« 2014年02月 | メイン | 2015年08月 »

2014年03月20日

『戦国史を歩んだ道』小和田哲男(ミネルヴァ書房)

戦国史を歩んだ道 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「幼き日の城・武将・合戦好きから歴史の世界へ」

 ミネルヴァ書房の自伝シリーズに高名な歴史家の一冊が加わった(小和田哲男『戦国史を歩いた道』ミネルヴァ書房、2014年)。著者は現在放映中のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の時代考証も担当しているが、本書を読むと、幼き頃の微笑ましいエピソードから現在に至るまで、著者がどのような道を歩んできたのか、丁寧に書かれているのがわかる。

 著者は小学校の頃から「城」「武将」「合戦」に関心を持っていたが、ところが、大学に入った頃(1962年)は戦国史研究は低調で、「城」「武将」「合戦」は趣味の世界だと思われていたらしい。だが、高校時代から歴史部を創設したり古文書講座に通ったりしていた著者は、戦国史研究への夢をどうしても捨てきれなかった。早稲田大学学生歴史学研究会(中世史部会)、全国組織の歴史学研究会(日本中世史部会)などに所属し、そこで出会った先輩や先生などから史料や古文書の読み方を教わったり、現地調査にも積極的に参加したりと、次第に歴史の面白さを発見していく。大学生時代に全国の城をめぐる旅にしばしば出かけたのは、とくに楽しい思い出になっているようだ(同書、38-41ページ参照)。
 卒業論文は「城下町成立過程の研究―今川家臣団の分析を中心に」(400字詰原稿用紙629枚の力作で小野梓記念学術賞を受賞)、修士論文は「浅井氏領国における兵農分離の様相」(400字詰原稿用紙200枚程度)というテーマを選んだ著者は、博士課程からは後北条氏の研究に力を入れるようになっていく。折よく「後北条氏研究会」もスタートした。著者によれば、「理論的なことは、歴史学研究会中世史部会および民衆史研究会でカバーし、具体的な文献調査の方法論などはこの後北条氏研究会で学んだ」という(同書、82ページ)。


 静岡大学に職を得てからの著者の様々な活躍(著作、講演、テレビ出演など)については改めて詳述する必要はないだろうが、本書を読んでとくに印象的だった三点を以下に紹介しておきたい。

①今川館跡保存運動をおこしたこと―1980年代の初め、今川館跡と思われる遺構を壊し、その上に美術館を建てるという動きが出たとき、それに反対するのが戦国城郭の研究者の使命であると立ち上がり、紆余曲折はあったものの、最終的に今川氏遺構を守ることに成功したこと(同書、111-114ページ)。このようにまとめると簡単なようだが、数々の圧力や嫌がらせに屈しなかった著者の勇気には頭が下がる。

②時代考証の内幕―著者はNHK大河ドラマの時代考証をいくつか担当しているが、「時代考証」とはいっても、その助言がドラマに活かされるとは限らず、むしろそうではない場合のほうが多いこと(同書、136-150ページ参照)。「江―姫たちの戦国」では、小谷城跡から焼けた痕跡は見つかっていないので(記録とも一致)、小谷城に火をかけないようにと助言したにもかかわらず、出来上がったドラマの場面では小谷城が大々的に燃えていた! 「落城」シーンだからチーフディレクターから「少しだけでも火をつけさせてくれ」という趣旨の電話はもらっていたが、ぎりぎりの妥協として「少しなら」と答えたものの、結果は「大々的に燃えていた」のである(同書、145ページ)。ショックだったらしい。
 しかし、時代考証の仕事が無駄だったかといえばそうでもなく、脚本に出てくる台詞をチェックするという重要な役割があったことを教えてくれる。例えば、「功名が辻」では、山内一豊が妻の千代に啖呵を切るシーンに「わしは絶対家族を守る」という台詞が出てきたが、「絶対」という言葉は当時はなく、「家族」という言葉も当時は使われていないと物言いをつけたという(同書、140ページ)。

③敗者・弱者へのまなざしの重要性―歴史は勝者によって書かれるので、敗者や弱者の視点が見落とされやすい。ずいぶん前、著者のような専門家でも、『信長公記』のような信頼度の高い史料に信長の負け戦のことが書かれていないことを、谷口克広氏(信長研究家)に教えられたという。それゆえ、戦国史を「英雄史観」だけで描くのは危険であり、敗者や弱者や民衆の視点からも眺める必要を痛感したと。著者が好んで明智光秀や石田三成などを語りたがるのはそのためだろう。


 著者の研究スタンスは、基本的に一次史料は大事にするが、それ以外にも「聞き取り調査で得た伝承などの類」も必要に応じて取り込んでいこうというものである(同書、172ページ)。長年「歩く歴史学」を実践してきた著者は、各地の伝承などに歴史の真相を読むヒントを得てきたのだろう。著者が「史料の行間を読む」とか「史料の裏を読む」と表現していることは、たぶんそのような研究スタンスから出てきたものだろう。すべてを紹介できるスペースがないのが残念だが、一読してとても面白い自伝に仕上がっていると思う。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2014年03月07日

『国家と音楽家』中川右介(七つ森書館)

