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2011年04月01日

『ポスターを貼って生きてきた―就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論』笹目浩之(PARCO出版)

ポスターを貼って生きてきた―就職もせず何も考えない作戦で人に馬鹿にされても平気で生きていく論 →bookwebで購入

「<劇評家の作業日誌>(54)」

 おもしろい人間がいたものだ。“おもしろい”という言い方が乱暴なら、“よくぞこんな風に生きてきた人間がいたものだ”と言い換えてもいい。誰も考えもしなかったことを思いつき、後先考えず大胆に実行し、それを職業にする。挙句、ついには三沢にある寺山修司記念館の副館長という肩書きまで持ってしまった! ただし本業はあくまで「株式会社ポスターハリス・カンパニー」、つまり街中にポスターを貼ることを請け合う業である。それがいつしかポスター収集に発展し、さまざまなところで展示し、世界にまで進出してしまったのだから驚きである。前人未到とはこのことを言うのだろう。

 発端は大好きな演劇を世に広めたい、ただこの純情至極の一念だった。彼の一日はだいたいこんなものだった。昼の1時頃に起き出し、近くの定食屋で昼飯を食い、事務所に使わせてもらっていたパルコ劇場の事務所に顔を出す。夕方4時頃に70枚ほどのポスターを持って街に出る。だいたい二十キロくらいあるポスターを開店前の飲み屋を訪ねては、一枚一枚貼らせてもらう。夜の10時か12時頃にようやく一枚も手元になくなる。それから元来た道を引き返し、飲み屋をはしごして朝寝に帰る。一見(いちげん)さんお断りの一家言ある飲み屋さんでポスターを貼らせてもらうのは、並大抵のことではない。とくに飲み屋街のメッカ、新宿ゴールデン街ともなると、そこには一種の“しきたり”のようなものがあって、その店の空気を乱さないように細心の注意を払い、さりげなく貼らなくてはならない。まさに空気のように存在を消すのである。他人の善意にすがり、大目に見てもらい、図々しくならない程度に甘えてみる。暑い盛りにはジュースをご馳走になることもあれば、時に飯まで食わせてくれる店もあった。そこまで行くには、店のマスターやママさんに気に入られなくてはならない。彼らは例外なく、地方出身者で頑張ってる若者を応援してくれる。

 だがいつもうまく行くとは限らない。マスターの気分を害して怒られたら、彼はすかさず「すみません」と頭を下げて、愛嬌たっぷりの表情でとりなしていく。まさにポスター貼りが人間の関係を築いていくのだ。本書の魅力の1つは、こうした著者の人柄が商売と結びついていることであり、しかもそれは資本主義という商売至上主義のすき間を縫って成立することであり、どうやらその「すき間」に著者は棲息地を見定めていることである。


 1963年生まれで今年48歳になる笹目氏はすでに十分「中年」に域に属する。氏は1982年に茨城県から受験で上京し、志望の早稲田大学に見事フラれ、浪人を余儀なくされた。何をしたいのか分からぬままバイトに明け暮れる毎日。ただここにじっとしていられない「疼き」が身体の中に埋め込まれていた。そのエネルギーを引き出してくれたのが、他ならぬ寺山修司だった。たまたま観た舞台が、寺山修司率いる天井桟敷の『レミング 壁抜け男』。隣室とを遮る壁が消失し、隣人との境界がなくなってしまった者の寓意劇だ。この舞台に触れた19歳の若者は、これはまさに俺のことだ!と思いこみ、以後、寺山修司について行こうと決意する。

 これはまるで、寺山の60年代の珠玉のエッセイ「家出のすすめ」を読んで家を飛び出してきた青年そのものではないか! 「家出のすすめ」が1963年に出された当時の若者文化のバイブルなら、それを80年代という情報化時代に引き継いだのが、笹目氏なのだ。どんな時代にも存在する「はみ出し者」の系譜、トンがってはいないが、どこか世間の生き方とは違う路線を選択してしまう人物の群像。そこに笹目氏の匂いがある。

