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2006年04月19日

『才能の森—現代演劇の創り手たち 』扇田 昭彦(朝日新聞社)

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「劇評家の作業日誌](14)

 現在の演劇評論を代表する扇田昭彦氏は、もっとも多産な批評家の一人だ。すでに10冊以上の著書を持ち、60年代以降のアングラ・小劇場運動を世に知らしめた最大の功労者であることは周知のことだろう。1976年の『開かれた劇場』以来、10人の演劇人との対話集『劇的ルネッサンス』(83)、劇評集『現代演劇の航海』(88)、新書版の『日本の現代演劇』(岩波新書、95)や『舞台は語る』(集英社新書、2002)など、彼の著書を通じて批評史をたどってみると、現代演劇の推移と里程標がよく見えてくる。さらにミュージカルについての著書も数冊あり、今上演されている舞台への目配りの広さでは他の追随を許さないだろう。
 その扇田氏が、これまで親交の深かった24人の演劇人たちの人物評をまとめたのが本書である。肩肘張った「論」ではなく、あくまで人となりを綴った「評」だけに、著者の資質が思いがけないところで引き出されているのが特色だ。
 劇評という「論」には舞台と対決し、言葉で相手(舞台、演出家等)を捻じ伏せようという態度が前面に出てしまうことが多い。とくに批判する場合は、それが顕著だ。だが人物を語るとき、それが少しだけ和らぐ。「作品を憎んで、人を憎まず」という言葉があるように、批評は仮に作品を批判しても人格攻撃ではなく、むしろ批判するほど愛情に溢れた場合が多いのだが、これがなかなか創り手と共有できない。それ故、批評についてのトラブルは枚挙のいとまがないほどだ。批評家と創り手の関係がこれほどナーバスなジャンルは演劇批評以外にないのではないか。舞台は実際の生身の人間が演じるという原理から始まって、劇場に行けば必ずそこに当事者がいるからである。この生きた関係はひどく生臭く、かつ人間的だ。この濃密な関係は現在の希薄になったといわれる人間関係のなかできわだって異色である。本書ではそのトラブルを紹介している件が参考になる。例えば扇田氏が敬愛してやまない安部公房との関係。「ほめたくて仕方がなかったのだが、運悪く、評価できる舞台ではなかったのだ」(159頁)といっていつも批判ばかりしてしまった劇評家と創り手の皮肉な関係、それが終生回復できなかったことを氏は悔いとして残している。あるいは『劇的ルネッサンス』を編むにあたって、それまで親交の深かったつかこうへい氏が断ってきたというエピソード。彼は誇りが高く、他の演劇人と「横並び」になることに同意しなかった。その「横並び」のメンバーとは寺山修司や唐十郎、別役実といった年長の錚々たる顔触れだった。この挿話は、演劇村に馴染まなかったつか氏のその後の“孤立”を予見させるものがある。批評というペンの権力は、時として相手を傷つけ、関係をぎくしゃくさせる。劇評家を職業とするということは、それほどまでにナイーヴで繊細な人間関係を生きることであり、一種の人生訓、つまり生き方まで教えてくれるのだ。
 この本はどこの章から読み始めてもいいし、自分の関心の赴くままに頁を繰ってもいい。そこでわたしは、初めて知った事柄を中心にランダムに博捜してみたい。
 寺山修司の最後の願望が「歌舞伎の台本を書きたい」ということを知って、意外に思う反面、得心する部分もあった。前衛劇を志向し、自身の生涯が「実験」だった寺山だが、その一方で彼の実験の底には「大衆性」や芸能精神があった。それを見抜いた蜷川幸雄が『身毒丸』を演出したことは単なる思い付きではなかったのだ。寺山の遺志は野田や串田、蜷川らに引き継がれた。もし今存命なら、彼はすすんで歌舞伎の演出をしたことだろう。
