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2005年11月16日

『田中希代子』萩谷由喜子(ショパン)

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「ピアニストの星」


現在の若いピアニストは幸運である。アジア全体の音楽レヴェルが欧米で認められ、どこの音楽院、音楽大学でも東洋からの生徒は歓迎される。アジアからの生徒を持つことは、その国での知名度に繋がる。良い教えをすればその国からの生徒が増えてくる。上手く行けば、いずれはアジアの大学から招待され、マスタークラスを開く光栄が待っている。特に、経済的に恵れない国の教師たちは海外での講義を切望する。アジアから欧米に留学する生徒は未だに多い。わが大学でも、日本、韓国、台湾、中国、インドネシアからの生徒が多い。大学のレヴェルとアジアからの生徒数とは密接な関係にあるのである。

最近ではアジア人の国際コンクール入賞が多い。そもそもアジアから優秀な若手が流出されているわけであるから、確率が高いのは当然であろう。日本人の演奏が欧米で認められるようになった前には、日本製の車、電化製品、食文化が欧米人の日常生活に定着した時期があった。それは大まかに考えて1970年後半であろう。70年代前半は、まだ我々の音楽を認めることに躊躇があったように感じる。国際コンクールで最終予選に残っても、実力はあるのに1位になる幸運を与えられた日本人は稀であった。

1952年、ジュネーヴ・コンクールで1位なしの2位を受賞し、翌年の2月にパリでデビューリサイタルを開いた田中希代子は、まさに日本のピアノ界に新風を巻き起こしたピアニストだった。36歳で膠原病にかかり演奏活動から遠ざかるが、多くの生徒たちを教え1996年に亡くなった。現在、彼女の演奏が聞けるのは、「田中希代子のレコードを作る会」の努力のおかげである。

彼女のCDを聞いた第一印象は、素晴らしく透き通ったピアノの音色である。ピアニストにとって音は自分の声である。美しい音は教えられて作られるものではない。それは、本人の音色に対する感性と想像力、さらに無理の無い演奏法なども加わり、それらが程よいバランスで行われる。さらに自分の音を聴く能力も欠かすことが出来ない。私は多数のコンクールを審査しているが、初めて聞く100人ものピアニストのどこに惹かれるのかと問われれば、その人の持つ美しい音色だと答える。汚い音で素晴らしい演奏をしても、私の耳には入るが心までは届かないのである。

田中希代子の家は、妻の実家から歩いて2分もかからない所にあった。私の妻もピアニストでインディアナ大学で教えており、家が近いこともあって二人で彼女を訪ねる機会があった。田中希代子は優しい声を持ち、気品が高くウィットにインテリジェンスが見える、私にとってこの出会いを忘れることは出来ない。

この本の魅力は、ここで田中希代子に再び会える喜びもあるが、彼女がデビューする前の日本人ピアニストたちにも遭遇できることである。読んでいるとあたかもそこにいるかのような気持ちにさせてくれる著者の筆力と、物語の軽快な運びも魅力である。

この本には、日本の音楽教育に多大な貢献をした井口基成、安川加寿子他だけではなく、井口基成の師であった高折宮次、ベートーヴェンのピアノソナタで最も難曲と言われている「ハンマークラヴィーア」を大正時代に演奏した久野久などが登場する。手軽にCDなどが聞けなかった時代、この人たちはどのようにベートーヴェンを解釈したのであろう。このような古い資料を集めることはさぞかし大変だったであろうと思う。著者の努力に頭が下がる。



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2005年11月13日

『ことばの由来』堀井令以知(岩波新書)

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「どっこいしょとは何?」

私のアメリカ生活は35年になろうとしている。英語中心の生活に慣れたとは言え、ときには単語の意味は判っても、何を意味するのかが判らないイディオム(慣用語句)に出会うことはある。例えば、「Tongue in cheek」、これは「冗談を言う、ふざけた」と言う意味である。直訳すれば「舌をほっぺたに入れる」となり、日本語では全く意味をなさない。「It’s kind of a tongue in cheek thing, but・・」などと聞いたとき、私は直ちに日本語の「眉に唾をつける」を思った。「眉に唾・・」は「だまされない」という意味であるから、英語も日本語も同じだろうと、そのまま「本気にしない話」なのであろうと勝手に理解したのである。勿論、ふざけた話などは信用しないわけで、会話にはこのように本来の意味が判らなくても漠然と成り立ってしまうこともあるから面白い。

アイスホッケーなどで使われる「Hat trick」は、一試合で3ゴールを得点した選手を表す言葉である。さぞかし語源は奇術用語で、テーブルの上に置かれた帽子からハト、ウサギ、最後に華々しく万国旗と3種類を出して「パンパカパ~ン!おめでとうございま~す!」・・。まあ、これでも意味は通じるから、いまさら辞書をめくる必要はないのだが、どうやら起源は英国の球技クリケットにあるらしい。

野球用語で左ピッチャーのことを「サウスポー」と言う。「Southpaw」と書き、直訳は「南にある手」である。日常生活で「Paw」を人の手として使うことはない。レッスン中に弟子の手を指して「Your left paw doesn’t move well.」などと言ったら、ハラスメントの罠にかかり訴えられるのは間違いない。愛犬に「お手!」と言うときに「Give me your paw!」、または「Shake hand!」である。

