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2007年02月03日

『孤高のピアニスト梶原完』久保田慶一(ショパン)

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「日本初のヴィルトゥオーゾ」

現在では、世界で活躍する東洋人の音楽家は珍しくない。もはや世界は東洋人の活躍なしに存在しない。1950年代に渡欧し、ただちにヨーロッパ各地で本格的な演奏活動ができた日本人は珍しい。本書は、昭和初期から戦後の日本、また留学したヨーロッパの戦後に生きた一人の音楽家の人生を書いたものである。

1924年、上海に生まれた梶原完(ひろし)は「戦後派ピアニスト」であり、日本が生んだ初めての「国際的ピアニスト」であった。1946年のデビューから1954年のウィーン留学まで、梶原は日本で16回のリサイタルを開いた。

「戦後派ピアニスト」には、田村弘、園田高弘、草間(安川)加壽子、井口基成がおり、彼らは演奏家また教育者として日本の音楽界を世界的レベルにまで引き上げてきた貴重な音楽家たちである。

リサイタルで梶原は意欲的なプログラムを取り上げた。この勇気は、世界に通用する才能を磨き上げるために大きな助けとなったであろう。独奏曲では、ベートーヴェン・ソナタ第32番ハ短調、シューマン「幻想曲」、リスト・ソナタロ短調、ストラヴィンスキー「ぺトルーシュカ」、グラナドス、トゥリーナの作品、また協奏曲ではリスト、シューマン、ブラームス第2番、チャイコフスキー、プロコフィエフ第3番、ラフマニノフ第3番などの大曲である。これらは演奏家のレベルが高くなった現在でも難曲として知られている作品である。

楽譜が少なかった当時は、皆、自筆で楽譜を五線紙に写して練習に励んだそうである。梶原も同じようにして音楽を学んだ。本書に梶原が写したリストの「ダンテ・ソナタ」が載っている。最後の8ページを夜の9時50分から翌日の午前4時40分まで、実に7時間近くかかって写している。ヘンレ版によるとこの作品は32ページ、単純計算すると28時間。昼間に練習をして夜に写譜をするとして、4~5日はかかる仕事である。この書に載っている梶原の写譜は、誠に丁寧で綺麗である。梶原の作品に対する尊敬の念と、音楽に対する真摯な態度が伺える譜面である。

梶原は、どのようにしてリストのソナタ、ストラヴィンスキーのぺトルーシュカ、ラフマニノフ協奏曲第3番などの超難曲を仕上げていったのであろう。何の情報もなしにテンポの設定から解釈、曲想の構成までを仕上げるのは、並大抵の努力で出来るものではない。本人の読譜力、理解力、またテクニックの工夫も必要である。このような曲を演奏できたことが「凄い!」の一言につきる。梶原は、相当のエネルギーと強い実行力を持った人間なのであろう。

梶原の録音が手に入らないために、実際の技量を確かめることは出来ない。しかし、ここに載っている数々の批評を読むと、梶原の演奏はスケールが大きく、彼が日本初のヴィルトュオーゾだったことが分かる。

彼の演奏は批評家たちの刺激となり、野村光一、山根銀二、園部三郎、寺西春夫、属啓成、大木正興など著名な批評家たちが真剣に意見を交わしている。日本のクラシック界が開闢した時代に、彼らが交わした論争は興味深い。

技術が先行する演奏は、音楽性の不足を指摘される。ハイフェッツ、ホロヴィッツ、シュタルケルなどが、その犠牲になった典型である。音楽を心で聴くということは個人的なことで、それを文体で表現するのは難しい。

自らの感情を押さえて一音一音を大切に弾く、このような演奏を批評家は、作曲家の意図を考慮した内面性の高い演奏、と評価する。一方、梶原のように、テンポが速く「高度のテクニック」を駆使して弾く演奏は、内容の薄い演奏とされてしまうのである。

批評家のなかには、テクニックとメカニックを混同している人がいたのではないだろうか。この書にも、「技巧は表現の下に隠されてこそ生命を与えられる」という批評が読める。私の思う本来のテクニックとは指を速く動かすだけのものではない。それは、音楽を表すために必要なあらゆるツールを意味するのである。美しい音で演奏しようとするならば、汚い音を聞き分けられる聴感覚と、美しい音を出し得るテクニックが必要である。また、静かでゆっくりとした旋律では、細微に亘って音をコントロールできるテクニックが必要なのである。音楽を高めようと努めれば、高度なテクニックを必要とし、テクニックがないと内容のある演奏は出来ないのである。「メカニックはあるが音楽性は薄い」と言うことはあっても、「テクニックはあるが音楽性は薄い」ということは私の考えではあり得ない。

「批評の理論ばかり上手になっても、実際にその演奏の音楽の持つ良さや音の良さの判断は人間の神経なのだから、神経のない様な人に批評されるのは大変困ることだ。」音楽芸術に寄せた梶原の文章である。

