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2016年04月24日

『オリンピアと嘆きの天使 ヒトラーと映画女優たち』中川右介(毎日新聞出版)

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「二人の「大物」―-リーフェンシュタールとディートリッヒ」

 レニ・リーフェンシュタール(1902-2003、舞踏家から映画女優を経て映画監督へ。1936年のベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』で知られる)と、マルレーネ・ディートリッヒ(1901-92、『嘆きの天使』『上海特急』『モロッコ』などで知られるドイツ出身の女優・歌手)を対比させた本はあまり読んだことはない(ふつうは「マレーネ」と表記するが、本書の読み方に従う)。実際、内外にその種の本はほとんどないらしい。着眼点がよい。

 リーフェンシュタールは、舞踏家に始まって、アルノルト・ファンクと組んだ数々の山岳映画への出演などを経て、ナチス・ドイツのプロパガンダ映画というべき『オリンピア』(第一部「民族の祭典」、第二部「美の祭典」)の監督にまで上り詰めたが、その道のりは決して平坦ではなかった。もっとも、第二次世界大戦後は、ナチスとの親密な関係が仇となって檜舞台に立つことはなかったが、著者によれば、選手たちの肉体美に焦点を合わせてひとつの洗練された作品にまとめ上げた彼女の才能は、いくつかの欠陥を指摘されながらも「名作」であることには変わりがないという。「『オリンピア』はストーリーが何もない映画なのに飽きさせない。映像の力、編集技術の卓越さは疑いようがなく、リーフェンシュタールが編み出した手法はドキュメンタリー映画のみならず、劇映画のひとつの規範となった」と(同書、251-252ページ)。

 リーフェンシュタールがナチズムやヒトラーの思想をどの程度理解していたかは、自伝の記述にあまり正確性がないのでよくわからないが、著者は、『オリンピア』が、確かに、ゲッベルスが考えていた意味での「プロパガンダ映画」(『戦艦ポチョムキン』のように、劇映画として優れていながら実はプロパガンダ映画になっている作品)として大成功したという趣旨の文章に続けて次のように言う。「こうした高度なプロパガンダであるがために、戦後になってリーフェンシュタールは『ナチスのプロパガンダではない』と言いはることができた」と(同書、253ページ)。ナチス・ドイツに協力した芸術家や音楽家などがよく用いた「弁明」の典型かもしれない。

 リーフェンシュタールが人生の「頂点」を迎えていた頃、ドイツの映画界で脇役から出発し、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督と組んだ作品でハリウッド映画のスターの座を射とめたディートリッヒは、ヒトラーやナチズムに対してリーフェンシュタールとは正反対の反応を示した。ヒトラーの演説の声に嫌悪感を示し、「こんな男が首相になったドイツへは帰るまい」と決心した(同書、194ページ)。ナチス・ドイツは、世界的に有名な女優になったディートリッヒをなんとかドイツにとどめおきたかったが、無駄だった。アメリカの市民権をとった彼女が、戦時中、前線への慰問団に積極的に加わった話は有名だ。戦争映画を撮ろうとしたものの、銃撃戦が始まった瞬間に恐怖心からその場を逃げ去ったリーフェンシュタールとは対照的である。

 だが、このようなディートリッヒの言動がドイツに留まって戦後を迎えねばならなかった人たちに微妙な感情を抱かせたことも事実である。「彼女はドイツ人から見れば、敵である連合国軍の一員だった。アメリカ人はもともと敵なのだから仕方ない。しかし、ドイツ生まれでドイツで女優として有名になっておきながら、アメリカへ渡り成功しアメリカ軍兵士としてドイツと闘った女など、許せるはずがない――そんな空気が、ドイツの一部にはあった」と(同書、330ページ)。それにもかかわらず、ベルリンの壁の崩壊後、自分が永遠の眠りの地として選んだのは故郷のベルリンだった。

 本書は、リーフェンシュタールとディートリッヒだけでなく、随所に、父がナチスだったオードリー・ヘップバーンや、戦前と戦後で戦争高揚映画と自由民主主義礼賛の映画という対照的な作品に出演した原節子を登場させてなかなかうまいスパイスを利かせている。だが、読後感は、やはり二人の「大物」(リーフェンシュタールとディートリッヒ)の物語が圧巻である。本書のメインタイトルは、それを如実に示していると言えよう。


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2016年04月03日

『希望のヴァイオリン ホロコーストを生きぬいた演奏家たち』ジェイムズ・A・グライムズ(白水社)

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「ホロコーストを生きぬいたヴァイオリン」

 なかなか読み通すのがつらい物語だった。副題からある程度は予想はできたが、壮絶な物語であった。アムノン・ヴァインシュテインという名前を聞いて、テルアビブの工房で弦楽器製作者(弦楽器の製作や修理をする職人)の仕事に携わっているユダヤ人だとすぐに思いつくひとは、一般にはそう多くはないだろう。しかも、親族をことごとくホロコーストで奪われた家に生まれた宿命を背負わされているとならば、彼がある時期までホロコーストと結びついた一切の物事を忘れようとしていたとしても不思議ではない。ところが、1990年代になって、ようやく「音楽―とりわけヴァイオリン――がこの暗黒の時代にユダヤ人の生命に果たした役割」と向き合う気になり、「ホロコースト中にユダヤ人音楽家が奏でたヴァイオリンを探し出し、修復する活動を始めた」という(同書、14ページ)。

