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2007年05月23日

『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』仲俣暁生・舞城王太郎・愛媛川十三(バジリコ)

「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか →bookwebで購入

●日本の現代小説はポップカルチャーだ!

最近、小説を読まなくなったとつぶやく友人がいる。
ノンフィクションのほうがいい、いや、日記や書簡のほうがもっといい、とも言う。
歳を重ねるほど、その傾向が強くなるようだ。

若い小説家がどんどん登場していることが大きいだろう。
同世代から熱い支持を受ける小説はえてして上の世代にとって
「わからない」「おもしろくない」「読むに値しない」ものとなる。
その結果、創作作品より事実性の高い作品に荷担するようになるのだ。

ところが、何かのきっかけで「わからない小説群」に接近できることがある。
入口ナシと思っていた壁に小さなドアを発見する。
本書は私にとってまさにそのような存在だった。

さまざまな媒体に書かれた文章が収められているが、一貫してひとつのことを言っている。
それは「日本の現代小説はポップカルチャーである」ということだ。
「現代小説」に対比されているのは「近代文学」であり、
「鍵のかかった部屋」とはその「近代文学」の比喩である。

「極論を言えば、小説は本来、『ポップカルチャー』だった。
『ポップカルチャーとしての小説』と『そうでない小説』とに分かれていた
『近代』という時代のほうが、むしろ異常な時代だろう。」

現代小説から見れば近代文学は頑丈な鍵のついた自閉空間で、
反対に近代文学の立場からすれば、現代小説はドアなしののっぺりした部屋だ。
どちらも行き来不可能な点だけが共通している。

近代文学は、知性と教養を背景に自我の探求を展開しているのが特徴だが、
それがいつしか文学のアイデンティティーになり、
この条件が満たされなければ文学でないような呪縛が生まれた。

だが、考えてみれば江戸期には学問のない人でも本に親しんでいたし、
その証拠に一般大衆が読む草双紙がたくさん出回っていた。
それだけ文字の読める人が多かったのだろう。
ヨーロッパのような厳格な階級社会とちがって、
大衆の側に出版文化を享受する下地があったのだ。

著者によれば「ポップカルチャーとしての小説」の登場は90年代後半で、
その頃に出てきた作家の小説群がいま黄金期を迎えているという。
本書はその世代に当たる舞城王太郎、古川日出男、吉田修一らに
多くのページを割いており、舞城の短編作品も収録している。

ポップカルチャーという言葉はアメリカ製だが、
それの意味するものは近世の日本にすでに存在した。
水脈は絶えることなく現代に引き継がれ、
その流れのもとに上記のような現代小説が噴出したわけだ。

90年代以降の小説の書き手を著者は「ポスト・ムラカミ世代」と位置づけている。
たしかに村上春樹の登場は小説のあり方を変えたし、
その影響が日本だけでなく、世界中に広がっているのは衆知のとおりだ。
端的に言えば、大衆社会が地球的規模で拡大しているということだろう。
そういう状況下では、教養をベースにした高踏的な表現より、
受け手と同じ地平に立った地続きの表現に親しみを抱くのは当然の帰結だ。

日本のポップカルチャーの歴史は長いのだ。
振り返ってみれば、いま欧米でもてはやされているマンガやアニメ、
キャラクターグッズやおもちゃやカラオケにいたるまで、
世界に受け入れられている日本発の文化の多くはポップカルチャーだ。
かの地に娯楽性の高い大衆文化があまり存在しないゆえに、新鮮に映るのである。

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2007年05月16日

『わたしの城下町-天守閣からみえる戦後の日本』木下直之(筑摩書房)

わたしの城下町-天守閣からみえる戦後の日本 →bookwebで購入

●城をめぐる戦後日本の連想ゲーム

『わたしの城下町』とくれば自動的に、
♪格子戸をくぐり抜け……という歌詞が浮かんでくるが、
本書は昭和歌謡を扱ったのでもなければ、わが城下町讃歌でもなく、
「天守閣からみえる戦後の日本」を考察したものである。

いきなり小柳ルミ子から戦後史に飛躍したが、
少しもいかめしい内容ではない。
自分の足で集めた断片から考えを起こしているので、
関心の持ち方が率直で、本質をついている。
随所で、ああ、そうだったなあ、なるほどなあ、とつぶやかされた。

