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2008年07月07日

『老嬢は今日も上機嫌』吉行和子(新潮社)

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[劇評家の作業日誌](38)

女優吉行和子のラストステージを見に、六本木・俳優座劇場に出かけた。タイトルは『アプサンス~ある不在~』(ロレー・ベロン作、大間知靖子演出)。この女優にふさわしい舞台だった。決して派手ではなく、ひっそりとまるでフェイドアウトするかのような幕引きだったからである。この舞台に合わせて、一冊のエッセイ集が刊行された。それが今回とりあげる『老嬢は今日も上機嫌』である。

吉行和子は言うまでもなく、日本を代表する女優の一人だが、いわゆる「大女優」とは少し違っている。例えば、『女の一生』の杉村春子、『夕鶴』の山本安英、『放浪記』の森光子といった大女優と比べると、どこか一線を画しているのである。なぜか。

それを解く鍵は、彼女のこうした言葉にあるように思われる。

私が出演作品を選ぶ基準は、この、「何だか面白そう」というのが第一条件になるのだ。(189頁)

何故私はこういった変わった出し物(志賀直哉原作小説『荒絹』―引用者註)に関わってしまうのだろう。自分から望んで参加しているのだから仕方ない。・・・どうなるか解らないもの、答えが出ていないもの、そういった作品に出演する時の、何ともいえない不安な気持、これがたまらなく魅力的なのだ。その崖っぷち状態が好きなのだ。困った性格だと思うが、治りそうにない。(44頁)

この女優が一癖も二癖もある役を演じることが多いのは、こうした理由による。吉行は、いつでも面白さといった「好奇心」や安定路線でない「危うさ」へ身を寄せてしまう。大女優はまずこんなリスクを冒さない。一つの役を生涯演じて自家薬篭中のものとし、結果として一〇〇〇回以上も演じる代表作を持ったのが上記の三大女優だ。これはもはや生き方の違いであり、演じることの姿勢や演劇観の違いに帰結するだろう。

例えば、著者が仲良かった「三人ムスメ(女優)」の他の二人、すなわち岸田今日子、富士真奈美も大女優というより、ユニークさを売り物にする女優だった。類が類を呼ぶように、この三人は二十年来の友人となる。この三人は揃って文章の達人であり、言葉を仕事にする女優という職業がいかに言語に敏感かを物語っている。また彼女らに共通しているのは、作家の父を持っていることである。それぞれ岸田國士、富士正晴、そして吉行エイスケであり、吉行和子の兄・吉行淳之介はまぎれもない昭和の文豪に数えられる。こうした持って生まれた芸術環境が彼女らに影響を与えないわけがない。

わたしが吉行和子を初めて知ったのは、今から30年ほど前だが、その時の印象は「美貌の少女」というものだった。その当時、彼女は40歳を過ぎていたと思われるが、その「少女」性は今でも変わらない。先述した大女優が「一代記」的なもので名声を博したとするならば、彼女は「永遠の少女性」を身上にしていたと言える。だから彼女には再演ものは例外を除いてきわめて少なく、つねに新しい作品から作品へと渡り歩いたのだ。例外は、93年に初演し、以後10年にも亙って演じてきた『MITSUKO・世紀末の伯爵夫人』であるが、これは一人芝居であり、いわば個人史的な作業であった。それにしても何十年も一つの役を演じていた大女優に比べると、10年などはまだまだの年数なのである。

このエッセイ集には家族のこと、とくに母あぐりに関する文章が多い。この母は若い頃から市ヶ谷に美容室を開業し、以後一人で切り盛りしてきた。いまだに現役を通している伝説的な美容師である。NHKのテレビ小説『あぐり』が放映されて以来、すっかり母は有名人になってしまった。TVドラマ化されるだけあって、この本でも母についての箇所はとくに面白く読める。例えば、90歳を越えてから、海外旅行を始めたこと、しかもその決断がなんの屈託もなく「私も(メキシコに)行く!」と叫んだことだ(84頁)。娘が15時間もかかるのよ、と言っても、「昔は岡山の美容室と東京とを行ったり来たりしていたんですもの、もっと長時間汽車に乗ってたのよ、へっちゃらよ」と切り返すのだ。明治生まれの豪放さを示すエピソードだ。

