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2015年11月25日

『もはや戦後ではない 経済白書の男・後藤譽之助』青地正史(日本経済評論社)

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「官庁エコノミストの黄金時代」

 後藤譽之助(1916-60)は、いわゆる「官庁エコノミスト」として経済白書の執筆責任者となり、「もはや戦後ではない」(1956年度『経済白書』序文)という名言を残したひとである。今日では、その言葉のみが文脈を離れて使われるようになったので多少の誤解を招いているが、後藤が官庁エコノミストの黄金時代を築いたひとりであるという歴史的な評価は揺るがないように思われる。本書(青地正史『もはや戦後ではない―経済白書の男・後藤譽之助』日本経済評論社、2015年)は、後藤の生涯と業績を丁寧に追跡した評伝だが、後藤一人を取り扱った評伝は意外に少ないだけに貴重な一冊となるだろう。

 後藤は、先輩の大来佐武郎(1914-93)と同様に、東京帝国大学工学部電子工学科卒だった。経済学はその頃から数理化がますます進んでいくが、著者は、当時数学が理解できるような官僚があまりいなかったので、大来や後藤のような人材が求められていたという(同書、13-14ページ)。たぶんそのような事情があって後藤が経済安定本部(そして後の経済企画庁)で働くようになったのは間違いないだろう。だが、エンジニアがすべて経済学に向くとは限らない。しかも、優れたジャーナリスティックな感覚は後藤と切り離せないものであり、それがなければ官庁エコノミストの花形として活躍する後藤の未来はなかったと思う。

 「ジャーナリスティックな感覚」とは、他でもない、当時の人気ドラマ「君の名は」にあやかった「すれ違いの悲劇」(国内均衡と国際均衡のギャップを表現)などを経済白書の中に効果的に織り込み、官僚らしからぬ文章の冴えを見せつけたことである。先輩の大来も、悲劇的な最期を遂げた後藤への追悼文(『エコノミスト』第38巻第17号、1960年4月26日号)の中で、「後藤君が調査課長に就任していらい、鋭い分析とすぐれてジャーナリスティックな感覚とによって本来無味乾燥な経済白書を興味ある大衆的な経済書として普及させる結果となった」と述べているという(同書、162ページ)。もちろん、才人には敵も多かったようだが、後藤が執筆責任者をつとめた経済白書が他よりもはるかによく読まれたことは事実だろう。「官僚」と「大衆的な人気」とは本来「水と油」のように交わらないものだが、後藤は稀有な例外である。

 ところで、後藤が経済分析に駆使したのは、サムエルソンによって「新古典派総合」(新古典派とケインズの折衷)と呼ばれた経済理論だが、それは当時の主流派なので別に不思議でも何でもない。だが、後藤一人の功績ではないにせよ、戦前からマルクス経済学の影響が強かったわが国の特殊な環境のなかで、ケインズ経済学を中心に近代経済学の分析手法を根づかせたのは特筆に値するだろう。

 「もはや戦後ではない」ので、回復を通じての成長は「近代化」という名のイノベーションによって取って代わられねばならないというのが後藤の持論だったが、シュンペーターの「イノベーション」に「技術革新」の訳をあてたのは後藤だといわれている(もっとも、シュンペーターのイノベーションは、技術革新よりも広い概念だが)。後藤の経済予測には外れたものも幾つかあるが、のちの高度成長がイノベーションに牽引された旺盛な設備投資意欲に支えられていたことは間違いのない事実である。

 官庁エコノミストの黄金時代を知るにはよき案内となるだろう。


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