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2007年06月29日

『生物と無生物のあいだ』福岡伸一(講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ →bookwebで購入

生命の本質を分子レベルで問う

生き物のことを考えるようになったのは、スナネズミを飼うようになってからだ。
一匹、一匹の差が際立っていて、ひとつとしておなじものはいない。
犬猫ならそれも当然と受け流せるが、
こんなに小さな生き物がそうだと、やはり愕然としてしまう。

著者は分子生物学者であり、小ささの相手がネズミどころではない。
分子のレベルに分け入って、生き物の拠って立つ所以を観察し、考察する。
すると、ふだん私たちが当たり前のように見分けている生物と無生物の
ちがいですら、簡単には分別できないのが判ってくる。

最初のところで、生物とも無生物ともつかない謎の存在として、
ウイルスが例に挙げられている。
ウイルスは自らを増やせる。だから生物を「自己複製するもの」と定義すれば、ウイルスはまぎれもなく生物である。
だが、ウイルス粒子単体を眺めると、無機的で、硬質で、幾何学的な美をもつ機械的オブジェのようであり、
生命の律動らしきものは少しも感じさせない。

果してウイルスは生物なのか、それとも無生物なのか。
長いこと論争され、いまだ決着のついていない問いについて著者は
「ウイルスは生物であるとは定義しない」と言明する。
それは自己複製システムがあるだけで生物とはみなせない、と考えるからだ。
では、生物が生物であるためには、
他にいかなる条件を付ければいいのだろうかー。

ウイルスの話題でしかと心をつかまれ、
そのままミステリーを読むように固唾を呑んでページを繰っていった。
生物学の本は読み慣れてないにもかかわらず、少しも困難はなかった。

それはひとえに著者の文章力と構成力である。
比喩が的確であり、しかも比喩に逃げることがない。
比喩はわかりやすくするが、もらすこともあるのをわきまえている。
理系ならではの慎重さと、文系も舌を巻く詩的表現が、
これほどバランスよく混じり合った本はめずらしいだろう。

だが、本書をそれにも増して魅力的にしているのは、
生命活動の本質とはなにかという問いを、
著者が切実さを持って問い掛けている点にある。

子供のときに生き物が好きで生物学に進み、
分子生物学という最先端分野で研究をしてきた。
「生命とはなにか」という設問は、いまや言い古されて、
広告のコピーのようにすら響くが、
遺伝子操作が当たり前におこなわれている現在、
この問いを避けては、生物学者としての立ち位置は明らかにならないはずだ。
そのことの切迫感と緊張感が、通奏低音ように文章の背後に流れている。

ニューヨークのロックフェラー大学とボストンのハーバード大学という、
アメリカの名門で博士研究員生活を送った体験をひもときつつ、
話が進められていく。
マンハッタン島を一周する遊覧船から見る島の情景を描写し、つぎにミッドタウンにある人目につかない小さな大学の窓から遊覧船を眺めているシーンに一転するあたりなど、見事というほかない。

ロックフェラー大学はノーベル賞受賞者を幾人も排出した重要機関だが、
著者はそこにいて輝かしい栄誉に輝いた人々ではなく、
地道に研究にいそしんだ生物学者、オズワルド・エイブリーに共感する。

彼こそがDNA=遺伝子であることに世界で最初に気付いた人であり、
それを数値で示そうとひっそりと試験管を振りつづけたのだった。
だが彼の時代にそれは果せず、結局、DNAの構造は50年代に入って、
ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックという若手生物学者によって
明らかにされる。
もちろん、彼らの発見はエイブリーの研究があってのことだ。

著者はなぜこの話題に触れたのだろうか。
大きな発見の陰には必ず踏み台になった人がいる、
というような人生訓のためではない。
DNAは遺伝子であるという発想は、直感では到達しえないものだと著者は言う。
ではなにがエイブリーを導いたかというと、
「自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手応え」
だと想像し、それを「研究の質感」と呼んでいる。

「(エイブリーの確信は)最後まで実験台のそばにあった彼のリアリティーに基づくものであった」。

生物内でつねに分子や原子が置き換わり、
いっときも止まらない状態にあるのを指摘した
ルドルフ・シェーンハイマーの発見に触れるあたりから、
本書はいよいよ核心に近づいていく。

このシェーンハイマーの概念をさらに拡大するものとして、
「動的平衡」という言葉を著者は導入する。
生命は分子・原子レベルで、欠落を埋めようとしたり、
バランスのいいところに落ち着こうとして動き、流れつづけている。
その見えない意志のようなものが「動的平衡」であり、
生命システムの本質なのだ。

そして最後には、自らおこなった、ある遺伝子を削除した
ノックアウト・マウスの実験結果を例に挙げて、
生命と時間の関係を説いていく。

生命がつねに流れている状態にあるというのは、
時間というファクターを無視しては生物をとらえ切れないということだ。
時間が逆戻りしないと同様、生命は起きてしまったことを、
起きなかったようにはできないし、その逆も同様なのである。

