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2008年06月28日

『本が崩れる』草森紳一(文春新書)

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「四万冊の本に囲まれて生を終える」

この春に急逝した草森紳一氏を追悼する会が、昨夜、九段会館で開かれた。草森氏には生前に何度かお会いしていたし、彼と最後まで関わりのあった女性と、ふたりの間にできた娘さんを存じ上げている。そんな縁で参列したのだった。

司会者の説明によれば、最期の様子はまさしく氏の著書『本が崩れる』のとおりであった。締め切りになっても連絡がつかないので編集者が訪ねたところ、電気が壊れて中がよく見えない。無理に突入すると本が崩れて二次災害になるので一旦帰り、翌日、懐中電灯を持参して再訪、中で倒れている氏を発見したという。2DKのマンションに四万冊の蔵書が積まれ、人の動ける余地がなかった。

帰宅して『本が崩れる』を再読した。氏の文章は言葉が意味を超えた呼吸になっていて、私には速く読むことが出来ない。原稿用紙にして百枚くらいの作品を、書くようなペースで読んだ。速読するなら読む必要はないと言いたいほど、文章の呼吸が素晴らしい。

表題作はタイトルどおり、部屋中に積まれた本が崩れる話ではじまる。崩れただけでなく、その本が浴室のドアを封じてしまい、出られなくなるのだ。体当たりしてもビクともしない。壁を叩いて隣室の老婦人にSOSを送ろうと考えるが、いまは昼間だ。彼女は夜まで帰らない。

とりあえず本でも読むかと、脱衣場にまで侵入していた本の山から二冊を抜き取って読書する。読み終えたところで一計を案じて自力で脱出するのだが、どうやって出たかは読んでのお楽しみとして、ともかくこれだけの量の本と暮すのが具体的にどういうことなのかが、この最初のくだりで読者の肉体に刻まれるのである。

蔵書の量に頭を痛める話は、物書きのエッセイによく登場するネタだ。だが、あまりおもしろいと思ったためしがない。自嘲しているようでいて、実は自慢しているようなふしがある。物に仮託して自分を語るのは弱さの表われなのに、その薄っぺらさに気付いてない。

そんなおごりとはまったく無縁な文章である。蔵書の量がわが身の危険と引き換えにするほどスケールアウトしているし、なによりも、そこまで突き進んでしまう自分のイビツさを自覚し、突き放して描いている。あっぱれとしか言いようがない筋の通し方だ。

「物書きとしてしぶしぶ生活するようになってから、たえずもう一人の自分をわが背後に置く癖がつき(いや、三十を過ぎてからは、わが前面にも、もう一人の自分を置く)、それは守護神の如く、情けない本体の自分を救う時もあるが、前後に見張りをつけておくなんて、素直でないと責めたい部分でもある。チミモウリョウにそそのかされるまま、素直に生きている自分。そんな醜態を眺めているもう一人の素直でない自分。超越的自分ともいえるが、そんなしろもの、自分の目でたしかめたこともない。たえず不寝番している見ず知らずの気の毒な自分でもある」

彼の書くものはどれも、なにかを見ている自分と、その自分を見ている自分、あるいは心が動いている自分と、その動きを観察している自分とが、合わせ鏡のように描き込まれる。心理学的な用語でいえば、意識と無意識、自我と超自我のあいだをうねっていくような書き方だが、そんな用語を一つも使わずに、自分を素材に人間の奥深いとこをたゆたっていく。小説を読んでいるような感じがするのはそのためだろう。

浴室から無事でられたところで半分くらいで、そのあとに男鹿半島を旅する話がつづく。本から話題が飛ぶようだが、そうではない。前半部の裏テーマは実は本に圧迫され侵食されて疲弊する肉体であり、その肉体を漢の武帝が祭られている赤神神社の九九九段の石段を登って、荒治療しようと試みるのである。

この石段を登るシーンは何度読んでもおもしろい。二十段登ったら休んでまた登るというのを五十回繰り返せばいいのだ、と自分を励ましながら進んでいくものの、ついにくたびれて石段にごろんと横になってしまう。すると「ホーホケキョ」と鴬の声がする。それも一羽二羽ではなく、複数が連唱して追いかけてきて、その声に「わが身を飾られながら」登りつめると、ふいに目の前が明るくひらけて社殿に出るのだ。

