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2011年08月03日

『詩の邂逅』和合亮一(朝日新聞出版)

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「<劇評家の作業日誌>(57)」

 3・11以後に書かれた文章は、震災と原発の状況から無縁でなくなった。それはある意味で窮屈なほどに、「状況の言葉」として読まれてしまう。   

 震災直後からツイッターに詩を書き続け、それが反響を呼んだのが、福島在住の詩人、和合亮一である。一度、彼の詩の朗読を聞いたことがある。東北関係の演劇の集まりであったが、「朗読」という行為は、なるほど言葉と身体を生きる演劇として、シンプルで直截な“上演”だった。震災後の演劇を考える時、この形式は、演劇に活力を与えることは間違いない。

 著者は震災直後、市井の人たちにインタビューを行ない、それに促されるように、「邂逅」の詩を書き継いだ。あるいは、順序は逆だったかもしれないが、インタビューの言葉と詩のそれが不思議にシンクロしていることが本書『詩の邂逅』の重要な記述となっている。

 例えば、次の詩句。

「震災後の/あなたの生き方を決めてくれたものは/何ですか
(一行空き)ある一本の映画か/震災後の街の暮らし方や/野原の歩き方を/教えてくれたのですね/ただ生きていていいんだ」(20-21p)

 身近な人を失なった者たちは、自分が生きていることに罪悪感を覚える。事後を生きることもまた地獄なのだ。

 震災直後に、彼は他の例に洩れず、アパシー状態に陥った。だが彼の次の行動は素早かった。周囲にいる人物にインタビューし、次々と活字にしていったのだ。そこで選ばれたのが、次の7人の対話者だった。63歳のクリーニング店経営の女性。53歳の富岡町役場の公務員。67歳の理容業の女性。29歳の飯館村商工会副部長。56歳のラジオ福島のアナウンサー。52歳の博物館学芸員。そして著者と同じ45歳の高校教師、以上7名である。彼らは「特別な」人たちではない。だが、その「普通の」人たちから引き出された言葉はまるで詩のようだ。

 震災後に避難所から戻った街には「違うものが住んでいる感じだった」(26p)と著者は言う。街は一変してしまった。電気が消え、真っ暗になった街は、子供の頃から見知った街ではなかった。クリーニング経営者の言う「(この町が)地図から消されようとしている」(27p)という言葉は重い。

「この震災を/災難だと思ってはいけない」(42p)という一説は、彼らの心情を代弁するものだ。そうでも思わなければやってられない一面もあったろう。「千年に一回のチャンスだからがんばっぺね」(47p)と思って、この未曾有の大惨事に立ち向かっていこうとする福島県人の心意気が伝わってくる。当事者でなければ、言えない言葉だ。

「3月11日の震災は私たちの時代でよかったね」(93p)もまた深い決意性を感じさせる言葉だ。が、その分だけ、痛ましさがこちらの胸をえぐる。

 なぜ著者は、詩を書かねばならないのか。それは言葉の本質に立ち返る経験を彼は幾度も強いられたからに他ならない。

「僕が詩を書いてずっと考えてきたことは、放射能の恐怖を作り出しているのは言葉なんだと、情報なんだと」(129p)。これは言葉のネガティヴな側面で、「風評被害」にもつながっていくだろう。過剰なまでの対応、素人には判別不能な細かい単位の数々。正確な情報はいったい誰が持っているのか。科学者の言葉はどこまで信用できるのか。御用学者と呼ばれる不埒な者たちが登場したのも、原発をめぐる議論からだった。それだけ原発は金を生む巨大産業なのだという構造が透けて見えてくる。これもまた、震災―原発以後の人災的状況だろう。

 原発事故が明るみに出たことで、被災状況は一段と困難さのレベルを上げた。

「震災直後は水が出ない、電気がつかない、ガスがこない、ガソリンがないというみんな共通の悩みというか共通の苦しみのなかにいたのに、放射能の問題になると悩みがまったく違うんですよね」(110p)

 これはラジオ福島の大和田さんの言葉だ。彼は続けてこう言っている。「これからが言葉や声の力が試される正念場なのではないかと思っています。先日、飯舘村の村長が、国や県や東電が発表する数値には心がないとおっしゃっていた。その言葉を聞いたときに、ラジオ福島が発表する数値には心を持たせようと思ったんですね」

 数値に「心がない」とは、なんとも文学的な言い回しだ。言葉は他人に届いてこその言葉であり、それが届かなければ、コミュニケーションとして成立しない。

 言葉には2つの使い道がある。利益を守るために、自分にとって必要な情報だけを発表する権力側の立場。そこで出される「官僚的」な言葉は、誰もがウソだと見破ってしまう。けれども、それは公式的なステートメントとして流通していく。

 それとは反対に、自分の見たり聞いたりしたことを冷静に観察し、現状を正確に分析するのも言葉だ。それは、考えるための、「文化」に属する言葉である。

 高校教師の佐藤氏との対話は、その意味できわめて示唆的である。少し長いが引用してみよう。

「いちばんは『文化』を取り戻したいということです。『人間的なこと』というのは、『文化がある』ということだと思います。詩人の石垣りんさんが、原町にいらしたときに、『なんにもないから ここはいいところなんです』と詩の一部を詠まれましたよね。その言葉を、いまとても重く感じています。ある程度の生活基盤やインフラが整備できたら、次は文化ですよね。人を感動させるものがないと人間はやっていけない」(147p)

 たしかに、この石垣の言葉は深い含蓄がある。「なんにもないから、ここはいいところなんです」は都市の価値観とは対極にある考え方だ。都会に憧れる地方在住者は、娯楽やファッションの多彩さに目を奪われる。それは町に「在る」ものだ。けれども、その「在る」ものの理由を探ってみると、消費者や購買者を対象にしたアイテムであり、資本主義が生み出した「欲望」だということに気づかされる。そのことに疑いを持った者が、初めて「なにもない」ことの価値に気づくのだ。今の日本は、戦後の焼け跡からの復興、高度経済成長からバブルの崩壊を経て、構造不況にたどり着いた。この半世紀以上にわたる歴史を経験して、ようやくにしてそのことに気づいたのではないか。「なにもないこと」の素晴らしさに到り着くには、このような迂回が必要だった。だからこそ、「絶望感というよりは喪失感と言った方がいい」(146p)という先述の佐藤さんの言葉が響いてくるのだ。

 では、今ある「なにもない」ことが文字通り「なにもなくなってしまった」らどうなるか。その思いを集約したのが次の詩だろう。

「飯舘村は/終わらない
(一行空き)飯舘は/これから始まる」(86p)

 本書は東日本被災に限らず、人的災害に見舞われた者たちの日々の闘いの記録と、そこからいかに脱出していくか、その展望を見据える「言葉の力」を強く感得させてくれる。


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