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2017年04月17日

『コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実』小宮正安(講談社)

コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「天才のよき伴侶か、それとも悪妻か?」

 天才モーツァルトの妻コンスタンツェが「悪妻」だったという伝説は昔からある。いまでも、書店でモーツァルトの伝記や評伝の類を拾い読みすると、そのように記述している本をすぐに見つけることができるだろう。あるいは、「悪妻」とまでは言わずとも、夫が数世紀にひとり出るか出ないかわからないほどの天才であることを理解せず、浪費癖があり、家計のやりくりもまったくだめだった、等々の悪口はたくさん書かれている。しかし、本当にそうなのだろうか。本書(小宮正安『コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実』(講談社選書メチエ、2017年)は、副題にあるように、そのような「悪妻」伝説の虚実を追った興味深い試みである。

 モーツァルトが天才であることは現代なら誰でも知っているが、彼が生きていた18世紀後半のヨーロッパにおいて、そのことを確信していた人はどれほどいたのだろうか。父親レオポルドに連れられて「神童」として幼い頃から各地を旅し、ひとり立ちしてからは人気作曲家として活躍し始めたとはいっても、ごく稀な例外を除いて、後世の評価までははっきりと予想できなかったはずだ。コンスタンツェは、モーツアルトが最初に惹かれた彼女の姉、アロイジアほどの声楽の才能もなかったが、無教養で品性に欠けていたというような非難は、多分に強調され過ぎているに違いない。コンスタンツェが育ったウェーバー家の音楽的素養も、モーツァルト家のそれに決して劣るものではなかったが、ただ、著者がいうように、レオポルドが前途有望な息子をたぶらかす娘としてアロイジアやコンスタンツェ、そしてウェーバー家の人々を不信の眼でみていたことが尾を引いていたのである。一度出来上がったイメージを払拭するのは容易ではない。

 本書を読むと、モーツァルトの死後、コンスタンツェは結構したたかにモーツァルトの残した音楽的遺産をめぐって出版社と交渉に当たっており、のちに「カネの亡者」であったと悪口をいわれかねないことをしていることは事実のようだ。また、「見栄っ張り」であったことも間違いなく、その証拠にデンマークの外交官であったゲオルク・ニコラウス・ニッセンと再婚してからは、夫の社会的身分を反映した肩書「国事顧問官ニッセン夫人」を好んだとか、場合によっては「モーツァルト未亡人」と使い分けたり併記したりしたというから恐れ入る。それゆえ、ニッセンが書いたモーツァルト伝がコンスタンツェに都合がよいような書き方がしてあったとしても不思議ではないだろう。
 ただ、ニッセン以後も、モーツァルトの伝記や評伝は何冊も出ており、なかにはコンスタンツェに対して全く悪意がなかったものもあったにもかかわらず、ヤーンの伝記のように、コンスタンツェは「モーツァルトと同等の位置を占め、精神的な影響によってモーツァルトを支え高めたような人物ではなかった」というように評価に傾きがちであったという(本書、146ページ)。

 ナチス時代には、フリーメーソンがモーツァルトを謀殺し、コンスタンツェも罠にはめられたという説も現れたが、一見コンスタンツェを擁護するかのようにみえても、スケープゴートがコンスタンツェからフリーメーソンに変わっただけだった(本書、198ページ)。他方、ナチスは家族生活の充実も政策の一つだったので、オーレルの書いたモーツアルト伝では、相も変わらずのコンスタンツェ像が描かれているという。著者は次のように述べている。

 「つまり、近代市民社会が形成してきたあらまほしき家庭の姿、理想的な妻のありかたが、ナチス支配下の社会にもそのまま継承されたということである。ナチスだけが特別なのではない。その温床となった価値観は脈々と続いてきているのであって、それを示すバロメータこそがコンスタンツェにたいする否定的な評価なのである。」(本書、200ページ)

 もちろん、コンスタンツェの「名誉回復」への動きもあったが、確実な一次史料というよりは「小説的な虚構性」をもって「悪妻」伝説への抵抗を試みていたというほうがよく、根本的には何も変わっていないといっても過言ではないという。結局、真相は闇のなかにありそうだが、著者は、そろそろ「悪妻」伝説をめぐる非生産的な論争やコンスタンツェへの悪口などはやめにして、モーツァルトの音楽を純粋に鑑賞してはどうかと主張したいのだろう。同感である。「コンスタンツェをいかに語るかという姿勢のなかには、それを語っている当人の本性が必ずや滲み出ているのだから」(293ページ)と本書が結ばれているゆえんである。


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