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2005年12月19日

『アリラン坂のシネマ通り』川村湊 著(集英社)

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「[劇評家の作業日誌](11)」


 今年は韓国映画の新作旧作の上映がことの他目についた一年だった。
 池袋・新文芸座での韓国映画特集に始まり、新宿・シネマスクエアとうきゅうでの連続上映、12月に入って大阪での「韓流エンターテインメント」(シネ・ヌーヴォ他)など、わたしが気がついただけでも相当の数に昇るだろう。そればかりか都内では毎月のように新作映画が封切られ、現在上映中のヒット作『私の頭の中の消しゴム』や『親切なクムジャさん』まで含めると、「韓流ブーム」はついに映画にまで及んだと言えるのではないか。この一年でわたしが見た韓国映画は30本近くになる。
 そんなわけで韓国の同時代の映画史をまとめて知りたいと思っていたところ、「韓国映画史を歩く」と副題の付いた本書を手にした。著者の川村湊氏は、文芸評論を専門にしている研究者であり批評家だが、釜山の東亜大学で教鞭をとられたこともある韓国文化の専門家だ。ちょうどわたしも、今年の五月に『韓国演劇への旅』(晩成書房)という評論集を上梓した。韓国についての著作もずいぶん増えてきたが、芸術や文化についての専門書はまだまだ少ない。
 この本の妙味は、ソウル市内に映画街が出来、その「シネマ通り」を散策するように、韓国映画史を開陳していくところにある。「極私的な韓国映画論」と著者自ら語っているように、これは体系的な歴史記述ではなく、著者の好みが存分に反映された読み物になっている。しかも氏自身、必ずしも映画の専門家でないから、自由自在に対象作品をチョイスし、映画から越境した同時代文化の批評にもなっているところが興味深い。わたし自身、韓国映画そのものというより、映画を通して韓国の歴史や文化に関心があるので、本書の利用価値は量り知れない。刺激的な映画評論を読めたという喜びと同時に、韓国演劇の実際を知る者としては隣接領域から教えられることの多い本だった。
 ここでわたしは本書から知りえたことを断片的に取り上げてみよつと思う。シネマ通りを自由気ままに歩いてみたいからだ。
 まず昨今の韓国映画の隆盛がきわめて短い間に達成されたことを知った。とくに2000年前後から大ヒットが続き、次々と興行収益を塗り替え、映画産業が空前の好景気になってきたことはまるで韓国経済の躍進を見ているようだ。映画に対する国家助成が整備され、優秀な若い世代が続々と登場し、そのほとんどがアメリカに映画留学し修行してきたえりーと監督である。これは興行と芸術を両輪として考える新世代の登場を意味するだろう。彼らはいわゆる「386世代」と呼ばれ、激動の80年代を学生として過ごし、そこでの闘争と反抗の経験を基盤に映画創作を開始したのである。現在40歳前後になっているが、ちょうど演劇界も同様なことが起こっていることもあって、ある種の同時代性を感じる。
 また南北分断による政治の不幸が数々の秀作を生んでいること、38度線をめぐる攻防がいまだ熾烈を極め、若い芸術家たちの想像力を刺激してやまないことは演劇界と似ている。そこには「最前線」で闘う者たちだけが持ちうる共通の問題意識がある。だがやはり映画ならではの発見は、例えば北朝鮮を描いたなかにあった。『シュリ』(99年)や 『JSA』(2000年)は韓国の観客動員を塗り替えたヒット作だが、これまでの北朝鮮の描き方と違うという。「『シュリ』は、北朝鮮の人間を“カッコよく描き、『JSA』は、“人間的”に描いた。それによってこの二つが“北朝鮮”の人間が登場する、「反共映画」のパターンを脱した映画作品となったのだ。」(109頁)つまり、これまで冷たい感情を持った北の兵士たちが意外にも人間臭く、血も心も通った人間として描かれたのである。なかでも一癖のある俳優チェ・ミンシクや人間臭いソン・ガンホの存在が大きかった。この二作を見た金正日の感想が面白い。「『シュリ』に対しては不快感を示したが、『JSA』については好意的だったという。金正日氏にとって、自分より“人間的”な人間がいてもかまわないが、自分よりも“カッコよい”人物がいることは許し難いことだったのではないか。」(110頁)
