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2012年07月02日

『六〇年代演劇再考』岡室美奈子+梅山いつき編著(水声社)

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「<劇評家の作業日誌>(61)」

 「現代演劇」はいったいいつから始まったのか。果たして「現代」を規定する時代区分はどこにあるのか。

 そこで1960年代に始まった「アングラ演劇」あるいは「小劇場演劇」を「現代演劇」の出発点とすることはほぼ定説となっている。とりわけ象徴的な年は1967年だ。この年、唐十郎の状況劇場は紅テントを新宿・花園神社に立て、唐のライバルだった寺山修司は「演劇実験室・天井桟敷」を創設した。

 ではその終点はどこにあるのか。わたしはオイルショックのあった1973年辺りを「運動」の終結点だと考えている。この年、蜷川幸雄と清水邦夫の櫻社は『泣かないのか、泣かないのか1973年のために?』という象徴的なタイトルの芝居で彼らの活動に終止符を打った。つまり本書のタイトルとなる「60年代演劇」とは、70年代初頭まで含んだ演劇の革命期に相当すると考えていい。

 本書は、当事者による「60年代演劇」の発言集で、2008年秋に早稲田大学で開催された国際研究集会の集成である。唐十郎、蜷川幸雄、別役実、佐藤信ら創造者が対談形式で発言し、扇田昭彦、大笹吉雄、菅孝行、佐伯隆幸ら批評家が登壇した。寺山修司に関しては、九条今日子をはじめとする天井桟敷のブレーンたちが思い出を語り、ニューヨークのラ・ママのエレン・スチュアートを中心として座談会も企画された。アングラにポスター制作で関わったデザイナーの横尾忠則も登場している。

 多彩な顔ぶれの中で、鈴木忠志、亡き太田省吾を除けば、ほぼ当時の立役者が顔を揃えた。こうした賑やかな集まりは、彼らの生まの声が聞ける最後の機会かもしれないということで、3日間で1500人の聴衆が集まったという。運動のピークだった1968年から40年経ったこの時期に催された研究集会は時宜を得ており、同時に歴史的な検証を可能にする時節でもあった。

 ではこの研究集会が目指したものは何か。ここでは2つの視点が指摘できる。1つは、近代演劇以後に「60年代演劇」を位置づけること。これに関しては、菅孝行氏によって一定程度なされているが、どちらかというと、現勢への批判と新劇への言及に主眼があった。扇田昭彦氏は、72年に書かれた総括(「脱『新劇』運動は何をなしとげたか」)から30数年経って、9つの視点から演劇の改革を分析しているが、根本的な見直しを迫っているわけではなく、いわば追補的である。全体を通じて見ると、理論化作業が十分なされているとは言いがたい。

 もう1つの視点は、同時期に勃興していた欧米の演劇の動向を視野に収めつつ、演劇論的な意義を跡付けていくことである。「国際研究集会」と銘打たれているのだから、60年代演劇を世界演劇との関連で位置づけていくことが求められているはずだが、概してそうした論稿は分厚くない。アルトーやグロトフスキーはこの種の演劇史を語るさいに必須だと思われるが、世界演劇的視点に立った論稿は皆無である。(当時、日本の劇現場と随伴して精力的に論じていた渡辺守章は今回参加していない。)鈴木や太田について論じる批評があれば、それも埋められたろうが、残念ながら国内的な領域での言説化に留まっている感は否めなかった。

 例えば、編者の岡室美奈子氏が言うように、60年代の「巨匠」たちが公共劇場の芸術監督や大学教授に就任したからといって、アングラの「知」が「さまざまな形で受け継がれ、日々更新されている」とは言い難い。アングラは「認知」され、彼らは身分的に上昇したかもしれないが、身分の格上げは彼らの演劇をなんら保証するものではない。むしろ「68年以後」が風化し、80年代のバブル化された消費空間の中で、運動も革命も痕跡を留めなくなった事態に対して焦燥感を募らせているのは、当事者自身ではないだろうか。まずそうした危機感の共有から出発すべきであろう。


 では40年の歴史をもった「60年代演劇」を語る視点とは何なのか。それを「終わった」ものとして語るのか、いまだ達成されていない「未完のプロジェクト」と考えるかで大きく異なる。昔語りで「懐かしむ」ことは勝手だが、40年という時間はある程度見通しの良い場所を提供してくれるだろう。
 