「南にある手」とは左投手がマウンドでバッターと向かうとき、手の甲が南を向くからである。これは映画「ロッキー」でシルヴェスター・スタローンも言っていたから本当であろう。つまりこの言葉が出来た19世紀後半、アメリカにはセンターを東、ホームベースを西に向けて作られた球場が多かったのであろう。

因みに、現在、この伝統に従って作られている球場はNYのヤンキー・スタジアム、とサンフランシスコ・ジャイアンツのSBCスタジアムである。今年優勝したシカゴ・ホワイトソックスのセルラー・フィールドのホームベースは北西を指し、逆に呪いの掛けられているシカゴ・カブスのリグリー・フィールドでは南西を向いている。同じくICHIROのプレイするマリナーズのセーフコ・フィールドやドジャーズ・スタジアムなども南西を指している。クリーヴランド、フィラデルフィアのように真南を向いている例外もあるが、大体の球場が西方向を指しているので、どこでプレイしても左投手は「South paw」になると言って差し支えない。

さて、「どっこいしょ、」と言いながら腰を下ろしたりすると、若い生徒たちは歳をとった証拠だと笑う。そんな言葉を聞いて、おいそれと作り笑いで返しても空しさが残る。別にべそをかくことでもないが、地団太踏んで悔しがることでもない。歳をとっているのは事実だが、そんな私に歳を取っていると言うのは、よけいなお節介。ここで説教などをしたら、ぐるになった生徒たちからごたごたとけしかけられ、てんやわんやの騒ぎになろう。面を食らって二の句も継げられず、取り付く島もない私は、けんもほろろにその場を静かに去る。この悲しい話は、「ことばの由来」に載っている語句を、私がむやみやたらに並べて作ったものである。

この本には、「どっこいしょ」「おいそれ」「べそをかく」「地団太を踏む」「ぐるになる」などのことばの由来、本来の意味が書かれている。冒頭に著者も書いているが、「つり革にぶら下がってでも気楽に読めることばの本」である。ただし、両手でぶら下がっては読みにくい本である。私は、この本を読んでいて、「矢が当たってカ~ン・・・」と下げる落語の「やかん」を思い出した。

言葉には時代の象徴として流行語になるが、そのなかで残る言葉もあれば時代の流れと共に忘れられていく言葉もある。人は新しい言葉を求め、若い世代はその世代感覚に会った言葉と共に生きていく。しかし、この本に載っている言葉のように、長い間、日本文化を引きずってきた言葉もある。私は、この皺深い言葉を大切にして生きて行きたい。そのような感情が沸いてくる本だと思った。


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2005年11月07日

『名前の漢字学』阿辻哲次(青春新書)

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「日本人の名前の由来をひも解く」

私は仕事上、外国との行き来が多い。住んでいるのがアメリカだから正確には、「日本との行き来が多い」と書くべきである。飛行時間は14時間ほどだが、乗り換えがうまく行かないときには18時間近くかかる。機内に持ち込んだ本も、このくらい時間をかければ大体の本なら片道で読めてしまう。・・・などと書くと格好よいのだが、本当は機内の映画に気を盗られて本を置いてしまう。しかし、今回は映画にめげずにこの本を面白く読んだ。
漢字のもとである象形文字や甲骨文字は、今流に言えばアイコンである。このようなものは現在、携帯メールで使う顔文字ともなっている。漢字は我々の日常生活に欠かせないものであり、東洋の文化だと私は思っている。ハードカヴァーの洋書がカバンに入らないほど分厚く、日本の本が手ごろに薄いのも漢字のお陰だ。もし戦争直後のGHQが薦めたように日本語のローマ字化が実行されていたら、さぞかし日本の本も分厚くなっていたことであろう。漢字のお陰で、日本人の記憶力は発達し、想像力も豊かになる。「色即是空」、「喜怒哀楽」などの四文字熟語は、多くの文字を使って説明しなくてはならないことも漢字を使って短くすることが出来る。「色即是空」などには40文字以上の説明が省略されているのである。因みに「喜怒哀楽」は携帯メールで、(^.^)/ (><)! (~.~;) (^_^) 、となるのであろうか・・・。

今回、私が読んだ本は、子供に付ける名前を探すための本ではない。
終戦直後、教育改革の一環として定められた当用漢字の紹介から始まり、1981年に制定された常用漢字への歴史が書かれている本である。同時に、人名漢字を通して時代のうつりかわりが楽しめる本であり、漢字への関心を誘ってくれる。

昔流の複雑な漢字を現代流に書き易く直したために、本来の意味を奪われてしまった漢字があると知るのも興味ぶかい。例えば、「藝術」を現在では「芸術」と書くが、「芸」は「うん」とも読み、奈良時代には書物の虫避けに効果のあった香り草であったことも知ることができる。「文藝春秋」「日本文藝家協会」がいまだに「藝」と使っているのは、本当の意味を認識した上でのことであると言う。

子供に付ける名前は人名用漢字を使うが、これらは文部科学省と文化庁から常用漢字として認められていなくてはならない。しかし、常用漢字に含まれている漢字には人名に使われないであろう漢字がある。「糞」「屍」「淫」などがそれである。これらを人名用漢字から除くべきとする審議員たちと、除く必要はないとする行政側とのやり取りも面白く読んだ。人名の読み方に規制は無い。ということは、「糞」を「かおる」と読ませても・・・と刺激してくれる本でもあった。


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