 金書記長に関してこんな記述もある。彼の『映画芸術論』、とりわけ「種子理論」というのは、はアリストテレスの『詩学』以来の世界的に重要な芸術論になっているらしい。
スターリンもまた芸術理論家だったが、金氏もまたそうなのである。
 金大中による「太陽政策」の影響もあるだろうが、上の世代が敵対視し、硬直した姿勢が緩和され、柔軟になってきたことは確かだ。政治的現実を描くことに汲々としていた時代から、明らかに“芸術的”に重心を移動させているのである。ここに韓国映画の飛躍と発展の理由がある。
 北朝鮮に拉致されて実際に映画も撮ったという申相玉の存在も面白い。彼は現在、アメリカに在住しているが、北と南で映画製作に関わり、スパイ顔負けの変わり身の早さで、生き抜いてくるあたり、芸術と人生を考えさせられる。
 本書で個人的に興味深かったのは、川村氏が「わが愛する監督編」の最初に李長鎬(イ・チャンホ)の名前を挙げていることだ。実は1984年、発見の会の瓜生良介氏の提唱により、「マダンの宴」という催しに関わったことがある。「韓日フェスティバル」という枠組みで演劇や映画を招聘し、東京、京都、名古屋などで開催されたものだ。この時、発見の会のメンバーは李氏の新作映画『風吹く良き日』(80年)を上映した。わたしが現在の韓国の“今”の息吹きを感じた初めての映画だった。李はこの80年代前半に『暗闇の子供たち』(81年)、『馬鹿宣言』(83年)を立て続けに発表し、一躍韓国を代表する映画作家になった。後二者はいずれもファン・ソギョンの作品が原作となったもので、今から思うと、この二人の組み合わせはなるほどと納得がいく。ファン・ソギョンは北に越境するなど破天荒な行動でもっともラディカルな小説家だからである。
 80年代に「馬鹿ものたち(バーボドウル)」の系譜が韓国映画の地下水脈をかたちづくっているとしたら(54頁)、韓国を代表する劇作家李潤澤にも『馬鹿嫁(パボカクシ)』というタイトルの作品があることを想起した。彼もまた演劇の側でアンダーワールドの血脈を受け継いだ演劇人だからである。
 韓国映画の巨匠林権澤の『風の丘を越えて−−西便制』で好演した金ミョンゴンは、 「マダン劇」の代表的な劇団「アリラン」の座長であり、前国立劇場の芸術監督でもあった。彼は70年代に金芝河らの民主化運動の影響を受けて演劇活動を開始した一人である。70年代に大学のキャンパスの中から生まれてきた「マダン劇」の担い手が映画とも交流を持っていたという発見も興味深かった。
 映画と舞台の関連でいえば、華城事件という連続婦女殺人事件を題材にした『殺人の追憶』(カン・ウソク監督)の発端が舞台であり、金光林(キム・カンリム)作の『会いにきて』(1999年)がそれに当たるだろう。そういえば、わたしの友人でもある舞台俳優のオ・ダルスやジョン・ギュースも韓国映画の中で渋い脇役で出ているのをよく目にする。劇団「76団」のキ・ジュボンもまた舞台と映画を往復する一人だ。
 こうしてみると、映画と舞台の距離は案外近く、韓国のアートシーンとして互いに影響し合っていると言えそうだ。つい先日(11月17〜20日)、韓国の国立劇場・実験劇場で日本の劇作家の戯曲リ−ディングが行なわれ、わたしも参加してきたばかりだが、その時同行したメンバーが唐十郎や鄭義信など映画にも縁の深い作家たちだった。韓国の側から日本を見ると、最前線にいるのはジャンル越境者たちなのかもしれない。

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