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2014年02月06日

『グローバル・スーパーリッチ 超格差の時代』クリスティア・フリーランド(早川書房)

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「”プルトクラート文化”とは何か」

 経済格差について書かれた本は多いが、本書(クリスティア・フリーランド著『グローバル・スーパーリッチ~超格差の時代』中島由華訳、早川書房、2013年)は、「フィナンシャル・タイムズ」の「ベストブック・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたベストセラーの翻訳である。経済学者やエコノミストなら、最近、この問題に関してスティグリッツやクルーグマンのような高名な経済学者が時折「格差」を批判する論説を発表していることを知っているだろうが(注1)、本書の特徴は、「経済分析」というよりは、格差を生んだ「文化」について多くを語っているところにあると言えよう。


 1970年代、アメリカでは上位1%の年収は国民所得の10%を占めるに過ぎなかった。ところが、35年後には、昔の「金ぴか時代」のように国民所得の三分の一を占めるようになった。それを象徴する数字を、ロバート・ライシュ(クリントン政権の労働長官をつとめた)が挙げている。2005年、ビル・ゲイツの財産は465億ドル、ウォーレン・バフェットの財産は440億ドルに達したが、他方でアメリカ国民の所得の低い40%(1億2000万人)の財産を全部合わせても約950億ドルだったと(同書、20ページ参照)。
 今日の「スーパーリッチ」は、決して怠け者ではなく、世界を飛び回るほど多忙な生活を送っている点で昔の金持ちとは異なるが、所得上位0.01%の年収が1000万ドルを超える人々(本書では「プルトクラート」と呼ばれている)でさえ、給与所得と事業所得のほうがその他よりも多いという(同書、97ページ参照)。
 しかも、グローバル化が進んだ現在、プルトクラートにとっては、自分の出身国のことよりは世界で何が起こっていることのほうが関心事である。著者は、あるプルトクラートから次のように言われたという。「あなたがいうような人たちは、自分をまず世界市民だと考える。これは比較的新しい現象だ。彼らは、もちろん自分の国を愛し、育った土地を愛し、母親を愛する――一方で、自分を世界市民だと考える。だから、世界で何かよくないことが起きれば、それを気にかける」と(同書、96ページ)。
 「世界市民」であること自体が問題なのではないが、アメリカのスーパーエリートが「政治的民主主義」を少数派の特権を守るために利用する術に長けているという実態がある(ノースウェスタン大学の政治学者ジェフリー・ウィンタースの説)。著者は、「0.1%の反撃」が功を奏して、いまや次のようになったという。

「第一次世界大戦の支出のために、所得税率はたいへん高く設定され、1918年には最高となる77%にのぼった。21世紀に入るころには、高所得者への所得課税の実効税率はその三分の一にまで下がっていた。驚いたことに、高所得者の所得税率が下がったのに対して、所得がもっとも低い者の所得税率は上がっていた。・・・・・所得上位1%の人びとの場合、高所得になるほど実効税率が下がるのだ。2009年の年収に対して支払った所得税の割合は、所得上位1%が23%以上、上位0.1%が21%余りだった。さらに、最上位の400人に関しては17%に満たなかった。プルトクラートにとっては重要な収入源だが、所得が低いほど重要度が低下するキャピタルゲインへの課税率は、2012年にはちょうど15%だった。」(同書、123-124ページ)


 先進国ばかりでなく新興国でもプルトクラートが台頭しているという実態も紹介されているが、より注目すべきは、彼らがミドルクラスの窮状に対して「責任」があるとは少しも考えていないことではなかろうか。著者は、あるプライベート・エクイティ・ファンドの投資家がインドのアウトソーシング企業を買収したことが話題になったとき、次のように言われたらしい。「以前は、コネティカット大学で文学士号をとった人材に年俸12万ドルで補助業務をさせていた。だが現在、博士号を持ったインド人に年俸6万ドルで同じ業務を任せているが、彼らはうちで働けることをたいへん喜んでいる」と(同書、349ページ)。まさに「世界市民」の思考法である。
 だが、著者の懸念は別のところにある。それは、「社会の不平等が大きくなるほど社会移動は少なくなる」という「グレート・ギャッツビー曲線」(アラン・クルーガーの命名)が当てはまる社会になりつつあるということだ(同書、405ページ参照)。現代のプルトクラートは「労働する金持ち」だが、彼らが自分の財産を子孫に譲れば、「不労所得者のエリート」が生まれる。「特権が世代から世代へ受け継がれるとき、そのプロセスはあまり人目につくことなく漸進的かつ累進的に進んでいく。だが、包括的な社会秩序と経済秩序が収奪的なものに変わるメカニズムと同じく、もっと見た目にはわかりやすいセッラータよりも影響力は大きいかもしれない」と(同書、405ページ)。


 本書は、最初に述べたように、「経済分析」の本ではないので、そのような内容を期待して手にしたひとには受け容れられないかもしれない。しかし、著者の筆力は、「プルトクラート文化」の実態を豊富な具体例を交えて生き生きと描くことに見事に成功している。「フィナンシャル・タイムズ」の「ベストブック・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたのも肯ける。


1 例えば、ごく最近のクルーグマンの文章を参照のこと。
http://www.nytimes.com/2014/01/27/opinion/krugman-paranoia-of-the-plutocrats.html?partner=rssnyt&emc=rss&_r=0


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