 1936年、ブロニスラフ・フーベルマンがパレスチナで新しいオーケストラ(のちのイスラエル・フィル)を結成したとき、ヨーロッパ中の優秀なユダヤ人の演奏家たちを採用し、彼らを絶望の淵から救い出した話は比較的有名だが、第二次世界大戦後、ドイツ製のヴァイオリンが高品質にもかかわらず人気がなくなった理由は初めて知った。18世紀のドイツにベネディクト・ワーグナーというヴァイオリン製作者がいたのだが、奇しくも、ヒトラーによって政治利用されたリヒャルト・ワーグナーと名字が同じだった。「ワーグナー」の製作したヴァイオリンはイスラエルでは買い手がつかなかったので、アムノンの父の工房に持ち込まれ、それをアムノンが受け継ぐことになった。ドイツ製のヴァイオリンは、現代の評価とは違って、イタリア製やフランス製のヴァイオリンに決して引けをとらぬ品質を保っていた。それにもかかわらず、ドイツ製が人気がないのは、ホロコーストの悲劇が語られるようになった戦後、ユダヤ人の一流のヴァイオリニストたち(ハイフェッツもオイストラフもユダヤ人であり、他にも数え出したら切りがない)の多くがイタリア製やフランス製の楽器でしか演奏しなくなったからだという(同書、55ページ)。

 オーストリアのウィーンからパレスチナに避難しようとしたエーリヒ・ヴァイニンガーは、途中、強制収容所で幾多の辛酸をなめながらも6年もかかってようやくハイファに辿り着いた。彼は戦後精肉業に転職したが、音楽仲間と一緒にヴァイオリンを弾き続けたという。そのヴァイオリンは、子供たちが相続したが、イスラエルに住む娘がそれを売ろうかと考えたとき、その価値がわかるのはアムノンしかいないことがわかった。「ヴァイオリンはモーリシャスの戸外で演奏され、熱帯の暑さにさらされたせいでほとんど金銭的価値がなかったが、アムノンはすぐさま歴史的な重要性に気づいた。そして無料で修復することを承知した。見返りに求めたのは、エーリヒ・ヴァイニンガーのヴァイオリンを”希望のヴァイオリン”の一挺として維持する許可だけだった」という(同書、92ページ)。

 こうして、アムノンの「希望のヴァイオリン」プロジェクトは続いていく。アウシュヴィッツを生き延びたヴァイオリンがアムノンによって修復されたあと、一流のヴァイオリニスト、シュロモ・ミンツに寄贈され、世界各地でそのヴァイオリンが弾いでられた話は感動的だ。ナチス占領下のノルウェーでユダヤ人というだけで迫害されたアーンスト・グラーセル(オスロ・フィルのコンサートマスターをつとめた)が使用していたヴァイオリン(これは偉大なヴァイオリニストだったオーレ・ブルのものだった)も、「希望のヴァイオリン」プロジェクトに貸し出され、ミンツの手によって演奏された。本書には、その他にも、ルーマニアのヴァイオリニスト、ファイヴェル・ヴィーニンガーのヴァイオリン、ポーランドとソ連の国境に近い小さな村で生まれたモテレ・シュレインのヴァイオリンなどにまつわる壮絶な物語が収められているが、ときにはあまりに悲惨すぎて、本を閉じてしまいそうになることもあるかもしれない。

 アムノンのもとに持ち込まれたのは有名なヴァイオリニストのヴァイオリンばかりではない。むしろ無名あるいは持ち主不明のヴァイオリンのほうが多かったに違いない。しかし、ユダヤ人の彼にとっては、両者の価値は全く違わない。

 「持ち主不明のヴァイオリンは、自分の収集品のなかでもとくに貴重だと、アムノンは考える。それらは当然ながら、アーンスト・グラーセルがベルゲンへ携えていったオーレ・ブルのグァルネリや、ファイヴェル・ヴィーニンガーがトランスニストリアで弾いたアマティのような、高価な楽器ではない。素朴で精巧さに欠けるが、ホロコースト期間中に破壊されたユダヤ人の日常生活と一般的なユダヤの伝統を象徴している。結果的に成就されなかったとはいえ、ナチスが地球上から完全に抹殺しようと試みたユダヤ文化の遺物なのだ。アムノンにとって、これらの楽器の歴史的、心情的な価値はどんな貨幣的価値にもまさる。」(同書、255ページ)

 第三帝国内の音楽家と政治の関係については多くの文献があるが(そこでは、例えば、著名な作曲家リヒャルト・シュトラウスや、いまでも信奉者の多い指揮者フルトヴェングラーなどが登場する)、「希望のヴァイオリン」に的を絞った文献はほとんど類書がない。ぜひ一読をすすめたい。


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