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2009年08月31日

『精霊たちの家』イザベル・アジェンデ (河出書房新社)

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「『運命』を口にできる体験の重み」

夏は私にとってそのためにとっておいた本を読む季節だ。中身のしっかり詰まった厚めの本をゆっくりとめくる。物語の舞台がどこか遠い国ならばなお理想的。夏休みの思い出と旅の記憶がよみがえり、東京にいるのを忘れる。

『精霊たちの家』はチリ出身の女性作家イサベル・アジェンデによるある一族の物語だ。以前に国書刊行会から出たときに買い求めたが、何かにさまたげられて中断して以来、再開の機会を狙っていた。今年3月、この作品が池澤夏樹の個人編集による世界文学全集の1冊として刊行され、この夏はこれだと思ってとっておいた。

第1章は絶世の美女ローサの話ではじまる。彼女が主人公かと思いきや、間もなく死んでしまい、その役は末の妹クラーラに引き継がれる。彼女は食卓のものを手を触れずに動かしたり、先の出来事を予知する超能力少女だが、1章で早くも重大な発言をする。神父が説教している最中に、教会中にとどろくような声でこう言うのだ。

「レスポース神父様、さきほどから地獄、地獄とおっしゃってますが、それが根も葉もない作り話だったら、ばかを見るのは私たちじゃありませんか……」

最後まで読み終えて再び1章にもどったとき、長大な物語を貫く一本の糸がここに隠されているのを感じた。

クラーラは美貌の姉の亡きあと、姉の許婚者と結婚。相手はエステーバン・トゥルエバという意志強固で肉体堅牢なマッチョで、忘れ去られた田舎の農場再建に尽力する。クラーラは三人の子供の母になり、やがてその娘に子供が生まれで祖母になる。三代にわたる母系の物語に流れるのは、10歳のクラーラが予言したように、宗教的価値観が崩壊し、イデオロギーの時代に転換していく歴史の趨勢なのだ。

「9.11」というと私たちはアメリカの同時多発テロを思い浮かべるが、ラテンアメリカではずっと以前から「9.11」 は特別な日だった。1970年、チリで世界初の選挙による社会主義政権が樹立するが、3年後に軍事クーデターで覆される。それが9月11日だったのだ。著者は短期間政権をとったアジェンデ大統領の姪に当たり、この歴史的事件にむかって一族の物語をじっくりと書きおこしていく。

物語の中盤までは、大農場主の暮らし、運命を変えられない下層の小作人の生活、運命の過酷さ、自然の強烈さなどが、現実と超現実を行き来する淡々とした描写で浮き彫りにされるが、私にはどこか「遠い世界の出来事」のような印象があった。

ところが孫がピッピー世代に突入するあたりから、それが変わる。私自身と地続きの出来事になり、切迫感が出てくる。それ以前の部分をエキゾチックに感じるのは、ひとえに私がラテンアメリカの歴史にうといからで、「9.11」の意味も知らないのだから、フジヤマとゲイシャが日本文化だと思う欧米人と大差がない。

そうしたこちら側の無理解が原因のファンタジー感覚は、1960 年代に突入するやいなや消えてしまう。本書がもたらした最大の驚きはそれだった。

編者の池澤夏樹が月報の中で指摘しているように、前半部はガルシア・マルケスの『百年の孤独』を彷彿させる。現実と非現実が違和感なく交錯するマジックリアリズムの文体が過去の出来事を神話的に語る。ところが、後半では物語ぜんたいがその枠を破って現実世界に踊り出てくるのだ。自分がいまを生きるのに必要なことを書かなければならない、という著者の声がそこに読み取れる。

エステーバン・トゥルエバはやり手の勢力家で、農場を成功させて地位を築き国会議員になるが、娘のブランカは小作人の男に恋し、その子供まで産む。アルバという名のその娘は成長して社会主義活動家と恋仲になり、そのことが原因で軍事政権下で激しい拷問を受けるのだ。

その拷問を指揮したガルシア大佐は、アルバの祖父であるところのエステバーンが手込めにした小作人の女の孫で、祖父の血をわずかに引いたアルバの血縁である。憎しみがイデオロギーに裏打ちされたときに人が示す残虐さは底なしだ。息もつけないような残酷な出来事が記述される。

エピローグが素晴らしい。本書の構造が一気に解ける。1章の最初に、クラーラが少女時代からつけてきたノートが家にあり、「私はそのノートのおかげで過去のできごとを知り、突然襲ってきた不幸な時代を生き延びることができた」という1行があるが、この「私」とはアルバなのだ。彼女は拷問を生き延びて実家にもどったとき、祖母のノートを手がかりに一族の過去を語るのである。

