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2005年11月17日

『祈りの懸け橋―評伝田中千禾夫』石澤秀二(白水社)

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「[劇評家の作業日誌](10)」

 今年の日本演劇学会「河竹賞」ならびに演劇評論家協会主催の「AICT賞」をダブル受賞した本書について、先日記念シンポジウムが行なわれた。題して「演劇史の再考--田中千禾夫をめぐって」。パネラーは劇作家の別役実氏、田中作品のヒロインを数々演じてきた女優の渡辺美佐子さん、近代演劇史の研究家で岸田國士全集の編集でも知られる今村忠純氏(大妻女子大教授)、そして受賞者の石澤秀二氏。司会・進行はわたしが務めた。(「シアタークリティック・ナウ’05」10月30日、世田谷パブリックシアター/シアタートラム)今回はここで出てきた議論を紹介しながら書評を試みてみよう。

 本書は作者と親しかった演出家にして劇評家の石澤氏による劇作家の評伝である。この著作は二つの層から成り立っている。中心になるのは劇作家田中千禾夫の詳細な作品論、そしてその周辺を演劇の克明な歴史で固められている。例えば、岸田國士と敵対関係にあ ったと言われる築地小劇場の記述、「劇作」同人から文学座へいたる経緯、そしてライバル俳優座へ移ることなど、演劇史に埋没した格好の素材がいたるところに散見できる。そこからシンポジウムのタイトルにもなった「演劇史の再考」というテーマが浮上してきたのである。

 そもそも田中千禾夫とは何者か。1905年生まれの田中は、日本の近代で最初の劇作家・岸田國士の弟子に当たる。彼の出発は28歳で処女作『おふくろ』(33年)を書いたことに始まる。だが彼は「処女作と銘打つにはあまりに非野心的」と言われたほど地味なデビューだった。田中は1932年に岸田の発案による戯曲同人誌「劇作」の創刊に立ち会い、実質的な編集長の任を務めた。この実務的な資質はその後雑誌「新劇」の発刊 (54年)でもいかんなく発揮された。(石澤氏は田中に乞われて、その助手を務めるところから演劇界に参加した。)その後、田中は『雲の涯』(47)『教育』(54)『肥前風土記』(56年)など代表作を経て、戦後戯曲の金字塔ともいうべき『マリアの首』(59)を生み出した。

 だが彼は劇作家である一方で、『物言う術』や『劇的文体論序説』など、台詞術、劇の文体などに理論的アプロ-チを試みた。戦後は俳優座養成所で俳優教育に従事し、後に桐朋学園短期大学の演劇科の教授も務めた。

 こうして足跡をたどってみると、劇作家の活動としてはかなり多岐にわたると言えるだろう。そのなかでとくに注目すべきは、俳優教育に関しての彼の構えである。自分の書いた台詞を喋るには従来の俳優術では物足りない。こうした判断が彼を劇作家であると同時に演出家になることを要請した。実際の舞台で発語される言葉に人一倍神経を砕いたことは言うまでもない。例えば、方言や文体の使用。『マリアの首』について、シンポジウムで実際にこの舞台のヒロイン・忍を演じた渡辺美佐子さんの発言は興味深かった。

 この作品は長崎原爆で被爆した浦上天主堂の廃墟からマリア像を盗み出し秘匿しようとする者たち物語だ。その中心人物が対照的な性格をもった鹿と忍という女性二人だ。鹿は昼間看護婦を務めながら夜は娼婦になって金を稼ぐ。彼女の首にはケロイドがある。一方、忍はその客引きであり、病床の夫と子供を抱えて、13年前、自分と関係のあった男を探している。その相手は「次五郎」(ジゴロ)といい、その時手にした「白鞘の短刀」を返すために日々彼を待っている。こうして市井の人間を登場させながら、時おり哲学的対話が挟まれ、モノローグのような詩が謳われる。渡辺はこの詩が難しかったと言う。だが同時に、方言のたおやかさ、標準語では伝わらない音の響きに魅了されたと言う。本書ではこう記されている。「長崎ことばの柔らかく優しい感覚的なひびき、東京ことばの概念的なひびき、日常的会話体と内的対話体、叙情的詩句と叙事的詩句の共生、これら多様な文体のひびきが音楽的ハーモニーを豊かに構成する。」(p231)

 田中千禾夫をどう演じるか演じたかは、こうした多彩な文体をどう身体化したかにかか ってくる。従来主流であった「リアリズム」に対して形而上学的な言葉による対話を田中は意識的に持ちこんだ。そのさい、抽象的な台詞は生活的リアリズムに慣れた俳優ではどうにも太刀打ちできないのだ。彼は晩年に「無調演劇」というものを提唱するが、これは後続の若手劇作家の分析を通じて提示したものである。例えば別役実の『そよそよ族の反乱』を評価して、近代演劇を乗り超える方法を探っている。非-劇的で無調な、つまりメロディのない音楽のような演劇。これは後にアングラの文体に真っすぐつながるだろう。『劇的文体論序説』では別役をはじめ、唐十郎、つかこうへい、野田秀樹らを俎上にあげ、彼の研究は展開、深化された。(おそらくこの仕事を後続世代で引き継いでいるのは、別役実だろう。)

 本書で示唆的なのは、演劇史についての考察だ。とりわけ「新劇」から60年代以降のアングラ・小劇場へ架橋する田中の役割、その先駆性についてである。

 岸田の死後、田中は近代劇的空間から脱出を試みる。それは前衛の試みに通じている。この年(54年)彼は俳優座員になるが、岸田の死と入れ替わるように四季や仲間、新人会、青年座など俳優座系のスタジオ劇団が続々と誕生した。一種の新劇ブームが起こった のである。ここに演劇史の一つの切断、新生面があったことは疑いない。新人会は渡辺美佐子、楠侑子、小山田宗徳らが揃った、新劇界ではやや異色の劇団だったが、この劇団のために書いた『マリアの首』が斬新なものであったのは決して偶然ではなかったろう。俳優座に書くより、よほど大胆で自由な作品となっていたからである。ここに旧新劇に対する切断の端緒があったことが認めらる。もう一つの切断は63年前後の小劇場運動の夜明けにあった。明治大学出身も唐十郎が状況劇場を、早稲田大学では鈴木忠志らが「新劇団自由舞台」を結成し、「ぶどうの会」を退団した竹内敏晴らが「変身」を結成したのもほぼ同時期である。いずれも肉体や身体を重視し、新しい戯曲文体の創造や「言葉」を探り出した。これらは新劇と袂を別った地点から開始された演劇運動だった。田中はおそらくこの運動に距離を置きながらもシンパシーを抱いていたに違いない。それが後に『劇的文体論序説』につながっていったのではないか。考えてみれば、戦前の第二次新劇協会以降、岸田をはじめ作者が演出家を兼ねることが多くなり、田中自身も演技を改造しなければ、自分の作品を上演できないことを知っていたのだ。劇作家が演出家になっていくアングラ・小劇場のスタイルはすでにこの時兆しており、アングラはそれを本格的に実現したのである。ただし唐十郎のように役者が台本を書くのだという発想と、小集団によって演劇創造が分業制でなく実践されるという理念は新劇が持ち得なかったものだろう。新劇および「演劇史」をどう捉え直すか。歴史の絶え間ない切断と連続を考えさせるのが本書の妙味と言えよう。

 最後に、以前刊行された田中千禾夫全集はほぼ品切れになり、ほとんど入手不可能な状態になっている。この不幸な状況をどうか打開して欲しいという提案が別役氏から出たことを付け加えておこう。

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