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2006年01月18日

『笑わせる側の人生』矢野誠一(青蛙房)
『酒場の藝人たち 』林家正蔵の告白(文春文庫 )

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「劇評家の作業日誌 12」

 演芸や芸能という言葉は今どのように受け止められているのだろうか。長らく芸能の世界で批評やコラムを書かれてきた矢野誠一氏の新著は、この問題をいろいろな面から考えさせてくれる。
 著者が格別気に止めているのは「藝」という文字だ。「芸」ではなく「藝」。「藝能」にしろ「藝術」にしろ、俳優や語り手はまず自らの「藝」を見せるものである。そこからすべてが始まる。
 なぜこうした「藝」が生まれてきたのか。それを今は廃れつつある「寄席」の著者自身の遍歴に始まり、そこで取り交わされる「話藝」に視点が移り、最終的にスポットが当てられてくるのが「藝人」つまり「人間」なのである。三章立てから成る本書は、一本一本が折にふれて書かれ、それぞれ独立した小論になっている。けれど、これは評論というより、むしろエッセイというジャンルこそがふさわしいように思われる。常磐晋平氏が『酒場の藝人たち』の解説でまことに的確に書き留めているように、このエッセイの特徴は 「矢野誠一が、『いささか恥し』そうに登場している」ことにある。
 例えば氏が、麻布中学・高校に通いながら寄席や演芸場に頻繁に通ううちにいつのまにか好きが昂じて舞台についての文章書きになってしまったこと。十代にうちに「すえた空気」が立ち篭める劇場、映画館に通いつめ、そこで「すれっからし」の大人たちに出会って、寄席や演芸の見方を体得していったことなど、わたしにも思い当ることが多かった。
演劇評論という同じ業種ゆえの共感も少なくない。都会に育ち、まともな線からちょっと外れた者たちの生き方には、多かれ少なかれこうした体験を持っているのではないか。生産手段からいちばん遠い演劇や芸能などの、しかも批評に向かうのは、どこか共通した側面があるように思われるのだ。
 矢野氏は徹底した都会派であり、いなせな着物姿が似合う旦那である。こうした旦那衆が客席にいたことで、かつての芸能は発展してきたのだと得心させられる。
 では矢野氏の批評(この言葉はあまり氏の文章には似合わない向きもあるが、ご容赦願おう)の源基はどこにあるのか。そこで前述した「藝」という言葉へのこだわりに行き着く。「悪場所的な匂いと無縁でいられなかった寄席を仕事の場としている藝人」たちが醸し出す特有の匂い。文学者との対比で「藝人」を次のように定義する時、哀感もまた滲み出てくるのである。
 「醒めた目で見通して、あえて余計者や負け犬の姿勢を選択してみせた文学者たちと、いつの時代にも余計者や負け犬の立場にあることで、居心地のいい自分たちの閉鎖社会をつくり出し、いちばん楽な姿勢で生きることが、時代の変革に対する的確な対処のしかたであることを、感覚的に察知していた藝人たちとの、必然的に現われた相違でもある。」(41頁)
 文学者が変革の思想をもって果敢に権力と闘ったのに比べ、現状に寄り添い、生き恥をさらすような体たらくを装いつつ、その実したたかに生き延びていく「藝人」の身の処し方こそ「抵抗」の別の生き方ではあるまいか。「芸術」の歴史の舞台に登ることなく消えていく無名の「藝人」たちを氏が愛してやまない理由がここにある。
 だが本物の文学者は、「藝」の本質を見抜いていた。谷崎潤一郎はその一人であろう。「ちゃきちゃきの江戸っ子の血が流れ、自身江戸趣味のひとであった」谷崎は関東大震災の後、関西に移り住むようになったのは、江戸の香りが震災によって破壊されたからである。江戸趣味とはここでは東京のローカルな文化というより、資本主義が席捲する前の 「藝能」の別名であろう。言うなれば、この「藝能」の精神は江戸趣味といったものを超えて、どこまでも日本文化の根っこにまとわりついてくるものであろう。近代文化が文学者の「政治的身ぶり」によって代表されるならば、演劇や芸能とは、その手前にあって、もっと根深い「抵抗」の精神を体現しているものである。それを決して声高でなく、むしろ軟弱な戯作者の立場から光を当てていくのが、矢野誠一の批評の真骨頂なのである。この対比は今でも有効である。ありし日の「本牧亭」を活写する筆致などには失われていく文化に対する哀悼以上のものがある。
 第二章の「話藝の周辺」に関しては、わたしは水戸芸術館の機関誌「WALK」で断片的には読んできたが、今回まとめて通読してみると、興味深い題材に溢れていることに気づかされた。例えば「朗読」や、「声色」と「声帯模写」の違い、などだ。松尾貴史の声帯模写は「いかにも永六輔のしゃべりそうなコメントを、松尾貴史が創作して、それを永六輔風にしゃべってみせる。そのしゃべり方に松尾貴史の永六輔観が投影されることになって、藝としての人物論に昇華されるのだ。」(116頁)
 古川ロッパが生み出したといわれる「声帯模写」だが、ここには作家性にまで昇華された声の藝がある。マルセ太郎の項については、屈折した観客の心情が伝わってきて哀切がある。彼は猿の形態模写で人気をさらったが、その「売れた藝」をあえて封印する。そして「マルセ太郎という藝人の、すぐれた藝を理解するのはごく一部の限られた客であってほしい」と思いつつ「メジャーな藝人になったとしたら、それはマルセ太郎の存在証明を否定することにもなりかねないのに、どこかでそれを望む気持を捨て切れない」という屈折した思いである。「マイノリティ」としてのマルセ太郎には、藝人の側から世間を見返す階級性が存在するのだ。
 上野鈴本演芸場の火事から「転換期にある落語はすでに崩壊に瀕している寄席」の問題を引き出す箇所も興味深い。(132頁)寄席という小劇場の産物はラジオやテレビといったよりメジャーなジャンルにとって代わられてきた。だがそれも「姿かたちが変貌しつつあるということだろう」(136頁)とあっけらかんと肯定していくあたり、氏はジャンルの崩壊と再生を紙一重と考えているのかもしれない。滅びるものは滅びてもいい、残るものだけが藝能でもあるのだ、といった氏のまなざしを感じるのである。
 第三章の一種の「藝人列伝」は、林三平やトニー谷、藤山寛美など懐かしい名前がずらりと並ぶ。そのなかで、浅草の藝人たちへの言及が多いのは当然だろう。浅草とは滅びてしまった藝能の宝庫であり、だからこそ記憶が手招きして哀切をきわめるのである。
 わたしは年末から年始にかけて、新宿梁山泊の『風のほこり』を二度見た。劇作家・唐十郎が自分の母をモデルに、昭和5(1930)年、浅草の芝居小屋で、当時の作者部屋(文芸部)で働く若者たちの内幕を劇化したものだ。昭和5年といえば、日本の軍国主義が擡頭し、満州事変に始まる「十五年戦争」の前夜であり、その一方でエログロ・ナンセンスが隆盛をきわめ、浅草藝人らによって大衆演劇が演じられていた。本書でも扱われているエノケン(榎本健一)やロッパ(古川緑破)らが活躍し、カジノ・フォーリーという伝説の劇団も存在した。
 舞台は戦争に突入する不穏な予兆とともに終幕を迎えるが、何かが崩れ落ちていく気配が鮮烈に心に残った。それは本書のなかで通奏低音のように聞こえてきたものと同根のものであった。

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