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2006年07月18日

ドイツで出会ったワールドカップ

[劇評家の作業日誌](17)

 前回予告した通り、ワールドカップのさなかのドイツに行って来た。日本でもサッカーはずいぶん市民権を得てきたように思ったが、やはり「本場」の迫力、浸透度は違っていた。毎日3時過ぎになると、街頭に張り出された特設のTVモニターからはワールドカップ中継が流れ、それをオープンカフェでビール片手に観戦に興じるというのが、お馴染みの光景となった。この1ヵ月間、ドイツの夏は暑く燃え上っていたことは言うまでもない。そこで今回は、一般に知られることのない個人的な体験について記してみることにしよう。
 今回の旅でもっともショッキングな出来事は、「オーストラリア」を体感したことだった。もう少し具体的にいえば、「オジー君」たちに間近に接した体験である。
 6月12日、カイザースラウテルンのフリッツ・ヴァルター・スタジアムには強烈な陽射しが容赦なくピッチとスタンドに襲いかかっていた。ご存じのように、終盤に3点とられて日本サッカーが失意のどん底に突き落とされたあの日にことだ。わたしは40年近くサッカー観戦をしてきたが−−その間およそ1500、600試合、スタンドで観戦しただろうか−−、これほど「打ちのめされ」た体験は記憶になかった。オーストラリアが得点するたびに、わたしの後部座席で観戦していたオジー君たちのあげる喚声の凄まじさが、わたしの身体に杭を打ち込むように届いてきた。これが8分間に3度繰り返されたのである。わたしの座ったバックスタンドはいちおう日本側になっていたが、オジー君たち3人は日本人サポーターに包まれながらも声の大きさは日本人を圧していた。もっともハーフタイム、1点リードされていた時の彼らのしょげようったらなかったが。それが最後の最後で「爆発」したのである。サッカーの醍醐味としては、悔しいかな、理想的な結末である。逆に負けた側としては、これほど骨身に浸みる負け方もなかった。ワールドカップで負けるとはこういうことか!この種の体験は初めてのものだった。8年前のフランス大会、負けた日本のサポーターが自分たちのまいた紙吹雪を片付けたことが美談になった。けれども今回、そんな余裕は誰にもなかった。見るも無残なほど打ちひしがれ、目の前の現実を誰も「受け容れ」られなかったからである。スタジアムを後にしても、敗北を噛み締める暇もなく、次々と現実が押し寄せてきた。駅へ向かう道すがら、ちょっとした広場、駅構内、そしてホテルのあるフランクフルトに帰るまでの約2時間、列車の中まで「オーゼ! オーゼ!」の大合唱は続くのだ。勝者と敗者のコントラスト。どこにも逃げ場がなく、自分を慰める場所もなかった。
 先にわたしはこの体験を「初めて」と記した。だが毎週毎週、チャンピオンズ・リーグでは同じような光景が繰り返されているのだろう。その悔しさ、無念さに耐えながら、彼らは「文化」を育てていく。負けることに慣れていないわれわれ日本のサポーターは、あまりにもナイーヴすぎたというべきかもしれない。負けて初めて文化が生まれる。その意味では、ようやく日本でも「文化としてのサッカー」を語る素地が出来たのではないかと思った。
 ところで、オーストラリア人の演劇関係者に知り合いはいるが、これだけまとまってオジー君に出会ったことはなかった。彼らとの最初の出会いは、香港空港の待合ロビーだった。黄色のレプリカに半ズボン、サンダル履きのいたってリラックスした若者たちを見かけた時、わたしは驚いた。彼らは実に屈託なくロビーでゴロ寝をして飛行機を待っているのである。そして半袖からはみ出す太い腕と厚い胸板。その姿や行動を見ると、なにからなにまで日本人とは違う。力強さなんてものではない。まともに闘ったら、骨が砕かれるのではないか。わが代表チームは、こんな彼らの代表と本当に闘えるのだろうか。わたしも日本人としては相当に大柄な方だが(ただし屈強ではない)、多くの日本人は彼らの大男ぶり、屈強な肉体に気圧されてしまったのではないか。試合間にすでにサポーター・レベルでわれわれは完璧に萎縮してしまったのである。  ハーフタイム、わたしは友人と前半の闘いを振り返りながら、引き分けならオンの字ではないかと語った。ゲームの大半を支配され、たまたま入ったゴールで逃げ切るのはあまりにも心細かった。その日スタジアムにいた現場感覚からすれば、この結末は妥当なものであった。
 サッカーとはその国の風土や気質、文化や文明を端的に反映する。かつてシェイクスピア時代に「演劇は世界を映す鏡」であったが、いまはサッカーこそが「世界を映す鏡」なのだ。わたしはサッカーを通じてオーストラリアの文化を考えた。彼らのフィジカリティから生まれた文化、あるいは演劇。今年は「ドラマティック・オーストラリア」という企画が一年を通して立てられ、オーストラリアの戯曲が紹介されている。オーストラリア先住民演劇と日本の翻訳劇について書かれた『現代演劇と文化の混淆』という著書(著者は佐和田敬司)も刊行された。わたしはドイツにいながらオーストラリアについてそんな思いを馳せていた。

