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2007年05月21日

『越境の時-一九六〇年代と在日』鈴木道彦(集英社新書)

越境の時―一九六〇年代と在日 →bookwebで購入

[劇評家の作業日誌](26)

本書は「1960年代」という時代と「在日問題」、そして「越境」をテーマとしている。なぜこの三つが結びつくのか。それが本書を読み解く鍵となる。

著者・鈴木道彦氏はプルーストの『失われた時を求めて』の翻訳で知られるフランス文学者だ。本書は著者がなぜフランス学者になり、プルーストを論じるようになったかが回想記として記される。文学にとって作品を創造するとは、個人的な問題関心にとどまらず、「自己を乗り越え、他者の意識に開かれてゆく過程を描」くことであり、「他者の魂との交流を求める」(13頁)ことである。

その氏がなぜ「在日」問題に深く関わるようになったのか。1960年代に「在日」の問題が、2つの事件をきっかけに浮上した。その1つは1958年の「小松川事件」として知られる女子高生殺害事件だ。その犯人李珍宇(リ・ジヌ)が「在日朝鮮人」であったことが発端となり、この問題はやがて、その10年後の金嬉老(キム・ヒロ)事件に通じていく。1968年2月20日、金は清水市のキャバレーでライフル銃による発砲事件を起こした。寸又峡の「ふじみ旅館」に人質をとって篭城し、警察署の理不尽な扱い、差別の謝罪を求めたのである。

氏は前者に関しては犯人の手記などを読み、後者に関しては実際に救援活動を行なった。この1958年から68年の10年間には看過できない二つの歴史的事件が起こっている。一つは1965年の「日韓条約」であり、もう一つは1963年に開始されたヴェトナム戦争だ。一見無縁に見えるこれら二つの出来事は氏のなかで緊密に結びついていく。

留学生時代の1960年にアルジェリア独立戦争を間近に見たことは、旧宗主国フランスと祖国日本を結びつける契機となった。ここでアルジェリアの位置に相当するのは韓国・朝鮮だ。アルジェリアは確かに「遠い国の出来事」(42頁)に見える。だがそれを他人事とみなせるか。そうではないだろうというのが、著者の「物を書く人間」としての前提、言い換えれば、知識人の「倫理」である。

『在日』の人々は私の目に、戦前戦後の日本によって生み出された矛盾をことごとく身に負わされた存在のように思われた。(48頁)

彼らは貧しさゆえに日本に移住を強いられ、日本社会のために不当な労働を強制された。戦後になって満足な保障も得られず、解決を見ることなくウヤムヤにされた。それが朴正熈大統領の国内向けの政治的駆け引きと日本政府の思惑によって結ばれた「日韓条約」である。その歪みは「在日」の個々の生活史に色濃く痕を残していく。それゆえ、「李珍宇という人物を作り出したのが日本社会であることを、強く意識せざるをえなかった」(65頁)と著者は語るのだ。

この本のタイトルに「越境」という言葉が置かれている。自分と他人の間には踏み込めない「境界」が存在する。しかも日本と韓国・朝鮮には歴史的に越えがたい一線が引かれている。例えば、ある日突然「チョーセンジン」と呼ばれた青年は、それまで気づかなかった自分へのまなざしを知る。彼は普通に日本語で育ち、日本名を名乗り、日本の共同体社会で生きてきた。だが、彼が日本国籍でなく、朝鮮籍であることを知ってから、どうしようもない差別と偏見に直面する。彼は日本社会から「他者」として括り出されたのだ。これは「小松川事件」の加害者、李珍宇についての記述である。

同様の経験をした者にジャン・ジュネがいるのではないかとフランス文学者は連想する。彼はある時、「お前は泥棒だ」と言われて激しく傷つき、共同体社会から追放される。その後、ジュネは万引き、窃盗、などありとあらゆる犯罪に手を染め、監獄体験を繰り返す。そして彼は自分を受け容れない社会に向けて、徹底的に抗戦するのだ。それが彼の「犯罪」である。李もまた、犯罪者になっていく。それは個人の犯罪に他ならないのだが、それは決して彼個人の問題に留まらない。むしろ彼は日本社会が生み出した犠牲者=「他者」ではないか。そう著者は自問するのである。

「他者」はこの本のもう一つの主題だ。現代社会の危機を論じた本の多くは、他者の不在を指摘している。人間関係の機能不全、国際的な戦争や植民地問題、果ては「いじめ」や「引きこもり」にいたるまで、いずれも他者との折り合いの悪さ、困難さが論(あげつら)われる。では、どうすればこの問題が解決できるか。

他者との本源的な解決はありえないとして、最善策を考えなくてはならない。それが「越境」なのだ。著者はこう書いている。

私には、事柄に関心を持つためにはまず共感が必要だった。また共感がある限り、相手の実存にまで踏み込むことも可能に思われた。たとえ抑圧関係によって隔てられていても、その境界は越えることができるのではないか。いわば「越境」も可能ではないか。(69頁)

