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2007年07月29日

『ロック母』角田光代(講談社)

ロック母 →bookwebで購入

描かれるフリーターたちのその後

黒一色に銀文字のタイトルだけ、というロックっぽい扉を開くと、
7篇のタイトルが並んでいる。
そのうち、「ロック母」は昨年、川端康成文学賞を受賞したときに文芸誌で読んでおり、タイトルを見てそのときの感慨を思い出した。

シンプルなストーリーである。
つきあっていた男とのあいだに子供ができて、出産のために故郷の島にもどってきた「私」には、男と結婚の予定はなく、母になる自覚もなく、
しかし腹の中の赤ん坊だけは着実に大きくなっていく。
父が蜜柑工場に働きに出かけてだれもいなくなった家では、
「私」の残していったロックのレコードを母が大音量でかけている。
そんなやるせない日々の果てについに出産の日が来る……。

フリーターの生活感情やアジアを放浪する若者を描いてきた作家が、こういうものを書くようになったのかと新鮮な気がした。
行き先知れずの若者も、歳を重ねれば若いことろはちがう現実に直面する。そのあたり前のことが、当事者とおなじ立ち位置で描かれており、
人生に巡り来る時間とまっこうから付き添っていこうとしている、
作家の覚悟のほどを実感したのだった。

本書に収められた7篇には時間的な幅があって、
最初の「ゆうべの神様」は1992年の発表で、
最後の「イリの結婚式」は2007年と、実に15年分が収まっている。
作者が25歳から40歳までの期間に当たり、
それぞれの主題に切迫感がある。

「ゆうべの神様」は、東京の大学に入って早く田舎を出ていきたいと願っているグレた受験生の話。
つぎの「緑の鼠の糞」と「爆竹夜」は二十代の若者のアジア放浪もの。
寄る辺なさ、意欲の欠如、閉塞状況が濃厚で、
3篇ともダルい空気が漂っている。

それにつづく「カノジョ」「ロック母」「父のボール」「イリの結婚式」は、現実に苛立っていたり、馴染めなかったり、折り合いがつかなかったりする主人公が出てくる点は前の3篇と共通しているが、
なにかがちがっている。
作者の時間への眼差しが変化しているのだ。

前の3篇では主人公は目の前で起きていること、
いまこの時にしか関心がない。
自分を取り巻く現実に反応するだけで手いっぱいで、
人のことを思いやる余裕もない。

しかし後半の4篇には、父の死、婚約者の元彼女の気配、生まれてくる赤ん坊のことなど、「目の前に存在しないもの」、「まだ起きてない現実」に視線がむいて、想像の時空が拡大しているのだ。
作家の成長が率直に作品化されている爽やかさを感じた。

角田が書きつづけてきたのは、
その人物に成りきったように書き進める超リアルな小説世界だ。
ビジョンを持たずに生きる、社会的に「無価値」とされる若者は、
彼女の小説の中で存在を許され、認められてきた。

四十代に入った角田はいま、彼らのその後にむかっている。
歳を重ねたことを力として、
これからもリアルさとはなにかを追究していくだろう。
つぎつぎと産み落とされる作品には、作者も予想しない、
過ぎて見えてくる「時代」が刻印されているにちがいない。

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2007年07月18日

『文字の母たち』港千尋(インスクリプト)

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活字の生まれ育った場所

読めない文字に囲まれたり、思いどおりに字が書けなかったりしたとき、
文字が生き物じみて感じられることがある。
意味がはがれて形として文字が迫ってくる、
スリリングな瞬間だ。

本書は文字がいまある姿をとるのに寄与した活字の歴史を、フランス国立印刷所を取材して、
写真と文でつづったものだ。

活字の発展に大きな役割を果たしたこの印刷所は、パリのグーテンベルグ通りにあったという。
あった、と過去形で書かなければならないのは、
2006年に分割・移転されて扉を閉じたからだ。
著者は閉鎖前にそこに通い、写真を撮り、職人たちに話を聞く。
対象を観察し写真に撮ることから考えを起こしていく著者らしいやり方だ。

