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2011年06月07日

『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』川本三郎(平凡社)

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「<劇評家の作業日誌>(56)」


この本の初版は1988年、河出書房新社から刊行された。それが昨秋、22年ぶりに新装版で再刊された。復刊のきっかけは、この5月に公開された映画(山下敦弘=監督)である。妻夫木聡と松山ケンイチが出演するこの映画は、60年代から70年代初頭の激動の時代を生きた若者たちの青春の物語でもある。

著者の川本三郎は、映画や文芸の評論家として高名であり、演劇評論を精力的に執筆していた時期もある。その彼がかつて朝日新聞に勤めていたことは知っていたが、「朝日ジャーナル」で、こんな事件に関わっていたことの詳細は知らなかった。その意味では、わたしにとっては「衝撃的」といっていい内容が盛り込まれている。

「1972年1月9日、私は埼玉県警によって逮捕された。「証憑隠滅」の容疑だった」。帯にこう記されている。川本はこの年朝日新聞社を解雇され、路頭に迷うことになった。

本書の記述は回想形式で始まるが、内容を大別すると、2つに分けられる。前半はジャーナリストになりたてての著者が、「ジャーナリスト、お前は誰だ?」(13p)と自問自答しながら、新左翼運動の昂揚期を生きた日々。運動の後退期に当たる後半部は、自衛隊員殺害事件を起こした活動家Kと著者の関係が軸となり、記述も重くなっていく。その行き着く果てが、1972年の「連合赤軍」事件だ。

そこで本書を二つの観点から読んでみたい。物語(例えば青春の)として読むか、歴史のドキュメント(学生運動の軌跡とその顛末)として読むか。前者であれば、朝日新聞に入社した著者が、大新聞の特権的な場所にありながら、新左翼運動にシンパシーを抱きつつ、その渦中に入れない中途半端な身の置き所のなさが綴られる自伝風読み物。

 映画や音楽好きの、今で言うサブカル青年が、背伸びして政治に巻き込まれてしまった運命の皮肉が主調音となる。世の中にうまく適合できない青年が、孤独な日々を映画に活路を見出し、やがて激化する学生運動の渦中に巻き込まれていく。

 その背景をなす69年前後は、アメリカのニューシネマの台頭期だった。『俺たちに明日はない』『イージーライダー』『真夜中のカーボーイ』といった映画はわたしも同時代で見た。『イージーライダー』が封切られたスバル座は今でも健在である。オールナイトで映画を見、明け方、そのまま有楽町にあった朝日新聞本社に赴き、風呂に入って、日曜の午後に気ままに読書に耽る。若く時間のたっぷりあった記者は、孤独な中に至福を味わっていただろう。

 日大や東大の大学を拠点とした学園闘争は、新聞社に入りたての著者にとっては、まずは取材の対象であった。安田講堂に立て籠もった学生たちに心のなかでエールを送りながら、バリケードの中にいるか外にいるかでまったく違うことに煩悶する。

 心情的左派だった当時の朝日新聞社系の週刊誌、その象徴が「朝日ジャーナル」だが、彼が最初に配属されたのは、保守的な「週刊朝日」だったことも、彼の思いを屈折させる。三里塚に取材に行っても、記者たちの寝泊りする旅館はいつも闘争の外の安全な場所にあった。

 そんな中で、アメリカ人のジャーナリスト、スティーヴとの出会いは心の指針になった。その言葉は「センス・オブ・ギルティ」。日本語で言えば、「良心の呵責」である。キリスト教文化圏なら「罪の意識」となろうか。

 取材をビジネスと割り切るアメリカ人ジャーナリストは自分より「はるかに精神的にタフ」(63p)ではないか。著者にとってそれは痛い認識だが、噛みしめなければならない現実だった。この「弱さ」を抱えた若いジャーナリストをどう受け止めるかで本書の見所は変わってくる。

 例えば若いアイドルタレントとのちょっとした出会いと琴線に触れる交流は、その弱さをロマンチシズムと言い換えることができる。また川本は当時、「現代歌情」という連載を担当していた。

