« 2009年01月 | メイン | 2009年03月 »

2009年02月24日

『転生者オンム・セティと古代エジプトの謎 ― 3000年前の記憶をもった考古学者がいた!』ハニ-・エル・ゼイニ キャサリン・ディ-ズ 著 (学習研究社)

転生者オンム・セティと古代エジプトの謎 ― 3000年前の記憶をもった考古学者がいた! →bookwebで購入

「前世記憶を持った数奇なエジプト学者」

沖縄に霊能力のある父親をもつ友人がいて、霊力に目覚めるまでの経緯を本人から聞かせてもらったことがある。もっとも印象的だったのは忘れ去られた先祖の墓を探しだしたときのことで、先祖の声に誘導されて家の近くの空き地にいったところ、尻餅をついて滑り、その勢いで骨の入った厨子瓶を収めた横穴式の墓に導かれたという。

話だけ聞くとうさんくさく聞こえるかもしれないが、私はそのとき、人は今現在生きている時空間だけを生きるものではないのを強く感じた。それほど彼の語り方には突出した説得力があったのだ。

この本の主人公オンム・セティもまた、現代を生きながら3000年前の時空に出入りした人である。1904年にロンドン生まれ、女性としてはじめてエジプト考古学局の職員になり、その深い知識と洞察力によってエジプト学者から一目置かれる存在になった。彼女はアカデミックな世界で学問を極めたのではなかった。大学に行かずに個人的に研鑽を積み重ね、さらには古代エジプトのファラオ、セティ1世と会話することによって、知られざる謎を解き明かしていったのである。

3000年前の王とどうして会話することが可能だったのか。それを科学的に説明することはできないが、興味深いのはセティ1世との対話によって彼女が知り得た多くの事実が、その後の発掘によって実証されたことである。

オンム・セティは、自分はセティ一世と道ならぬ恋をした神殿の巫女ベントレシャイのよみがえりだという転生体験を終生もちつづけ、王とのあいだに交わした会話を日記につけていた。本書は、彼女からこうした秘密を打ち明けられ、日記を託されたエジプト人の友人が著したもので、随所に日記文が引用されている。


「一九七二年十一月二十日
 王様は昨夜十一時頃に来られた。とてもご機嫌うるわしく、アフメドのイヌが吠えるのを見てお笑いになった。私はふたたび、どのようにして自分が神殿の宝物庫に入ってしまったかについて訊ねた。王様はおっしゃった。「宝物庫への入り口は、<聖なる舟の部屋>の列柱の間にある。そこから長い傾斜路が宝物庫に向かって伸びているのだ」


あるとき神殿の通廊を歩いていた彼女は、激しいめまいにおそわれ、斜面を転がって供物が積まれた場所に落ちた。ところがあとでいくら探しても入り口が発見できず、王に訊ねたのがこのくだりである。

このようにオンム・セティは多くのことを王に質問して答えてもらっている。ときには本書の著者ゼイニが発した疑問をオンム・セティが王に告げ、解いてもらうこともあった。「オンム・セティの汚れた日記の随所に記されたメモ書きを見ていると、オンム・セティと私がエジプトの未知に歴史を知ることに熱中していた当時の喜びを思い出す」と著者は書く。ちなみにオンム・セティの死後、彼女が落下した宝物庫がたしかに存在するらしいことが、音響を用いた探査装置によって明らかになっている。

沖縄の友人の父もそうだが、卓越した霊能力者は現世的な欲望とは無縁であることが多い。オンム・セティは若くしてエジプト人の夫と離婚し、一緒に住もうという息子の言葉を拒んで神殿のそばの小さな小屋に動物たちと暮らし、1981年、77歳で亡くなった。テレビで騒がれる霊媒師やオカルト集団の教祖とは、その意味でも遠く隔たっている。

また本物の霊能者は尋常でない集中力と学習力の持ち主でもある。オンム・セティ(当時はドロシー・イーディー)は3歳のとき階段から転落し、それ以来「家に帰りたい」と口にするようになった。エジプトの本でその家がアビドスにあるセティ1世の神殿であるのを直感した彼女は、大英博物館に通ってヒエログリフの碑文を凝視するようになり、当時のエジプト室長が才能を感じて彼女に古代エジプト文字を教えた。これが考古学者として踏み出した第一歩だった。

オンム・セティの人生は「事実は小説より奇なり」と感じさせるに充分な数奇さにあふれ、想像力を刺激してやまない。どうやって3000年前の時空を行き来できたのかという以上に、王との体験を通して科学技術より先を透視できたことが私には興味深い。なにしろそのために彼女は探知器どころか、自分の肉体しか使ってないのだから。