彼の演奏は日本の聴衆にとって新鮮かつ刺激的だったであろう。日比谷公会堂で開かれたデビューリサイタルは超満員、その後のリサイタルでも多くの聴衆が彼の演奏を聴いた。たちまち梶原は日本で最もポピュラーなピアニストの一人となるのである。しかし、彼は日本での成功に満足することなくヨーロッパに活動の起点を移した。その後、4年間で40回近くの演奏会をこなし、事実上の国際的なピアニストとなるのである。その後もヨーロッパで演奏活動を続け、日本に戻ることなく1989年に生涯を寂しく閉じた。

「偉大な未完成者」、「日本のルービンシュタイン」、「孤高のピアニスト」、日本では「故国を捨てたピアニスト」とも呼ばれた梶原であったが、彼は決して故国を捨てたわけではない。世界に通用しなくなってから帰国する自分を許さなかったのだ。彼が日本に帰り教育活動に入らなかったことを、私は残念に思う。

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2006年03月24日

『オーケストラ楽器別人間学』茂木大輔(新潮文庫)

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「楽器に潜む人間性」

我々の使う楽器には、それぞれの異なる性格が潜んでいる。その楽器と長く共に生きていれば、不思議と演奏家の性格は楽器の持つ性格に似てくる。
ピアノはメロディーと伴奏が同時に弾けるだけではなく、これさえあれば弦楽四重奏曲もオーケストラ曲も弾けるという便利な楽器である。その反面、室内楽を弾くときを除いて、他の楽器との合奏を必要としないために孤独な楽器でもある。

ピアニストは幼少の頃から一人でこつこつと練習する。私の経験から話すと、学校での課外授業などは持ってのほか、終業のベルが鳴ると同時に教科書をカバンにしまい、野球やサッカーをしている友達を遠くに見ながら校門を出る。外で遊びたくても遊べないし、親の目を盗んで家から忍び出る勇気も無い。このような毎日を過ごしていくと、色白で孤独を好む僻みっぽい人間になるのである。この書評ページに登場している今井顕氏は、ピアニストの中でも例外中の例外と言ってよい。

男子に比べて女子の場合、ピアノが弾けるというだけで学校では羨望の的となる。(男の場合、学校ではピアノを弾くことを内緒にしている。)家に帰って母親の手伝いでも始めようなら、「そんなことをするなら、ピアノの練習をしなさい。」と言われ練習に励む。食事時などは、やれ茶碗を持っては手の形が変わる、やれ箸を持っては腱鞘炎になる、熱いものを持っては指が動かせなくなる、食器を洗おうと席を立とうものなら家中が蜂の巣をつついたように大騒ぎ。まるでお姫様のように育てられるのである。ゆえに彼女たちは「世界は私を中心に周っているのね。」と勘違いしながら育っていく・・・と言うのが一般的である・・・一般的であるらしい・・・いや、一般的らしいかもしれない。

ヴァイオリンは必ず高い音域を受け持っている。オーケストラでも聴衆に聴かれやすいパートを演奏している。つまり、常に目立つ立場にいる楽器である。従ってヴァイオリニストにシャイな人は少ない。であるが高音域になると細かい音程を正確に弾くのは難しく、その理由からか、なかには人一倍、神経質で気難しいヴァイオリニストもいる。ヴァイオリンの下にはヴィオラがあり、この高低の差は身分の差、または給料の差にまで反映してくる。例外もあるだろうが、ヴィオリストには性格のおっとりした人が多い。ヴィオラよりもさらに低い音域を受け持つチェリストは、出す音から想像できるように、太っ腹な性格であり理解力がある人が多い。ここにも勿論、例外はいるが、チェロの持つ性格からかチェリストには人から嫌われる人間はいないと言ってよい。

女子がフルートやハープを弾くときは誰でも美人に見える。華麗なドレスを着て演奏するときなどは、舞台一面に高貴な色気が漂う。フルーティストとハーピストが同時に登場すると、あたかも女神が降りてきたように美しく、演奏はそっちのけで容姿にうっとりとしてしまう。この美しさに魅され、演奏後に楽屋に行ってがっかりすることも多いので要注意。
同じ女子でもトランペット奏者や打楽器奏者にドレスは似合わない。打楽器は容姿よりも体力が必要とされるために、ドレスを着ての演奏は無理である。裾の広がった白いドレスを着て、額に汗して大太鼓を叩いている姿は似合わない。トランペト奏者もドレスを着て演奏しているのを見たことが無い。なぜか彼女たちには黒いパンタロンが似合うのである。彼女たちは日常生活でもスカートを穿く機会は少ないのであろう。

