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2009年09月24日

『ブラジル紀行』板垣真理子(ブルース・インターアクションズ)

ブラジル紀行 →bookwebで購入

「ブラジルのアフリカン・カルチャーの源を探る」

しょっちゅう旅をしていると思われているらしく、行ってない国はありますか、などと訊かれることがある。とんでもない。地球上のほんのわずかな場所しか知らない。インド、アフリカ、中近東、南米、オーストラリア……。思いつくまま挙げても未知の土地がこんなにある。

いつか行くことになるかもしれないし、行かないまま終わるかもしれない、と運任せに考えているが、いずれにせよ知らない土地のことを知るのは好きだ。未知の土地のなかでも想像を刺激してやまない南米、ブラジルの文化についての本である。

ブラジルのイメージはこれまでずいぶんと堆積してきた。はじまりは子供のころにテレビの名画座で見た「黒いオルフェ」。背中にガラスをくくりつけて天国で売り歩く男のことだけが、強烈な記憶として残った。ニューヨークではブラジルのストリートキッズを描いた「ピショット」という映画に驚愕した。幼い少年が娼婦の胸に顔を埋めている。もう行きな!と突き放されてすくっと立ち上がったとき、大人の男の顔になっていた驚き。

ほかにもセバスチャン・サルガドの写真、ピエール・バルーのブラジル音楽の映像ドキュメント「サラヴァ」など、求めたというより、たまたま出会ったものによって、少しずつこの国の文化に接近していった。以前この欄で紹介した『アントニオ・カルロス・ジョビン』(2007年8月27日)では、60年代のボサノバの流行がアメリカのジャズ界が仕掛けたものであり、ブラジルでは批判の対象になったという事実に驚いた。要するに何も知らないのである。ブラジル音楽ウォッチャーにとっては常識的なことでも、ジャンルの外にいる者には驚嘆の連続なのだ。


前置きが長くなったが、本書も同じで驚きと発見に満ちていた。著者は写真家で、ジャズを通じてアフリカに出会い、かの地を幾度も旅し、ナイジェリア西部とベニン共和国に居住するヨルバ人の信仰に興味をいだく。さらにはそれらの神々が渡っていたブラジルに赴き、それがどのように受け継がれているかを、自分の目で確かめたのだった。

ブラジルのカーニバルと言えば、だれもがリオのカーニバルを思い浮かべるだろう。だが、本書が取り上げるのは、バイーアの州都、サルバドールのカーニバルだ。なんでリオでないの?という疑問が生まれるところに、すでにこの本が書かれる意味がある。

ブラジルで一番古い街はサルバドールだという。リオ・デ・ジャネイロでも、サンパウロでもなく、聞いたことのない街であることに、まず驚く。正式にはサルバドール・ダ・バイーア、略してサルバドールともバイーアとも呼ばれる海辺の町こそが、ポルトガル人が最初に上陸し、その後、多くの奴隷が渡った地だったのだ。

著者がはじめてその古都を踏んだのは、奴隷解放百年祭が祝われた1988年。それから10年後、バイーアのボンフィの祭りを見るために再訪、2ヶ月間取材して『バイーア・ブラック』を著した。本書はそれに加筆し、タイトルを改ためて再出版したものだ。

『ブラジル紀行』という新しいタイトルは、私のような素人にはわかりやすい。だが、前の『バイーア・ブラック』のほうが本書の主題をストレートに語っている。ブラジル社会は黒人、白人、インディオ、及びそれらの混血人種からなるが、そのうちの黒人文化の拠点、バイーアが舞台なのだから。

たくさんの地名や人名が出てくる。カタカナ名が多く、何の名称なのかさえわからず混乱することもある(よく読むと説明されているが、耳慣れないので忘れてしまうのだ)。ある程度の知識のある人や、バイーアを旅したことのある人は、細部の記述を食い入るように読んで多くを吸収するだろう。だが私のような初心者には、すべてを深く理解するのはむずかしい。

その代わりにとったのは、すでに知っているほかの土地(たとえばバリ島や沖縄)の話とすり合わせながら理解するという方法だった。文化の伝播というのはおもしろい。まったくちがうオリジンを持ちながらも、受け継がれていく道筋に似たものがある。どれも人間という生き物の営みと想像力の結果だからだろう。

たとえばペロウリーニョというサルバードル市内にあるスラム街が、近年観光地になったくだりは、ニューヨークのハーレムやソーホー、あるいは私が暮らしていたころのイーストヴィレッジの命運を思い起こさせた。

ペロウリーニョはかつて奴隷市場のあった場所で、周囲には屋敷が並び、ブルジョアの住むエリアとして知られていた。ところがバイーアの農業は20世紀のはじめにサンパウロに超されて衰退し、ブルジョアは商業にくら替えして海岸エリアに引っ越した。空き家になった屋敷に貧民が移り住み、スラム化して、犯罪の巣窟と恐れられるまでになったのである。

