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2013年08月16日

『資本理論とケインズ経済学』J・ロビンソン(日本経済評論社)

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「ジョーン・ロビンソン没後30年」

 今年は、イギリスの女性経済学者ジョーン・ロビンソン(1903-83)没後30年の年に当たっている。ケインズの愛弟子のひとりで、生前は「ノーベル経済学賞」(注1)の受賞候補に何度も挙げられながらも、結局、その栄誉に浴することはなかった。彼女はみずから「左派ケインジアン」と名乗ったいたが、「左翼」であること自体は、いまの時代にはとくに魅力にはならないだろう。だが、彼女の学問の評価は「左翼」であったこととは別に考えなければならない。もちろん、彼女の支持者には政治的にも左派であったひとが多いのは事実だが、私の恩師(故菱山泉・京都大学名誉教授)はそうではなかった。むしろ「通説」を何の疑問も抱かずにただ教え続けるだけの学問的態度に飽き足らず、すべてを根本的に考え直す姿勢に共感していたのだと思う。これは、ジョーン・ロビンソンの「盟友」であったピエロ・スラッファにも等しくいえることだ(菱山氏がスラッファ経済学の権威者であったことは言うまでもない)。幸い、ジョーン・ロビンソンの『資本理論とケインズ経済学』山田克巳訳(日本経済評論社、1988年)がまだカタログに生きているので、この本を取り上げることにしよう(この本は、彼女がさまざまな機会に書いた論文集なので、引用するときは論文名を明記することにしたい)。

 本書は、比較的初期から晩年にいたるまでの彼女の論文を収録しているが、第一に挙げるべきは、ケインズ革命の形成にも大いに関係のある「貨幣理論と産出量の分析」(1933年10月)だろう。当時、ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)はまだ草稿段階で、ジョーン・ロビンソンを含む彼の弟子たちは、ケインズの前作『貨幣論』(1930年)を批判的に検討する研究会を定期的に開いていた。今日、ケインズの産出量(国民所得)決定理論の初歩は経済学部の一年生でも学ぶが、それは、かいつまんで言えば、投資がそれに等しい貯蓄を生み出すところに産出量を決めるというものである。これは当時は革命的なアイデアであったが、ジョーン・ロビンソンは、全く同じとは言えないものの、その核心に極めて近いところまで到達している。

「彼(ケインズ)は、もし貯蓄が投資を超過すれば、消費財は損をしてしか販売することができないことを指摘した。その結果、全人口の実質所得が減少して貯蓄が必然的に投資に等しいところまで減少するような低い水準になるまで、それらの産出量は減少するであろう。しかし、彼はこの発見の重要性を完全に見過ごし、産出量がいくらでも異なる水準で均衡しうること、また貯蓄と投資の間には均衡に向かう傾向(非常な長期において)があるのに、生産要素に関しては完全雇用に向かう自然的傾向はないことを彼が証明した、ということを述べるために立ち止ることなく、まったく無頓着なやり方でその考えを投げ出したのだった。」(「貨幣理論と産出量の分析」、同書7ページ)

 ケインズもジョーン・ロビンソンも、この段階では、『貨幣論』の理論的枠組みから完全に脱却しているとは決して言えないが、それでも、ジョーン・ロビンソンの指摘は『一般理論』の方向に歩みだす貴重な第一歩である。この論文はもっと評価されてもよいと思う。


