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2006年06月07日

『ジーコスタイル』中小路徹(朝日新聞社)

ジーコスタイルジーコ セレソンに自由を
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「劇評家の作業日誌(16)」

 4年前、一人のブラジル人が日本サッカーの代表監督に招かれた。彼は80年代の世界サッカーシーンでもっとも活躍したスーパースターであり、93年日本で初めてプロリーグが開設されるや、プレーヤーとして鹿島アントラーズを率い、今回は代表(ポルトガル語でセレソン)チームの監督に就任したのだ。その名もジーコ。「やせたチビッコ」の愛称を持つ彼について、最近二冊の本が出版された。朝日新聞の記者・中小路徹が4年間のセレソンの動向を追いかけた『ジーコスタイル』(以下zs)、もう1冊はフリーのジャーナリスト・増島みどりが1200日密着取材した『ジーコ セレソンに自由を』(以下zc)である。前者がジーコジャパンのドキュメンタリーを通じた「監督論」ならば、後者はそれをジーコ自身の言葉で内側から解きほぐした「思考の軌跡」だ。2書はジーコの思考を両面から解明しようと試みている。
 ではなぜジーコの思考はかくまで論じられるのか? 彼の<思考>の中にはサッカーファンのみならず、今日本および日本人の生き方を考えていくさいの重要な提言が含まれているのではないか。
 日韓ワールドカップで日本代表を率いたのはフランス人のフィリップ・トルシエだった。いささかエキセントリックな感のあるこのフランス人は日本人プレイヤーを徹底的に「訓育」することで、初勝利ばかりかチームをベスト16にまで押し上げた。その功績は大なるものがあったが、国民的支持を獲得するに至らなかった。それから4年。トルシエジャパンが到達した地点から先へ進むために招聘されたのが、他ならぬジーコだった。この4年間は日本サッカーにとってチャレンジの連続であり、サッカーというフィールドが日本社会に向けて発信した大いなる「実験」の過程だった。
 ジーコがもたらしたもの、それを一言でいえば「自由」というものの考え方である。
 しかしこの「自由」ほど掴みがたく、分かりにくいものはない。「自由」とはその時その場でもっとも自在だと感じた瞬間であり、しかもそれは、事後的にしか手に入らない。
 そこでこの手がかりになるキーワードは「個人」と「責任」そして「創造性」だ。
 「自由が与えられる代わりに選手にも責任が求められる」(zs、20頁)のは当然だとして、「システムから個人の創造性へ」移行すべきことは、集団の規律から個人の自由へのパラダイム・チェンジをはかることなのである。トルシエからジーコの交替は、選手やスタッフを見下し指導しようとしたトルシエと、個人を尊重しプレーヤーに敬意を払ったジーコの違いでもある。
 それを象徴するのは、中田英寿の態度であろう。2書ともに共通するのは、自主的精神を確立した希代のリーダーを二人の監督がいかに遇したかについての記述である。たとえば、中田英は日韓ワールドカップに失望し、二度と代表チームに加わらない決断をしたという。それはトルシエが選手を「人間的に扱わなかった」からだというのだ。これは外部から見ていては絶対に知ることのできない衝撃的な発言だ。だがジーコが個人の自立を促すことに共鳴した中田は、ジーコに人間的な「信頼」を抱く。そこには人間臭いドラマが垣間見られる。20代半ばから30歳前後の若者たち。選手として絶頂期にある彼らも、一般企業社会から見れば、まだまだ人の下についていく若年層にすぎない。けれどもサッカーで頂点に立った者たちはそれ以上のものを要求される。しかも現在、サッカープレーヤーとして海外で実際「仕事」をしている若者が10人近くいる。10年前では考えられない事態だ。「国際交流」は前提であり、つねに世界の中での日本の位置を意識せざるをえないスポーツなのだ。WBCで初めて世界との交流を体験したばかりの野球と比べれば、日本人に意識のなかに占めるサッカーの特権的な場所は明らかである。

