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2017年05月07日

『僕は奇跡なんかじゃなかった ヘルベルト・フォン・カラヤン その伝説と実像』カール・レーブル(音楽之友社)

僕は奇跡なんかじゃなかった ヘルベルト・フォン・カラヤン その伝説と実像 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「カラヤンの孤独」

 好き嫌いは別として、クラシック音楽のファンでカラヤンの指揮する曲を聴いたことがないひとはほとんどいないだろう。もっとも、現代の人気指揮者ドゥダメルの影響でクラシック音楽を聴き始めた若い人もいるかもしれないが、カラヤンほど名の通った指揮者はそういるものではない。
 巷にはカラヤン本は多いが、ほとんどは親カラヤンか、反カラヤンのどちらかの立場で書かれている。その分類でいえば、本書(カール・レーブル『僕は奇跡なんかじゃなかった ヘルベルト・フォン・カラヤン――その伝説と実像』関根裕子訳、音楽之友社、2017年)は前者に属するといえるが、決してカラヤン礼賛にばかり傾いているのではない。むしろ比較的近いところにいなければわからなかったことを書いてくれたのは貴重だと考えたほうがよい。

 カラヤンは、頭角を現し始めた頃、フルトヴェングラーに嫉妬されベルリン・フィルから干されたと書いてある本は多いし、事実そうだったかもしれない。初期にはトスカニーニ流のザッハリヒな(新即物主義的)演奏を好んでいたともよく言われていたので、カラヤンはフルトヴェングラーの対極に位置すると思われがちだった。だが、カラヤンを長く聴いた人なら、彼の演奏スタイルが時間とともに微妙に変化していったのに気づくに違いない。本書の著者も、本人の口からそれを言わせたかったのだろう。ようやく1988年に本人から次のような言葉を引きだすのに成功した。

 「僕はフルトヴェングラーのロマンティックなファンタジーと、トスカニーニの完璧さを結びつけたかった。この二人は一見両極端だけど、そこから僕は何かを生み出したかったのさ。」(本書55ページ)

 具体的にどの曲の演奏を指すのか何も触れられていないが、それを想像するのもファンの楽しみのひとつだろう。

 カラヤンほど高名な指揮者になると、ちょっとした欠点でも大袈裟に語られやすい。本書にも、彼と作品の解釈その他で対立したオペラ歌手が数名出てくる(ビルギット・ニルソンやルネ・コロなど)。とくに後者は解釈のことでカラヤンと「議論」がしたかったのだと言っていたらしい。現代ならたぶん指揮者と歌手の間でそのような関係も成り立つのだろうが、カラヤンの時代は、「解釈」について全責任を負うのは指揮者以外にはいないと思われていたのではないだろうか。少なくともカラヤンはそう考えていたから、「上意下達」のような形式になったわけだ。別に珍しい現象ではない。
 半面、カラヤンの功績のほうは、数行でスルーされやすい。だが、ウィーンでのオペラ上演を原語でおこなうように徹底したこと(これはいまでは「世界標準」となっている)、もともとコンサートのためのオーケストラだったベルリン・フィルを起用してオペラの上演もできるようにしたこと、等々は、カラヤンがリーダーシップをとらなければできなかったか、もっと遅れていただろう。

 カラヤンは何でも暗譜で、しかも目を瞑って指揮したので、よく「カッコつけすぎ」だと揶揄されたが、彼がいうには、「大きな長所があるからだ。作品の精神に触れるためには作品に集中して取り組まなければならない。暗譜による指揮というのは記憶力によるものではない。あれこれ考えず、もっとも内奥にある何かを再現するということだ」と(本書148ページ)。

 かつてはクラシック音楽界の「帝王」と呼ばれたカラヤンも、歳とともに肉体は衰え、手術した回数も数知れない状態だったが、その上、ザビーネ・マイヤー事件その他いろいろな原因が重なって、最晩年は長年率いたベルリン・フィルとも決裂した。内心は寂しかったのではないか。カラヤンの運転手をつとめた人はいう。「彼が驕慢に見えたのは、メディアの前だけです。プライベートでは、全く違う人間でした」と(本書162ページ)。また、執事をつとめたイタリア人はいう。「彼には二つの人格があったのです――偉大な音楽家としての人格と、その背後にいる一人の人間としての人格です」と(本書163ページ)。
 真相はじかに彼に触れたひとでなければおそらくわからないだろう。だが、著者が、「実際のカラヤンはシンプルな人間に見えた」というのは、当たっているのではないか(本書164ページ)。死後の埋葬も近親者のみのシンプルなものだった。

 「最後の安息の地は、生前の彼からは想像もできないほどつつましいものとなった。」(本書177ページ)

 「帝王」というのは、いつの時代にも孤独なものだ。
 


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