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2006年05月15日

『唐十郎-紅テント・ルネサンス! 』唐十郎(河出書房新社)

唐十郎—紅テント・ルネサンス! 劇的痙攣 風のほこり
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[劇評家の作業日誌](15)

 唐十郎の著作が一挙に3冊刊行された。戯曲、エッセイ、アンソロジーと多種多様だが、改めて唐氏の現在が確かめられて興味深い。
 ここ数年、唐氏へ熱い注視が再びそそがれるようになり、巨大な唐宇宙の謎を解き明かそうと、多くの論者が躍起になって知恵を絞っている。『唐十郎 紅テント・ルネッサンス!』(河出書房新社)で唐氏と対談している坪内祐三氏の以下の発言は、唐氏の核心に実によく迫りえた言葉だと思われる。その一つ、「本質的な読書家としての唐さんをもうちょっと世間にアピールしたいですね。……本を読むというのはとても創造的な……もっと興奮させる行為なんですね」(22頁)。その二つめ。「唐さんは東京言葉を文章化できる最後の人って気がします。……東京言葉というきちんとしたネイティブな言葉があって、それを駆使して芝居をつくっているのは唐さんしかいないのではないか」(24〜25頁)。そして三つめ、「唐さんのやっていることが現在形ということはもちろんですけど、そこで上演されている唐組の今のお芝居も現在形なんですよね」(16頁)。
   この三つのキーワード、「本質的な読書家」「東京言葉」「現在形」はそのまま唐世界を読み解くキーワードでもあるだろう。
   昨年、唐氏は近畿大学文芸学部の客員教授(現在は国際人文科学研究所特任教授)に就任し、わたしは1年間、計8回の公開「特別講義」の進行役を務めたが、その時わたしが抱いた感懐は、そのまま上記の三つのキーワードとぴったり重なり合うものだった。冒険小説やメルヘンについて語り、三島由紀夫や加藤道夫らの戯曲に言及していく中で、唐氏は驚くほどの<読み>を披露してくれた。しかも関西の大学生(一般人も相当数含まれていた)の前で、下町の生きた日本語としての「東京言葉」が語られたのだ。その語りは、今では失われてしまった東京の光景をイメージ豊かに立ち上げていくのである。言葉が次々と連想を喚び、ポリフォニックな空間が教室の隅々にまで広がっていくさまは、まさに圧巻だった。そこで語られていることが昭和五年(1930)の東京浅草であろうとも、そこに生まれてくる言説空間は「現在形」として居合わせた者たちに共有されていくのである。
   『劇的痙攣』というエッセイ集では、彼の創作の秘密が語られている。本書のために語り下ろされたであろう同名のエッセイは、唐氏の最新論考であり充実した演劇論になっている。「攣」という文字の成り立ち、すなわち「言」を左右から「糸」という文字でつなぎ、「言霊を手の平に受けて、他者に差し出す」行為は「表現者の原点」そのものだという。その「痙攣」からシュルレアリストたちの「痙攣的美」に移り、ドストエフスキーの『白痴』の「ひきつる」主人公や自作『ジョン・シルバー』へと飛躍するあたり、例によって、この作家の独壇場のイメージ遊びなのだ。その中で唐氏が今回引き出してきたキーワードの一つは「縫い代」である。作家−役者−観客をつなぐ回路として発見した「クリニョテ」clignoter というフランス語は、「ろうそくの炎のゆらめき、はためき、しばたたく」意味である。唐氏は作家から役者、観客に直線的に意味が伝達されるのではなく、むしろ「縫い代」のような曖昧な合わせ部分、中間領域が束の間発生し、そこで「僕自身と僕の中の他者、そして現実の他者」(104頁)が混じり合っていくさまが記述されている。おそらく状況劇場から唐組まで一貫して変わらぬ「創造の現場」はこのようにしてつくられてきたのではないか。唐十郎という天才がすべてを仕切るのではなく、役者やスタッフとの持ちつ持たれつの相互関係で劇の現場を保証する時、そこに演劇創造のダイナミズムが生まれるのである。
   この本の各章に目を配ってみると、3人の「犯罪者」について記されていることに気づかされる。佐川一政、宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗の3人だ。犯罪はしばしば時代の病理を剔抉する。とくに宮崎勤についての記述には、唐氏も苦戦した1980年代の謎が隠されていて示唆に富む。その手がかりの1つは「ブラウン管の母胎論」というものだ。「極大の豊かさを誇る日本に於て、極小のビデオ空間に安らぎをみつけようとする若者が多い」が、実際のブラウン管は「母胎の安らぎとは縁遠く」、一種の「無菌室」だという。「おたくとは、この『無菌室』のこと」だと唐氏は喝破する。唐氏が武器にしていた「紅テント」もまた「母胎」のメタファーで始まったが、それは雑菌だらけのノイズに満ち満ちた「母胎=子宮」であり、それが1960年代のシンボルとなった。ところが、時間は奇妙に一巡してしまった。他者とのつながりを求めて「縫い代」を編み出した唐氏は、それから約20年経って、他者の介在を一切拒否し、無菌室に「こもる」若者と相対さねばならなくなった。こういう若者はやがて紅テントの観客に混じってくる。そこでどんな「挑発」の切り口があるのだろう。80年代を「多幸症の時代」と言う唐氏は、記号化されのっぺりとして表情を欠いた時代にしばしば困惑で立往生せざるをえなかったという。「消費大衆」の始まりだ。その頃からだろうか、唐氏の戯曲の中に、彼自身の幼い時代の記憶が呼びこまれ、一種の黄金郷が登場するようになったのは。
   昭和5年の浅草を舞台にした戯曲『風のほこり』が新宿梁山泊に書き下ろされ、時を同じくして、この時期に擡頭した紙芝居屋の成れの果ての姿を描いた新作『紙芝居の絵の町で』(『紅テント・ルネッサンス!』所収)が書かれたのは偶然だろうか。満州事変に始まる「十五年戦争」の前夜、まだ時代はエロ・グロ・ナンセンスで方向の定まらぬ時代でもあった。庶民は漠然とした不安にかられながらも、まだ大丈夫だろうとたかをくくっていた時代だった。カジノ・フォーリーが栄え、浅草の芸人たちが最後の輝きを放っていた。そこでのしがない作家志望の女性(実は作者の母)をめぐる物語。紙芝居屋が活躍するのも程遠からぬ頃である。だが両作品を結びつけるのは、なんと「眼」なのである。片や 「義眼」であり、片や「使い捨てコンタクトレンズ」。そしてこの仮そめの「眼」こそが、時代の風景を記憶し、それゆえ「使い捨てられない」のである。人間が風景を記憶するのではない。物質にこそ記憶が宿るのだという逆転が、唐十郎の世界なのである。ここに一貫して変わらぬ劇作家の独特の「読み」があり、時代という書物を「誤読」し、誰も考えつかない未来の書物の一頁を開けてしまうのだ。現在が見失った記憶が召喚され、過去の事象に流されて忘却の淵に消えかかっているモノたちが一斉に息を吹き返して跳梁する空間こそ紅テントなのだ。  『紅テント・ルネッサンス!』には、堀切直人や室井尚ら気鋭の論客に混じって、土方巽や寺山修司、種村季弘や渋澤龍彦ら唐氏が敬愛してやまなかった兄貴分たちの文章が再録されている。それはまるで彼の地から現在の唐十郎へのエールであり、「お前だけが頼りだぞ」と言っているようで何だか微笑ましく思えてくる。

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