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2007年12月26日

『演出家の仕事』栗山民也(岩波新書)

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[劇評家の作業日誌](33)

2007年8月をもって新国立劇場「演劇部門」の芸術監督の任期を終えた栗山民也氏が初めての著書を刊行した。題名もずばり『演出家の仕事』。7年にわたる彼の激務の一端を知るに格好の書だ。わたしも昨年、同名のタイトルの本を日本演出者協会との共同編集で刊行した(れんが書房新社)。この時、副題に「60年代・アングラ・演劇革命」を付し、多くの現場の声を集め、あわせて近・現代演劇の「演出家」の役割とは何かを跡付けた。したがって両者は同じタイトルでも内容はずいぶん違ったものになっている。

本書は1980年に演出家デビューを果たした著者が、これまで30年近く熾烈な現場との闘いを通じて獲得したものを余すところなく語っている。演劇との出会いからなぜ演出家になったのか、稽古場のこと、戯曲や演技教育のこと、世界の演出家のこと、そして彼の両親のことなど、実に多岐にわたっていて興味が尽きない。

栗山氏の仕事をひときわ印象付けたのは、1995年に演出した『GHETTO/ゲットー』だろう。わたしが演出家としての彼を注目したのもこの舞台だった。阪神大震災に見舞われた兵庫で制作されたこの舞台は(必ずしも関西演劇人が創作したものではなかったが)、神戸から発信されたことに格別の意味があった。予定していた劇場は被害を受け、公演中止が検討されたなかで、相当の決意をもってこの舞台は上演されたからだ。しかし逆風のなか、この舞台はその年の演劇賞を総なめにするほどの成功を収めた。1942年、ナチに占領されたビルナ(現在のリトアニアのビリニュス)で実際にあった事実をもとに、イスラエル人の劇作家ジョシュア・ソボルが1984年に書いた作品である。ゲットー内で死を目前にしたユダヤ人たちは劇場をつくり、芝居や音楽会を上演した。彼らにとってゲットー内で芝居をすることは、むざむざ殺されないぞという存在の証でもあった。ちょうどそれは震災で多くの人命が失なわれ、被災者たちが仮設住宅での生活を余儀なくされている非常時に、それでも公演することの是非が問われ、こういう時だからこそ上演すべきだとする声と重なり合っている。極限状況下で「演劇は可能か」という問いに見事に応えてみせたのである。

その後『エヴァ、帰りのない旅』(98)で再び読売演劇大賞を受賞するなど、栗山氏が得意とする領域が明確になった。戦争の災禍にあって、人間がいかにそれに屈せず生きていくか、ヒューマンな姿勢と歴史意識が彼の舞台の底流にいつも流れていたのである。2000年7月、渡辺浩子の急死にともない、新国立劇場二代目の芸術監督に就任した時、栗山氏が掲げたテーマは「時代と記憶」だった。彼は井上ひさしの「東京裁判」を主題とした戦後総括の三部作、永井愛、坂手洋二らの社会批評意識の高い舞台を押し立てた。そこには、彼の演出家=芸術監督の思想、ポリシーがあった。

本書はベルリンでユダヤ人の「声」を聞くエピソードから書き始められている。死者の声を聞くこと、それは歴史と対話することである。彼はこう書いている。

言葉の基本は、自分からはじまるわけではない。相手の言葉を聞くこと、感情を読み取ることから対話がはじまっていくのです。(12頁)

栗山氏の演出家修行は本書でもっとも読み応えのあるところだろう。彼は戯曲を読むことから始める。多くの戯曲作家のなかで、チェーホフと井上ひさしは格別に重要だ。

チェーホフの作品からは、いろいろな場面で登場人物たちの複数の感情から生まれた多声(ポリフォニー)が聞こえてきます。(37頁)

多元的な空間のなかで、多くの人物が一見脈絡もなく、そのくせ絶妙な掛け合いで成立している劇。この構造を見抜いた栗山氏はチェーホフに魅せられていく。井上ひさしも同様だ。

豊かな対話の、まるで音楽のような時間の流れを見つけ出すことが、まず私の演出の出発点なのです。(89頁)

井上の戯曲から聞こえてくる「音楽」に耳を傾けていく時、そこにドラマのうねりをはっきりと知覚するのである。

彼の関心事の中心には、俳優の演技および演技教育がある。ロンドンで見た俳優の演技は彼には大きなヒントになった。演技とは型のようなもので固定されたものではなく、つねに言葉との出会いから導き出されるものであること。それは彼の演出の姿勢にも通じている。彼は自分のスタイルを創り出すことに拘泥せず、テクストとの出会いからその都度、舞台を構想していくのである。そのためには、彼はつねに真っさらな状態に自身を置く。