 フランクフルト滞在中、わたしは一度だけ劇場に出向いた。街頭TVにいささか食傷気味になっていたからでもある。出し物は『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』。アメリカ前衛劇作家エドワード・オールビーの名作で、ちょうど一週間前、東京のシアターコクーンで同じ戯曲の舞台を大竹しのぶ主演で見たばかりだった。上半期のベスト1ともいうべき舞台で、俳優の演技と言葉の物質力を前面に押し出そうとする舞台だった(ケラリーノ・サンドヴィッチ演出)。これに比べて、ドイツ版は舞台装置に力点が置かれていて、まるで肌触りが違っていた。舞台前面に壁のような装置が置かれ、そこに一メートルくらいの切り穴がある。これが上演中に少しずつ−−ほとんど気づかないほどくらいのゆっくりした速度で−−移動してゆくのである。その穴の象徴性を考えさせながら、舞台の進行を見ていくのがこの舞台の核心で、抽象的な思考を促される舞台だった。
 わたしはこの劇場に来て、観客が街頭TVを見入っている層とまるで違うことにびっくりした。圧倒的に女性客が多く、たまにいる男性客はいかにも知識人風なのである。以前「ドイツのインテリはフットボールを見ない」と聞いたことがあるが、なるほど劇場とサッカー場はまるで違った人種、違った階層の人たちが棲み分けているのだ。片や知識人、片や大衆。それが演劇という高級芸術とフットボールという大衆文化に分厚い境界線をつくっているのだろう。
 わたしは劇場とスタジアムをこよなく愛する人間である。演劇もサッカーもわたしのなかでは等価なものだ。そしていつか演劇とサッカーをともに論じられる本を書きたいと思っている。だが演劇評論家がサッカー文化について論じることは、ドイツやフランスではありえないことなのか。ワールドカップは素晴らしいスペクタクルの祭典だ。だがそれだけで飽き足らない自分がいることも確かだ。そしてやっぱり一度は足が劇場に向いてしまう。だが、いざ客席に座っておとなしく上品に舞台をながめていると、ふとここには知的スノッブばかりしかいないと感じられて居心地が悪くなる。すると再び、わたしは踵を返して、街頭TVやスタジアムに向かうのだ。日本にいる時は、劇場とスタジアムを往復することはごく普通のことだった。それがドイツに来てみると、それほどフツーではないことに気づかされた。そもそもわたしが今回、ドイツにワールドカップを見にきたのも、これまで多くの舞台を見にきたドイツだからということもある。フットボールのアート性を追求していけば、それは自ずと演劇の本質にも直達するだろう、と思っていたからだ。だが実際は、両者のあいだには目に見えない境界線が引かれていた。ならばこの分界線を撹乱し、両者を同じタームで論じてみたい。そういうわたし自身の課題も見えてきた。これが今回のわたしの最大の収穫かもしれない。

 ワールドカップの大会は熱戦が続き、ジダンの退場や中田英寿の突然の引退など話題に事欠かない。また世界中のサポーターが集まって、街が色とりどりの色彩に溢れたことなど書きたいことは山ほどあるが、それはまた別の機会に譲ることにしよう。

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