生命は一瞬前に起きたことを参照し、それとバランスをとり、
なくなったものを埋め合わせしながら、流れていく。
欠損状態を保ったり、データを初期化したりということは、
分子レベルにおいても不可能なのであり、
もしそれが出来てしまったら、生命とは呼べないのである。

「(生命は)決して逆戻りできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである」

粗製乱造される新書が目立つ中でひときわ輝く、生命の律動に満ちた仕事だ。

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2007年06月25日

『Memoires 1983』古屋誠一(赤々舎)

Memoires 1983 Aus den Fugen 脱臼した時間
→『Memoires 1983』      →『Aus den Fugen 脱臼した時間』

自死した妻のメモワール

金属のように光る馬の皮膚、ピンと背筋を伸ばしてまたがる女性、
彼女の張り出した額、凝視する鋭い視線。
ただならぬ予兆に充ちた表紙写真だ。
背後が闇で、この場所についてなんの手がかりも与えていないことが、
その気配をより強めている。

馬に乗っているのは著者・古屋誠一の妻クリスティーネ。
ふたりは1978年、オーストリアで出会い、結婚し、息子をもうけた。
だが、クリスティーネは精神を病み、1985年、アパートの窓から投身自殺してしまう。

本書はクリスティーネが残した手記と古屋の撮った写真とで構成されている。
追憶の旅はいつも1983年に行きつくと彼は書く。
彼女に異常な言動が目立つようになったのが、
亡くなる2年前にあたるこの年の春だったのだ。

手記にはクリスティーネのさまざまな思いが見え隠れする。
母親との相克、息子への愛情、夫への不満、生活苦、
自分の行く道が定まってないことの焦り……。
彼女は女優になろうとして訓練を受けていたが、
行く手はまだ見えていなかった。

クリスティーネの写真がいちばん多いが、
入っているのはそれだけではない。
彼女の母親、息子の光明、アパートの室内、街路、
田園風景、屠畜現場、遊園地、森、公園……。
日常と非日常のシーンが劇的にならないよう淡々と、
細心の注意を払って並べられている。

だが、クリスティーネの写真が出てくるとき、
見る側の意識はどうしようもなく揺れる。
彼女がもう生きていないことを思い、
そうなった痕跡がどこかに認められないだろうかと目を凝らす。
そして逆に死者から見つめられているような眩暈に襲われる……。

古屋はこれまでクリスティーネのポートレイトを中心にした写真集を6冊編んできた。
生活していた相手を、こんなにもたくさんのフィルムに収めていたことに驚くが、目的があって撮っていたのではないらしい。
撮ったフィルムはそのまま放置され、
彼女が亡くなるまで現像されなかったのだ。

写真からは、クリスティーネの著者のあいだに、
写真を介した関係が存在していたのが感じとれる。
あいだに写真が挟まることで相手との距離がうまくとれたり、
コミュニケーションが図れたりする、
そんな事情があったのではないかと、想像できる。

だから彼女にカメラをむけてシャーターを切ることが重要なのであって、
撮れた写真をどうするかはあまり問題ではなかったのかもしれない。
もしクリスティーネが死なずに生きていたら、
これらの写真はいまだ日の目を見ていない可能性だってありうるのだ。

写真は「写す」「現像する」「出来た写真を見る」という三つの時間で成り立つ。
このしごく自明な、しかしあまり意識されない事実を、
古屋誠一の仕事は改めてわたしたちの前に差し出す。
ほかの写真ではアマルガム状になっていて分離しずらい時間が、
ここでは鮮明度を増し、自己主張してくるのだ。
それはほかでもない、
写真が現像されたときにクリスティーヌはすでになく、
死者として写真に成ったからである。

この写真集を開く者は、なぜクリスティーネは死ななくてはならなかったのか、
という問いを抱いて写真を見、手記を読むだろう。
しかしその謎はミステリー小説のようにするすると解かれることはなく、
解答への執着はしだいに消え、問いすらもあわくなっていく。
そして、それと引き換えに浮上してくるのは、写真に流れている時間だ。
それが切実なものとして目につきささってくる。

「手記の存在を彼女の亡き後に知ったのだが、それを読むことはなかった」
と古屋は書く。
また先に出た6冊について、
「悲哀の主人公を生み、僕の無能さや、さらに覗き見的悦楽主義を指摘することにもなった。「事件」の当事者の一人であること、そしてそれを編む者でもあらねばならないということへの限界を感じはじめていた」
と語る。

手記を収録した今回の作品集は、これまでの古屋からの一方向の行為に、
撮られた側からの声を重ねて共鳴させようという意図があったはずだ。
クリスティーネの言葉は切実さと緊迫感に満ち、
本書を建築物のように立体化させるのに成功している。

だが、ここで改めて実感するのは古屋のペースのほうなのだ。
過去の時間がさまざまな形をとって現在に混入し、
変化をもたらすさまを見つめる視線が一定している。
その執拗で忍耐強い態度に目を瞠るばかりだ。

