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2016年05月22日

『ブルーノ・ワルター 音楽に楽園を見た人』エリック・ライディング、レベッカ・ペチェフスキー(音楽之友社)

ブルーノ・ワルター 音楽に楽園を見た人 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「待望のブルーノ・ワルター評伝の日本語版」

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)は、私が最も敬愛する指揮者のひとりである。ワルターはモーツアルトやマーラーの演奏で定評があったが、私が初めてワルターのレコードを買ったのは彼のベートーヴェン交響曲全集だった。没後20年の年(1982)、それを記念してワルターの廉価版の全集が出ていたが、その価格はちょうど一万円だったと記憶している。当時それは破格に安い価格だった(カラヤンの全集は二万円近くしたと思う)。大学二年生だった私には、一万円というのはレコードに割けるギリギリの現金だった。だが、このベートーヴェン全集を一番先に買い求めたのは、結果的には正解だった。それは、フルトヴェングラーの演奏のように鬼気迫るものでもカラヤンの演奏のようにスマートなものでもなかったが、温かみのある、高貴といってもよい演奏だったからだ。この全集でワルターが好きになった私は、彼が指揮しているモーツアルト、シューベルト、マーラー、ブルックナーなどのレコードも収集するようになり、『主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録』(白水社、1965年)と題する著書も読んでみた。以来、彼の演奏しているレコードやCD(すでに亡くなっているわけだから、ほとんどは以前の録音の復刻や新しく発見されたライブ録音だったが)が出るたびに、ほとんど迷わず買ってきて今日に至っている。

 ワルターのファンは日本でも多いはずだが、ワルターを扱った本は、フルトヴェングラーやカラヤンなどに比べると圧倒的に少ないのではないだろうか。この分厚い評伝はその穴を埋めてくれる貴重な一冊である。若い頃マーラーに才能を認められたワルターが、各地の歌劇場の音楽監督を歴任しながら世界的な指揮者と評価されるようになるまでの経歴はよく知られているので、ここでは繰り返さない。ユダヤ人であるがゆえに、ドイツでヒトラーが政権掌握したあと、ウィーン、フランス、スイスなどで演奏活動を続けたが、第二次世界大戦勃発後はアメリカへと逃れ、ニューヨーク・フィルやメトロポリタン歌劇場などで活躍した。これも周知の事実だろう。

 私が関心のあったのは、彼がヨーロッパで困難な状況にあったとき(政治的な迫害を受けたという以外に、離婚調停中だった次女が夫によって射殺され、その夫も自殺するという親としては筆舌に尽くしがたい、悲惨な事件もあった)、彼がどのようにそれを克服したのかということである。一言でいえば、彼はやはり音楽のおかげで立ち直ることができたのだ。彼は政治的な嗅覚が鈍く、お世辞にも世渡り上手とは言えなかったが、特定の人間とたとえ一時的に疎遠になったとしても後々まで個人的な感情から非難することはなかった(例えば、フルトヴェングラーに対する彼の態度がこれを証明している)。また、危機にあったときに手助けをしてくれた友人への感謝の気持を決して忘れなかった(例えば、次女が亡くなったとき、コンサートの指揮を代役で引き受けたトスカニーニとは終生友情を保った)。ワルターは、1933年4月26日、ロンドン音楽クラブの名誉ゲストとしてのスピーチの中で次のように述べたという(同書、322-333ページに引用)。

 「私たちがしなければならないのは、自分の立場をしっかりと守り、人間の最も崇高な精神が作り上げた芸術と偉大な思想への信念と忠誠を保ち、思想の自由という理想と、個人と個人の間の、そして国と国との間の理解と平和という理想への信念と忠誠を保つことです。」

 ワルターがデリア・ラインハルトの影響でルドルフ・シュタイナーの人智学に傾斜していたという指摘は興味深いが、「音楽の精神的な重要性」と「物質主義の危険」を強調するだけなら、シュタイナーの導きがなくともワルターなら早い時期からそのように考えていたのではあるまいか。

 音楽家でワルターほどのヒューマニストは稀だが、完璧な人間はいないので、傍から見ればどうでもよいような俗事で人と衝突することもあっただろう。だが、本書全体を通読すれば、ワルター・ファンはよりワルターが好きになり、ワルターを知らなかった世代もワルターに関心を持つのではないだろうか。その意味でも、詳しい評伝が出たことを喜びたい。


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