随所に祖父エステーバンの回想が挟まれ、彼だけが「私」を自称して過去を語ることに最初は少し面食らったが、この構造もエピローグを読んで明らかになった。アルバは祖父のすすめでこの物語を書き、祖父自身も自らも筆をとって記憶を書き残した。つまりこの物語には祖父と孫娘の共同作業という意味が込められている。

驚愕させられた一文がエピローグの中にあった。自分を拷問したガルシア大佐にどう復讐しようかと筋書きをあれこれ頭に描いていたが、しだいに「生まれる前から定められていた運命の図式」だと思うようになったとアルバは語り、こうつづける。

「すべての線はなんらかの意味を備えている。随行されるべき一連の行為はすでに定められていた。そして、祖父が川岸の茂みで彼の祖母パンチャ・ガルシアを押し倒した時、その一連の行為にひとつまた新しい結び目が付け加えられたのだ。その後、強姦された女の孫が強姦した男の孫娘に対して同じことをし、おそらく四十年後には私の孫が彼の孫娘を川岸の茂みで押し倒すことになるだろう」

とくにぎょっとしたのは「おそらく四十年後には……」ではじまる最後の部分である。「運命」という言葉はいまの私たちには遠い。とくにアメリカ的価値観がゆきわたった社会関係のなかで「運命」を公言するのは勇気がいる。それは何かを放棄し、あきらめることを意味するからだ。現実社会では「運命」は死語化し、「物語」のエンディングのためにとってある言葉のように思える。

先の引用文の後につづく「苦痛と血と愛の果てしない歴史の中で、これから何世紀にもわたってそういうことが繰り返されるのだ」という言葉は、この1行だけを取り出せばゲームさながらの世界系小説の安せりふのように聞こえてしまう。だが、「自分の孫が四十年後に彼の孫娘を押し倒すであろう」という言葉がその前にあるために重みが加わっている。「物語」の内部にとどまらない作者の意志に粛然とするのだ。こういうセリフは私にはとても言えない。口にできるほどの運命を体験したことがないのだ。


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2009年08月17日

『斬進快楽写真家』金村修(同友館)

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「欧米とは180度ちがう写真家のテーゼ」

最初に金村修の写真に注目したのはヨーロッパで、東京綜合写真専門学校在学中の1992年にオランダのロッテルダムのフォト・ビエンナーレに選出、96年にはニューヨーク近代美術館の「New Photography 12」展で「世界の注目される6人の写真家」に選ばれるなど、欧米での評価が先だった。


なるほどと思った。彼が撮るのは、放置自転車や看板や幟の氾濫する駅前や、空に黒い電線が行き交う雑居ビル街である。急いで通ろうとすると自転車に足をひっかけ、人ごみを抜けようとして他人にぶつかる、そんな見慣れた場所がモノクロで撮られている。日本人にはうんざりな光景だが、欧米人は日本をこのような形で見せられ新鮮だったのではないだろうか。

もっとも、彼の写真はベタなリアルさを追求してはいない。写真から伝わってくるのはリズムと量感、さまざまなフォルムの重なり、それが作り出すパースペクティブ。風景がフレームの中で圧縮されて密度が高まり、うなりを上げているかのようだ。

金村はタブロイド紙をキオスクに配達するアルバイトの空き時間に写真を撮りはじめた。いまもその仕事をつづけているらしい。彼の写真には、そうした作業を持続する肉体が感受する街が写っている。駅構内から外に出たときに目にする光景、いいとか悪いとかの判断以前に目に飛び込んでくる風景だ。おなじアルバイトでもデスクワークだったなら、こうは撮れないだろう。

97年には日本写真家協会新人賞、2000年には史上2番目の若さで土門拳賞受賞。華々しい経歴だが、雑誌で仕事をしていないので一般的にはあまり知られていないかもしれない。写真学校の講師をしつつ、現在も配達の仕事をつづけているのは、生活のためなのか、写真のためなのかわからないが、彼の写真には撮影のために準備された肉体が刻印されているし、その肉体が簡単には切り替えられないことも感じさせる。

そんな頑固な肉体をもった写真家が、自らの写真観を語った本である。暑さにだれた脳を刺激するパンチ力がある。以前『日本カメラ』に「金村修に怒られたい」という人気連載があった。怒られたい読者が写真を投稿し、彼がそれを見てゲキを飛ばすのだが、本書も同じで、強度のあるリズムカルな言葉がポンポン飛び出す。