楽器の持つ性格が演奏者に反映して演奏家の性格を変えていくのか、あるいは、もともと楽器に似た性格を持つ人間が自分に似た性格の楽器を選ぶのかは分からない。このような楽器別に存在する人間性を面白おかしく書いた本が「オーケストラ楽器別人間学」である。この書によると、ヴァイオリニストの場合、男子は都会派のエリート、家は高級マンションで車は当然ベンツのクーペ。女子はまじめ少女の順調路線、趣味はショッピング、車はナシ。ヴィオリストは素直な性格で、家は都会から40分ぐらいの川のそばにある一戸建て、車は国産の4ドアセダン、とある。なんとなく当たっている演奏家がいるから面白い。

さて、著者の茂木大輔氏はプロの音楽家である。音楽家と言ってもただの音楽家ではない。そのラ音で全楽器の音程を揃えなくてはオーケストラの合奏が始まらない重要な楽器、オーボエを奏している。彼は日本の音楽大学を卒業後、ミュンヘンに留学、シュトゥットガルト・フィルハーモニーの第一オーボエ奏者となる。帰国後は、視聴料を取ることで有名な放送局と同じ名前の某オーケストラ(アルファベットで3文字)、彼はそこの首席オーボエ奏者である。
クラシック音楽家の中にも、茂木氏のようにユーモアのある人間がいるのである。貴重な本かもしれない。



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2005年11月16日

『田中希代子』萩谷由喜子(ショパン)

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「ピアニストの星」


現在の若いピアニストは幸運である。アジア全体の音楽レヴェルが欧米で認められ、どこの音楽院、音楽大学でも東洋からの生徒は歓迎される。アジアからの生徒を持つことは、その国での知名度に繋がる。良い教えをすればその国からの生徒が増えてくる。上手く行けば、いずれはアジアの大学から招待され、マスタークラスを開く光栄が待っている。特に、経済的に恵れない国の教師たちは海外での講義を切望する。アジアから欧米に留学する生徒は未だに多い。わが大学でも、日本、韓国、台湾、中国、インドネシアからの生徒が多い。大学のレヴェルとアジアからの生徒数とは密接な関係にあるのである。

最近ではアジア人の国際コンクール入賞が多い。そもそもアジアから優秀な若手が流出されているわけであるから、確率が高いのは当然であろう。日本人の演奏が欧米で認められるようになった前には、日本製の車、電化製品、食文化が欧米人の日常生活に定着した時期があった。それは大まかに考えて1970年後半であろう。70年代前半は、まだ我々の音楽を認めることに躊躇があったように感じる。国際コンクールで最終予選に残っても、実力はあるのに1位になる幸運を与えられた日本人は稀であった。

1952年、ジュネーヴ・コンクールで1位なしの2位を受賞し、翌年の2月にパリでデビューリサイタルを開いた田中希代子は、まさに日本のピアノ界に新風を巻き起こしたピアニストだった。36歳で膠原病にかかり演奏活動から遠ざかるが、多くの生徒たちを教え1996年に亡くなった。現在、彼女の演奏が聞けるのは、「田中希代子のレコードを作る会」の努力のおかげである。

彼女のCDを聞いた第一印象は、素晴らしく透き通ったピアノの音色である。ピアニストにとって音は自分の声である。美しい音は教えられて作られるものではない。それは、本人の音色に対する感性と想像力、さらに無理の無い演奏法なども加わり、それらが程よいバランスで行われる。さらに自分の音を聴く能力も欠かすことが出来ない。私は多数のコンクールを審査しているが、初めて聞く100人ものピアニストのどこに惹かれるのかと問われれば、その人の持つ美しい音色だと答える。汚い音で素晴らしい演奏をしても、私の耳には入るが心までは届かないのである。

田中希代子の家は、妻の実家から歩いて2分もかからない所にあった。私の妻もピアニストでインディアナ大学で教えており、家が近いこともあって二人で彼女を訪ねる機会があった。田中希代子は優しい声を持ち、気品が高くウィットにインテリジェンスが見える、私にとってこの出会いを忘れることは出来ない。

この本の魅力は、ここで田中希代子に再び会える喜びもあるが、彼女がデビューする前の日本人ピアニストたちにも遭遇できることである。読んでいるとあたかもそこにいるかのような気持ちにさせてくれる著者の筆力と、物語の軽快な運びも魅力である。

この本には、日本の音楽教育に多大な貢献をした井口基成、安川加寿子他だけではなく、井口基成の師であった高折宮次、ベートーヴェンのピアノソナタで最も難曲と言われている「ハンマークラヴィーア」を大正時代に演奏した久野久などが登場する。手軽にCDなどが聞けなかった時代、この人たちはどのようにベートーヴェンを解釈したのであろう。このような古い資料を集めることはさぞかし大変だったであろうと思う。著者の努力に頭が下がる。



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