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2005年08月18日

井上ひさしコレクション『ことばの巻』(岩波書店刊)

07_kotoba [劇評家の作業日誌](7)

 7月下旬から8月初旬にかけて、フランスへ演劇の旅に出た。世界的なフェスティバルであるアヴィニョン演劇祭に行くのが目的だった。

 アヴィニョンといえば、1309年、法王がローマから居住を移し、一時期教皇権を置いた地として知られる。この演劇祭は現存する法王庁など歴史建造物や教会、今は使われなくなった映画館などを利用して、3週間にわたって開催される。街自体が中世のかおりたたえる世界遺産になっており、観光の名所だけあって、滞在するだけでその魅力を満喫することができる。もともとバカンスがてらに野外劇を上演しようという趣旨で企画されたフェスティバルだが、すでに半世紀以上もの歴史を刻み、世界最大規模のフェスティバルに成長した。

 この南仏の地でどんな本を読んだらいいのか、わたしは頭を悩ませた。旅先で読む本の選択はいつも難しいが、今回は中世の時間が今なお流れている歴史遺産の町アヴィニョンだ。そこで日本だとなかなか読み切れないと思うものをわざわざ選ぶことにした。選んだのは400頁を超える大部の3冊だった。当代きっての「戯作者」井上ひさしの「コレクション」なら肩が凝らずに済むと思ったからだ。昼間はホテルや気持ちのいいオープンカフェで勝手気ままに頁を捲り、夜から深夜にかけては劇場に繰り出して芝居を見る。夏のシーズンは夜遅くまで空は明るいから、22時開演などざらだ。こういう生活は日本の浮き世を忘れさせてくれて、わたしのような者には「理想的」な時間だ。

 前置きが長くなった。今回とりあげるのは最初の一巻『ことばの巻』である。なぜこの巻かといえば、ここに収められているのは「ことば/本/演劇」であり、井上ひさしの本領はやはりこの巻にあると思われるからだ。

 わたしはこれを順序を逆にして読んだ。つまり「演劇」「本」「ことば」の章を遡って読んだのだ。これはわたしの関心の序列である。また一種のアンソロジーであるから、著者の長年の関心を一挙に読めることで、これがなかなか興味深かった。現在の井上ひさしと言えば、「日本ペンクラブ会長」や劇作家協会の初代会長を務めるといったように、とかく「国民的作家」の称号を冠せられる「偉い人」と思われかちだ。しかしこの人の苦労の仕方は並大抵でない。例えば幼い頃、父を亡くした廂(ひさし=本名)少年は、「この本の山を父さんと思いなさい」と咄嗟に言った母の言葉を信じて、生涯本のなかに「父の言葉」を読み続けたのである。蔵書の凄さはついに自分の記念館「遅筆堂文庫」を故郷に創ってしまったほどだ。博覧強記、無類の調べ魔、こうした伝説は今さら言うまでもなかろう。しかもこうしたエピソードを語る(=書く)井上氏は、さらりとユーモアにまぶして言ってのけるものだからとんと嫌味がない。これは明らかに「芸」のなせる業だろう。

 井上ひさしの出発点は浅草のストリップ小屋である。ここで彼はコント作家として修業し、多くの芸人を見てきた。昭和30年前後の浅草六区の賑わいは大したもので、エノケン(榎本健一)、ロッパ(古川緑破)をはじめ、伴淳三郎、由利徹、渥美清、長門勇、谷乾一、佐山俊二といった芸人たちがひしめきあい、菊田一夫や菊谷栄といったレビュー作者がその背後にいた。さらに圧巻なのは、この人が認めればその芸人は必ず出世するという伝説の大道具の主任など、手練れの職人気質の裏方が控えていたのだ。「軽演劇の時間」と題するエッセイは珠玉のような文章で、菊谷栄という不世出のレビュー作家の台本づくりの骨法を追跡していくあたりは実に読み応えがある。とくに観客に言及した箇所−− 「日常では『生きている』という実感もなく瑣事に追い立てられている観客」に「生きている」感覚を甦らせ、手応えを実感させる浅草の芸人たちの描写は筆が冴える。

 「観客の見たがっている時間というのは、現実世界の物理的時間のなぞりとしての時間ではないので、物理的時間に楯突く時間、それをこそ期待してやってくるのだ。時間の暴虐に抗する数時間の砦たること。これが浅草の小屋に要求されていたのだろうと思う。」(415頁)  井上ひさしにとって、芝居という娯楽の真髄がこの浅草の地で培われたことは間違いない。彼はその後、NHKで台本作家になり、同時にテアトル・エコーという声優が主体の喜劇の小劇団で戯曲を書き始めた。そうして次々と傑作喜劇を書き、押しも押されぬ「現代の戯作者」になったのだが、その頃の言葉の遊戯、破壊的なまでの言語実験は凄まじいものがあった。シェイクスピアの言葉を作者顔負けの地口や駄洒落、「意味よりも音」を重視する姿勢など、井上の面目躍如たるものがあったとわたしは思う。

 だがある時期から、「(ぼくは)語呂合わせを多用しようとしないようになってしまった。ふざけることがすくなった。…数年前までは、『すべてを笑い飛ばしたい』だの、 『まず、おもしろい作品であること。これがぼくの、自分の課している唯一の課題です』だのと、威勢のいいことを言っていたくせに、これまたなんという変わりようだろうか、と、反省しないでもない。」(167頁)と言う。この文が書かれたのは1977年であるが、実はここが劇作家、戯作者井上ひさしにとって重要な転回点となったのではないだろうか。

 「わたしはいわゆる『新劇』の出で、……今でもなお『自分の芝居は新劇の中の一つなのだ』と信じてやっております」(372頁、1994年)と言い訳めいて書いているが、これなどもどこか自分の原点を失念しているように思われる。

 井上の初期の戯曲本にはよく「抱腹絶倒」という惹句が帯に躍っていた。ノンセンスの極み、意味などどこにもないアナーキーな精神で彼の喜劇は生み出されてきた。ほとんど綱渡りのような創作の日々である。だが人間は果たしてどこまで無意味に耐えられるか。「軽薄な言葉遊び」というレッテル貼りからいつまでかわし切れるか。井上のなかに浅草のストリップで鍛えられた芸能精神から、いつのまにか上昇して「文化人」に成り上がっているもう一人の自分がいたのではないのか。国民的作家となり、新国立劇場で日本の 「国民演劇」を担う劇作家となってしまった井上ひさしには、かつての「戯作者」の面影はない。「こまつ座」を結成し(84年)、昭和庶民伝を書き始めた頃から、妙に説教臭く、笑いも説明的で教養めいてきたのがわたしには気になった。テアトル・エコーから離れていく過程と彼の劇から過激な笑いが失われていくのは同じ歩みではないか。井上ひさしが劇作家という枠に収まりきらず、小説を書き、エッセイストとしても声望を獲得するにつれ、無名性に依拠した軽演劇の作者はどこに行ったのだろうか。 

 「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことをあくまでゆかいに……」(344〜5頁)     

 わたしは今でも、彼の演劇に向かう姿勢は以上のような一説にこめられていると思う。

この秋、初期の傑作中の傑作『天保十二年のシェイクスピア』が31年ぶりに豪華キャストで上演される。演出家はこれまた当代切っての巨匠蜷川幸雄。この二人の巨人が、権威や名声をいかに笑い飛ばしてくれるか。今から楽しみである。

 本稿では扱わなかったが、他の二巻は「人間の巻−−ひと/ウソ/愛」「日本の巻−−時代/戦争/コメ」であることを付しておく。