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2008年10月30日

『できそこないの男たち』福岡伸一(光文社新書)

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「生命科学の知見を「物語る」」

『できそこないの男たち』というタイトルから、いまどきの覇気のない男たちにゲキを飛ばすような内容を想像するかもしれない。が、そうではない。生まれ出ずる以前から、いかに男たちが「できそこない」であるか、男女の性別決定について解いた生命科学の本である。

著者は『生物と無生物のあいだ』で一躍注目を浴びた分子生物学者の福岡伸一氏。遺伝子の謎めいた世界を、シロウトの読者にもよくわかるように、的確な比喩をもちいて語るさまに引き込まれる。そう、この著者の書くものは、科学者の手になる従来の教養書や啓蒙書とは大きく異なっている。なにがちがうのか。「語る」姿勢が徹底している。解説するのでもなければ、論するのでもなく、科学の知見を「物語る」ことに意識的である点が、とても新鮮だ。

たとえば、ミクロトームという細胞の切片を切り出す機器の使い方について、何ページも割いている。顕微鏡では、厚みのあるものは光の透過をさまたげるので、見ることができない。透けるほど薄く切る必要があるのだが、そこで登場するのが、かつお節削り器と同じ原理に基づいた、ミクロトームという切片切り出し器なのである。

「微調整が利く台座の上に取り付けられた、飛びぬけて鋭利な刃は、ハンドルを1回まわすごとに優雅な円運動の弧を描いて、サンプルの表面をわずかにかすめる。このときサンプルから、極めて薄い切片が削り取られる。息を殺して作業しないと、ひとひらの削り節はすぐにどこかへ飛び去ってしまうほど薄く小さい。ほとんどの場合、削りだされた切片は、刃先の上に天使の透明な羽のようにそっととまっている。私たちは習字用の細い筆を用意していて、切片をそっと筆の毛先に移しとる。それをスライドガラスの上にまで慎重に運ぶ」

読んでいるこちらまでが息を詰めてしまいそうな、美しく繊細な描写だが、このあと、「問題の核心は刃の側ではなく、かつお節の側にある」と書いて読者に謎をかけ、どうやって臓器片の細胞を壊さずにサンプルを作るかを、さらに細かく語るのである。

「ミクロトームを使って細胞を薄く切る」と書けば一行で終わるところを、なぜそのように長々と書くのか、という疑問がここで生じるだろう。ミクロトームは、ほぼ100年前には現在使われているものの原形ができていたという、大工にとってのノコギリのような生命科学の必需品であり、それ自体は新しい発明でもなんでもない。

ここでちょっと唐突だが、『アンナ・カレーニナ』の冒頭を思い出してほしい。「幸福な家庭はどれも似かよっているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸の趣が異なっている」。トルストイはこの有名な書き出しで、人間関係についての彼の「知見」を一言で述べてしまっている。そのあとにつづく長い長いストーリーは、読者にそれを説得するためのプロセスである。小説とはそのプロセスを言う、という見本のような作品なのだ。

同様のことがこの本にも言えるのではないだろうか。本書のテーマは、男女の性別決定は遺伝子のどのレベルで、どのように行われるのかを明らかにすることである。解答はすでに出ている。すべての生物の受精卵は本来、メスとなるべく発生するが、その途中でSRY遺伝子が入り込むと、スイッチがオンになってオスに作り替えられる。文字にすれば数行で終わってしまい、謎めいたものはない。むしろ結果を知らされたときに常につきまとう、虚脱感のようなものが残るだけだ。

「物語る」とは「物事を語る」ことであり、ある結果や結論だけでなく、たどりつく過程や、それがもたらした波紋など、「事象」ぜんたいを言葉にして語ることである。一般の読者は、分子生物学者が日々、どういう器具を使って、どのような作業をおこなっているかを、知らない。ひとつの発見が、地道な作業の積み重ねであることは頭でわかっても、具体的な光景はひとつも浮かばないのだ。

ミクロトームの記述は、SRYの発見までに、どれほど多くの人がこの器具を使って細胞を削り取り、顕微鏡で眺めてきたかを思い起こさせる。ディテールの積み重ねが、科学者の勤勉な日常と、職人的手作業と、それに費やされた気の遠くなるような労力と時間を、頭ではなく肉体に浸透させる。まさしく小説と似た効果をもっているのだ。

