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2010年03月29日

『フランク・ロイド・ライトの呪術空間』草森紳一(フィルムアート社)

フランク・ロイド・ライトの呪術空間 →bookwebで購入

ライトの「限界」と「凄み」を伝える異色の書

フランク・ロイド・ライトの建てた旧帝国ホテルを知っている人は異口同音に、あのホテルは暗かったと言う。わたしのおぼろげな記憶でもそうで、華やかさにはほど遠く、ちょっと恐い感じさえした。いったいこの建物のどこがいいんだろう、パレスホテルのほうがずっとステキなのに、と思ったものである。

草森紳一は「穴めぐりのような帝国ホテルに身をくぐらせた体験は、なんどもあったし、写真集で彼の代表作を見ていて、そこにキナくさい呪術的な<円>なるものを感じていた」と序文の「有機の魔法」で書いている。「キナくさい」と書くところが彼らしい。簡単には呪術にひっかからないぞ、というわけで、このあたりの距離感が、ライトの建築にさほど入れ込んでいるわけではないわたしの興味をひっぱっていく力になっている。

アメリカでライト・ツアーに参加し、彼の建築物をその眼で確認し、体感してのちに、これらの文章は書かれた。ライトが老子や岡倉天心の思想と邂逅した道筋、「有機建築」と「東洋的なるもの」の関係、『森の生活』の著者ソーローの影響なども考察され、ライトの根っこが掘られていくが、彼の代表作であるカウフマンの別荘<落水荘>を見たときに、五浦にある岡倉天心の別荘<六角堂>を思い出し、こう語っているところなどが、わたしには興味深い。結局は草森がライトの建築をどう思ったかが知りたいのだ。

「六角堂では、これを作ったものたちの息づかいもなければ、岡倉天心の匂いもない。私が入れば、私がいるだけだ。しかし<落水荘>には、ライトがいた。持主のカウフマンの気配はなく、ライトの呼吸のみがあった」

ライトは建物の使い方を、すみずみまにわたるまで施主に指示し、それが変更されるのをいやがった。カリフォルニアはスタンフォード大学の丘にあるハナ教授の住宅では、見学はさせてはくれたが、撮影は許可しなかった。ライトの指示通りに部屋を使ってないことが理由だった。ところがこの住宅では、他のライトの住宅で体験したような息の詰まるような感じがあまりしなかったと言う。

ライトは自然と一体化した<有機建築>を提唱し、石や巨木を建物の一部に取り込んだ建築を多く造った。森のなかに自力でシンプルな家を造ってくらしたソーローは、ライトの<有機建築>を実践した先人だが、草森によればソーローは「住む人間こそが、建築家だ」と考えたところがライトとちがう。ライトはソーローが否定した「建築家」になることに自分の存在理由を見いだし、そのことにジレンマを感じるどころか、フロンティア意識に燃えたのだった。

ライトの建築に見られるゴシック精神を、アメリカ文学との関わりで語った「ゴシック精神のリバイバル」の章もおもしろい。18世紀のブラウンにはじまり、ポー、ホーソン、メルヴィル、マーク・トウェイン、ヘンリー・ジェームス、フォークナーに至るアメリカ文学の主流にはゴシック精神が息づいているが、イギリス文学ではそうはならなかった。それはイギリスのゴシック作家たちが建築のゴシック・リバイバルの風潮に影響されて建築趣味に走ったからで、それとは対照的にゴシック建築を体験していないアメリカ文学は風土のなかにゴシックの精神を見いだそうとした。その点ではライトの建築も同様で、「だから、ライトの発言は、もろにアメリカ文学の主流とつながっている」。

ライトの建物は、平べったい屋根で水平ラインを強調したものが多い。初期にはそれをゴシック様式の垂直性と対比させて、「水平ゴシック」「横たわるゴシック」と揶揄する声が挙がったが、ライトはそれを余裕しゃくしゃくで受け止めた。ゴシック精神をフォルムではなく、有機的に復活させたのだから、怒るには当たらないというわけだ。20世紀にあってはアメリカの風土でこそゴシックは根付く、ライトはそう信じていた。

ライトの自然観には、アメリカ中西部のウィスコンシンの草原で育まれたもの、ヨーロッパのロマンチシズム、さらにエマーソン、ソーローの自然観、フロンティアスピリットや楽園思想などがからまっており、それが理念を超えて血肉となっている。彼の理解をむずかしくしているのはそこだと草森は主張する。

「ライトのわかりにくさは、彼の弁じる有機思想そのものよりも、コンパスを駆使する腕や指の中に、文学的というか、つまり割りきれぬもののうごめきがつまっていて、それが設計図や建築物の上できわめて霊的な動きをするからである」

