない歴史であり、書き手の想像を刺激する部分も大きく、テーマとなることが多いのだろう。ただそれをストーリーをおもしろくするための要素として利用するだけでは鼻白むが、本書には巧みなストーリーテリングに終わらない著者の情熱が滲みでており、強く惹きつけられた。

未来にむかって進む時間と、過去を遡っていく時間という、ベクトルの異るふたつの時間が交互に流れていく。前者の主人公はハンナ・ヒースという古書鑑定家の女性。後者の主人公は多数いて、章ごとに場所と年代を変えて入れ替わっていく。ふたつの時間をつないでいるのはハガダーという書物だ。奴隷だったユダヤ人がエジプト脱出した出自を物語った内容でユダヤ人家庭では一家に一冊は備えられている。過越しの祭りの晩餐のときに、この本を開いて先祖のことを語り継ぐのだ。

このハガダーには高級仕様から廉価版までさまざまあるが、本書に登場するのは500年の歴史を奇跡的に生き抜いた「サラエボ・ハガダー」と呼ばれる稀覯本である。この本が珍しいのは全ページに美しい細密画がほどこされている点である。通常のハガダーは文字だけで絵はない。偶像崇拝をタブーとするユダヤ教では、あらゆる宗教画や美術品の制作が禁じられていたからだが、このハガダーは宗教の混交が進んだ中世のスペインで作られ、ヴェネツィアを経てサラエボにたどり着き、サラエボ・ハガダーと呼ばれて珍重されてきた。

だが、ボスニア紛争が勃発してサラエボが包囲されると、所蔵していた博物館は爆撃に遭い、ハガダーは灰に帰しただろうと思われていた。だが、1996年になっていまだ存在していることがわかり、オーストラリアに住むハンナ・ヒースの元に鑑定の依頼が来る。

紛争の跡がまだ生々しいサラエボに飛んだハンナは、鑑定の結果、羊皮紙の表面やページのあいだこの本の謎を解くためのさまざまな物質や痕跡を発見する。蝶の羽、白い毛、染み、塩の結晶、そして留め金のために刻まれた溝(しかし留め金はない)。それらは500年前に生まれたこのハガダーがどんな運命を生きのびてきたかを示しており、過去に遡る章では、それらがなぜ付着したかが、本と関わりをもった人々の運命とともに語り起こされていくのである。

そこに絡んでいるのはユダヤ教とキリスト教の対立であり、イベリア半島で繰り広げられたレコンキスタ運動であり、またそうした政治的動乱によって流浪を強いられた一般ユダヤ人の苦悩だ。極悪人はひとりも出てこない。欲望とそれと同程度の弱さを抱えながらそれぞれの事情を生きている。自分の意志とは無関係に背負わされた過去、あるいは自ら進んで選んだ過去。人々がそれとどう折り合いを付けて生きてきたかを浮き彫りにする。

なかでも、現代を生きるわたしたちにダイレクトに迫ってくるのは、ハンナとその母との関係だ。これが描かれていることで、歴史物語のジャンルに収まらないダイナミズムがもたらされている。母のサラは有能な脳外科医で、シングルマザーとしてハンナを育てた。ハンナは父がだれかも知らされていない。人生のすべてを強固な意志をもって選んできた仕事の鬼である母。この母への抵抗心からハンナは古書鑑定という畑ちがいの職業を選び、没頭してきたのだったが、サラは彼女のキャリアを「本の角を直す程度のもの」と考えて一顧だにしない。

登場人物のなかでもっとも強い自我をもつサラの人物造形がすばらしい。この母とハンナとの相克関係によって、未来に向かって進む章はぐいぐいと引っ張られていく。最後にはハンナもまたユダヤ人の流浪の歴史を担っていることがわかり、大きな時間のうねりのなかにすべての登場人物が収まるのだ。