 『レミング』を観た翌年、寺山は急死する。彼は空虚な思いにかられながら、寺山関係の周辺をウロウロしていたら、元寺山夫人で劇団のマネージャーだった九条今日子と知り合う。彼はこの機会を見事にモノにし。チャンスは偶然訪れるのではない。ちゃんと心構えをして待っていないと巡ってこない。そして機会が巡ってきた時、ためらわず掴みとるのが才能なのだ。こうして寺山追悼公演になった『青森県のせむし男』のポスター貼りが彼の人生の始まりとなった。 

 寺山修司という才能は、その周辺に類稀な人物を集めた。デザイナーの横尾忠則や音楽家になったJ・A・シィーザー、映像作家の萩原朔美、小道具づくりの美術家・小竹信節、物書きになった岸田理生……。いずれも寺山と接することで、彼ら彼女らに眠っていた才能が発掘され、開花した。寺山はある意味で絶妙な媒介者だった。そして笹目氏もまた、生前の寺山には会えなかったけれど、死後に彼の背中を追いかけて、彼の舞台ポスターを遺影として一枚ずつ大切に壁に貼り、ていねいに剥がして部屋に持ち帰ったのである。そこには、壁面を使ってメッセージを発信する六〇年代演劇の思想があった。寺山亡き後も寺山芸術と継承していきたい。そういう純情で一途な思いが30年近く、彼の背中を押し続けてきたのだろう。演技の才能も、裏方の技術もない、ましてや劇作や演出などできるわけはない。でも劇場や劇現場が大好きで、可能な限りその周辺で遊んでいたい。そうすれば関係者に会える。演劇、とりわけ小劇場演劇とはそういう狭い「世間」だ。そこには60年代に始まったアンダーグラウンド・カルチャーの余韻が漂う。ゴールデン街の時間の停止したような世間。人生を教えてくれたマスターやちょっと男優りのママさんなど、レトロがかった人生横丁がそこにあった。

 だが時代は少しずつ変質してくる。90年代になってポスターが変質してきたことを著者は指摘する。ディジタル情報が有効になってきたインターネット世代には、ポスターは宣伝材料としてもはや不要だと考えたからだ。しかしアングラの創生期から、ポスターは集客だけの宣材として重宝されたのではない。むしろ街の中にあって「動かないから目立つ」(222p)のである。横尾忠則のポスターは公演初日にようやく届くこともあったという。これでは宣伝にも告知にも役立たない。けれども、それが貼られた瞬間から、周囲の空気が一変する。そこはミニ劇場と化すのである。唐十郎や寺山修司はそんなことを考えて、B全版の巨大ポスターを街に持ち込んだのだろう。笹目氏は地方に行っても、唐の芝居のポスターが貼ってある喫茶店は本能的に分かるという。つまり文化や芸術の発信する場所には必ず独特のオーラを発する人物がいて、匂いが感じられるからである。効率主義で考えれば、ポスターは不要だろう。だがそのポスターは公演終了後もいいデザインなら壁に残り、時間を超えていく。つまり歴史を刻んでいくのだ。

 「アンダーグラウンド」とはどこか「後ろめたさ」を隠し持っている。正面向いて芸術やってます、とは言えない気恥ずかしさ。「ゲージュツ」とカタカナで表記してしまうのも、どこか照れてしまうからだろう。その含羞は、2000年代以降、演劇を制度として確立したい者たちにとっては「時代遅れ」なものに映った。むしろ「芸術」と言い切らないと、行政官は納得しない。納得させるためには、ハッタリをかまさなければならない。そうして演劇人までもが官僚化していく。

 副題に付されているように、著者はたしかに就職はしなかったかもしれないが、「何も考えな」かったわけではない。それどころか著者は実に考えに考え抜いて実践する知略の持ち主であり、現在のベンチャービジネスとしても十分通用するアイデアが本書に書き込まれている。だが同時に、進み過ぎた文明やコンピュータ社会に対する歯止め、減速化を奨励しているように思われる。人間と人間の「すき間」を埋めていく「貼ったり人生」。帯文の「ブラボー!貼ったり人生!!」とはよくぞ言ったものだ。「ハッタリ」か「貼ったり」か。わたしは、この時代にこそ「貼ったり人生」を愛嬌たっぷりに演じる後ろめたさの方に加担したい。 

 寺山修司は47歳で亡くなったが、同じ年齢で著者はこの自伝的な書をまとめたのも、何かの決意であったのかもしれない。



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