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2010年05月06日

『蜷川幸雄の劇世界』扇田昭彦(朝日新聞出版)

蜷川幸雄の劇世界 →bookwebで購入

「<劇評家の作業日誌>(51)」

 本書は先年刊行された『唐十郎の劇世界』(右文書院、2007年)に続く、演劇評論家扇田昭彦による演劇作家論の第二弾である(続編として『井上ひさしの劇世界』も予定されている)。
本書には著者自身の40年にわたる蜷川観劇体験から、66本の劇評と23本の評論が収められている。書き下ろしの1本を除いてそのすべてが新聞や雑誌、公演パンフレットなどに書かれたもので、一人の演出家の舞台をここまで長く観続けてきたことも稀有なら、これだけ多く活字化してきたことも一種の「奇跡」ではないだろうか。これはたぶん誰にも真似できない扇田氏だけの息の長い仕事であろう。まずこの「偉業」を讃えたい。

 なぜそれが可能だったかといえば、もちろん蜷川という才能に早くして出会えた幸運があったことは間違いない。最初の出会いで彼の才能に惚れ込み、以後、その出会いそのものを大事にした批評家の直観と持続力のなせる業だろう。

扇田=蜷川の底流には、もう一つ要因があったと思われる。それは扇田自身、幾度も力説するように、「1960年代の精神」が蜷川の原点にあり、それを手放さない彼の思念に扇田自身が深い共感と同時代の同走者としての連帯があったからだろう。新劇の養成所から出発し、やがてそこを辞めて同世代の者たちと劇団をつくり、時代に向けて怒りをぶつけていった反逆の魂がいまだ衰えを知らないことは驚くべきことだ。

 本書は第一部「演出家・蜷川幸雄の特質」、第二部「対談・演出家の役割」、そして第三部「劇評 1971-2009年」の3部構成となっている。蜷川幸雄の仕事を編年体風に綴ると、概ね以下のように区分できるだろう。69年の初演出『真情あふるる軽薄さ』に始まる「現代人劇場」「櫻社」時代の清水邦夫との共闘時代(~73年)。帝国劇場での『ロミオとジュリエット』の初演出以来、主として商業演劇を舞台とした80年代、そして自ら芸術監督となり、プロデュースする側に回っていった90年代後半以降。

そこでわたしは、この3つの時期を代表する3本の劇評を挙げてみたい。
まず1つめは、『僕らが非情の大河をくだる時』について書かれた劇評だ。連合赤軍へのシンパシーを隠さない清水=蜷川コンビは次第に敗走していく政治情勢に応じて、舞台もペシミスティックな影が覆っていく。だがそれを、心情ではなく、「あくまで「論理」によって超える方途を探し求めることである」(190p)と締めくくった。これは劇評家・扇田昭彦にとって白眉ともいうべき文章であり、批評という役割の究極を指し示している。30代の若い批評家・扇田の新聞記者という領分を超えた提言だ。
 
その一方で、劇評とは、「読み」の深さが求められる。その真骨頂は、『近松心中物語』に記された、世界を多面的に読み解いた劇評に代表される。近松の心中物をいくつか変奏した秋元松代の劇について扇田は、作品の主眼は『曽根崎心中』の梅川・忠兵衛の正統的な心中にあるのではなく、脇役の与兵衛とお亀にあると喝破した。

そこから心中という悲劇は反転して、「喜劇の道を選んだ」(219p)
与兵衛の側に転じていくという分析は見事である。

扇田の2冊目の著作は『世界は喜劇に傾斜する』(沖積社、1980年)だったことを想起しよう。蜷川が悲劇を得意とする演出家から次第に喜劇も手がけるようになり、90年代以降はチェーホフのような日常的でリアリスティックな世界も扱いうるようになった端緒を、扇田はすでにこの時点で嗅ぎ付けていたのである。
 
3つめは、

イラク戦争が勃発する直前の2003年に発表された『ぺリクリーズ』に見られる「いまの危機的な世界情勢を見すえた創意」(293p)への言及である。この舞台はシェイクスピアの原作を難民が語るという枠組みを設定しているが、「(戦争の当事者である)英国公演をも視野に入れて、劇中の難民がどのような批判的意図を込めたかは明らかだろう」(296p)
という指摘は、すでに演劇という枠組を超えている。