大自然のなかで育ったライトは大地のエネルギーに敏感だった。大樹が生え、水が滲み出し、大きな岩が露出しているような困難な場所にあえて建物を造り、その力を蓄電しようとした。地霊を扱えるというより、「地霊そのもの」のような人だった。

ライトの空間では「一種の妖しげな無重力の感覚におちいる」という。無重力は非日常的な感覚だから、魂が肉体から離れて動きだす。ドナルド・ホフマン著『ロビーハウス』には、ライトの設計した家に暮らすロビー一家の写真がふんだんに入っているが、そのどれもが<心霊写真>のように見えたという指摘は草森らしい。

「人間関係を遠くしている感じがある。どうも人間個人の心霊が独立してしまい、人間同志の親しげな交歓を疎外してしまうところがある」。

「建築! 人間!」と呪文を唱えつづけたライトだったが、彼の造った建物のなかでは団らんは生まれにくかった。ロビー家の娘も、両親がライトの作った食卓ではなく、隅の小さなテーブルで食事をしていたと回想している。このように住人が窮屈そうに暮らしている傾向は、草森が見学したどの住宅にも共通して見られたと言う。

それが「ライトの有機性の限界だ」と言いながらも草森は、彼の建築が「不断に見直され、不断に見棄てられる運命にある」ことを予言する。「生命としての人間の根っこをライトはあけっぴろげなまでのしつこさで、つかまえている」からで、時代の流れに見合ったはずの新様式が古びたときには、ライトを参照せずにはいられないのだ。
「凄み」と「限界」とがあざなわれた、異色のライト論である。


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2010年03月09日

『Showa Style-再編・建築写真文庫<商業施設>』都築響一編(彰国社)

Showa Style-再編・建築写真文庫<商業施設> →bookwebで購入

「写真で見るとどんなものでも懐かしい」


夜、ジャズをかけながらこの本を開く。なぜジャズなのか、自分でもよくわからないが、いまかけているのはブッカー・リトルのアルバム。彼の高らかなトランペットと、スコット・ラファエロの腹に響くようなベースのサウンドにのって、あの時代の空気が室内に充ちてくる。どうやら私のなかでは昭和の香りはモダンジャズのサウンドと分かちがたく結びついているらしい。

第1章の扉を開く。後楽園ゆうえんち、二子玉川園、豊島園、丸の内日活、コマ劇場、東急文化会館、テアトル東京……と名前をつぶやくだけでも心がざわめくような場所が写真になって登場する。屋外の写真は広い空が気持ちを大きくし、屋内では建築意匠の細部が全身の感覚を目覚めさせてくれる。松竹映画劇場ホールの写真に目がとまる。菓子パンの並んだ売店のガラスケース。そのとなりには「雪印牛乳」と書いた牛乳の冷蔵ケースがある。映画館で牛乳を売っているのはいまの感覚では奇妙だが、かつては右手にあんパン、左手に牛乳というスタイルでスクリーンに見入るのが正しい映画鑑賞法だった。

天井が吹き抜けで、2階部分には鉄製フレームに色つきのプラスチックボードをあしらったモンドリアン調の仕切り壁が見える。売店の上部には小さな屋根が張り出し、天井から下がったチェーンがそれを吊っている。この屋根は何のためか。単に照明を仕込むためらしいが、この屋根の存在が売店に親密感をかもし出している。よく磨かれたプラスチックタイルの床、鉢植えのやしの木、ウィンドウケースを支えている4本の細い脚までに感じてしまい、たった1点の写真を見るのに活字を追うくらいの時間がかかってしまう。

昭和28年から45年までの17年間、『建築写真文庫』というヴィジュアル文庫が145巻に渡って刊行された。飲食関係の巻だけを拾っても、レストラン、和風喫茶店、洋風喫茶店、料亭の座敷、料亭の玄関、小料理店、すしや、そばや、コーヒースタンドと実に細かく取材されている。さらに驚くのはそれがたったひとりの人間によって制作されつづけたことだ。北尾春道という建築家で数寄屋研究者だった人物で、取材・撮影・編集の3役をこなしながら17年間奮闘したのである。『Showa Style』は、その北尾の仕事に感銘した都築響一が、そのうち79巻を再編集して1冊にまとめたものである。これだけの偉業をなしとげたにもかかわらず、建築界ではほとんど忘れられている北尾の生涯についても、遺族を取材して後記で触れている。

「単に専門家のためのレファランスにとどまらない、広く外を向いた編集のスタイルが、北尾春道の真骨頂だった」と都築は述べるが、眼だけでなく全身を使って写真を堪能してしまうのはそのためだろう。街角にある建築物を淡々と撮っているようでいて、写真からにじみ出るものは機械的ではない。自己主張をまじえずにカメラに仕事をさせながらも、気持ちは弾んでいる。パリを撮ったウジェーヌ・アジェはクールに撮っているように見えても、現場に立って同じ角度でカメラを構えると彼がノリのいい人物だったのがわかると、大島洋は『アジェのパリ』のなかで書いているが、北尾もアジェに似たところがありそうだ。