 例えば、大笹吉雄氏の論稿は、「アングラ」のイメージについて当時の受け止め方が語られていて、説得力がある。その場に居合わせないと、こうした微妙なニュアンスは語れない。他のアングラ・イメージは払拭されたのに、なぜ演劇だけ「アングラ」が残ったのか。音楽や映画などでは商売になる以前を「アングラ」段階としていたのに対し、演劇はいつまで経っても商売にならなかったという説明だ。その結果、隠微で非合法というイメージのみ流通していった。しかし、ここにはイメージとしての「アングラ」は語られていても、そこで行なわれた演劇論的内実についてはほとんど語られていない。というより、新劇に接続するものとしてのアングラや小劇場が前提にされているのだ。これは「終わったものとして」括る一つの態度だろう。

 逆に理論化で興味深いのは、扇田昭彦氏が鈴木忠志演出、白石加代子出演の『劇的なるものをめぐってⅡ』に言及したさい、「ポストドラマ演劇の流れの先駆だったと言えるでしょう」(194頁)という一説だ。まだ「ポストドラマ」という言葉が生まれるはるか以前に、すでに新しい演劇の萌芽があったこと、そこから世界演劇との同時性を見通すことは可能だったということだ。ここからアングラが「未完のプロジェクト」であったことを嗅ぎ取ることが出来る。

 なるほど時代は変わった。60年代の学園闘争と連動しながら、当時の身振りを再現してみせても、もはや滑稽でしかない。未曾有の面白い時代だったことをいたずらに神話化しないことも求められる。とすれば、どのように、しかも現在形で語るか。失われた、再生の利かない遺物と、まだ使える道具を分析的に吟味する姿勢が必要である。

 まだ整理できず、発言できないこともある。蜷川幸雄が関わった演劇集団は、明らかに政治と骨がらみであった。だから蜷川の「しゃべりたくない、よみがえりたくないことばかりです」(55頁)という発言は現在でも生々しい。演劇結社櫻社が解体し、商業演劇に転じていった蜷川への劇団内の痛烈な突き上げは、「その後の人生を変えましたね」(54頁)という。それくらい重い出来事だったのだ。40年とはその程度に近過去なのである。

 若手の後続世代が、「アングラ」をどう見ていたのか。60年代演劇を「アンチ近代」を唱えているだけで、それもまた「近代」に包摂されるという平田オリザの指摘は正しい。アングラが家父長的であることに違和感を覚えたのは宮沢章夫だ。ではそこからどう抜け出すのか。

「規律・訓練によってつくられる身体では語りだせないドラマがある、という問い直しが、その後の演劇の出発点としてあったと考えられます」(宮沢、169頁)。俳優の復権を唱えたアングラに対して、「俳優は駒」だと言い放った平田の発言も注目された。だがこれもまた、「アンチ・アングラ」でしかないだろう。脱力系の身体やゆるい演劇も同様だ。その結果として、演劇からダイナミズムが消え去り、テクストへ回帰していった。九〇年代以降の演劇は、ベケットを通過したことを除けば、アングラどころか新劇以前に回帰してしまったのではないだろうか。

 世代が近い宮沢章夫(1956年生まれ)はともかく、太田省吾も寺山修司もオンタイムで見ていない平田オリザ(1962年生まれ)になると、ずいぶん温度差が違ってくる。アングラ演劇の恐さを知らない分、自由に発想できる利点はあるのだが、同時に「アングラ」や「小劇場」の運動の意義を低く見積もっているのではないかと思われる。例えば,移動劇場や拠点劇場などの劇場論、出版や教育まで包摂した黒テントの壮大な演劇革命計画「コミュニケーション計画」(70年)を「正統に引き継いでいるのは、こまばアゴラ劇場と青年団だろうと自分では思っています」(166頁)という発言には、驚きを通り越して、失笑せざるをえなかった。さらに若い岡田利規(1973年生まれ)にいたっては、アングラについてほとんど語る言葉を持ち合わせていなかった。アングラへのシンパシーが「どちらかというと(自分も)左翼」というあたりでは、いかにも心もとない。

 前回の書評で取り上げた『唐十郎論』の著者・樋口良澄の言葉をもじれば、アングラも60年代演劇も、もちろん唐十郎も、以前として「未(解)決」なのである。そのことを改めて認識し、まだ総括できていない領域が残されていることを痛感したのが、本書を読了した感触である。


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