 滝田修や秋田明大という当時の学生運動の大物たちに原稿を書かせ、彼らは好んでマイナーな歌を時代の歌として取り上げてきた。「あの時代は、こういう巷の歌こそがもっとも時代の奥底の心情に触れるものがあった」(118p)という一文は、実は川本の物書きとしての本領をよく言い当てている。

 やがて川本は、いかかがわしい活動家のKと知り合い、取材を通して「共犯者」的なところまで踏み込んでいく。それは宮澤賢治の詩を好み、ボブ・ディランやCCRなどに共感を寄せるKに、彼自身、信を置いたからに他ならない。ジャーナリストとしては、たしかに甘かったかもしれない。だが、青春のほろ苦い悔恨の物語として、主人公は適度に弱く繊細でなければならない。それが物語の隠し味となる。

 ジャーナリストとして大スクープを取りたいという野心もあった。編集部の内部にKへの疑念を抱く者もいたが、センセーショナルな記事を書きたい、これは週刊誌の記者の宿命だろう。そして、自室で密かにKと会い、密談するシーンは行き詰るドラマだ。人生は時としてドラマ以上に奇奇怪怪だ。めったに起こらない現実を前にして、川本の筆致は小説家さながらである。――と、ここまで書き進んで、映画『マイ・バック・ページ』を観た。

 映画では、妻夫木聡演ずる沢田と、松山ケンイチ扮する梅山こと片桐の葛藤がドラマの主軸となる。沢田の心情に触れる箇所では、忽那汐里演ずる表紙モデルのアイドル倉田眞子が登場する。人気男優が激突するドラマ仕立てのフィクションは、本書とは別様である。メロドラマタッチのものも、彩を添える。

 映画でのポイントは、男の涙である。眞子は、映画『真夜中のカーボーイ』を見て、ダスティン・ホフマンが男泣きするシーンに感動したと語る。 が、沢田はそのシーンに余り注目していない。当時の男性にとって、涙を見せることは「女々しい」として、禁じられていたからだ。映画の中でもひときわマイナーで見落としかねないシーンだ。

 だが闘争も40年経ってみると、この伏線は利いてくる。ラストで飲み屋に入った沢田は、かつて取材したフーテン男が子持ちの家庭を築き、真面目に店を営んでいることに、なぜか男泣きしてしまう。

「ふつう」であることの貴重さは、闘争で敗れ去った彼には痛切だ。40年前には決して見えなかった「弱さ」の肯定がここにある。言い換えれば、図と地の反転だ。1976年生まれの映画監督が本書から読み取った時代を見る目だろう。 
 
 身につまされたシーンがある。若く無名の運動集団に参加した者たちが、リーダーに本気で活動を持続できるのか、その本気度を試されるシーンだ。20代で演劇集団に関わった経験のある者なら、この困難さは誰しも共有するものだろう。政治運動も演劇活動も、それ自体では“食えない”。それらを続けていくには、相当な決意と犠牲を厭わない覚悟が必要だ。果たしてそこまで追い込んでまでやるべきことなのか。おそらく60~70年代も今も、事情は大して変わらない。依然として若者たちにとっての踏み絵は存在するのだ。

 時代の雰囲気が息づいていると思われるのは、大学キャンパス内の壁に大書された「連帯を求めて孤立を恐れず」といったスローガンを目にした時だ。60~70年代は、若者たちが初めて大人に向けて、メッセージをぶつけた時代だ。エリートだった学生が、その優位な立場を捨てて、自己を否定していく時、町の人々は彼らを受け容れた。大衆人気は確実に存在したのだ。

 だが、東大の安田講堂が陥落し、次第に孤立を深めていくセクト側は、殺人やテロに傾斜し、大衆の支持を得られなくなった。その顛末が、爆弾闘争と一般人をも巻き込んだテロリズムだ。

 なぜ闘争は敗北したのか。その結論はいまだ出ていない。それを考えることは、闘争に関わった者にとっても、またその後に生まれた世代にとっても、避けて通れない問題だろう。本書の提起したものは、今なお現在形である。


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