著者のジェラルディン・ブルックスはオーストラリアに生まれ、コロンビア大学に留学、ウォールストリート・ジャーナル紙でボスニア、ソマリア、中近東地域の特派員をつとめたというバリバリのジャーナリストだ。そういう人がこうした小説を書上げてしまうところに、アメリカの文学界(英語文学圏)の幅の広さを感じるが、彼女はボスニア紛争を取材しているときに、サラエボ・ハガダーがいまだ存在しているのを知ったという。紛争のあいだ、イスラム教徒の学芸員が銀行の金庫に隠して守り、第2次大戦中には、イスラム学者が博物館から持ち出し、山のなかのモスクに隠して救ったのだった。こうした信じがたいエピソードに遭遇してこの小説の着想を得たこと、ハガダーを救ったイスラム学者の家族には幾度となく話を聞いて人物造形に活かしたことなどが、あとがきに述べられている。

登場人物をストーリーを動かしたりおもしろくするためのコマとして使わない。この作家の書くものにはその信頼感が流れているが、知れるかぎりの事実を掘り起こし、そこから想像の領域に踏み込んでいくところに、取材を重んじるジャーナリストの職業意識が働いているようにも思える。

アニー・プルーというライターから小説家に転じたアメリカの女性作家の書くものが私は好きなのだが、ブルックスの作品にはどこかプルーと共通するものが感じられる。スケール感といい、構成力といい、硬質な筆のタッチといい、読み応え充分で、世界に目を開かせてくれる新鮮さ、物語を物語だけに終わらせない飛躍力が感じられる。日本ではブルックのものはいまのところこれと『マーチ家の父』が翻訳されているだけだが、早くも3作目が待ち遠しい。



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2010年08月13日

『話す写真』畠山直哉(小学館)

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「文化度ゼロ」の地点にむかわせる写真の力

日本の写真家が、国外でも積極的に活動するようになったのは、90年代半ばくらいからだろうか。それ以前にも展示の機会はあったが、写真家自らが意識してそれをおこなうようになったのはそのころからだと思う。

畠山直哉はその世代を代表する写真家のひとりである。2003年にヒューストン美術館で開催された「日本写真の歴史」展のシンポジウムで彼が講演したことも、それを裏付けているだろう。このとき彼は英語でプレゼンテーションしたが、そのこともインターナショナルな場面で発言できる写真家であるのを印象づけたはずだ。

その畠山がはじめて写真について言葉で語った本を出した。これまで行った講演やトークに手を入れたもので内容は多岐にわたっているが、話がそれると「それました」と修正するところに、いかにも自問自答の人らしい律義さがでている。だが、写真を語ろうとすると、写真以外のものに話が飛んでしまうのは写真の宿命と言えるだろう。

写真には人の認識している以上のものを写し出してしまう性格がある。そうした本質を言葉で論じようとすれば話題は発展せざるを得ないのであり、そこに写真の、そして写真家の魅力的な一面があるのだ。

「僕にとって、この写真は、一言で言うなら世界を知るためにあります」。石灰石鉱山を爆破した「Blast」シリーズの1点について彼はそう語るが、この言葉は「この写真」の「この」を取っても成立するだろう。世界を知るために写真を撮る。認識できていないことを認識するために撮る。あるいはそれまでの概念をぶち壊し、新たな認識を得るために撮る。彼の写真への態度は人間を外側から見ようとする視線に貫かれている。

一枚の写真だけでは謎として留まる。だが、それを連続して生産すると謎が意味に変化し、ひとつの「語」のように見えてくる。そしてその「語」がさらに複数連ねられれば、「文」のようなものになる。最初のワンカットからシリーズが生まれる過程を述べたこの言葉は、彼の写真実践をとてもうまく言い表していると思う。

私たちは言葉を持たずに生まれ、成長するにつれてそれを獲得し、自分をとりまく世界を認識するようになる。まずは家庭があり、それが学校になり、社会になり、住んでいる市町村になり、日本になり、世界になり、地球へと広がっていく。さまざまな概念を吸収し、歴史を学び、それらが総合された文化を理解するようになる。写真と関わるということは、生命活動の過程を最初からもう一度やり直すようなものなのだ。