「越境」のなかに和解を見る。他人の領域に踏み込むなかに、個では解決できないより共通の問題点に触手する。その手がかりの一つに「集団」の可能性を著者は見ている。

わたしが本書で興味を覚えたのは、金嬉老への呼びかけを組織する「金嬉老を考える会」という存在だ。在日朝鮮人が引き起こした事件を単なる「猟奇的」なものとして見るのではなく、それ以上の思想の問題として捉えようとした時、急遽、韓国・朝鮮研究者を中心に動きが生まれた。事件当日、中国研究者の中嶋嶺男、伊藤成彦、金達寿らが「人質解放」を呼びかけるために銀座のホテルの一室に集まった。この集まりは意外な方向に展開していった。そのなかから金嬉老支援サークルが出来、そこに多くの文学者、大学研究者らが参画した。そのなかには教育学の三橋修や里見実なども関わった。もちろん著者の鈴木道彦氏も含まれた。

各自が自分の時間をやり繰りして、いわば手弁当方式に関わっていく。それは自発的な運動だから当たり前のことなのだが、実際こうした手間暇かかることは、集団や運動の自壊を招きかねない。つねに自分たちの原点に立ち返ること、決して運動のプロにならず、「素人」である自分から出発すること。そのことが、実はこの種の問題に取り組む根底に関わってくるのである。

そのなかで、「『私』という主語ではなく、『われわれ』という主語で責任ある文章を書くことがどこまで可能なのか?」(216頁)という問いの前に立たされた。集団で文書を起草することが確認されたのだ。これは一見簡単そうに見えて、これほど困難なことはない。それをウヤムヤにして、やり過ごしてはならない。

当時は全共闘運動の盛時である。個々の問題から始まって、それが普遍的なレベルに直達すること。狙っているところはさほど変わるわけではない。ただ全共闘世代よりおそらく一世代上の者たちは、彼らと違う方法論で闘っていたのだ。この集団論は繰り返し立ち返らなくてはならない原理だろう。そのドキュメントとしても興味深い。こうして長い裁判闘争を経て、金嬉老は釈放され、帰国した。

この経過を著者は自分の問題として語っている。実は事件が起こったのは、著者がフランス留学を数日後に控えた日であった。やり過ごすこともありえただろうが、それを引き受けることにしたのは、やはり彼の選択だった。文学者が犯罪の現場に関わることは、一見、部外者の手慰みのように思われかねない。そこにどう「責任」をとるのか。個人の営みである「文学」行為--作家活動、批評活動、研究活動もひっくるめて--のエチカがここに見出される。それは存在の深部から発せられる言葉だけに、わたしは人間の存在に関わる抜き差しならぬ問題に直面させられたのだ。


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2007年05月11日

『何も起こりはしなかった』ハロルド・ピンター[著]喜志哲雄[編訳](集英社新書)

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[劇評家の作業日誌](25)

「知識人」という言葉にマイナスイメージが付与されるようになったのはいつからだろうか。口先だけで行動しない、言葉は華麗だが実質を伴わない――こういう非難は、多くの知識人たちが、本来もっているはずの行動力を失ない、「知」の特権に安住してしまった結果、生じたものだろう。

2005年に「ノーベル文学賞」を受賞し、今なお現役の劇作家であるハロルド・ピンターには、さしづめこの「知識人」という言葉を献上してみたくなる。もちろん、それは「知識人」の復権という意味を込めて。この本は、彼の講演原稿をまとめた発言集であるが、それはまさに言葉を激烈に発する「発言」集にふさわしいものだ。

ピンターについては、昨年トリノで開かれた「国際演劇評論家協会(AICT)」世界大会で、「ヨーロッパ演劇賞」の授賞式に出席した時のことを、英文学者野田学氏が報告している(「シアターアーツ」27号<2006夏号>)。それによれば、2002年に自身の食道癌を公表し、ノーベル賞の授賞式は出席できず、講演スピーチは映像で配信されたと言う。だから野田氏は、トリノにピンター氏が病気をおしてやってきたことを驚きと感動でもって迎えたのである。

劇作家ハロルド・ピンターは「不条理」の作家として日本では知られてきた。ベケット、イヨネスコ、アラバールといった戦後を代表する劇作家の登場によって、それまでの劇世界は一変し、心理や合理的精神では説明のつかない「不条理」が劇作を覆うようになった。ヨーロッパ中を「不条理」が席捲するなか、英語圏でもっとも重要な不条理の劇作家がピンターだったのである。

本書を読んで、彼が現代世界の理不尽な事柄に向けて激しい怒りを発していることを知って、なかば驚かざるをえなかった。彼は芸術家として作品を発表するのみならず、きわめて政治的にも振る舞っていたからである。それは「行動する知識人」という言葉を彷彿させるものであった。劇作家のなかには、東西ベルリンの崩壊のさい、その早すぎる統一に向かってさまざまな発言を繰り出したハイナー・ミュラーのような存在もいた。しかし彼は例外的存在であって、芸術家は現実の政治に発言すべきでないという風潮は案外根強く残っている。芸術と現実(政治)は別物であり、表現でのみメッセージを表明すべきだということなのだろう。

