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2006年09月12日

『思想としての全共闘世代』小阪修平(筑摩書房)

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[劇評家の作業日誌](19)

本書の著者、小阪修平さんに初めて会ったのは、たしか新宿のスナックだった。その時、なぜか将棋を指したことを覚えている。その勝負はどちらが勝ったか、今では定かではないのだが、白熱した好勝負だったことだけは、はっきり記憶している。その時立ち合っていた共通の友人が、面白そうに感想を語っていたことが耳に残っているからだ。その一戦は定石をまるで無視した力まかせの棋譜で、即興性豊かな、まるで一手ごとに局面が変わる「劇的」な力将棋だった。小阪さんがまだ名著『イラスト西洋哲学史』(1984)を刊行する前だったから、今から20年以上も前のことになる。

その後、いろいろな場所で小阪さんにお会いした。しかし大半は、わたしの領域である芝居の打ち上げの席だった。なぜかいつも小阪さんがわたしの方へ「越境」してくれていたのだ。わたしはすでに「ことがら」という雑誌を読んでいたし、「ヘーゲル研究会」を開いていることも知っていた。その時の印象は“市井の哲学者”というものであった。だが実際は、文章で生業(なりわい)が立つわけでもない“ルンプロ物書き”だったのである。7歳年少のわたしもまだ20代だったが、似たような境遇で、これまた“売れない演劇評論家”だった。ただ彼の書いたものは射程が大きく、いや大きすぎて、果たして仕事=作品としてまとまるのだろうか、例えば彼の「制度論」などはその典型だったように思われた。

わたしが小阪さんについて知っていたことは、そう多くはない。その一つは、例の東大全共闘と三島由紀夫の討論した時の「仕掛け人」である。この時のエピソードが、当時劇団駒場でセンセーショナルな活躍をしていた芥正彦とともに紹介されている。当時を彷彿とさせる貴重な報告だ。81年に「マルクス葬送派」として上の世代からコテンコテンにやられていたことも記憶している。全共闘世代の「いかがわしさ」を身にまとい、ヒッピーのような風体もよく似合っていた。その頃からわたしは、“哲学界の忌野清志郎”というイメージを抱くようになった。

この本を読んで、いくつかのことを知った。学生時代に東大の演劇研究会に所属したこと、それもまもなく挫折して、その後、唐十郎が在籍していた明治大学の演劇サークルに好きな女の子がいて、彼女に引きずられて明大に入り浸りになったこと。まるでそれはその後の小阪さんの生き方を象徴するようなものだったが、彼は必ずしも演劇とは無縁ではなかったのだ。その小阪さんは、バイトで露命をつなぎ、予備校で講師をやって細々と糊塗をしのぎながら、好きな文章を書いて生きてきた。その間、子までなしていたことも知った。
そうした小阪さんの本のなかで、わたしがいちばん感銘を受けたのは、こういう箇所だ。

「ぼくは、ぼくなりに向かい合った他者を重要視するという意味で『対面』という言葉を使ってきた。
 ぼくは対面で、……威張る態度をとらなかったし、生徒もふくめてなるべく対等につき合おうとしてきた。威張るやつや、すぐ相手を『とろい』といって馬鹿にするやつは嫌いだし、……相手の一面だけをとりあげて全面的に相手を非難するということもあまりやらなかった。飲み屋でからまれても話のやりとりになっている以上は、たいてい最後までつき合ってきた。」(204~5頁)

この本には、60年代後半から70年代前半にかけての時代のことが主に書かれている。とりわけこの時代の「感性の経験」がつづられている。そのエッセンスは、前述した小阪さんの「態度=人格」に収斂されているのではないかとわたしは考えている。初めて会った時、年少のわたしとほとんど分け隔てなくつき合ってくれたのは、今から思えば、それが小阪さんのポリシーだったからである。