妹の理恵もまた作家・詩人だったが、母が百歳のとき逝去した。母は先立つ娘を見送ることができず、無念の思いを噛みしめながら、「母のしたことは、妹の作品をすべて読み返すことだった」(226頁)というエピソードに思わず胸を衝かれる。自分の美容師の仕事が忙しくて子育てもままならず、そのことへの償いもこめて、母は娘の分身である作品を読み、一部を書き写し、遺稿集まで刊行したのだ。妹と吉行は概してうまく馴染めなかったようだ。気を使いすぎる関係とでも言えばいいか。兄・淳之介についても母ほどには記述はない。面白い話があると兄に電話をかけて長話しをすることがしばしばだったというが、どこか遠慮が見られる。ただこうした文化や芸術に親しむ生活空間のなかで生まれ育ったことが、彼女の芸術人生にとって大きな影響を及ぼしたことは間違いない。

このエッセイ集には彼女がなぜ女優になったかのエピソードも綴られている。病弱だった少女時代を過した彼女は、やがて名門・女子学院を卒業し、舞台関係なら生きていけると1954年に民芸に入団した。その時は、衣裳係をやりたいと思っていたらしい。その後、女優に転進し、1957年に『アンネの日記』でデビューした。久保栄の『火山灰地』(再演)にもヒロイン役で出演している。その彼女が大劇団を辞め、当時アングラ・小劇場の旗手であった唐十郎の記念碑的作品『少女仮面』(69)に出演したことは演劇界を驚かせた。演出は早稲田小劇場(現SCOT)の鈴木忠志。この劇で少女・貝役を演じたことは、当時刊行されていた『少女仮面』(学芸書房)の単行本の口絵写真で見て、わたしも知っていた。ちなみにヒロイン春日野を演じたのが白石加代子であり、この二人が対峙する舞台写真が今でも記憶に残っている。わたしの女優吉行和子のイメージはこの口絵写真によるところが大きい。それが「少女性」と結びついたのかもしれない。

民芸のような老舗劇団を辞めて小劇場運動に身を投じていったことに、彼女の女優の生き方の一端を知ることができよう。彼女は安定路線を選ぶより、冒険に満ちた道を選択したのだ。

吉行は頑張って生きている女性への共感をつねに抱き続けてきた。彼女は大島渚監督の『愛の亡霊』など映画出演も多数あるが、撮影現場で知り合った二人の女性映画監督にとくに深い共感を寄せているところが印象深い。一人は『ユキエ』『折り梅』の松井久子。もう一人は『第七官界彷徨――尾崎翠を探して』『百合祭』の浜野佐知。とくに後者の浜野は、好きな作品を制作するために独立プロに潜り込み、「『これでもか』とイジメとセクハラ。それでも何が何でも監督になるぞの強い一念」(154頁)でピンク映画を三百本監督した猛者である。吉行の“同志”に対するシンパシーと愛情を垣間見る一説である。 

かつての「三人組」への記述も心を打つ。彼女らの友情を支えていたのが俳句をつくる会だったということも興味深い。その彼女らに一つ暗黙の取り決めがあった。それは相手の「内心」に必要以上深入りしないというルールだ。彼女らは氷川きよしや山下洋輔らの“追っかけ”をやったりもして勝手に盛り上がるのだが、

「内心」という事柄について、私たちはほとんど語り合ったりはしない。無関心を決め込んでいる。心の中を教えてくれ、なんておこがましい。そういうことに触れないでおくものだ、という共通の態度が、友情を保たせていると思う。(70頁)

見事な大人の付き合いだ。しかもインテリジェンスと品性をわきまえている。旅番組、バラエティに共演するなど、彼女らの活動は活発だが、友情の秘訣はこんなところにあったのだ。

盟友だった岸田今日子の死が本書の巻末近くに収められている。

私達が仲良くなり、そしてまたとない“いい関係”が続けられたのは、俳句のおかげが大きい。ただの仲良しではとてもここまで固く結びついていなかったと思う。(219頁)

この言葉も、なにやら心に浸みった。

最後に、本書のタイトルだが、「老嬢」というのは、吉行和子の女優人生にはそぐわないと、わたしは思う。

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