国家と音楽家 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「”音楽家には国境がある”」

 「音楽に国境はない」というのは真実だろうが、過去の歴史をひもとけば、「少なくとも、音楽家には国境がある」。これが、本書(中川右介著『国家と音楽家』七つ森書館、2013年)の重要なメッセージのひとつである。本書には、政治に翻弄された音楽家たち(フルトヴェングラー、カラヤン、トスカニーニ、カザルス、ショスタコーヴィチ、バーンスタイン、等々)がたくさん登場するが、「天下泰平」の世ならともかく、20世紀の激動の時代を生き抜いた音楽家たちの生涯を追うと、やはり「音楽家には国境がある」と言わざるを得ない。

 著者はすでにこのテーマで何冊か本を書いているので、ヒトラー政権とフルトヴェングラーの微妙な関係、当時ナチ党員でありながらワーグナーのあるオペラの演奏上のミスでヒトラーに嫌われたカラヤンの話などをよく知っている読者も少なくないかもしれない。
 第二次世界大戦後の「非ナチ化審理」で、フルトヴェングラーは「多くのユダヤ人を助けた」し、カラヤンは「ヒトラーに嫌われていた」という主張で二人とも無罪となった(同書、49ページ参照)。フルトヴェングラーのベルリン・フィル復帰コンサート(1947年5月25日)は観客から大歓迎を受けたが、アメリカの新聞の特派員としてヨーロッパにいたトーマス・マンの娘(エーリカ・マン)は、冷めた目で次のように書いたという(同書、51ページに引用)。

「反ナチとしてドイツを追放されたブルーノ・ワルターや、ブロニスラフ・フーベルマン、アドルフ・ブッシュといった音楽家がベルリンに復帰したというのであれば、祝福すべき出来事かもしれないが、ベルリンは、彼らよりも先に、フルトヴェングラーを望んだ。ドイツ人は何も反省していないのではないか。」

 フルトヴェングラーは、これを読んでトーマス・マン宛に弁面の手紙を書いたらしいが、トーマス・マンの反応も冷たかった。「自分の落ち度を認めない、ドイツ的エゴイストの典型だな」と(同書、51ページ)。


 トスカニーニのファシズムとの対立も有名だ。プッチーニの最後の未完のオペラ「トゥーランドット」上演に当たって、トスカニーニは初日だけはプッチーニが筆をおいたところで演奏をやめた(フランコ・アルファーノが補作した完成版の演奏は二回目から)。出演者たちには予定通りの行動だったが、トスカニーニはなぜそんな手の込んだことをしたのか。著者は次のように推測する。あらかじめ言っておくと、ムッソリーニは何かを察知していたのか?初日に現れなかった。

「『トゥーランドット』完成版は、群衆が「皇帝万歳」と大合唱して終わる。そして幕となって、場内が大喝采に包まれるなか、貴賓席のムッソリーニが立って手でも振れば、まるでムッソリーニを讃えるオペラのようになってしまう。トスカニーニはそれを避けたかったのではないだろうか。」(同書、70ページ)


 スペインのフランコ独裁政権と闘ったパブロ・カザルス、第二次世界大戦中ベルリンでの演奏やヴィシー政権への協力で「対独協力者」の汚名を着せられたコルトー、ソ連の政治に翻弄されながらもそれをくぐり抜けたショスタコーヴィチ、亡命ピアニストとなったルービンシュタインなど、クラシック音楽のファンには周知の話かもしれないが、「国家と音楽家」というテーマでまとめて読むと、「音楽家には国境がある」という本書のメッセージが効果的に読者に伝わるように配慮してあると思う。


 それぞれ興味深い話なのだが、私には意外にもバーンスタインを扱った章が本書の白眉のように思える。ケネディ大統領とは懇意の間柄であったが、1962年春、アメリカがソ連に対抗して核実験を再開すると宣言したときは、核兵器反対のデモ行進の先頭に立って抗議した。「平和の闘士」バーンスタインはベトナム戦争をめぐってニクソン政権も容赦なく批判した(もっとも、ベトナムとの休戦を秘密裏に交渉していたのはニクソン政権だったが)。ニクソンが再選され就任記念コンサートがおこなわれる同時刻に、バーンスタインは、ワシントン大聖堂で「平和への嘆願」と銘打ったコンサートを開いた(同書、316-317ページ参照)。ときの政権にとっては、「憎らしい」音楽家であったかもしれない。かつてバーンスタインはケネディに次のように言われたことがあるという。「僕の知る限り、きみは決して対立候補にはしたくない唯一の男だよ」と。
 バーンスタインは、1989年11月、国民藝術勲章を授与されることになっていたが、その勲章の受章者を決める全米藝術基金がエイズをテーマにした展覧会への補助金一万ドルを撤回したのに抗議して勲章を辞退した。公開されたときのブッシュ政権への手紙には次のように書かれているという(同書、324ページに引用)。

「あなた(ブッシュ)の政権下で公式に表彰されるためにワシントンに行けば、これ以上の息苦しい日々はたくさんだと思いながらも、愛想の良い紳士的な沈黙と共にメダルを集めることに満足している政府公認藝術家であると思われかねないので、そんなことはできない。」


 「音楽家と政治」は、フルトヴェングラーの時代から現代に至るまで、決して消えることのないテーマである。「音楽と政治は別」と考えたい人たちがいることは否定しないが、戦時下で究極の決断を迫られた音楽家たちの物語は、真実はそれほど単純ではないことをまざまざと教えてくれる。重いテーマだが、私たちも決して目を瞑ってはならない重要な問題であり続けるだろう。



→紀伊國屋ウェブストアで購入