この本は、小阪さんにとって、かなり切羽詰まった心情吐露が含まれている。しかもそれはたぶんに「自嘲」と紙一重だ。小阪さんの世代は、戦後初の「ベビーブーマー」であり、その後「全共闘世代」と呼ばれ、後に「団塊世代」と命名された。ようするに、人数の多いかたまりのような世代だ。この世代の特徴は、論争好き、仕切りたがり屋、管理的なものがあるとすぐにイチャモンをつける--、つまりかなり面倒な世代なのだ。わざわざ火のないところでも無理やり事件を起こし、喧嘩することを生きがいにしているのではと思わせるほどだ。しかも都合の悪いことに、自分たちは時代(戦後社会)の先頭に立った世代だという自負があるから、何かと自己主張が強い。だが威勢はいいものの、理屈で攻められ、守勢に回ると案外脆い。そして転身がうまい。すぐに権力に転ぶのだ。現在の保守政治を支えているのは、たいていこの世代である。

いずれにしても、戦後社会の「長男」がどうしても潜り抜けねばならなかった「経験」だったのだろう。かつて羽振りがよかった分、ツケは倍返しとなって返済を迫ってくる。彼らが一斉に定年を迎える「2007年問題」はその一例だ。また彼らの一回り下の世代、大塚英志や宮台真司らには突き上げを喰らっている。83年に、浅田彰(57年生まれ)の『構造と力』が登場してから、それは決定的になったと小坂さんは言う(162頁)。それが「自嘲」的にならざるをえないゆえんでもある。

では、全共闘世代(この本のタイトルには「世代」が付されている)とは何だったのか。この本には語るべき材料が種々あるが、そのなかから彼らの「運動」について挙げてみよう。

全共闘運動とは「自分の問題」から出発し、「自分の生にどういうふうに向かい合うかという倫理的な問題」(92頁)を何にもまして考え抜いた運動だった。これは戦前の教養の連鎖を切断した。これまでの日本は旧制高校的な教養主義に覆われていたが、それを断ち切り、新しい知の局面を提示した。60年代から現在にいたるまで、同じ思考の圏内、同一のパラダイムにあることは、文化や芸術に関しては明白である。そのなかで、80年代に小さな切断が入った。これは小阪さんにとっても看過できない問題だった。だから彼はこういうのである。

「八〇年代をどう過ごしたかが、その後のぼくらの進路を決定したケースが多いとぼくは感じている。」(160頁)

80年代は、彼らにとって厳しい時代だった。思想は低迷し、彼らが築いてきた価値観が崩れ落ちた時代でもあった。そこで彼は市民社会の中での闘いに戦場を移し、その分析を通じて未発に終わった「革命」やマルクスについて改めて考え直したのだ。一言でいえば「後退戦」での思考である。だがその一方で、自分より一回り下の世代に対して抱く懐疑は増してくる。ポストモダンの何でもありの世代が保守に急旋回していくことに、小阪さんは歯噛みしながらつとめて冷静に対処しようとする。全共闘は「好き勝手やって、学園を荒らすだけ荒らして去りやがっ」(211頁)ただけじゃないかという当然すぎる批判を受け容れながら、下の世代の主張のなかに「こわばり」を見るのだ。

7歳年少のわたしは、上と下の世代の双方睨みながら生きてきた。それゆえ、全共闘世代の「自嘲」と80年代を謳歌するサブカル世代の「増長」も等しく見てきたつもりだ。だから世代が近い分、なぜ彼ら彼女らが「意味ある『空騒ぎ』」をせざるをえなかったのか、その心情が比較的よく分かるのだ。だからわたしたちの世代は同じことをやらなかったし、少し遠回りしながら、構造的に「対面」する道を選んだのである。

最後に一つ。小阪さんは「ぼくの90年代を特徴づけるのは将棋に深入りした」(190頁)と記している。これで冒頭のエピソードに戻った。こういう肩の抜けた生活者の目にわたしは信頼を寄せるのである

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