途中でもしかして「盛り」がついて鳴いているだけかもしれないという考えが、ちらっと頭をかすめる。だが、「……そんな分別、頭のスミから追い払った。この際、もっぱら自分への応援とみなすのが、「九九九」段を登り切るだめには、欠かすわけにはいかないエゴであり、妄想である」。このクールな自己観察にしびれてしまう。

私が彼の著書に出会ったのは70年代である。編集者の友人が、『子供の場所』という彼の著書にサインをもらって、当時ニューヨークに住んでいた私の元に届けてくれた。大竹昭子の「昭」の下に点々がついて「照子」になっていて、「瞬間、まちがえました。ごめんなさい」と書いてある。この本は、子供のいる場所から都市空間を論じた内容だったが、そういう括りからあふれ出る豊かさがあり、以来、彼の著書を新旧あわせてひもとくようになったのである。

「私は、これまで一度も作家とか評論家であるとか、自称したことなどない。自分では「物書き」としか言ったためしがない」と彼は言う。たしかに既成の評論のスタイルには収まり切らない書き方だし、興味の範囲も美術、デザイン、建築、写真、マンガ、広告、書、評伝と多岐にわたる。こういう作家がほかにいるだろうか。少なくとも私の乏しい知識では思い浮かばない。独自のスタイルとポジションを貫ぬいた人だった。

そんなことを思いながら帰宅する道すがら、はたと気が付いたことがあった。『子供の場所』を贈られたころ、私はまだ本格的に書きはじめていなかったが、あのとき草森紳一の著作に出会ってしまったことが、いまの自分を決定してしまったような気がする。こんなに自由に書いていいんだ、そう思って驚き、感動した。まだ駆け出してもいない私にとって、この上もなく魅力的なありようだったのである。

それ以来、内容的には到底及びがつかないものの、自由に書くというスタイルについては氏のやり方をまねてきた。一人の筆者が書いたのだから、テーマがちがっても通底したものがあるはずだと居直り、好奇心のおもむくままに書いてきたのである。それでもときどき、どうしてこんなに一言で説明しにくい仕事の仕方をしてしまったのだろうと、我が身を振り返って嘆くことがある。だが、もうこれでいくしかない。そう腹をくくれた夜だった。

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2008年06月25日

『フォト・リテラシー-報道写真と読む倫理』今橋映子(中公新書)

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「「報道写真」がたどった試行錯誤の道程」

タイトルの「フォト・リテラシー」は耳慣れない言葉かもしれないが、「メディア・リテラシー」なら聞いたことがあるだろう。メディアの「読解力」を意味する言葉で、対象となる多くは映像メディアである。『フォト・リテラシー』はその映像から写真を抜き出した言葉だ。

とはいえ、写真の現在はあまりに広大でとりとめがなく、本書では「報道写真」と呼ばれるものが対象となっている。それがどう成立し、どのような紆余曲折を経ていまに至ったかを遡る。読み解くための鍵は、「報道写真」が積み重ねてきた経験の中にあるのだ。

たとえば、写真を語るときにだれもがよく使う「決定的瞬間」という言葉は、カルティエ=ブレッソンの写真集のタイトルから来ているが、フランス語の原題の正確な意味は「かすめ取られたイマージュ」だという。なぜそれが「決定的瞬間」なってしまったのか。

英訳の段階で「The Decisive Moment」 となり、それがそのまま邦訳されて「決定的瞬間」になった。この言葉のニュアンスが、構図が決まっているカルティエ=ブレッソンの写真とあまりにピタリと当てはまるために、広まってしまったのである。

さらには写真家本人もこれを逆輸入して、意識的に使っていた節がある。晩年のインタビューで「その瞬間をいかにすばやくつかむか」を語っていたことを、著者は指摘する。カルティエ=ブレッソン自身、この言葉の有効性に気付いていたのだ。英語版の編集者がすぐれたコピーライターだったとも言えるだろう。

だが、著者がここで強調するのは「有効性」とは逆の効果である。つまりこの言葉によって、いかに報道写真が限定されてしまったかを語る。

「カルティエ=ブレッソンだからこそ可能であった絶妙な構図が、私たちの中では常に自動的に、現実を目の前にして、ある絶頂のタイミングをつかみ、そのままに読者に提示されたものーーーという思い込みを生み、延いては優れたドキュメンタリー写真とは、そうであるはず、あるいはあるべきという妄信を生んではいないだろうか。(中略)カルティエ=ブレッソンの神話がこうして切りくずされる瞬間、私たちの前には、報道写真を再考察する糸口が次々と発見されるのである」