「自分は言いたいことがあるから、表現したいことを持っているからカメラを握るのではない」と言う。ではどうして? 彼はうまい言葉でそれを表現する。

「言いたいことなんてないんだけれど口は動かしたい」。

まるでランチタイムのオバサン連中を指しているようだが、彼をつき動かしているのが理念ではなく、生理的衝動であることが伝わってくる。若い頃はミュージシャンを目指していたが、20代半ばまで写真学校に入り、エレキギターをカメラに持ち替えた。「写真は動機が薄弱でも取れるのがいいところ」「写真は自分の内面を問わなくてもいいからすごく健全な芸術だ」など、シャッターを押せば撮れる写真の特性が小気味よく語られる。

しかし、押せば撮れる写真は、はじめるにはいいが、つづけるのがむずかしい。写真の最大の困難さはここにあると、私はつね日ごろ思っている。簡単に出来ることは飽きるのも早いし、やる気を維持しにくい。生活の手段ならそれを理由にがんばることも出来るが、金村の場合は写真が目的化しており、撮らなくても生活はしていける。しかも彼は被写体を変えず、ずっと東京とその周辺の街だけを撮り続けているのだから、相当に粘り強くなくてはだめだ。

いい写真が撮れたり、才能があるから写真をつづけるのではない。「今さら引き返せないから」やっているのだと言う。この言葉にもうならされた。多くの人が止めて引き返す。蓄積が物を言うジャンルでないから、止めるのにも未練がない。そんな写真を自分の才能を信じたりするのではなく、「今さら引き返せないから」とつづける。説明不可能なリアリティーがある。

「しつこいっていうのは写真家になるための一つの資質だろう。同じことをいつまでやっても飽きない人が多い。ライフワークっていうよりもただしつこいっていう感じ。それも被写体の深層に迫るっていうんじゃなくてずうっと表面にこだわり続ける」

写真はなにかを深めるためにあるのではないということだ。だが日々、同じことを繰り返せば、当然ながらマンネリになったり行き詰まったりする。それについては、こう切り返す。

「行き詰まったらその行き詰まりを見せるのが写真家であって、何でも撮れるなんてつまらない可能性を見せることなんかじゃない。行き詰まったり、つまらなかったりの何が悪いのかと思う。無限の可能性を秘めているなんて思われる方が変だし、つねに新しくなくちゃいけないって、コマーシャルの世界ならともかく、そういう意識ってすごく強迫神経症的だと思う」

この言葉は、「近代化路線」以降の時代を象徴する言葉のようにも聞こえないだろうか。つねに新しいもの、ほかの人がやってないことを目指して邁進し、行き着くところまで行ってしまったのが、いまの時代である。もう同じ発想では生きていけない。ありあまる物や情報に生命力を奪われずにいかに生き延びるか、現代の課題はこれに尽きるように思う。

金村はテーマで写真を撮ることをしない。場当たり的に、出たとこ勝負で撮る。この撮り方は欧米の傾向とは180度ちがう。彼らはテーマを設定し、それを実現する道具としてカメラを使う。写真家はあくまでもカメラの背後で操作する者なのだ。だが、金村はそうではない。「自分はカメラの部品のひとつと同じなのだ」と言う。

「自分は機械ではなく機械を動かす人間になりたいと思うなら、多分写真家には向いていない。自分のことが言いたい人間に写真は向かない。機械でありながら、機械を動かす存在であるという二項対立を矛盾なく引き受ける」
「理性的な判断や合理的な判断では写真家になれないだろう。理性的で合理的な人間なんて誰もいない」

カメラは世界を写し出すと同時に、人間の人間たる所以を暴き出すものだ、そんな信念がこの言葉には込められているようだ。欧米ではスナップショットは1970年代以降後退し、ニューカラーの時代に入ったが、日本では依然として大きな傾向を占めている。これは人間のとらえ方の違いから来ているような気がする。

欧米人にはカメラに使われてはいけないという感覚が強い。カメラが出はじめのときは仕方がないとしても、機械から自立することに人間の成熟の過程があるとする。物事に意志的にむかう人間像が厳然とあるのだ。

かたや、金村がとらえる人間像とは、「言いたいことがなくても口を動かしたい」生命体としての人間である。理性や合理を超えたところに立ち現れる人間の本性を見ようとしているのであり、彼の写真観もそれに沿って形成されている。

「日が出れば撮って、日が沈めばやめる。雨が降れば休み。自然の法則に身をまかせていればいいのだから、あんまり悩むこともない」
「自分の撮っているものがクズなのか宝の輝きなのかまるで分からずに撮るのが写真家だと思う」

このような言葉には、日本の写真家の感じ方がよく出ている。英語に翻訳したら通じるだろうか。たぶんだめだろう。だが通じさせようと努めることで、日本の写真はほかにない特徴を深めていくだろう。




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