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2007年09月26日

『なんにもないところから芸術がはじまる』椹木野衣(新潮社)

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[劇評家の作業日誌](30)

ジャンルに囚われているところに批評はない。批評とは、自分の拠って立つジャンルへの安住が奪われる時に始まるのではないか。批評が「危機」と同義の critical という形容詞を持つのは、おそらくそこに理由がある。椹木野衣という批評家もまた、そういう危機に瀕したところから批評を開始した一人だろう。彼の新著『なんにもないところから芸術がはじまる』は臨界点に立たされた経験を出発点とした12章から成る。

本書は雑誌「新潮」に連載した「文化の震度」をもとにしている。さまざまな文化現象を一種の地層的次元として捉え、その地層は絶え間ない変化にさらされ、屈曲する。「層と層との境界面で、激しい蠢(うごめ)きの結果なにが起こるのか」(176頁)、この現在性に著者は目を懲らす。層というジャンルが不意に別の層=ジャンルと接し、異次元のものを誘発する時、著者はそれを「震度」と呼ぶのである。ちょうど阪神淡路大震災によって、生き方を決定的に変えられてしまった人びとが多数あったように、また近くにはスマトラ沖地震でもそうであったが、激震は文化や芸術の領域でも、つねに起こり続けているのだ。

「震度」という着眼点が魅力的に映るのは、ジャンルに内向し「深度」を測定するのが芸術批評の定番であったのに対し、彼の視点はジャンルが決壊する瞬間、その切断面に着眼するからである。ジャンルの「深度」を追求することは、つまるところジャンルを囲い込み、ジャンルの純粋化を補強することであり、もって(あるかなきかの)ジャンルの自立性を自明視してしまうのである。言うまでもなく、この志向は「近代」の思考そのものだ。この批評家はそれが成り立たなくなる場所に足を運び、その決壊した現象に目を向ける。

その椹木の批評意識が鮮明に出ているのは、巨大な岩石群を前にした第十章であろう。この自然の脅威に立ち合った時、これまでの認識の中に納まりきらないモノ=現象にたじろいだ自分を発見する。フレームに入り切らない自然現象に向かって自分はいったい何が出来るだろう。そこに批評の契機があり、書く必然性が生まれてくるのだ。

それにしても何とフットワークの軽い批評スタイルだろう。彼が対象とするのは、第一章の飴屋法水に始まり、会田誠の「ヘタうま」、昭和新山の観測者であった「素人画家」の三松正夫、ダダイスト的な活動を行なう榎忠まで多種多様である。一方では、前述した広島県にある岩石群やウィーンのフラクトゥルムという建造物、二人のウェルズによるラジオ放送、バリ島の芸能など人物以外でも自由に批評の対象にしている。そして彼がもっとも注目しリスペクトする大竹伸朗。最後の第十一、十二章の大竹伸朗論はいかにも「美術評論家」らしい力のこもった作家論だが、他の章はどちらかというと、ドキュメント風の筆致で書かれる。むしろ不意打ちのような出会いに佇み、その対象との「出会い」の新鮮さは、その都度の問いかけの新鮮さにつながっていく。

第一章「希望のための、ささやかなテロ、のようなもの」は、彼にとって通常の批評家では問われない領域の「問い」がなされている。2005年7月29日、六本木ヒルズの裏手にあるビルの地下で、一人の男が箱の中に消えた。そして約三週間もの間、彼は自分の個展の期間中、箱の中で暮らしたのである。彼とは飴屋法水(あめや・のりみず)。以前、東京グランギニョルという演劇集団を率い(後にMMM)、80年代の小劇場シーンで活躍した一人だ。決して多作ではなかったが、新作を発表する度に、彼の舞台はわたしを強く刺激した。わたしの記憶に間違いなければ、89年の『SKIN2』を最後に彼は演劇界から去った。その後、時折聞こえる噂はあったものの、わたしの視界からはほぼ消えていた。それが突然、本書の中で蘇ったのだ。

「箱」の中での生活は、8月21日まで続いた。その間、彼は必要最小限の水と塩分、栄養剤を摂取するのみで、生を極限まで切り詰めていった。椹木はこの個展のコラボレーターとして関わったが、実際箱の中に入ることは知らされていなかった。いったい箱の中で何が起こっているのか。飴屋の「死」を想像したとしても奇異ではない。それは限りなく「自死」に近いだろう。次第に彼は不安に襲われ、個展の期間中、幾度も会場となった「P-House」を訪れたという。どんな実験であろうと、「死」を賭したこんな行為は許されるのだろうか。おそらくここには芸術の極限の実験があった。それに向き合う――しかも当事者として――批評家もまた、共犯者なのだ。

ではこの行為をどう批評できるのか。「『よかった』『わるかった』・・・というたぐいの価値判断の形式が、到底あてはまらないのだ」(24頁)と著者自ら言うように、芸術の「手前」にある生の根拠そのものが問われている。衣食足りて芸術が生まれるといった類の「娯楽=芸術」ではなく、その手前に引きづり出された「行為=芸術」。飴屋の行為は「自爆テロ」に近いものだが、彼は生を見つめ肯定するためにこのパフォーマンスを行なった。芸術には、作品として成立する手前で作家のさまざまな葛藤と事情が存在する。「9・11」に遭遇し、父の死に立ち合った彼は、彼の実人生そのものを芸術の場に置いたのだ。

「芸術」の可能性とは何なのか。2006年10月、東京都美術館で大竹伸朗の「全景」展が開催された。彼の膨大な作品を「構成や配分などは考えずに、とにかく館の端から端まで並べられるものはすべて壁に掛け、床に置く」。展示のセオリーを超えた展示によって見えてきたものは何か。展覧会という概念、美術館という制度へのメタ批評――それはデュシュン以後、すべてのアーティストが<その先>を考えなくてはならなくなった。

大竹が提示するのは「作家性」をとことん抜いていくことだった。『既にそこにあるもの』という大竹のエッセイ集のタイトルが端的に示すように、「ジャンク」や「ゴミ」といった反転した「反芸術」――それすらも「近代批評」の対象枠に収まるだろう――に向かうのではなく、いっさいの「作為」を感じさせないことだった。この本の白眉は以下の一説ではないだろうか。

送り手がいないまま受け手だけがいる状態――それが『既にそこにあるもの』の基本である。(214頁)

だから「作者はいない」のだ。「美術家」はそこで限りなく「職人」となり、かつ「生活者」となる。宇和島で「ワニをひたすら磨き続ける大竹の姿は完全に賃金労働者のそれであり、そこには表現や作家性を感じさせる一切のものがなかった」(248頁)というのは、その究極の姿である。

表現とは、「何かをする」のではなく、「何もしないでいられるか」を自らに問うことだとすれば、そこに現代芸術がたどり着いた地点がある。椹木の批評もまた、こうした現場が出現する瞬間に居合わせることに、生命線があったのだ。

『シミュレーショニズム』でさっそうとデビューし、『日本・現代・美術』で美術評論に新展開を開いた彼のことは、つねに気になる存在だった。彼のプロフィールを見てみると、いくつもの展覧会を企画し、アーティストに直接働きかけて共同作業するなど、彼のアクティヴィストとしての批評スタイルには共感を覚える。旅が好きで、一所定住より多様な場所に出向く行動様式も身に付けているのだろう。ジャンルを超えた批評(家)とは、まさにこうした行動スタイルから生まれてくるのである。

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