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2010年04月28日

『シンプルな情熱』アニー・エルノー(ハヤカワepi文庫)

シンプルな情熱 →bookwebで購入

「自己の被写体化、パッションの外在化」

出たときに読んでとても刺激を受けたが、なにに惹かれたのかうまくことばにできずに無念な思いがした本である。編集者や作家が集まっている場でこの作品の「特別さ」を主張したときも、だれも賛同してくれなかった。ある人は、書いてあることが当たり前すぎると言った。たしかに、著者アニー・エルノーがある男性と恋におちいり、性の虜になったときの意識のありようをフォーカスした内容に、何か新しい発見が込められているわけではなかった。

だが、だれもが知っているはずのことを、このように描こうとしたところに、大きな意味があると、そのときの私は思った。こういう書き方は見たことがない!と心を打たれたのだった。その書き方を「抒情に流れず、冷静に、事細かに記述した」と説明したカバーそでの文章はまちがいではないけれど腑抜けな印象だった。このたび再読してみてはたと閃いたのである。アニー・エルノーは写真と撮るように書いたのだということに。
 
写真を撮るように物を記述するというのは、何も視覚的な描写が多いとか、カメラになりきったように客観的に書いているというようなことではない。それでは前に挙げた、「抒情に流れず、冷静に、事細かに記述する」という言い方と同じ穴のムジナである。「写真を撮るように書く」ことの理念を問題にしなければならない。
 
写真の絶対条件は被写体が必要であるということである。抽象概念でも、感情でも、思想でもない、なにが現実に存在する具体物がなければ撮れない。たとえそれが湯気の粒子のような人の目に確認できないようなものだとしても、実在するものに全面降伏することなくして、写真の行為は成立しないのである。
 
「私」という一人称で語られるが、この「私」は著者のアニー・エルノー自身である。通常の作品では「私」を「著者」と思い込むのはナイーブすぎるが、ことこの作品に限っては「私」は著者とぴたりと重なる。そうでなければ作品の構造が崩れてしまうと言えるほどに、「私」が「著者」自身であることは大きなポイントとなっている。

相手は外国人で妻がおり、「私」からは連絡できない。いつも彼からの連絡を待って家にやってきた彼と性急に交わる。最初の数十ページでは、こういう状況になったときにだれでもが陥る精神的な変化、すなわちつねに電話の音を気にし、その人に関係のある事柄にしか興味をもたなくなる、というような変調がつづられていく。描写は淡々としているものの、内容的には「ハーレクィーン・ロマンス」とあまり差がないが、途中からエルノーが何をしようとしているのかが見えてくる。

「私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その反面しか私は知らない)を日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾って積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱の実態をつかむことができるように」

「積み上げる」と現在形で書かれていることに注目したい。ここにあるのは、終わった恋を回想するという文学的な動機ではない。現実に対峙するという写真的行為こそが、彼女の求めたものだったのだ。

自分のパッションを分析するのではなく、「単にさらけ出したいのだ」と書く。この「さらけ出す」という表現は、「露出狂」的なパーソナリティーを連想させてしまい、誤解を招くかもしれない。だが、「さらけ出す」ということばの本意は「パッションをとりだして見せる」「外在化させる」ことであり、それを支えるものは、身のうちに起きた現象を受け止め、仔細に観察し記述しようする冷徹な意志なのだ。

ついでに触れておくと、自らの人生について書く者を露出狂と同一視するのは誤りだと述べる。露出狂の願望は見せたその瞬間に見られることだが、書く場合は記したと同時にそれが他者に見られることはない。その猶予期間があるからこそ書くことができると語っている。

男の帰国によって関係は終焉する。彼からの連絡はない。「生きているのも、死んでしまうのも、どうでもよくなった」。そんなある日、二十年前、当時は非合法だった堕胎をした場所を再訪してみたい激しい欲求をおぼえる。そしてその場所に立ったときに、「私は、ある日ここに来たんだ……」と思い、その過ぎ去った現実がフィクションとどんなふうに異なるかについて考えをめぐらせる。

