« 『ポスターを貼って生きてきた―就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論』笹目浩之(PARCO出版) | メイン | 『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』川本三郎(平凡社) »

2011年05月02日

『ドラマトゥルク』平田栄一朗(三元社)

ドラマトゥルク →bookwebで購入

「<劇評家の作業日誌>(55)」

 近年、日本の演劇界でしばしば耳にする言葉に、「ドラマトゥルク」がある。それを自称する者たちも少しずつ出てきた。日本語に置き換えると「文芸部員」となるドイツ語だが、その実態は今一つ摑みがたいものがあった。その幣を拭ってくれたのが、本書である。

 著者の平田栄一朗氏はドイツ演劇を専門とする研究者で、慶応大学で教鞭をとる。彼はドイツで演劇雑誌「テアター・デァ・ツァイト」(今日の演劇)の日本演劇特集の企画にかかわるなど、日独両国間の演劇をつなぐ気鋭の批評家でもある。

 本書は六つの章から成り、ドラマトゥルクの歴史や、レパートリーをめぐる制作ドラマトゥルギー、観客とどう接するかの観客ドラマトゥルギーなどが語られ、最後に日本演劇への適用が探られる。だがそのことに関しては、概して懐疑的な側面が語られる。

「ドラマトゥルクは、演目や企画をプラニングしたり、舞台制作の条件と環境を整え、新作の制作プロセスにおける一つ一つの結果を判断し、他のスタッフに引き渡していく。また制作の芸術的(さらには社会政治的な)意図を観客や社会に橋渡しする。」(14p)

 簡潔に語られる言葉だが、ここから実態を想像することは難しい。たしかに豊かな舞台創造には、劇現場を支える陰の功労者が存在していることは、多くの関係者の知るところだ。が、実際に彼、彼女らが前面に出てくることはない。ポストトークの司会や、観客を導くワークショップの進行やレクチャーを担当することはあるが、あくまで裏方で支える役である。一方、ドラマトゥルクは舞台創造においてもっとも本質的なところに関わりを持つ。その仕事の内容は、現場の数と同じくらいの多様さがあり、その事例を挙げていくと膨大な数にのぼるだろう。複雑な組織のモーターの役割を果たすのが、ドラマトゥルクなのだ。

 本書は、著者の豊富な取材によって、数多くのドラマトゥルクの声が収集されている。各劇場で実際に活動している現役の彼らが語る具体例は、どのように舞台が創造されてくるかの内実を考えていく上で貴重である。演出家やプロデューサーとドラマトゥルクはどう違うのか。あるいは企画部担当や演出助手とどう違うのか。劇団というアンサンブルの内情に通じていないと、その相違を見極めることは難しい。その中で、著者はいくつかの特徴的な役割を挙げている。

 その一つは、年間のレパートリーを決定することだ。ドイツの公共劇場の場合、年間で十から十五ほどの作品を日替わりで上演する。しかもそのジャンルは、古典から小説や映画の舞台化、新作戯曲、実験的作品など多様な観客の希望に応えられるように策定する。これを毎月、芸術監督と協議して決めていくのである。

 また作品の内部に踏み込んで、古典ならこれまでの上演のあり方を調査することも少なくない。テクストの改変(テクスト・レジ)を行なうのもドラマトゥルクの仕事の範疇である。ドイツの少なからざる劇作家たちは、このドラマトゥルク出身者である。例えば、ハイナー・ミュラーやボートー・シュトラウスといった大作家たちもこの職名の出身者だった。日本のように、自分が意識すれば即座に「劇作家」になれるのとは違って、ドイツには、純然たる「修行時代」がある。それが舞台に厚みをもたらしていることは言うまでもない。

 観客に対する教育や宣伝に従事するのもドラマトゥルクの仕事の一つだ。上演プログラムの編集・作成では、作品の背後にある思想や哲学などを反映させる。そのために古今の文献から作品の鑑賞に役立つ文章を博捜し、観客に考えるヒントを与える。時には演出家や劇作家に材料を提供することもある。つまり舞台創造の知的な部分を担うのがドラマトゥルクなのである。