最初のフィールドは皇居。
城下町は金沢や姫路だけではなく、東京も城下町のひとつなのだと気付く。
江戸時代には単に「お城」と呼ばれ、
明治維新で天皇が移ってきてからは「皇城」、ついで「宮城」となり、
戦後に「城」が外されて「皇居」になった。
名前の変遷を見るだけでも、城を襲った運命と時代の思惑が透けて見える。

ところで、皇居のまわりに銅像が多い。
これも本書を読むまで気付かなかった。
たしかに内濠周辺は野外彫刻園の感があるが、
明治大正期と戦後とでは銅像にも大きなちがいが認められ、
戦前は軍服姿の軍人や政治家が多いが、
戦後は無名の男女、それも裸体像が目立つ。
そこにどんな意味が隠されているかは本書を当たってもらうとして、
だれも見向きもしない銅像からこれほど多くのことが読み取れるのに驚く。

小田原城の項では、城に動物園があって、
そこに昭和二十五年にインドから来た梅子という象のいることが語られる。
翌年には姫路城内の市立動物園にも別の象がきて姫子と名付けられた。
「象と城は一見ミスマッチだが、実は相性がとてもいい。ともに、戦後は平和の象徴になったからだ」
軍事施設である城は戦後に平和のシンボルとなったのだった。

名古屋城は空襲で天守閣が燃え落ち、戦後にそれが再建された。
二度と燃えないようにとコンクリート造にし、
空襲で溶けて「カレー粉のようになった」金シャチも再現して屋根に据えた。
城は明治維新によって「無用の長物」となった本来ならば不要な施設である。
それをわざわざ不朽のものに造り直すとは、考えれば奇妙な行動だ。
日本の戦後がモノの意味を骨抜きにし、いかに新たな価値を与えてきたかがわかる。

城が観光資源として注目されて再建ブームに湧くと、
くやしがったのは城のない町で、
熱海は城下町でもなんでもないのに熱海城を建ててしまう。
ここまで来るとテーマパークの誕生までもう一歩だ。

本来はどんな目的をもった建造物だったかは意に介しない。
城という言葉から思い浮かぶイメージを膨らまし、
重ね合わせて珍なる空間を造り上げてきた。
まさに連想ゲームの感覚だ。

主義主張の曖昧な戦後の日本ならではの光景と言えるだろう。
またそこには、なんでもぶちこんでごった煮にしてしまう大衆文化の特性も見てとれる。
銅像が乱立しようが、象が来ようが、遊園地が造られようが、
天守閣がコンクリートで再建されようが、だれも不思議に思わない。
実際、わたし自身も本書を読むまでなんの違和感も抱いていなかった。

こうした現実を見て、日本は民度が低い、無節操だ、
ホンモノの文化が育たない、などと高踏的に批評する立場をこの著者はとらない。
批評的に語るにはあまりに著者のなかに城の記憶が住みつきすぎているのだ。
小・中学時代を城内にある学校で過し、高校ではお城の石垣でデートした。
そうした「たまらなく懐かしい」記憶と、フィールドワークや文献から得た調査結果とを合体して個の立場から戦後史を物語るのである。
わたしたちの記憶は意味あるもの、価値あるものだけで出来ているのではない。
一見くだらないと思えるもの、無意識に見ているものにも、
過去を知る手がかりが潜んでいることを教えてくれる。

最後に余談をひとつすると、本書を読みながらしきりに思い浮かんだ人がいる。
東京に暮す人の部屋を撮影した『TOKYO STYLE』や日本各地の珍風景を集めた『ROADSIDE JAPAN』などの著作で知られる都築響一のことだ。
「結局、私が引き付けられていく場所とは、人が関心を寄せなくなった場所である」
とは本書の木下直之の言葉だが、それは都築にもついても言える。
人が目を向けない、忘れられ捨て去られたアノニマスな現場をハンティングして歩く。

考えてみるとふたりには共通点が多い。
木下は1954年生、都築は1955年生で同世代。
それにどちらも実家が城下町にある薬局なのである!
(木下は浜松駅前、都築は東京・半蔵門)
木下は東京芸大出身で元美術館学芸員であり、
都築は美術関係の記事執筆や画集の編集でキャリアを積み上げてきたから、バックグラウンドが美術という点も共通している。

これらの共通項には何らかの因果関係があるのだろうか。
ぜひともふたりの対談を実現してみたいものだ。


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