だが現代の世界はそんな悠長なことを言っていられないほど深刻ではないか。例えば、ピンターは「自由」についてこう発言している。

長い間、我々は自由な国で暮らしていると思いこんできたから、この考え方を本格的に吟味することはきわめて困難になってしまった。種々の基本的自由に対する全面的な侵害が、現在この国(イギリス――引用者)では進行しているのだ。それは非常に広範囲にわたる、また深刻で実に悪質なものなのである。(49頁)

そしてこの四十年間にわたる根本原因をピンターはこう跡付ける。「知性と意志の敗北を意味している」と。

この講演は1989年に行なわれているから、四十年前とはすなわち戦後まもなくの頃である。現代社会が混乱し、低迷している根本原因は、最終的に人間の知性の後退、文化の敗北に行き着く。それがピンターの基本認識だ。

本書では、とくにアメリカについての具体的な批判が目につく。「世界情勢を見つめる」と題する第二章では、戦後のアメリカによる他国への恐るべき侵攻が語られる。ニクラグア、グアテマラ、チリなどの中南米に、アメリカが関わった内政干渉は枚挙の暇がない。

アメリカは昔から、有効的な独裁政権とは非常に仲良くしてきたのです。(略)ハイチやチリやグアテマラやパラグアイの独裁政権をアメリカは熱烈に歓迎してきましたし、アルゼンチンやウルグアイやブラジルの軍事独裁政権は、権力を濫用していた長い年月を通じて、アメリカが進んで全面的な支持を与えてくれるのを期待することができたのです。(65~66頁)

後の文章でイラク侵攻についても語られるが、ラテンアメリカに関してのニュースは案外知られてこなかったのではないか。ピンターは返す刀で、自国イギリスにも峻厳な批判も加えている。

この国は偉大な盟友と肩を並べているふりをしていますが、その実、それは鞭打たれている犬にほかならないのです。わが国の政府がアメリカ合衆国に対して蔑むべき屈従を 示す結果として、国民の品位と気力と名誉は傷つけられています。(124頁)

世界はメディアの発達によって小さくなり、世界中の出来事が遍く知られるようになった、と言われるが、実はメディアが巨大になった分、肝腎なことに目を塞がれている逆転現象も起こっている。どこかで事件が起こると、それがセンセーショナルであればあるほど、大きな見出しで報じられる。だが無名の者の小さな善行や馴染みの薄い小国の悲劇はめったに報じられない。それは報道価値が乏しいからである。かくして、メディアが作り出す価値基準によってニュースは選別され、排除されていく。そこで排除された記事は、それが起こらなかったことと同義なのだ。

本書のタイトルとなった「何も起こりはしなかった」(ちなみにこの本は編訳者の手になるもので、同名の本が出版されているわけでない)は、1996年に『ガーディアン』紙に発表された「そんなことは起こっていない」を元にしていると思われる。アメリカの数々の暴挙、虐殺に対してくだされる国連決議を、まるでそんなことはなかったかのように、無視し続けるアメリカの態度を皮肉ったものだ。

これに関して、興味深いエピソードも収録されている。劇評家マイケル・ビリントンとの対話で、「イギリスでは、ノーベル賞授賞講演は衛星放送では同時刻に放映され、『ガーディアン』には講演の全文が掲載されました。しかし、私の知る限り、それはBBCテレビではほとんど採りあげられませんでした。これには驚きました。」というビリントン氏の言葉に対して、「ほとんど採りあげられなかったのではありません。BBC、講演を徹底的に無視しました。そんなことは起こらなかったのです。」

ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。

劇作家らしく、ピンターの言葉は直接的でない。必ずユーモアとシニカルな目をたたえて、事態を見据えている。彼は政治的問題を「政治」で解決できないことを知っている。そこで前述した「知性」や「言葉」の問題が出てくるのだ。

冒頭で「知識人」について言及した。「知」という脆く切ないものを武器に巨大な力に抗していくことは、「蟷螂の斧」ようなものだ。力には力を、それが世界の常識になっているとすれば、あえてそれを外す知恵が求められている。「何も起こりはしなかった」ことに対して、いやこんなことが起こっていると指し示すことは、言葉である。演劇という行為は、小さな場所で起こったことを、言葉と身体で「再現」することだ。グルーバル化されたがゆえに見えなくされてきたものを、もう一回、人間の目に見えるようにさし返していくことが、演劇という営みなのだ。それは遅く、持ち運びにくいメディアであるがゆえに、かえって使い勝手のある武器となり、道具となりうるのではないだろうか。

ハロルド・ピンターの言葉にはその手がかりが刻まれている。

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