「記録性」を重視した写真を言い表わす言葉として、「ドキュメンタリー写真」「フォトルポルタージュ」「報道写真」などがある。この「記録」という言葉に対するのは「芸術」だ。スタジオ撮影したポートレイトや静物写真など、手を加えたり、状況をコントロールした、「芸術写真」に対抗するものとして、一九二〇年代後半から「ドキュメンタリー写真」が成長してきた。

「ドキュメンタリー」はもともと映画で使われていた概念で、それがこの時期に写真に転用され広まったのは、グラフ雑誌の創刊が相次いだことと無関係ではない。グラフ誌の誕生によってひとつの写真ジャンルが確立したのだった。

当時の「ドキュメンタリー写真」は、必ずしも現実に起きたことをありのまま撮ったものではなかった。演出をほどこすことが当然のように行われ、いまならば「やらせ」として否定されるようなことが常套手段化していたという。「ドキュメンタリー写真」とはドキュメンタリー的なスタイルで撮られた写真のことであり、社会的にもそれが受容されていたのだ。

だが、戦後になってそれは変わる。『ライフ』誌に載ったドアノーの「市庁舎前のキス」が例として挙げられている。パリの路上で堂々とキスしているカップルを撮ったこの写真は、実はモデルに恋人役を演じさせて撮ったものだった。後にモデルが肖像権を主張して裁判沙汰になり、演出写真であることが明るみに出たのだったが、発表当時は現実の光景のように受けとられ、パリのロマンティックな雰囲気を高めるの一役買ったのだった。

「「決定的瞬間「「絶対非演出」「トリミングの拒否」というカルティエ=ブレッソンにまつわる教条が、戦後の現代人の写真観を規定してきた」可能性を著者は述べる。たしかにそれもあるだろう。だが、これが「芸術写真」の範囲で発表されたなら、だれも事実かどうかなど気にしなかったはずで、『ライフ』誌であったゆえに「事件化」したのだ。グラフ雑誌の存在そのものが、「事実によって真実を伝える」というプロパガンダを含んでしまっているのである。

実際にはグラフ誌を支えているのは、大衆の見たいという欲望にほかならない。彼らが見たがるものいかにを素早く察知して世に送りだすかが、視覚メディアの生命線なのだ。その意味で「グラフ雑誌はエージェンシー」であり、「撮る者と観る者との共犯関係の中で成立している」という発言はもっともである。グラフ誌が衰退し廃刊に追い込まれたのは、グラフ雑誌のタテマエとホンネの齟齬が明るみにでたことが大きいだろう。

複数の写真でページを構成する「組写真」の手法に潜む陥穽、雑誌掲載された写真が写真集になってときの脱コンテクスト化の意味、異文化および戦争を表象する問題など、後半ではさまざまなテーマが展開される。どれにも共通しているのは、写真とは、扱い方次第で大きく意味が転じる、繊細で壊れやすい性格を持つものだということだ。自立した存在ではなく、器によって変化する、なによりも見る人の眼差しを必要とするメディアなのだ。

さまざまな議論や誤解や対立を経て「報道写真」の今がある。受け手と送り手のあいだに「現実」が介在するゆえに、その現実が瞬間的にとらえられて前後が省略されるゆえに、着地点の受け止め方に確執が生じるのだ。

本書はその意味で、「写真の曖昧さ」と人が格闘してきた歴史を綴っているとも言えるのである。報道写真の成立する過程が、そのまま写真の本質を浮き彫りにし、同時に人間存在の曖昧さも表わしている。だが、曖昧であるゆえに、受け手に委ねられるものも大きい。写真を見ることの醍醐味はそこにあるだろう。

「世界や人生を異化し、観るものを立ち止まらせないでおかない一枚こそ、報道とアートの境界を無効にする生命力を持ちつづけるのである」

ジャンルを問う前に、一枚の写真の前で立ち止まってしまったことの重みを受け止めるべきだ、というこの言葉に深く賛同する。見られない写真は演奏されない音楽のように淋しい。写真の生命は、見る行為の深さによって強められるのである。


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