 またドラマトゥルクは有能なスポークスマンでもある。彼らの発言によって、今、世界の先端部で何が起こっているかを知ることができる。具体例を挙げよう。

 90年代に東ベルリンで絶大な人気を博していたフォルクスビューネは、演出家フランク・カストルフの名前のみ知られてきた。だが、シュリンゲンジーフ、ヨハン・クレスニク、クリストフ・マルターラーらをフォルクスビューネに招聘し、演出の機会を与えたのは、カール・へーゲマンやマティアス・リリエンタールらドラマトゥルクたちだった。彼らの存在なくしては、フォルクスビューネの活動はありえなかった。

 彼らはさらに本拠である東ドイツ、東ベルリンで活動する意味も合わせて考えていった。彼らのお膳立てがあって、初めて90年代にフォルクスビューネが「東」の劇場として脚光を浴びたのだ。こうした側面が明らかになってくるにつれて、ドラマトゥルクの役割とその重要性が了解されてくる。

 リリエンタールが来日したおり、わたしは一緒にシンポジウムを行なったことがある。当時の東ベルリンの空気を吸い込んだ彼の挑発的でラディカルな発言は、とくに記憶に残っている。彼は後に、(西)ベルリンのHAUという劇場に移り、日本演劇特集なども企画している。その意味では、世界各地を渡り歩き、世界中の刺激的な舞台を観て回り、そこから発見した新しい潮流を逸早くプログラムに反映させている。

 この延長線上にあるのが、フェスティバルを組織するプログラム・ディレクターとしてのドラマトゥルクの役割だ。世界の先端的な舞台を一つの演劇祭に集め、そこで大きな芸術の流れを見せる。つまり「状況を創り出す」のがドラマトゥルクの使命でもあろう。つまりドラマトゥルクとは、創作現場におけるバックボーン的存在なのだと言える。

 日本の創作現場は劇作家と演出家が中心となって進められるが、小劇団の場合、概して主宰者である劇作・演出家の負担が大きかった。特別な才能が続出した60年代演劇の日本では、その「独裁制」ゆえにかえって才能の「突出」を生み出した。だがそうした才能が次々と生まれなくなった時、創造現場の組み換えが求められるようになってきた。ドラマトゥルクの存在が求められるようになったのだ。90年代からゼロ年代以降の日本は、そういう時代だったと言えよう。本書の刊行はその意味で、きわめて時宜を得ており、待望された一書なのである。

 本書を読み進めていて、もっとも気にかかったのは、日独の演劇環境の違いである。

 ドイツと日本の劇現場の違いは、想像以上に大きい。主要な演劇の大半が公共劇場で制作されるドイツ演劇は、十分な施設、潤沢な資金、ありあまる時間、それに加えて豊富な人材に恵まれている。

 システムの違いも大きい。レパートリー・システムとは日替わり公演であり、これは劇場に劇団が内属していなければ、ありえないことだ。つまり一本一本にかける労力や資金力が日本とまったく異なる。日本では、公演期間は短く、当たれば再演されることもあるが、キャストによっては、数年後というのはざらである。これは近年,とみに増えてきたプロデュース公演に顕著で、人気俳優の場合、一,二年後までスケジュールが決まっていて、「再演」というイレギュラーなものが入り込む余地がないに等しい。これでは作品が「成長」していかない。

 演劇教育の違いもまた相当の開きがある。子供の頃から、劇場に親しむ習慣があるドイツの子供たちは、学校教育とは別個に市民生活の中に文化としての演劇が入っている。だから演劇というものの社会的役割と地位が違う。ドイツでは、“低級”な娯楽は、劇場文化の求めるものではない。あくまで人間の真理を探求するものが、税金を使って行なわれる舞台芸術なのである。何かにつけてテレビが参照項となる日本とは、演劇に対する意識がまったく違うのである。

 この日独の違いを乗り超えて、制作環境を整えることはできるか。それはこれからの日本の大きな課題であるし、そこに一石を投じた本書の意義は大きい。

 なおこの著作によって、平田栄一朗氏は、第16回AICT演劇評論賞を受賞した。


→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/4334