「自分がある日ここに来たということについて抱く疑念、にわかには信じられないというこの感じが特異なのだ。なぜなら、これがもし小説の登場人物のことだったら、私はこんな感じを抱かなかっただろうから」。
 
小説のなかの人物は自分が作りだしたものであり、不変である。だが生命としての自分は流れ変化し、ひとつの体験をまったく同じ視点で眺めることはありえない。重要な箇所である。こういう気づきにこそ、現実との関係によって物を見きわめていこうとする姿勢が表れでているのだから。
 
恋愛体験、それも妻ある人との秘め事が明かされているので、世間はそればかりに気を取られてしまったようだ。カバーのそでには「ル・モンド」をはじめとしてフランスのメディアの反応が書かれているが、「恋の叫びのうちでもっとも感動的なものの一つだ」「激しい恋に陥ると人はどうなるのか」「これまで誰もがつい口ごもってしまっていたことが書かれている」などと、性愛の告白とその内容の赤裸々さだけが強調されている。

だが、エルノーが本書でおこなったことは、もっと高い次元の認識の実験だったのではないか?

最初の数ページに「昨年の九月以降、私は、ある男性を待つことー彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのをまつこと以外、何ひとつしなくなった」とあるが、これに似た状況は恋愛でなくてもあるだろう。誘拐された子供の捜索結果を待つ親とか、意識不明状態にある夫の回復を願う妻なども同様の心理状態に置かれる。人は非日常的な状態に巻き込まれたとき、それまでとはちがう時間の流れを体験する。彼女はそのようなものとして自分のパッションと向き合う。それを現象学者のようにではなく、小説家として綴ったのがこの作品なのだ。

もちろん、性愛を取り上げたゆえの意味と衝撃力は否定できない。冒頭のところで彼女は、ポルノビデオを初めてみた体験について触れ、見慣れてしまえば何ということもないが、初めて見ると動顛すると述べ、このように書く。

「ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へむかうべきなのだろうと」。

道徳が絡むゆえに、性愛が連れて行く非日常は複雑怪奇であり、狂気と紙一重なのだ。

あとがきで訳者は、これまでエルノーが雑誌のインタビューなどで語ってきたことばを引用しているが、そのなかに彼女の書く姿勢が端的に表わされていたことばがあったので紹介しよう。

「私にとって書くことは、ある意味で、現実からできるだけ多くの意味を引き出すことです。本には、人々を、その人々の生活から遠ざける本と、その生活へ連れ戻す本があります。私にとっては、これなもう考えて選択するような問題ではありません。私には、人々を彼ら自身に立ち戻らせたい、そういう思いがあるんです。本を読むのは、私にとってはいつも、自分の生活を違う目で見られるように説明してくれる何かを探すことでした」(『ル・ヌーヴォー・ポリティス』1992年4月号)

自分という謎にむかうのと、世界を構成している謎にむかおうのとは、同じことだ。「私」という意識の外に出て行こうとする気持を強く持っているエルノーは、自分自身という謎を解明する道具としてことばを使う。それはことばによって自分を補ぎない強めるのとは逆の、世界にむきあい、受け止めようとする思想なのだ。


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2010年04月04日

『ケンブリッジ・サーカス』柴田元幸(スイッチ・パブリッシング)

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「亡霊」にガイドされる記憶の旅

フリーで仕事をしているなら曜日など関係ないようだが、ウィークデーは世間とつながっている感じがし、それがオフになる週末はやはりほっとする。週末は時間の流れ方が変る。現実とのリンクが薄らぎ、その分、意識が自由に浮遊する。そうした週末ならではの時間感覚は、よい本に巡りあえるとよりいっそう濃くなる。

生れ育った大田区六郷、学生時代にヒッチハイクしたイギリス、若いころに行き、作家と会うために再訪したニューヨーク、兄の暮らしているオレゴン……。アメリカ文学の翻訳者として活躍する柴田元幸が記憶の場所を旅した。

