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2008年09月16日

『遠きにありてつくるもの』細川周平(みすず書房)

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「かつてない方法で移民文化を考察する」

細川周平には『サンバの国に演歌は流れる』と『シネマ屋、ブラジルを行く』というブラジル移民の文化を考察した二冊の著書がある。『サンバの国に演歌は流れる』は移民にとっての歌を、『シネマ屋、ブラジルを行く』は映画を分析したものだが、ごく限られた地域の限られた集団を扱っているにもかかわらず、人と故郷と文化という普遍的なテーマが浮かび上がっていることに瞠目させられた。

このたび出版された『遠きにありてつくるもの』は、移民と言葉・芸能がテーマになっており、前の二冊とともにブラジル三部作を成している。まず最初に考察するのは「思い」「情け」「郷愁」など、ベタついた感触をもつ言葉たちである。学術的領域からはほど遠い、扱いにくい概念から考えを起こしているところに、著者の覚悟が見てとれる。「私は移民の情と涙をなんとか学問で説けないものかともがいている」と彼は書く。そう、この500ページに及ぶ大著には、これまで学問が対象にしてこなかった、ここに記されなければそのまま忘れ去られていくだろう移民の郷愁の本質が描きだされている。

移民の短歌・俳句・川柳が多く引用される。著者のコメントがないかぎりスルーしてしまうようなセンチメンタルな印象なものが多いが、作品の評価が目的なのではない。郷愁の思いと情けをそこに汲み取り、どんな心情や情況がそれらを生み出したのかを読み解いていく。「短詩作りは日本語とのつきあいを深め、それ自体既に郷愁に巻き込まれている」。異郷と家郷とのあいだを揺れ動く心は、短詩にむかうとき、思いっきり家郷の側に引っ張られるのだ。

その背後には、故郷の日本があまりに遠く、また異郷の生活が想像以上に厳しいという事実がある。移民はハワイにもカリフォルニアにも渡ったが、ブラジルは距離的にずっと遠い上に、労働の内容も未開の地を耕すという過酷なものだった。容易に帰れないがゆえに、故郷への思いは高まり、感傷となって噴出した。

とはいえ、日常生活では感傷に浸ってばかりいられない。向かい来る現実をひとつひとつ乗り超えていく生命力が求められる。コロニア語はそのひとつの表れと言えるだろう。移民は日本語で生活していたが、どうしても日本語にならない言葉や、ポルトガル語で言ったほうが心情がよく伝わる単語については、ポルトガル語を使った。コロニア語とは、このようにして自然にできあがっていった移民間の日本語を指す。著者はこれを日本語の方言ではなく、「ブラジルという他民族国家のなかの一民族集団の言語ととらえるほうが本質をついている」と述べる。

このちゃんぽんの日本語は、来たばかりの移民にカッコよく映ったようである。これは著者も言うように興味深いことだ。よく知られるように、満州・朝鮮・南洋などに移り住んだ日本人は現地語を軽んじ、覚えようとしなかった。そこに植民者の優越意識があったことは否定できない。一方、ブラジル移民は開墾の必需品だった鍬の一種の「エンシャーダー」や、引っ越しを意味する「ムサンダ」など、生活に密着した言葉はポルトガル語で言い表すことを好んだ。

「コロニア語は外国語の壁に囲われた移民の言語生活から生まれ、混入されたポルトガル語の語彙はその先に行くことができないことを示す限界線のようなものである。コロニア語は日本語の飛び地のなかでの小さな安心を保証した」

日本語にも「ミシン」や「アイロン」などの外来語は多く、コロニア語のポルトガル語彙はそれと似ているとも言えるが、「ミシン」や「アイロン」が消えることがないのとちがって、コロニア語は世代を越えて継承される可能性がほとんどなく、絶滅に瀕している。ポルトガル語で育つ二世以降の世代はコロニア語を使う必要がない。コロニア語はある時期に絶対的な必然性をもちつつも、消滅にむかう言葉なのである。

海外生活の長い人が現地のことばとちゃんぽんで話すシーンは、私自身も体験している。彼らの日本語には母国語が失われていく「哀れさ」がそこはかとなく漂い、本人もそれに自覚的だ。だがその一方で、その半端な日本語はその人とわかちがたく結びついていて、音をともなった人物像を記憶に刻みつける。その人を思いだすとき、ことばの響きも同時に出てきて輪郭が鮮明になるのだ。消え行くコロニア語にも、耳にすればたちまち五感が刺激され、その時代の記憶が鮮やかによみがえるような霊力があるにちがいない。短命さと使用範囲の小ささが言葉の濃度を深める。

読んでおわかりのように、移民文化を移民正史に位置づけることが本書の目的なのでない。日本文化が彼の地に渡って姿を変え、中心をずらし、異文化と混交しながら、伝言ゲームのように伝承されてきたありようを書き留め、考察する。香山六郎というツピ族の言語研究に生涯をかけた人物の紹介と分析は、その考えをまっこうから示した興味深いものだ。

香山は最初の移民船「笠戸丸」でブラジルに渡った初代の移民だが、その船上で、いまはほとんど生存しないブラジル先住民ツピ族のことを(「日本人に似た土人」という表現で)知らされ、生涯この「土人」の研究をしようと決意する。

彼は日本語とツピ語は同じ先祖を持つという説を唱え、その源をナイル河のトゥラン族に求めた。この部族が移動していく過程で産み落とされた言葉が後に日本語になり、ポルトガル語になったと考えた彼にとって、ツピ語は世界の祖語として重要性をもったのである。

ブラジルの言語を科学的に実証しようとする立場は一笑に付すだろうが、細川はちがう。これを「個人的な体験と集団的な感情に根ざした物語」ととらえ、その背後にあるものを読み取ろうとする。

「彼(香山六郎)は世界を名づけ、世界をツピの目で観察し、ツピの耳で言葉を聞き、ツピが近くし、ツピが「感性」したように世界を感じる。そうすることで、彼は言語の限界、生きられた世界の限界をつき崩そうとした」

最後の章では「コロニア浪曲」が取り上げられるが、著者はそこで香山のツピ語研究と浪曲創作におなじ動機を見いだす。浪曲は戦前移民の最大の楽しみで、移民史、それも公式文書に載る移民史ではなく、生きられた歴史がうなられた。勇士の物語を浪曲の型にはめこんで、美辞麗句で飾り、英雄的な自画像を描くことで、一世の愛した義理人情を表現しようとしたのである。「国民史の外にある少数民族史の自立」をうながし、「本国の英雄には仮託できない移民統合の機能を担った」点で、浪曲はツピ語研究とおなじ使命を負っていたのだった。

未開の土地に道を切り拓いていく移民の精神を感じさせる労作である。
先に上げた香山の言葉は、そのままこう言い換えることができるだろう。

「細川周平は世界をブラジル移民の目で観察し、彼らの耳で言葉を聞き、彼らが知覚したように世界を感じ考えることで、泥沼に入り込んだ近代科学の限界をつき崩そうとした」



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