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2009年05月01日

『街場の大阪論』江 弘毅(バジリコ)

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「[劇評家の作業日誌](43) 」

 大阪の大学に来てから12年目になる。その間、毎週のように東京-大阪を行き来してきた。だから純粋に大阪に住んでいるわけではなく、年の3分の1ほど大阪に滞留しているにすぎない。しかし、生活者とは少し違った視点で大阪を見ていくことが、わたしには心地良い。一所に定住するより、つねにふわふわしている状態が、演劇者の習いだと思うからだ。したがって、大阪への関心も内/外部の境界線上でのものになる。
 本書のタイトルの「街場」は、卓抜なエッセイスト内田樹氏から直々に譲られたものであるという。この言葉が、本書のキーワードであることは言うまでもない。では「街場」とは何か。1960年代には「都市論」が盛んに論じられた。90年代には「ニュータウン」や「郊外」といったものが関心の的となった。2000年代になると、「テーマパーク」や「まちづくり」が声高に叫ばれた。だが彼のいう「街場」はそこから微妙にこぼれ落ちている。

 著者は1958年生まれとあるから、五十歳になる生粋の岸和田っ子だ。大阪のど真ん中というより、少し中心から外れて、しかも周辺に自分の「現場」を持っている。そこから大阪を見ている。
したがって、その視線はいささかシニカルである。「コテコテ」や 「ベタ」な大阪についてのイメージを唾棄できるのも、そうした距離感、批評眼に負うところが少なくない。阪神ファンを自認しないのも、彼の距離感ゆえだろう。大阪の芸人たちが、ニセの大阪弁をテレビやマスコミを通じて広め、「くいだおれ」や「串かつ」といった、メディアの中の通俗的な「大阪」のイメージが流通していくことに我慢がならない。

こうした風潮は、1980年代初頭の漫才ブームの時に生まれた(102p)。テレビ世代の吉本の芸人たち、明石家さんまや島田紳助らがきっかけをつくり、その後の吉本資本の東京進出が始まった。ちょうど「消費」がキーワードとなり、それにともなって、東京の一極集中化も急速に強まっていくのが80年代だ。おそらく著者は、1980年代以降の劇的な日本社会の変化が、とりわけ大阪の「街場」を意識させる要因でもあったろう。本書は大阪を舞台にした、消費社会文化史としても読むことができる。

 著者はタウン誌「ミーツ・リージョナル」の創刊に関わり、そこで12年間、編集長を務めた。街を歩き、人と出会い、酒を飲み、いい店を探し続けた。守備範囲も広い。キタは北新地のバーのマダムから、ミナミの船場や心斎橋の名物店主やパイオニアまで。例えば、モリモトさんや日限萬里子さんらを紹介していく。いずれも街の魅力形成に一役買った、伝説的な人物だ。

 彼の行動を読み進めていくと、街というものの「内面」が見えてくる。もっともそれは、哲学・文学とおよそ無縁な、いってみれば「生活者」のそれだ。当たり前に生きて、飯を食らい、風呂に入り、人と会って大笑いする。ごくありきたりの日常、しかしその鼓動こそ、彼にとっての「文化」なのだ。だから本書では、芸術や文化はほとんど扱われない。そういう「高級」なことを書きたがるエッセイストがあまたいる中で、彼の立ち位置はその対極にある。例外は、小説『通天閣』の作家西加奈子くらいか。もっとも彼女にしたところで、「大阪弁感覚の小説で売れまくっている」ことから呼び出されたにすぎない。 (だから時おり名前が散見される、ヤコブソンやメロポン、中沢や東や北田といった固有名は必要ない。そんなブランド名を使わずとも、十分大阪の内面は語れるだろう。)

 江氏の大阪論がユニークなのは、例えば将棋の坂田三吉が謳われているように、「東京」は勝負に出ていく場所であり、出たからには「勝たねばならぬ」。もちろん毎回勝てるわけではない。ならば「負けて帰ってきた者に、大阪は優しく受け容れてくれる場所なのか。いや違う。そんな「サンクチュアリ(聖域)」のメンタリティを著者は断乎拒否する。諦観でまぶされてしまえば、あとは肯定的に自己慰撫するしかない。それは大阪マインドではない。「敗れた」なら、その敗北に勝負を超えた論理を見出すのが、大阪の本質なのだ。これは自虐やシニシズムといった敗者のメンタリティとは違うと著者は言う。考えさせる人生哲理だ。

 本書の言う「街場」とは、人が集まり、生命が宿り、今を少しだけ前進させてくれる刺激的な場のことだ。とすると、それは「劇場」に近く、「身体」や「芝居」が躍動する場でもあろう。それは、わたしが日々接してきた「劇場」に似ている。街場にひっそり隠れるようにして存在し、開演前は何でもなかった場所が、終演後には掛け替えのない記憶の場に変貌することもある、そういう変幻自在な場が他ならぬ劇場なのだ。そこは見巧者と呼ばれる観客がいて、若い観客に芝居の見所を伝授してくれる。街場が劇場を連想させるこんな記述がある。


極端にいうといつも予定なしで、とりあえず街に出てからどこに行こうか何を食べようかと考えたりすることの選択肢が多ければ多いほど、その街の奥行きがあるように思えるし、予定などといったものを台無しにしてしまい、いろんな出来事に巻き込まれる要素に満ちている街ほど、行き甲斐があるというものだ。(195p)

 だとすれば、街自体きわめて即興性が高く、役者が登場することで伸縮自在する舞台のようなものではないか。逆に言えば、劇場は街場を活性化する生命体に他ならない。
江氏にとって「いい店」はわたしにとっての「劇場」なのだ。著者はその魅力を惜し気もなく披露する。それが現在の大阪の魅力につながっている。残念ながら、現在の大阪の劇場で、ここに行けば何かがあると薦められる劇場は見当らない。道頓堀周辺はかつての芝居小屋のメッカだった。歌舞伎小屋がひしめきあっていた。その記憶は今なお残存しているとしても、実際ミナミにはめぼしい劇場はなくなり、残っているのは記憶だけだ。それが何とも淋しい。
 岸和田生まれの財産である「だんじり祭り」はやはり著者にとっての原点なのであろう。だんじりについて語る時の楽しさはない、そう著者は思っている。何がそんなに楽しいのか。
それは自分の地元やそこで一緒に祭をやっている人がいかにユニークかということで、本当に自分の参加している町が大好きだということの告白でもある。(199p)

地元自慢は誰にもあろう。その「好き」が隣の町と自分の町を近づける。そこに共通するもの、それが「われわれ」という共同性を浮かび上がらせる。
その町自慢は「おもろい人」の存在であり、それは「とてつもない怪物やアホだったりする」(200p)

街場を語りにくくしているのは、こうした当たり前にいる「おもろい人」は決して観光の名所でもなければ、ランドマークになるわけでもないからだ。つまり、観光ガイドには載らない類の、日常の延長にある「超日常」だからである。「街場の鮨屋は情報化できない」(188~192p)という章は、そのことを端的に物語っている。
あとがきに書かれているように、
情報化』された『大阪情報』に、大阪の街うや店や人は長いこと傷ついてもきた。やっぱり商売人のえげつない銭もうけやおばちゃんの無自覚やヤクザ者の与太や店の食べ物についての街場の話であったりする(212P)

「それを語らずして、それを語る」と著者は書いているのだが、それには相当な芸を要求される。大阪の奥深さは、このわかりにくさにこそあると言えよう。


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