顕微鏡を発明したアマチュア科学者、アントニー・ファン・レーウェンフック。チャイロコメノゴミムシダマシという小豆大の無視を解剖して卵子と精子を取り出し、毎晩あくことなく顕微鏡で観察したネッティー・マリア・スティーブンズ、男を男たらしめる遺伝子の最初の発見者になることを確信しつつも、その闘いに破れたデイビッド・ペイジ。ペイジをかわして競争に勝ち抜き、SRY遺伝子を発見したピーター・N・グッドフェロー。

結局は人間を語ることなのだという思いが、著者の中にあるのではないか。科学の世界には無機的で、論理的なイメージがあるが、本当は相当に人間臭い世界であることが、本書を読むとよくわかる。つまり科学することも、絵を描いたり、会社を興したりするのと同様の人間の営みなのであり、結果だけでは伺えない人の奥深さがそこに染み出ているという、あたり前の事実に気づかせてくれる。



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2008年10月14日

『ECDIARY』 ECD著 (レディメイド・インタ-ナショナル)

ECDIARY
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あるラッパーの思想と行動

1979年、ニューヨークのソーホーで、「キッチン」という、文字どおり台所を改装したライブ・スペースで、奇妙なパフォーマンスを見た。アームの先にポータブルのレコードプレイヤーをつけた、形はエレキギターにそっくりなものを肩から下げた男が現れ、プレイヤーの上で回っているシングル盤を、ガットをかきならすように手でこすったり逆回転させたりしたのだ。名前は憶えていないが、若いドイツ人のパフォーマーだった。

終わって彼に話を訊くと、楽器が弾けないのでこれを考案したと言い、音楽をやっていると「なんの楽器?」と人に訊かれるけど(ここからは英語でないとオチない)" I play redords"と答えるのがおもしろいんだ、と言って笑った。ご存知のように英語では楽器の演奏をplayと言うが、レコードを掛けるのも同じplayだから、「レコードを演奏する=I play redords」という表現が成り立つのである。

このパフォーマーがヒップホップを知っていたかどうかはわからないが、従来の価値観を覆す動きは地下水のように同時に噴出するるものらしく、間もなくラップミュージックが巷を席巻し、広げた段ボールの上で体をスピンさせるブレイクダンサーたちが、ストリートのいたるところで見られるようになった。

前置きが長くなったが、それもこれも日本のラップミュージックの先駆者ECDの三カ月の日記『ECDIARY』を読んだ効用である。当時の感覚がひとつひとつよみがえってきて、レコードを演奏して別の音楽を生み出すのは音楽史の革命だったことに、改めて思い至った。

三カ月は日記として短すぎると思うかもしれないが、そんなことはない。ラッパーである彼の生き方が日々を語る言葉の中に詰め込まれていて、読むうちに細胞が湧き立ってくる。情報や知識をつづるのではなく、むしろそれを突き崩そうとする意欲が、ヒップポップカルチャーが登場したあの70年代末のニューヨークへと、私の記憶をさかのぼらせたのだった。

たとえば、2004年3月3日の日記にはこうある。朝テレビをつけると今日の運勢をやっていて、自分の星座を見ると今日は最悪と出ていた。朝から最悪と言い渡されること自体が最悪で、占いが当たってしまったことになるが、このあと一日は最悪なことはもう起きないだろうとタカをくくって、こう言う。


「戦う相手は今日の運勢だ。考えてみれば、死ぬことがわかっているのに生まれてくる、それ自体が運命に対する抵抗である。生きることイコール無駄な抵抗。それで結構!」


ヒップポップ・カルチャーが本来持っている抵抗の姿勢、納得できないことにノーと声を上げる勇気、長いものに巻かれない生き方が、言葉の端々ににじみ出る。イラクの日本人人質事件や輸入盤規制などの社会問題も取り上げるが、ふだんは世間にモノ申す的な文章を敬遠しがちな私の中にも、素直に入ってくる。

「自己責任論」を唱えて日本中が人質家族へのバッシングしだしたとき、彼は気分が鬱屈し、ライブで思いっきりプレイできない自分を感じる。だがそのライブ録音を後で聞き直すと、今までのベストテイクではないかと思える曲があった。


