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2008年03月04日

『ミッドナイト・クライシス』茅野裕城子(集英社)

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「真夜中の危機を越えて」


「生理が来ない」ということは、かなりの一大事だ。まっさきに思い浮かぶのは妊娠で、身に覚えがない場合はストレスからくる体の不調による生理不順だったりもする。婦人科系のトラブルを心配しなければならないこともあるかと思えば、一・二週間ほどして何でもなかったように始まることもある。月経量が多くても少なくても心配だし、期間が長くても短くても不安になる。

 生理が来ないために狼狽える女性を描く作品には枚挙にいとまがないが、しかし、もうひとつ考えられる「生理が来ない」可能性を描いた作品は、それほど多くないのではないだろうか。今回ご紹介する茅野裕城子氏の『ミッドナイト・クライシス』には、「これって、妊娠、それとも閉経?」と思い悩む四十代後半を生きる三人の女性の、滑稽で若干ルーズではありながらも、どこか可愛らしいひたむきな人生を描いた三作品「ミッドナイト・クライシス」「ペチカ燃えろよ」「ダライ・ママ」が収められている。

 高校時代の同級生だったルリが突然亡くなってしまったという知らせを受け、弔問に訪れた銀子は、そこでルリの三番目の「旦那」である氏家と出会う。氏家にルリの遺品を片づけるのを手伝って欲しいといわれた銀子は、毎週末を氏家とルリが住んでいたマンションで過ごしているうちに、氏家と親密な関係になっていく。遺品の整理が終わったとき、銀子は氏家に別れを告げ、サンフランシスコに住む友人・有為を訪ね、一方落胆した氏家は光がまったく差すことのない不思議な「真っ暗なホテル」へ旅立っていった。銀子が有為の家に着くなり、ちょうど生理が遅れていた有為は、「わたし、妊娠したかも」と切り出した。それに対し、「それって、ひょっとして、単なる更年期障害のはじまりじゃないの」と切り返す銀子は、それぞれの「中年の危機」について、そして自分と氏家との関係について思いを巡らす。

 この「中年の危機」を、銀子は「ミッドナイト・クライシス」と呼ぶのだが、実はそれは「ミッドライフ・クライシス」の誤りであったことがわかる。しかし、銀子・ルリ・有為、そして氏家といった、それぞれ自分の人生の中盤に差しかかった登場人物たちが、身体も心もどこか違和感を憶えはじめ狼狽する更年期は、まさに「真夜中の危機」と呼んでもよい。妊娠あるいは閉経による生理の停止・ややこしい男女関係・配偶者死別など、これまで自分の人生に関係なかったものが突然やってきたり、あるいはうまくやりすごしてきたことがらが、ここにきて手に負えなくなったときに人がたちすくみ、やがて動き出す姿を、『ミッドナイト・クライシス』は描いている。

 処女作品集『韓素音の月』をはじめとして、『大陸游民』、『西安の柘榴』(すべて集英社)で、おもに中国を舞台に作品を描いてきた茅野裕城子氏が、軽々とボーダーを超える姿勢は、おそらく彼女が作家になる以前に経験していたトラベルライターとしてのキャリアが関係しているように思われる。しかしそのルーツになっているのは、実は彼女のアメリカ体験であることは興味深い。たとえば2006年4月に日本アメリカ文学会東京支部で行った特別講演「禅道場からはじまった—アメリカからアジアへ」の梗概において、茅野氏は次のように語っている。

「1970年代末にはじめてアメリカへ行き、そのときから、自分を練り上げる場所になったのは、ニューヨークでした。アメリカの禅のスタイル、当時のソーホー・アート・シーン、若い作家たちの潮流を、当時アカデミックな世界からは対極にある『カタログ文化』のなかにどっぷりとつかりながら、文学的、文化的意味とは無関係に、現実に生きる人間や存在するモノとしてだけみて触れていました。それが楽しかったんです」(http://wwwsoc.nii.ac.jp/alsj/blog/archives/2006_4_11_105.html)。

 更年期をめぐる考察がしだいに壮大な宇宙のあり方を示唆する方向に行く『ミッドナイト・クライシス』の銀子、有為そして氏家とは、アメリカの禅寺から飛び出して、インドのダラムサラへと向かう。アメリカから日本を経て、インドへと広がる物語は、かろやかに国境を越える茅野氏の世界観を如実に物語る。そしてそれはまさに更年期という心身の境界線、「ミッドナイト・クライシス」を飛び越える瞬間と重なっている。



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