リバプール大学のケネス・キッチン教授は、オンム・セティはだれも及びのつかないほど長い時間を神殿で過ごし細かい観察を重ねたのだから、前世を持ち出さなくても彼女の発見は充分説明がつくと語った。だが、もしかしたらその言い方は逆で、拾い集めた細かい観察の破片をつなげる糸として、「前世体験」は必要不可欠のものだったのではないか。

「物語」という回路を介さないと開かない何か神秘的な領域が、人間の中にはあるような気がする。


→bookwebで購入

2009年02月16日

『幽霊コレクター』ユーディット・ヘルマン(河出書房新社)

幽霊コレクター →bookwebで購入

「意識の流れに伴走する独特の文体」

旅の意味は、どこかに行って何かを見ることにあるのはたしかだが、それと同じくらい「ここ」を離れることにあるのではないか。住んでいる家を離れ、家族や友人関係を離れ、見慣れた風景を離れ、食べ慣れた食物を離れる。自分というものを成立させているコンテクストから抜け出し、「だれでもない人」になる歓びにひたる。

これは一種の宙づり状態であり、サスペンスの感覚に近いとも言える。物事がどう転がっていくかわからない不安と緊張が意識の動きを明確にし、ふだんはやるべきことにつなぎ留められている心のロープをほどく。水面下にある無意識までが釣り上げられ、意図しないものが手を結び合って思いがけない方向に引っ張っていく。

本書に収められた七つの短編は、どれもそんな旅の時空を舞台としている。著者はドイツの若手女性作家ユーディット・ヘルマン。1作目の『夏の家、その後』を読んでとてもおもしろい作家だと思ったが、第2作に当たる本作ではそれをしのぐ構成力と筆力を見せた。

「ルート(女友だち)」は親友の片思いの相手と逢引しに彼の住む街を訪ねていく話で、「冷たい青(コールドブルー)」はアイスランドのカップルをベルリン時代の友人とその恋人が訪ねてくる話。表題作「幽霊コレクター」はドイツ人カップルがネバダ州オースティンのモーテルに一泊する話で、「道は何処へ」は四人の男女がプラハに住むチェコ人の友人宅で大晦日を過ごすストーリーだ。

どの主人公も、旅先でなにかを見てまわるというツーリスト的な関心とはまったく無縁である。たとえば「道は何処へ」の男女四人は、どこかに案内しようと張り切るチェコ人の友人の期待を裏切って部屋でだらだらし、食事をするにも旧市街地ではなく近所のベトナム人のマーケットで食べる。

意欲の乏しい、とてもイマドキな感じのする男女が登場するが、虚無感は漂わない。見えるものがあり、それによってわき起こる感情があり、その感情の動きが視界のとらえるものを新たに変化させて未来への予兆に導いていく。彼らの外側で起きていることと、内側で起きることを等価に記述していく文体には、生命のリズムにそっているような印象があるる。

ヘルマンの筆が、水中を泳ぐ小魚をつかまえるように意識の動きをとらえて逃さないのは、人の心は移ろうものだという絶対的な認識が、彼女のなかにあるからだろう。そしてそれが虚無にも暗さにも傾かないのは、ヒトの細胞が刻一刻新しくなるように人の心も変化するが、その変化を観察し、記憶することも人は出来るのだという人間存在への理解と信頼があるからだろう。

独特の文章をここに引用したいと思ったが、段落なしに長くつづくテクストの一部をばっさりとカットして抜き取ることにためらいをおぼえた。抜き出すと別の意味が出てしまうのではと危惧するほど、意識の流れを追跡する文章の使命と文体とががっちりと手を組んでいる。


私はどちらかというと、日本の小説より海外の小説を手にとってしまうことが多く、どうしてかと考えることがあるが、『幽霊コレクター』はその理由の一端をも明らかにしてくれた。これを読んでいるあいだ、ずっと小説中の人物がちらつき、個人的に知っているドイツ語圏や北ヨーロッパ圏の女性たちの姿とそれが重なった。

彼らは人に合わせることをしないので、不可解な一面を見せることもあるけれど、輪郭線が太くて記憶にはっきりと像が残る。この作品集は、そんな彼らの我の強い動物のような意識の変遷を丹念に追っていて、ひとりひとりに出会ったという確かな手応えを持つことができた。

藻のように揺れている日本人の、やわらかで優しい居ずまいも決して嫌いではないが、ときにはコツンと当たるものを持った、くっきりした人物に会いたくなるのである。



→bookwebで購入