 井上ひさしについての章も興味深い。無名作家から一挙に売れっ子作家になった井上とは朝日新聞の編集委員としての付き合いがあった。連載していた文芸時評のやりとりのさい、こまやかな心遣いでもてなしてくれた好子夫人との関係。それが次第に険悪になっていく井上夫妻の変貌。しかし『薮原検校』や『天保十二年のシェイクスピア』など傑作を書いていた時期を、同伴者として氏は懐かしく思い出すのだ。束の間ではあったが、日本を代表する作家の珠玉の作品を間近にした経験は氏にとって掛け替えのないものだったろう。作品を誰よりも早く見出し、作家の成長を見守り続ける。劇評家の喜びとはこのことを措いてない。自分は決してリングには上らないが、つねにセコンドやトレーナーとして立ち会い、そこで奮闘する創り手にエールを送る。時には筆の力で彼らを世に送り出すこともある。事実、扇田氏は1968年から2000年まで「朝日新聞」の第一線の演劇記者として劇評を執筆し、当時無名だった同世代の才能たちを次々と世に送り出していった。その最たる者は唐十郎だろう。「唐の紅テントが健在である限り、一九六〇年代以来のアングラ演劇はまだ続いている」(16頁)という一説は、扇田氏の心情とも重なってくる。1969年の夏、状況劇場の旅公演に“取材”と称して一週間ほど同行した時の記録は、後に「状況劇場南下す」というドキュメントにまとめられた。これは当時のアングラの冒険的な行動の記述としては絶品のものであり、彼らの行動へ寄せるシンパシーは、明らかに新聞記者という領分を超えていた(実際に切符のモギリまでやっていた)。だがそこに扇田氏の批評の原点があることは確かであり、「私にとって忘れがたく楽しい旅だった」のである。
 本書は個人的な目線から語り起こされていることで、思わぬ記述にニヤリとさせられる。例えば、太田省吾氏の章で、「一九六〇年代に小劇場運動を始めた第一世代には、長身の劇作家や演出家が多い。」(39頁)とした上で、鈴木忠志は180センチ、別役実は 「痩せぎすの179センチ」といった具体的な数字をあげ、寺山修司は175、6センチだったが、共同演出のJ.A.シーザーが180センチあったために、「いつも踵の高いサンダルをはいていた」という一説を紹介している。そして「堂々とした長身であることが、劇団指導者としての彼らのカリスマ性を強め、持続させる一因になっていたことも確かである」。ちなみに当の太田氏も180センチである。
 最後に二人の“同志”で本書が締め括られていることに着目したい。
 その一人は編集者であり晩年に役者に“転身”した故・畠山繁氏である。彼は雑誌「新劇」の編集長を68〜73年に務め、雑誌の名称とは裏腹にアングラ・小劇場運動の最盛期を準備し加担した。扇田氏が大メディアで果たした役割を専門誌の側から推進したのが畠山氏だったのだ。そのシンパシーが文章をいささか熱い心情で濡らしていくが、同時代の戦士という思いはことの他強かったのではないか。もう一人の“同志”は同じ批評家の大笹吉雄氏である。60年代以降、同世代として批評活動を開始した二人は、やがて違った道を進み、ある意味で両極を行く批評家となった。大笹氏は歌舞伎の専門誌の編集者として出発したが、10年ほどで退社し、フリーになって筆一本で自立していった。だがフリーの立場で演劇評論を持続する困難さは、同業者だけにいたいほどよく知っている。 「人づきあいがうまくない」大笹氏のことを気にかけ、新聞原稿を依頼し、生活をどこかでサポートしたいという心情が働いていたことだろう。離合集散の多い演劇界のなかで、こうした友情と連帯が成立したことは稀有なことだ。「本質的に長距離ランナー」の大笹氏と、「短距離走者型」の自分という比較対照も面白い。大笹氏は国際演劇評論家協会の会長を務め、その後任が現在の扇田氏である。
 わたしも4年前に類書を出したことがある(『ドラマティストの肖像−−現代演劇の前衛たち』)。しかしわたしの場合は「論じる」ことに傾くため、どうしても対決の姿勢が前面に出てしまい、いきおい「同志」的な者たちを選ぶ傾向にあった。しかも本書の副題にある「創り手たち」と違って、「前衛たち」である。わたしが選んだ15人と本書で重なっているのは、千田是也、蜷川幸雄、太田省吾、松本雄吉、野田秀樹のわずか5人にすぎない。これも扇田氏とわたしのスタンスの違いを示唆していて、改めて自分自身の批評家としての生き方を考えさせられた。

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