蜷川が切り開いた領域に、シェイクスピア劇の新演出がある。1998年に「彩の国さいたま芸術劇場」の芸術監督に就任した時、彼はシェイクスピア全作品の上演を目標として掲げた。

さらに翌99年には渋谷のシアターコクーンの芸術監督になったことで拍車がかかり、37作品(現在はもっと増えているが)中、現時点ですでに18作品を消化したことになる。世界のシェイクスピア劇上演史でも稀れな画期的企画である(日本では出口典雄とシェイクスピア・シアタ―による全作品上演は、すでになされている)。

現在の蜷川によるシェイクスピア劇演出は今後のスタンダードになることは間違いないだろうが、80年代のシェイクスピア劇演出は、破天荒なものだった。なにより仏壇の中での『NINAGAWEマクベス』(80)や、荒れ果てた能舞台での『テンペスト』(87)のリハーサル上演は度肝を抜いた。

「蜷川のシェイクスピア劇はたいてい、意表をつく外枠を設定したときに成功を収める」(296p)
という指摘も納得がいく。

だが女形『王女メディア』(78)を経て、近年になると、正統なギリシア悲劇も手がけるようになる。その端緒は2000年の『グリークス』にあったろうが、その変化を劇評でたどる扇田の筆致はとてもていねいで、演出家の軌跡を跡付ける。
 

清水邦夫、シェイクスピア、ギリシア悲劇に並んで重要な存在は唐十郎である。蜷川は俳優として出発したが、唐の芝居を観て、「おれみたいな俳優はいらないな」(158p)
と思ったという。そう思わせた唐の才能に惚れ込んだ蜷川は、演出助手になりたいとさえ考えた。その後商業演劇に行き、劇団から事実上追い出された窮地を救ってくれたのも、唐の友情である。名作『盲導犬』(73)はそうして生まれた。

晩年の井上ひさしと伴走した蜷川への記述も多い。1934年生まれの井上と35年生まれの蜷川。この同世代人が最初に出会うのは、実は2005年の『天保十二年のシェイクスピア』からだ。回り道しながら、ようやく周回遅れで出会った二人は、この5年間で実に5本の舞台を手がけた。

そして昨年は、井上の書き下ろし『ムサシ』を舞台化している。井上ひさしの作品については、必ずしも蜷川の演出は成功したとは言いがたい。井上劇の本質に蜷川演出の資質がマッチしていたかも疑問である。にもかかわらず、彼は福田善之の『真田風雲録』(2009年演出)を遅ればせながら手がけたように、彼が終生こだわり尊敬もしてきた同時代=同世代の作家たちへ惜しみないエールを送ったのではないか。何も今さらという影の声を聞きながら、それが演出家・蜷川幸雄の生き方だったことに、おそらく扇田は共感があったに違いない。

蜷川幸雄への同志的な共感はいまだ扇田自身のなかにも溜め込まれている。だから老いてなお「過激」であろうとする蜷川に、共感以上の憧れがあるのかもしれない。枯淡に向かうことが常套になっていく日本の芸術家にあって、断固それを拒絶する蜷川の精神の若さ。温度の低い若者に向けての叱咤、いや罵倒を繰り出す蜷川の苛立ち。権力に向かって相変わらず物申す彼の態度は、物分りのよくなった微温の世情に馴染まない。

だからこそ、蜷川の発言は重みを持つ。しかも商業的に成功し、社会的ステータスを確立してもそこに安住しない。これは誰もやりえていない、蜷川だけの特権だろう。

闘っている演出家は決して後ろを振り返らない。しかし、彼が歩いた後には、見事なロードが刻まれている。その道を寄り添うように、フォローする批評家がいる。

本書を読んでいて、劇評家と演出家は一種の相似形をなしているのではないかと思わされた。同じ演劇の職能としても、自己の世界を表現したがる劇作家と、あらかじめ表現する「自己」を持たぬ演出家と劇評家は、ほぼ対極の地点に並んで立っている。

演出家・蜷川幸雄を語った扇田昭彦は、まるで自身を投影するかのように、この演出家を語っている。それは他者によってしか表現を駆動できない者たち共通の覚悟がそこに隠されている。その慎みが、本書の隠れた美質になっている。


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