「気にする自分より演っている自分の方がエラい。こんな風に思えるのは音楽をやっていたおかげだ。自律できる自分だけが自分ではない。音は自分が律する以上のものになることもある」


自分のやったことに救われるのは、自己陶酔でもうぬぼれでもなんでもない。自意識から自由になることで見えてくる自分がある、ということだ。刻々と変化する自己を観察し、自分の中に自分を超えようとするものを発見して、生きる力にしていこうとするポジティブな態度がもたらす恵みである。

ECDは小説も書き、両親の記憶について書いた「迷信」が本書の最後に収められているが、小説を書くという作業についても、含蓄のあることを語っている。彼が子供のころ、母親がヤクルトおばさんをしていた。そのことを恥ずかしいと思ったことはないが、母親のことを想ったときに、その姿が真っ先に浮かぶ像なのはなぜだろうと自問し、実際は恥ずかしいと思い、その葛藤があったからこそ、これほど深く記憶に刻まれているのではないかと思い直す。


「ヤクルトおばさんの母親を恥ずかしいと思った少年が主人公の物語、恥ずかしいと思わなかった少年が少年の物語。どちらも作ることができる。ちょっと前までの僕は恥ずかしいと思わなかった自分の物語を信じて生きていた。どうも、最近は恥ずかしいと思った自分を生き直そうとしているような気がする」


見た光景の記憶は変わらなくても、それをどう感じたかという記憶は、さまざまに捏造される。人は自己の中で作り上げた物語を心の支えに生きている。よく「自己を掘り下げながら書く」というような言い方が小説についてなされるが、この表現には確固たる自己がどこかに埋まっていてそれを探して掘り出していくかのようなイメージがあるのに対し、ECDはそうではなく、「本当に優れた私小説というのはその捏造を暴こうとするものだ」と書く。

「その捏造」とは、「自分が信じてきた物語」のことだ。これまで捏造してきた記憶を暴いて自己審判にかける。書くとはそのような行為であり、さらに突き進めるならば、人間の生命運動がそのように営まれているとも言えるのである。

ヒップポップは既製の楽器を手にできない、あるいは手にしてもうまく弾けない、そんな欲求不満がバネとなって生まれてきたものだ。ECDはラップを演じようが、小説を書こうか、行為の奥にその出自が流れているように思える。自分がどういうところから出てきたかを忘れない。忘れないが、それに固執もしない。自分が律っすることのできる以上の者になれる瞬間を知っている者の強さがある。

2008年10月07日

『われらが歌う時』上下巻 リチャード・パワーズ著 高吉一郎訳(新潮社)

われらが歌う時(上)
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われらが歌う時(下)
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   「もうひとつの歴史を保存する図書館のような小説」


今年の7月にエミリー・ウングワレーというオーストラリアのアボリジニーズの女性画家の展覧会を見た。80歳に手が届くころになってはじめてキャンバスにむかい、86歳で亡くなるまでに3000点を超える絵画作品を描いた人である。すさまじい創作熱だが、驚いたのはそれだけではなく、彼女の描くものが、抽象絵画史がたどってきた色や形や偶然や象徴性などのテーマを一気に駆け抜けていたことだった。西洋美術史の知識はなにひとつないまま、それを成し遂げたことに、大きな衝撃を受けた。

「公の歴史」のほかに「もうひとつの歴史」があるのではないかという思いは、こういう事態に直面すると、ますます強くなる。既存の「音楽史」や「美術史」や「文学史」は過去のものを踏み越え、発展することに価値を置いて綴られてきた。そうやって一本の軸を通しながら、新しくでてくる表現を評価し、位置づけるというのは、言うならば表現の「グローバリズム」であろう。

ウングワレーの絵画はそれとは無縁の、ある地域や民族や個人の必然性から発したものだった。「西洋美術史」のように書物に記されているのとは別の、彼女の中で積み重ねられた「絵画史」がそこにある。残された作品群は、もうひとつの歴史を保存する「見えない図書館」のようだ。

リチャード・パワーズの新作『われらが歌う時』にも、これと同様の図書館のような意志を感じた。三代にまたがる家族の物語である。デイヴィッド・シュトロムはヨーロッパからの亡命ユダヤ人、ディーリア・デイリーはアメリカ生まれの黒人女性。1930年代末、まだ人種差別の激しいさ中にふたりは結婚する。困難を押し切ってふたりを結びつけたのは音楽への深い愛だった。歌っているとき、ふたりは肌の色のちがいを楽々と超えて解放された。