「それぞれの人生を通じて身に付けた文化資本」や「コミュニケーションを可能にしているような、共同体内の精神的土台」などがゼロになった地点に立ち返ろうとするのが自分の写真だ、と彼は言うが、実際に写真を撮ってみるとこの感覚はよくわかる。それまで自分を縛っていたものから解放される快感がたしかにある。だが彼はこうも言う。写真の機械的な性質がどことなく不気味な、非人間的なものに思えることがあると。

つまり写真の快感や楽しさのなかに、「非人間性」にむかわせる何かがあるということだ。これはどういうことだろうか。写真に写るのは光だけで、物の内面は写らない。リアリズム絵画が目指した「壺の中の空気を描く」というのような極意の対極に写真の本領がある。このすべての事物を光に還元してしまう写真の機械的な側面を意識すればするほど、世界の意味がほどけて始原に逆戻りすることになるのだ。

畠山は写真家協会の年度賞を、水中写真家の中村征夫と報道写真家の広河隆一とともに受賞しときのことに触れ、その奇妙さについて考える。バラバラの写真を撮る3人が「写真家」として括られれる不思議。写す対象がちがえば、表象される世界に大きな差が生じる。写真家をつなげているのは思想や精神のようでいて、実は単に写真に使われる道具や素材だけなのではないか。写真に思想があるなら、それは素材が形成した思想なのではないか、と問うのである。

おもしろい指摘だ。私のように写真家を外側から見ている者は、彼らのなかにほかの人種との明らかなちがいを見いだすことが少なくない。自意識の壁を一瞬にして飛び越えしまう力と言ったらいいのか、目の前で起きていることに向かっていく能力と言ったらいいのか、何か物書きなどとはちがう世界への関わり方をする。それは肉体化された思想であり精神であるようにも見える。

それは畠山の言うように、写真の「素材」がもたらしたものなのだろう。「文化度ゼロ」の地点にむかわせるものが写真装置のなかにあるのだ。人間が長い歴史の過程で身に付けてきたものを一旦脱ぎ捨て吟味したいという衝動を、写真が植付けたのだった。

畠山は写真の魅力を「人間性=心」ではなく「非人間性=もの」のほうに置き、科学的な態度で写真に対する。この科学とは実験を通して結果を数値化する近代科学のことではなく、世界へのまなざしや考え方を探求するフィロソフィーとして科学、19世紀的な自然学のことだ。写真の思想とは、この19世紀の科学的な世界観と密接な関係にあり、自分はそこに半身を残しながら活動している者だと自己分析する。

この世には写真になりにくいものが存在する。ものの名前、概念、人の意識や心の内面などは、物理世界に属するものではゆえに(光ではないゆえに)写真ではとらえられない。彼のこの言い分は写真の原理にそった正論である。だが写真がややこしいのはその先なのではないか。写真を見て心や魂を受け取る人がいる。魂など写っていないにも関わらず、それを感じてしまう人がいる。遺影や心霊写真がいい例だろう。

物質となった写真のみを取りあげるのが不可能で、かならずそれを見るという行為とワンセットになっている点に写真の困難さがあるのだ。写真を見て人が何を感じるかは何者もコントロールできない。まさにそこが写真家を苛立たせる点だと思うが、私のような門外漢にはそこが興味深い。非人間的な脱意味の方向にむかわせる性質を持ちながらも、人間の不可解さと無縁でいることができないのだ。このこのぐちゃぐちゃした沼のような状態に写真の科学を超えた独自性があるし、現代における写真の意義もまさにその点にあるような気がする。

そうした写真の側面は、写真家よりもむしろ言葉の人間がなすべき作業なのかもしれない。写真の世界は奥深く、先が知れず、存在そのものが謎めいている。それは人間の謎そのものでもあるようにも思える。


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