先の映画館のホールは無人だし、ほとんどの写真が空間だけを撮っているが、ときどき人も入っている。純喫茶のドアガール、ナイトクラブの受付、つなぎを着て作業するガソリンスタンドの従業員、時計屋のウインドウに見入るお客、美容室のシャンプー台で洗髪してもらっている人……。時代の空気や街のきらめきを象徴する人の仕草に敏感で、どの写真には人を入れ、どれには入れないかは、理屈ではなく直感的な判断だったように思える。しかも新しいものだけに反応するのでなく、そばやの厨房ではゆで上がったそばを盛りつける人を撮ってもいるし、温泉浴場では女湯も撮影するなど、色気もたっぷりある。

145巻は都市に暮らす人間が関わるありとあらゆる建築空間を網羅していた。建物の構造や細部の収まりなどがぬかりなく押さえられているから、建築家のヒント集になったのはまちがいないが、シリーズ全体を貫いているのはそうした実利性を超えた、街と建築物とそこに行き交う人が生みだす空間の輝きだ。だから建築の門外漢の私のような者までもがまじまじと見入ってしまうのである。

見ているとひたすら「懐かしい」。だがそれしか感想がないのでは書評は書けないので手元に置いてときおりめくっていた。そのうちにいろいろなことが頭のなかを駆け巡りだした。写真のおもしろいのはこういう点で、開いた直後には思いつかなかったことが見つづけるうちにほどけだす。

ここに登場する昭和の香りたっぷりの建物は、まったく消えて無くなったわけではなく、地方都市に行けばいまもあるし、ときには東京の街中でも出くわすことがある。でもそれらの実物を見てもあまり「懐かしい」とは思わない。いや思うことは思うのだが、写真で見るほうが何倍も「懐かしい」のである。これはどうしたわけか。実物がそこにあるというのに、写真のほうに感じてしまうのは矛盾してないだろうか。いや、そうではない。現実と写真の関係にはそうしたねじれが存在する。写真の本性はそこにあるのだ。

ほとんどシャッターの下りている地方の商店街でこういう店に出会ったら「懐かしい」と思う前に「わびしい」と感じるだろう。東京でも同じで、風前の灯のような感じがして「哀れさ」のほうが先にたつ。近所にまさしくこの写真集に出てくるような喫茶店があるが、たばこの匂いがしみ込んでいるし、陰気とまでいかないものの照明が暗くて、しょっちゅう行く気にはならない。かように実在する「昭和」を熱烈にはサポートしてない私なのだが、その喫茶店も写真で見ればとてつもなく懐かしくてたまらないはずなのである。

「昭和」のただ中にいるときには、こうした建物ばかりだったから特別な感情を抱いたりはしなかった。当然のものとして受け入れ馴染んでいただけだ。それをひとつひとつ写真に撮っていた北尾の行為は一般人の眼にはさぞや酔狂なものに映っただろう。彼は対象となる建物だけをフォーカスして撮った。となりに似たようなものが並んでいても、フレームアウトした。それが出来るところが人間の眼とカメラの眼の違いであり、そうやって撮られた写真をいま見ると、その建物が唯一無二な存在として強く迫ってくるのである。建っていた時代にはそういう感慨をもって眺めることは出来なかった。写真になってはじめて、群衆のなかの個の顔がクローズアップされたように、かけがえのないものとして浮上してくるのだ。

実物より写真で見るほうがずっと懐かしく、かつかけがいのないものに感じられるというこの矛盾は、写真に私たちと現実との関係を切断する作用があることに関わっている。シャッターを押した瞬間、対象はいったん「死」の領域に入る。そして写真となって出てきたときに、より正確にはその写真が人によって見られたときに、「再生」する。死んだものが見るものの意識のなかでよみがえるこの奇妙なトリックのせいで、写真に撮られたものはすべて「懐かしさ」を伴っているのだ。撮影者の北尾はそのことを熟知していた。心情を入れ込まずにノリだけで撮ったほうがそのトリック効果が高まることをわかって撮っていたのである。

この写真集は昭和の街の記録だが、同時にこのなかには写真でしか出会えない街が存在する。それはページを繰りながら見る人が無意識のうちに造り上げていく夢の街である。写っていない部屋の姿を思い描き、となりにあったであろう建物を想像し、街路の雰囲気に心を巡らす。開くたびに惹かれる建物が微妙に変わり、夢の街の風景も変化する。見るものの気持ちのなかで無限に膨らませることができる、枕元の友としてこれにまさるものはない写真集である。版元の資料室に眠っていたものをよみがえらせてくれた編者の眼力に感謝したい。


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