 第二に挙げるべきは、資本論争の火蓋を切った論文「生産関数と資本理論」(1953-54年)だろう。だが、利潤率から独立に「資本」量を測定することはできないという問題提起は、のちにスラッファの『商品による商品の生産』(1960年)の援軍を得て、一時アメリカのケインジアンたち(ポール・サムエルソン、ロバート・ソローなど)との激しい論争に発展したものの、結局、あまり多くの果実をもたらさなかった。ジョーン・ロビンソンが批判した集計的生産関数O=f(L.C)は、いまでもよく使われているし(Oは産出量、Lは労働量、Cは資本量を表わしている)、最近の学生は、かつてこの問題について論争があったことさえ知らないようである。
 ジョーン・ロビンソンも、晩年は、どちらかといえば、資本概念よりは「歴史対均衡」という方法論上の問題を重視していたように思える。もちろん、「均衡」は新古典派の方法論の核心にあるものだが、それに対して、彼女は、「歴史」あるいは「歴史的時間」こそがケインズの核心にあるのだと主張した。そのアイデアの萌芽は、実は、すでに資本論争の頃から彼女の頭の中にあった。

「空間では、AからBに移動する物体はBからAに移動する物体に変化することができるが、時間においては、一方通行というきわめて厳格なルールが常に作用している。そして、空間においては、AからBへの距離は・・・BからAへの距離と同じ大きさである。しかし、時間においては、今日から明日への隔たりは24時間であるのに、今日から昨日への隔たりは、詩人たちがしばしば注意してきたように、無限である。それゆえ、時間に対し空間的隠喩を適用すると、それはきわめて扱い難いナイフのようなもので、均衡概念はそれを振り回す人の腕をしばしば傷つけるのである。」(「生産関数と資本理論」、同書137ページ)

 このような問題意識が彼女独自のケインズ解釈(「ケインズ革命はどうなったのか」1973年)につながっていくのだが、ここでは、その点を指摘するにとどめる(注2)。


 第三に、「左派ケインジアン」としての彼女の特徴がよく出ているものとして、アメリカ経済学会での講演「経済学の第二の危機」(1971年12月27日)を挙げたい。「雇用の水準」ではなく「雇用の内容」が重要だという彼女のメッセージは、聴衆の喝采を浴びたらしいのだが、その後の主流派経済学に採り入れられた形跡はない。彼女は、「左派ケインジアン」として、「軍産複合体」によって雇用が確保されているアメリカの現状とそれを放置したアメリカのケインジアンを厳しく批判したが、その問題はいまだに未解決といってもよいだろう。


 それにしても、数十年前まで、ジョーン・ロビンソンはなぜこの日本であれほど人気があったのだろうか。それは、一部には、彼女がミハウ・カレツキの影響で比較的初期からマルクスを真剣に読み、折に触れて、マルクスとケインズやマーシャルなどを比較する論文を書いてきたからだろう。日本もちょうどその頃までは「近代経済学対マルクス経済学」という図式がよく当てはまるような経済学界の勢力図があり、例えばマルクスとケインズを比較する論文だけでも数えるのに暇がないほどであった。だが、ベルリンの壁の崩壊後、経済学部のカリキュラムからマルクス経済学が次第に消えていき、そのようなテーマ設定自体が流行らなくなった。それとともに、学生たちもジョーン・ロビンソンに対する関心を失っていったように思われる。
 だからといって、先にも触れたように、彼女の問題提起が解決されたわけではない。いまや経済学者は以前にもまして器用になり、公の場で政策提言をする機会も多くなったが、ときの政府に都合のよい形で利用されている面がないとは言えない。それにもかかわらず、彼女が昔発した次の言葉だけはよく引用されているようだ。興味深いことだ(注3)。

「経済学を学ぶ目的は、経済理論に対する一連の受け売りの回答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである。」


1 「ノーベル経済学賞」というのは俗称に過ぎず、正確には、「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞」という。詳しくは、拙著『物語 現代経済学』(中公新書、2006年)第7章を参照のこと。
2 詳しくは、拙著『現代イギリス経済学の群像』(岩波書店、1989年)第3章を参照のこと。
3 本書には収められていないが、この言葉は、「マルクス、マーシャル、そしてケインズ」(1955年)と題された論文の中に登場する。とうに品切れだが、昔は『マルクス主義経済学の検討』都留重人・伊東光晴訳(紀伊國屋書店、1956年)として訳が出ていた(原文も収められている)。


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