 演出家は、大きく二つのタイプに分けられるといわれています。
 一つは、戯曲を自分の世界観に限りなく引き寄せ、独自のスタイルと力ですべてを統一していくタイプです。もう一つは、自分のほうから戯曲の持つ世界のなかへ出かけていくタイプです。私は徹底して戯曲のなかにこちらから出かけていきます。(84頁)

ここに演出家・栗山民也の立場がある。アングラの演出家が独自の署名性、固有性に固執したのに比べて一八〇度異なっている。これはどういうことか。作者性が強まった時代、それが60年代演劇だったとしたら、彼は「作者が死んだ」後の「演出家」なのだ。その確信は、「どんなものも、一つの要素だけではなく、複数の力によって組み立てられているということを知らなければなりません。」(18頁)といった辺りにあるのではないか。つまり、他人の力をいかに引き出し、それを有効に組み合わせるか。演劇のアンサンブルあるいは集団性とはそこに本質がある。スタッフやキャストをなるべく意見が同一しないような異色の人間を揃えること、その「不協和音」を楽しめるかに演出の醍醐味がある。集団を持つことから開始したアングラ・小劇場運動から切れた地点で、あくまでフリー演出家を続けてきた栗山氏の立場は、ここにあるのだろう。

彼の心を動かした二つの舞台について触れておきたい。彼は自分自身が分からなくなった時、しばしば旅に出るという。その時に偶然見た芝居が彼の人生を変えることもありうる。その一本はチェーホフ作『三人姉妹』である。演出はペーター・シュタイン。ドイツを代表する巨匠だ。彼の舞台をベルリンのシャウビューネで見たとき、「『一つの演劇の力が、人間を確かに変えうる』という実感が、今も私に演劇を続けさせる覚悟を与えてくれた」(135頁)そうだ。日本にいて自信が持てなかった「演劇は有効か」という不安感が解消された契機だ。

もう一つは、学生時代に偶然もらったチケットで見た能の舞台。「深く静謐な時間」が若い演劇学徒に「席を立てないほどの感動を与えた」(190頁)のである。それが人間国宝の櫻間道雄の喜寿を祝う演能で、生涯に一度しか舞うことのできない秘曲『伯母捨』であったことを知ったのは、その後である。

実父に関する記述には感銘を受けた。父・栗山信也は第二次世界大戦中、ビルマに赴任し、そこで終戦を迎えた。その後、英国軍の捕虜収容所で生活した彼は、自ら劇団を組織し、台本を書いて演出した。まさに『GHETTO/ゲットー』を地でいった体験を積んでいたのだ。この時、芝居をするとは「祈り」にも似たものなのだろう。その経験が息子にも伝えられた。ただし、父はその事実はおろか、戦時中のことも息子にほとんど語らなかったという。

語り得ぬ事実がたしかに存在する。それは父ばかりでなく、同じような経験をした者たちが戦争に関わった世代に数多くいたということだ。ここから連想したのは、永井愛の名作『こんにちは、母さん』である。夫は戦時中に中国人を殺したことがあるのではないかと疑念に思った妻だが、ついに生前、夫にそのことを聞けなかった。歴史の彼方に消えていく「記憶」を掘り起こすこと、そこに栗山=永井世代の演劇の役割がある。栗山が企画した「時代と記憶」の一本が永井の同作である。これは確かめたわけではないが、二人は意見を交換し合って、この傑作が生まれたのではないかとの連想も働く。芸術監督という役割のなかで彼の思想が、こうした仕事を生み出したのだとわたしは確信した。

一人の人間の体験などたかが知れている。けれども、本書を読みすすめていくと、そこに「思想」を獲得していくプロセスが刻まれていることに気づかされる。ほんのちょっとしたきっかけに過ぎないものの集積が一人の演出家を育てていく。他人の話に真摯に耳を傾けることから、ヨーロッパの戦争の傷跡をアウシュヴィッツで体験し、ベルリンの劇場にその集積を見る。阪神大震災に見舞われた体験は実父への思いとつながっていく。「二人の夫を、二人とも自殺で失ったのです。」(197頁)という実母に対する記述は、ずしりと響く。ここまで肉親を客観化できる演出家には「信」が置ける。本書がすぐれた人間ドキュメントのゆえんである。

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