凡庸になりがちな流れをうまく堰き止めているのは、亡霊の存在である。夜中に酔っぱらって帰宅すると、居間のこたつで一人で勉強している少年がいる。自分で組み立てたトランジスタ・ラジオが横にあり、イヤホンで音楽を聴きながら、2Bの鉛筆でやさしい英文に書き直したO・ヘンリーの短編を日本語に訳している。

現在の住まいは生れ育った平屋を取り壊して建てた3階建てで、居間だった1階は書庫になっているが、その暗がりに少年時代の自分が見えるという冒頭のエピソードは、紀行文と回想記があわさったようなこの不思議な作品集の骨格を明かし、あとの物語をつなぎとめている。

若いころのイギリス体験を書いた「僕とヒッチハイクと猿」では、亡霊の影は二重、三重になり、存在を強めていく。かつての自分を見かけたと主張する人たちに出会うくだりは、一篇の短編小説と描写したくなるような内容だが、後に残る感覚は小説の枠内で書き表されるものをはるかに超えている。足下をぐらつかせるに充分な妄想と現実の逆転があるのだ。

生きて存在している現在の自分は、生きなかった膨大な時間のネットをあみだくじのようにたどり至った通過ポイントにすぎない。しかも「いま」の地点は、つぎの瞬間には別のなにかの到来によって崩れてしまうかもしれない。そんなあやうい生のありようは、ケンブリッジ・サーカスでロンドンっ子を気取ってカーブを切ったバスから飛び降り、バランスを失って倒れて三転した体験をもとに書かれた、過去の自分といまの自分が交錯するストーリーからも充分に伝わってくる。

子どものときから勉強はできたが、運動神経が鈍く、「何の障害物もない平らな道を歩いていたってしょっちゅう転ぶ」ことがいまも多いという。ニューヨークに発つ二日前にも、大学の裏手で転んで左右のつま先の小指をくじき、痛み抱えつつ雪のニューヨークに下り立った。傷を負った箇所というのは「霊的なものに反応しやす」く、したがって亡霊との接近を容易にする。

ポーが好きだったというリバーサイド・パークのマウント・トムという大岩に上がったり、父の死後、潜水病にかかり、現場に行けずにブルックリンの自宅から望遠鏡で工事を見守ったジョン・ローブグリンの息子のことを思いつつ、ブルックリン・ブリッジを渡ったりする。そのゴースト・ハンティングに同行してくれたのは、奇妙な超短編『一人の男が飛行機から飛び降りる』の著者、バリー・ユアグロー。いまのマンハッタンはプロヴィンシャルに見えるという彼のセリフからは、「特別な場所」だった時代が去り、一地方にすぎなくなったマンハッタンの亡霊が立ち上がってくるかのようだ。

少年時代の記憶を語り合ったポール・オースターとの対話や、オレゴンにいる兄の訪問記、来日したスチューアート・ダイベックを家の近くの町工場に案内するエピソードなど、後半部には著者の等身大の過去が見え隠れする。とりわけ、東京でサラリーマンを少ししたあとに、フリーターになって福生のハウスで共同生活し、25歳でバークレーに渡り、その後、ニューエイジのリゾート地であるオレゴンに移り住んでいまのそこに暮らしている兄との対面は強く印象に残った。

ピッピー世代のおしっぽのあたりにひっかかって日本を脱出した兄と、トランジスターラジオを聴きながら翻訳していた中学二年のころと基本的には変わらない日々を送っている弟。兄弟関係が逆転したようなふたりの生き方には、明らかに時代の影が映り込んでいる。いろんなものから自由なつもりでいても、人は無意識のうちに時代を背負って生きているのだ。

タイトルの「ケンブリッジ・サーカス」はロンドンの地名だが、サーカスと聞けば円形広場よりも曲芸が思い浮かぶし、しかも本の表紙には鳩が青空にむかって飛び立つ写真が載っている。金曜までの瑣末な時間の流れから離陸するにはもってこいな気がして手にしたのだったが、予想したとおり、さまざまな想念がサーチライトのように頭のなかを照らし、眠っていたわたし自身の記憶をつつき起こした。


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