強烈に伝わってくるのは金属活字の物質感である。

「ジョエルさんはおたまじゃくしで熱い金属のスープを掬い、ゆっくりとかき混ぜて、坩堝の内部を均一にしてゆく。モノタイプキャスターは派手な音を立てながら、瞬く間に活字を射出する。機械を止めながらジョエルさんは言った。
 これが何十台と稼働していた頃の音は、とても想像できないだろうね」

金属活字には鉛に錫とアンチモンを混ぜた合金が使われる。母型を彫って、合金を溶かしたものをそこに流し込み、使用済みになったらまた炉で溶かし、別の文字に作りかえる。
大音響と熱気の中で活字は生み出されてきたのだ。

「ガラモン体」の名で親しまれる書体がある。
16世紀のはじめ、ここがまだ印刷所という名前を得る以前に、
クロード・ガラモンという人物によって作られたものだ。
依頼主はフランソワ一世。
納本制度を世界で最初に定めた人である。

王の名において制作されたこの文字は、
国家がそれに値すると認めた印刷にのみ使用された。
法律文も歴史書も度量衡も、
「王の文字」を使うことで公式のものとなり、
広まった。検閲マークと等価だったわけだ。

またこの印刷所では18世紀から漢字の活字も作られてきた。
漢字はアルファベットとちがってその数が圧倒的に多く、どうやったら合理的に活字化できるかに知恵がしぼられた。
その結果、部首の活字を作って版を組むときに合体させる、という奇抜な方法があみだされた。
これなら彫刻する文字の数が少なくて済む。

漢字に親しんでいる我々の目には、
いかにも部分を集めましたという、おさまりの悪いものに見えるが、
経済的な方法であるのはまちがいない。
ヨーロッパではかなり広まったらしい。
最近までパリの中華レストランのメニューに使われていたという。
そう言われてみると、私もどこかの国でそれらしきものを見た記憶がある。手書きならまだしも、活字だったことに驚いたのを覚えている。

苦肉の策として考えられたこの活字は、
東洋向けの聖書の印刷に使われて、
キリスト教の伝道師によって漢字文化圏にもちこまれた。
故郷を離れた者が、放浪のあげくに奇妙な格好でUターンしたようなものである。

それにしてもなるほどとうなづかされたのは、
文字の開発にやっきになったのが政治家と宗教家だったという事実である。
口でしゃべったり、手で書いている段階では、
言葉の伝播する範囲はわずかなものだ。
活字化されてはじめて普及と拡大が可能になったのであり、そのスケール感は、印刷物を当たり前に目にしている現代では想像もつかないほどドラマチックだっただろう。

「文字を撮影するという経験は、写真と文章を続けていた者にとって、ふたつの世界が重なる希有な機会となった」と著者は書く。
たしかに活版と写真は複製技術の申し子という点で、おなじ出自をもっている。
ひとつちがうのは、活版では字を大きくしたければ、大きな活字を彫らなければならないということであり、その意味で版画とおなじく絵画的な尾っぽを引きづっている。

その尾っぽがとれるのは写真植字が登場してからだ。
写真の原理がそのまま印刷技術に応用されたこの方法では、どんな文字もおなじ姿のまま大きくすることが出来る。
母型を彫る手間も、合金を溶かす手間も要らない。
文字はモノから離れて映像になったわけである。

印刷所の母型保存庫には、ここで制作されたすべてのオリジナル活字の型が保存されているという。著者はそこを見学し、薄い木製の引き出しが並ぶさまを博物館の標本室のようだと評し、
最後にこう締めくくる。

標本箱の中にあるのは「活字という文化遺伝子」であり、たとえ活版印刷が途絶えたとしても、未来の文字のデザインにとってはかけがえのない記憶なのだと。

『文字の母たち』という謎めいたタイトルの意味するものが、そのときストンと腑に落ちた。

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