「写す」は一度きりしか来ない。
「現像」もおなじく二度目がなく、
「出来た写真を見る」時間だけが何度も繰り返しやってくる。

見ようと意識して見ることもあるし、
その気でないのに視界に入ってしまうこともあるが、
そのたびにおなじことを思うだろう。
どうして、なぜ、彼女は逝ったのか。
まったくおなじことを思うというのは、あり得ない。
人の内部は細かく変化し、流れていて、
前に見たときと感情のニュアンスが変わったり、
別のことに心をもっていかれたりするのに気付く。

そのような心の変化は写真がなくても起るだろう。
だが写真を介することで、よりくっきりとはね返ってくるだろう。

この写真集が出たのは昨秋だが、
この春、古屋は故郷の三島で大きな個展を開き、
そのときに新たな写真集を編んでいる。

『脱臼した時間』(赤々舎)と題されたそれには、
結婚したばかりのういういしい笑顔のクリスティーネが表紙に使われ、
成長した息子や旅先の写真などが混ぜ込まれている。
バラされ、ジグザグに縫い合わせされた時間の中に、
新たな緊張が見え隠れする。
古屋の生に対する宣言でもあるかのようだ。

意識は不可思議な道筋を描きながら、
生きていこうとする肉体に付いていく。
古屋にとってそのための伴走者が、写真なのではないだろうか。

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2007年06月04日

『ブラッサイ-パリの越境者』今橋映子(白水社)

ブラッサイ-パリの越境者 →bookwebで購入

ブラッサイの名を聞いてだれもが思い浮かべるのは、パリの娼婦館の写真ではないか。
しっかりした腰つきの娼婦たちが、靴だけはいてあとは裸のまま、腰に手を当てて客の男を睥睨している。都会の妖しいイメージにぴったりで、謎と秘密とロマンにあふれる1930年代のパリを表象するイマージュとなった。

こうして、ブラッサイの写真なしに夜のパリを思い浮かべることはできないほど、パリと夜とブラッサイは三位一体化したが、その完結性ゆえにこれまで彼の全貌にはほとんど関心が持たれてこなかった。とくに日本ではパリの夜シリーズのファンが多く、これさえ見ていれば充分、ほかは要らないという偏りがあったように思う。

そんな単調なブラッサイ像を本書は丹念に覆していく。
読み終えて本を閉じたときに心に残るのは、19世紀の終りに生まれ、1984年に没したひとりの表現者の自由闊達な活躍ぶりである。自己規定されることを嫌い、肩書きをかいくぐり、超ジャンルを貫いた。その意味で同時代的なエネルギーをビンビンと感じさせる人である。

ブラッサイは生まれながらにして越境者だった。
出身地は中央ヨーロッパの山間地帯、トランシルヴァニア地方のブラッショーで、生まれた当時はハンガリー領だったが、ブラッサイが二十歳を迎える頃にルーマニアに割譲された。彼はその時期に亡命し、二度と再び故郷にもどらなかった。

本名はジュラ・ハラース。
ブラッサイの名は出生地にちなんで彼自身が付けたものである。
偽名を使って自己をフィクション化したくらいだから、人生の詳細については多くを語らなかった。だが、その代わりに単なる写真にとどまらない膨大な作品群を残した。
本書はその中から18点を選んで、それを読み解きながらブラッサイの「全身芸術家」ぶりを浮かび上がらせていく。パリ写真はわずかなので従来のファンには不満かもしれないが、それを埋めてあまりある未知のブラッサイがめくるめくように登場するのである。

シュールリアリスム雑誌『ミノートル』に関わってコラージュやオブジェへの興味が拓かれた。言葉への関心も深く、マルセル・プルースト、ジャック・プレヴェールなどと共同作業をおこなった。またピカソやジャコメッティなどの大美術家とも、単なる撮影者を超えて交感しあった。

だが彼の真骨頂は、芸術家とのコラボレーションだけでは満足しなかった点ではないだろうか。フィルムが欠乏した戦時下ではカフェの客の言葉を書き写して「会話体文学」なるものを生み出し、また生涯を通じて壁の落書きを採集しつづけた。有名と無名は彼のなかでは常に等価だった。どこにも所属しない、自分の身しか頼るもののない亡命異邦人としての自意識を、生涯保ちつづけたのである。

本書は最後に、出発点である写真にもどってブラッサイの全体像を俯瞰する。
ブラッサイ自身は「写真家」と名乗らず「世界の人」と言っていたそうだが、この「世界の人」とは「群衆の中に湯浴みをし、あらゆる階級の人々の、あらゆる事象を活写すること」を意味する。

「彼には究極的にカメラが無くとも良い。それが書き言葉に転位したとしても、「世界の人」の凝視は、写真家の凝視なのである」

写真の力は世界に歩み寄り、それを受容するところにある。
カメラを通じて異国の都市に出合い根を下ろしたブラッサイは、そうした写真的生き方を十全に生きた人として感動を呼ぶ。

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