 この2冊の本が語るもう一つの重要な共通点は、チームという集団の「生もの」性である。チームがスランプや不安に陥り、時に崩壊寸前まで行きながら、偶然の計らいで奇跡的に関係を持ち直すエピソードはとくに興味深い。アジア予選で一喜一憂しているわれわれファンにはあずかり知らぬことだったが、一次予選のシンガポール戦で格下チームにまさかの同点ゴールを喫し、ジーコ解任を考えた川淵三郎の18分間。その後、深夜、選手たちが集まって意見を闘わせた、いわゆる「アブダビの夜」。近くで取材していなければ分からない関係者の内面からの記述は、チームが伸縮自在な「生きもの」であることを知らせてくれる。
 この4年間、最初は「子供じみた試合運び」しかできなかった代表が、04年のアジア杯のイラン戦では勝つことを放棄して、「時間を殺す」引き分けができるまでに成熟した。こうした成長過程でいくつかの節目ともいうべき飛躍点があった。その1つがアジア杯でのPK戦にあったことは疑いない。GK川口の奇跡的なセービング。それを引き出した主将宮本の卓抜な交渉力。ゴールのぬかるみを察知した宮本はPK戦の最中にあろうことか、使用するゴールを変えてくれと審判に直訴したのだ。ベストメンバーが揃えられず、いわば「負けて元々」の大会で、闘争本能を開花させて優勝を勝ち取り、中村俊輔が真の意味で「司令塔」になった時であった。あるいは中田不在のチームが強豪チェコを破った試合。一度自信を得ると、チームはそれをベースにして成長する。人間がどういうタイミングで飛躍し成長するのか、そのドキュメントが読む者の心を打つ。
 「観客はわざわざ事務的作業の結果を見るためにスタジアムに来ているのだろうか。ならば会社で仕事をするのと同じはずだ。サッカーはスペクタクルであり、演劇なのではないかと思う。選手はそのとき、華やかな舞台に立つ役者であって、それぞれが役柄、レパートリーを必ず持つ。それを最大限に発揮しようとするなら、彼らもアレグリを感じていなくてはならない。」(zc、31頁)
 <アレグリ>とは楽しさ、悦び、幸福というポルトガル語である。いうなれば「フットボールの快楽」。ニーチェならば「知の歓び」と言うだろう。増島氏はこの言葉をキーワードにした。そしてこの<アレグリ>こそ「自由」と結びつくのだ。集団や個人の関係はその時、どうなっているのか。実はここには高度な知性が要求される。
 こんなエピソードが語られる。先発組とサブ組の関係は見えないフィールド外の闘いだ。だがチームが一つの目的に向かって邁進していく時、本当の意味でチームの一体感が生れる。アジア最終予選の北朝鮮戦を前にしたの時のレギュラー組のセリフがこうだ。「サブのために戦おう」(zs、296頁)。なかなか言えないセリフである。チームが大人の集団になり、その意識の高さが個人の思惑を超える時、個々の意識の集合体としての「集団=チーム」が出来あがる。これがどのレベルでつくられるかは、その国の文化のバロメーターになろう。
 その上で中田英の「日本のサッカーとは、といって、世界がイメージするようなサッカーを僕はこのドイツで確立してみたい」という発言には、後続世代に対して自分たちが背負っている責任、課題への意欲的なチャレンジを読みとれる。これが若干29歳!の若者の言葉なのだ。
 ジーコを通じて、チームやプレーヤーの姿が浮かび上がってくる時、わたしは監督とはつくづく演出家に似ていると思う。演出家とはディレクター、つまり「方向」を指し示す指導者を意味する。舞台の稽古のやり方から始まって、作品の創造過程を取り仕切り、上演される舞台がとりうる美学の最終判断をくだす役割を果たすのが演出家である。だが、実際の舞台でそれを実現するのは彼自身ではない。俳優やスタッフらが一群となって一回性のパフォーマンスに身を賭ける。舞台の直前までもっとも粉骨砕身している演出家は、実際に上演されている舞台の横で、あるいは客席のいちばん後ろで、俳優たちはうまくやってくれるだろうかと不安に襲われ、心労で胃を痛くしているのである。失敗すれば責任をとらされ、うまくいったときの賞賛は演じる者に捧げられる。おそらくこれほど理不尽で不健康な仕事はないかもしれない。演出家の仕事とは、上演以前に終了し、残るは彼の言葉=理念だけだからである。だとすれば、スポーツの監督もまた同じ苦しみ、同じ境遇を生きる者ではないか。
 ジーコジャパンのドイツでの「成功」は現在、未定である。ならば、この目で確かめようとジーコジャパンの成果を確かめるために、わたしは数日後にドイツ行きの飛行機に乗る。

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