その汚名を挽回したのは、「ブロコ・アフロ」(英語ならアフリカン・ブロック)という、カーニバルの出場が目的で結集した地域コミュニティーだった。なかでももっとも強力なグループのひとつ、「オロドゥン」について多くのページが割かれている。オロドゥンの命名はヨルバの最高神「オロドゥマレ」の短縮形で、バイーア・ブラックのルーツがシンボライズされている。

「オロドゥン」をはじめとするブロコ・アフロのめざましい活躍により、スラム街のカーニバルは大きな人気を得ていく。観光化したリオのものより、自由で精神的な深さを備えているからエネルギーが高く、本物指向の人たちは当然ながらこちらに加担した。こうしてペロウリーニョを中心に磁場が形成され、いまやこのエリアは旅行者必見の観光スポットとなってしまったという。

世界中、どこを見てもスラム化した場所が復活するときは、必ず芸能やアートやカルチャーの力が絡んでいる。悪循環から抜け出し希望を持つには、自らのプライドと自信を取り戻すことが必要だが、そのときに金銭以上にパワーを発揮するのは芸能やアートなのだ。先に挙げたソーホーやイーストビレッジがそうだし、沖縄がいまのようなブームになったのも、芸能の力なくしては考えられない。商売人が動くのはその後なのである。

鬱屈した感情やエネルギーは、表現行為にむけられるとプラスの力に転化する。音とリズムと踊りとヨルバの神々が一体となったバイーアのカーニバルが、どれほど大きな意味をもっていたかが、こうして見るとよくわかる。趣味や娯楽を超えた、生き抜くための必然がそこにあったのだ。

もうひとつ興味を引いたのはカンドンブレの記述である。カンドンブレとは、ヨルバの多神教がブラジルで独自の芽を伸ばしていった信仰のかたちだ。

ブラジルに送られた奴隷たちは、アフリカの神々に祈ることを禁じられ、カトリックの聖人の名を覚え、マリア像に祈るよううながされた。だが、いきなり馴染みのない神を拝めと言われてもなかなか出来ないものだ。彼らは親しくしてきたヨルバの神々をそこに重ね合わせ、受け入れていった。両者のかたちのちがいに目を見張りつつも、まぎれもないアフリカをそこに感じて著者は驚く。

どんな宗教も、すでにそこにあるものと混交しながら広まってきた。それは祈りや信仰が理念を超えた行為であり、宗教家が教義を説いても限界があることの証だろう。自分たちの感覚にそって理解し受容するご都合主義ともいえるやり方こそが民衆の力であり、生きる思想なのだった。

在来のアニミズムとヒンズー教がミックスしたバリ・ヒンズーがそうだし、沖縄における仏教の浸透も本土のそれとはだいぶちがう。それにそもそも、中国から伝来した仏教が日本古来の神道と混じり合い形を変えて浸透したのだった。宗教の伝播は連想ゲームに近い。

カンドンブレの信者はもとはアフリカ系だけだったが、しだいに白人や富裕層にも浸透し、いまではバイーアでは人口の90パーセント近くがこれに関わっているという。とは言え、カトリックのような組織的な信仰集団とはちがうだろう。神々への崇敬と、生活感情に根ざした祭祀に彩られた、かつて日本で広く信仰されたお稲荷さんのような祈りのかたちなのではないだろうか。
 
著者はアフリカのヨルバの神々について、その歴史や信仰ついても触れている。調べたことをもとに自分で考え著すのは、その道の専門家とはちがうアプローチの仕方である。専門家は限られた領域を細密に研究し縦穴を掘っていく。写真家はそれを頭に入れつつも直感力に導かれて旅していく。眼に先導されて未知の場所にどんどん入っていくその移動の先に、専門家が見逃しがちな発見と思索があるのだ。

ワタリガラスの伝説をたどってアラスカからカムチャッカへと移動していった星野道夫がそうだったし、砂漠の過酷な自然環境と祈りの関係をさぐった野町和嘉もそうだ。若手では人間の営みの原点をたどっている石川直樹がいるし、写真家ではないが、岡本太郎の日本を撮った写真群も、日本人の原始的な力を浮き彫りにしようとする直感力にあふれている。

この本の著者である板垣真理子も同様だ。カメラをかついでいくつものカーニバルを駆け抜け、儀式を見学し、人に話を聞く。ヨルバ神とカンドンブレの共通性を研究する専門家がどれほどいるか知らないが、少なくとも、彼女のようにあらゆる祭祀や儀式の現場に立ち会っている人はまれだろう。

写真家は世界を横につなげる思想の実践者だ。
見ることを考えることに結びつける自由さが、全編にほとばしり出ている。


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