やがてふたりの間に三人の子供が生まれる。音楽の絆はゆるまるどころか、ますます強くなっていく。毎晩、家族そろってピアノを囲んで歌う。混じり合い、溶け合う歓びが体の中に蓄積される。音楽による家族の記憶が作られていく。


「近所の住人がラジオに釘付けになっているまさにその時、彼らは毎夜の歌唱大会に夢中だった。歌を歌うのは彼らにとってチームスポーツだった。歌こそがおはじき遊びであり、盤上陣取り合戦なのだ。まるで民謡に出てくる動物たちのように隠れた力に突き動かされて両親が踊るのを見るという経験は、子供たちにとっては、解きがたい神秘だった。子供たちも両親に仲間入りし、モーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』のリズムに乗って、まるでディズニーの「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」に合わせて踊るかのようだった」


人種問題というメインテーマがある。ディーリアは白人と結婚したことでバッシングを受け、取り返しのつかない事態に巻き込まれる。これだけでも充分にリッチな内容だが、音楽のテーマがそれをさらに深めている。黒人問題と音楽史のドッキングが、驚くべき相乗効果を上げているのだ。

ごく大ざっぱに言って、歌ったり叩いたりという音楽表現にはアフリカが大きな役割を果たし、オリエントではじまった弦楽器や管楽器は、ヨーロッパに伝えられてより洗練され、現在「クラシック音楽」として括られているさまざまな楽曲が作られた。二十世紀に入ってからはアメリカの黒人の生み出したジャズやブルースが、ポップミュージックに多大な影響を与えた。

だが、このようにジャンル分けされた音楽史は、この一家には無用だった。彼らに必要なのは楽曲だけだった。モーツァルトやバッハもあれば、ブルースもジャズナンバーもあった。彼らはそれを自由に味付けして歌い、シュトロム家特製のカバーバージョンに仕立て上げた。


「歌を歌っているかぎり、差別されて追放される心配もなかった。毎晩、あの満腔の声で歌を歌うたびに(この音に押し流されるようにしてデイヴィッド・シュトロムとディーリア・デイリーは巡り合うことになったのだが)一家は川をさらに上流に遡航して、より初期の、より純粋な場所へと近づくのだ」


歌いながら彼らは音楽の始原へとさかのぼっていく。意識しないままに「公の音楽史」を縦断し、「もうひとつの音楽史」を書き記していく。それは帰る場所のない亡命ユダヤ人と人種差別される黒人という、社会に居場所のない彼らだけに可能なことだった。世間的価値観の外側にいたからこそ、ジャンルの壁を易々と越えられたのだった。

この家族の音楽体験をベースとして、三人の子供のその後が語られていく。もっとも華々しい活躍をするのは天界の声をもった長男ジョナで、黒人クラシック歌手として過去に例のない成功を収めていく。弟のジョーイは兄の伴奏ピアニストをつとめ、一緒に各地を転々とする。兄が太陽とするなら彼は月のような存在だ。末っ娘のルースは音楽的才能に恵まれながらもその道に進まず、法律家を目指す。後半では、三人の成長の過程で起きた母の死を巡る謎が、「公の歴史」と「家族史」とを接合させていく。

物理学者の父の唱える時間論、彼が間接的に関与する核実験など、音楽以外の要素も多く、どこに重きをおいて読むかは人によってちがうだろう。だがどれをどう引っ張り出しても、ひとつのソロ曲となるような完成度がある。複数のテーマがバランスよく絡み合って物語に厚みを与え、完璧な球体を見ているかのようだ。

その球体の芯にあるのは、歌である。絵でも、文章でもなく、歌という原初的で肉体的な共通言語が中心に据えられたことで、ゆるぎない建築物のような小説世界が成立している。黒人解放運動が人間社会の発展するさまを示しているのに対し、歌う行為は始原の記憶を暗示する。ベクトルのちがう時間が交差するところに、家族の本当の歴史があるのだ。
 
歌や演奏シーンの描写がすばらしい。抽象絵画の歴史を一気に駆け抜けたエミリー・ウングワレーに共通する情熱とエネルギーが感じられる。この小説は私にとって「もうひとつの音楽史」を収めた見えない図書館だ。




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