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2013年07月24日

『アベノミクスは何をもたらすか』高橋伸彰 水野和夫(岩波書店)

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「アベノミクスは日本を救うのか」

 先日の参議院選挙での自民党圧勝によって「アベノミクス」は信任されたのだろうか。勝ったほうは当然そう吹聴するだろうが、アベノミクスの内容をめぐっては、専門家の間でも意見が分かれるのが現実である。本書(高橋伸彰・水野和夫『アベノミクスは何をもたらすか』岩波書店、2013年)は、アベノミクスに懐疑的な二人の論客の対談集だが、取り上げられているテーマはアベノミクスよりもかなり広いので、ポイントを絞って紹介していくことにしたい。

 アベノミクスは「三本の矢」(「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「成長戦略」)に支えられているといわれるが、最初、日銀総裁が黒田東彦氏に替わって大胆な金融緩和が打ち出されたことによって確かに円安や株高が進行した。しかし、それで問題は解決するのだろうか。高橋伸彰氏は、ゼロ金利の下では、家計の消費や住宅投資に影響があるのは、一般物価の上昇よりも賃金の上昇であり、また個々の企業の設備投資に影響があるのは、その企業の製品価格の上昇であるという基本的な立場から、円安や株高によって市場関係者の「インフレ期待」が上昇するだけでは家計や企業の実質金利は低下しないという持論を展開する。実際、実体経済に影響を与えるほどの実質金利の低下はみられない。高橋氏は次のようにケインズの株式市場論を彷彿させるような発言をしているが、このようなことを改めて言わなければならないほど論壇は混乱しているともいえる。

「そもそも株が高くなっているのは、多くの投資家がもっと株が高くなると予想しているから高くなっているだけであって、アベノミクスで日本経済が再生すると投資家が予想しているからではありません。日銀が大胆な金融緩和を行うので、株が上がると「平均的な投資家」は予想していると、多くの投資家が予想するから上がっただけです。日銀はマネタリーベースを「大胆」に増やしますと市場にコミット(約束)することで、投資家の株価上昇や円安期待に働きかけることはできますが、個々の経済主体の行動に影響を与える実質金利まで下げることができるかどうかは大いに疑問です。株がどんどん上がるというバブル期待を作ることと、ゼロ金利下で実質金利を下げることとは違うのです。」(同書、7ページ)

 それを受ける形で、リフレ派が準拠する貨幣数量説に懐疑的な水野和夫氏は、金融自由化以降、財やサービスでのインフレが資産インフレに置き換わってきた流れを振り返りながら、「株の上昇=デフレの解消」ではないと敷衍している。

「しかし、この貨幣数量説には大きな疑問があります。国際資本の完全移動性が実現し、中国が世界の工場として台頭してきた1990年代半ば以降になると、中国に存在する巨大な供給力を背景に日本に輸入品が入ってくるので、日本では需給ギャップが解消しない。だからインフレにはならないのです。そのことを市場はわかっているから、貨幣の増加は金融・資産市場で吸収され、資産インフレがおこる。しかも、無制限・無期限に金融緩和をすると日銀がいうのだから、「期待」は「過剰」になり、資産インフレがバブルに転化することになります。
 本来、需給ギャップが解消されれば、インフレで貨幣増を吸収するとするのがマネタリストですが、そのマネタリストが金融の自由化や規制緩和を唱えて、貨幣数量説が成立する条件をなくしているというのは、いったいなんなのでしょうか。」(同書、8-9ページ)

 それゆえ、「期待の期待」だけで円安・株高に振れたとしても、それだけでは2%のインフレ目標は達成できないと両者とも考えているはずだ。高橋氏ははっきりとそう述べている。「実際に生産が増えたり、賃金が上がったり、設備投資が増えたりして、実体経済が回復しなければ、家計や企業のインフレ期待は形成されないのです。いわんや、現実のインフレなどはるか先の話です」と(同書、18ページ)。


 第二の「機動的な財政政策」についてはどうなのか。高橋氏は、これは、現政権がどう反論しようと、10.3兆円もの補正予算の規模と内容をみればわかるように、「コンクリートの復活」に他ならないという。水野氏も、現政権の「国土強靭化」が「もう一度自民党の旧来的な支配基盤にお金を配分するという宣言ではないか」とみている(同書、29ページ)。
 それでは、1000兆円もの財政赤字の問題はどうなるのか。両者ともすぐに財政危機が発生するとはみていないが、高橋氏が指摘するように、「裕福な高齢者が銀行に預金するよりも株を買ったほうがいいと思って、預金を下ろし始めたら、財政危機を早めてしまう可能性がある」という点を見過ごしてはならないだろう(同書、35-36ページ)。

「一般に言われている財政危機のリスクは、大胆な金融緩和でインフレ期待が上昇し、長期金利が上がり始めるとか、日銀による国債の大量購入が財政規律の破綻だとみなされて国債が暴落するといったことです。しかし、そうしたリスク以外にも財政危機のリスクは事前に想定できないところに潜んでいるのですね。確かに、高齢者が株を買うために貯金を下ろしはじめたら、民間銀行はその払い出しのために国債を売ったり、日銀の当座預金から現金を引き出すようになる。放置しておくと国債価格が下がり長期金利が上がるので、背に腹は代えられぬと日本銀行は禁忌の「国債の引き受け」を始める可能性もあります。事前に何が起こるか想定できないのが危機なら、高齢者の資産シフトがもたらすリスクにも十分留意しておく必要があります。」

 それを受ける形で、水野氏は、「そういう計算でいくと、預金が減り始める10年後に、国の資金繰りがつかなくなる可能性が高いのです。それが日本にとって最大の危機です」と言っている(同書、37ページ)。


 第三の「成長戦略」のなかでは、両者ともに「産業競争力」を増強するための「雇用改革」や「雇用の流動化」の名の下に「労働者の使い捨て」が進んでいることに憤りを隠さない。
 高橋氏は、「企業経営者の不満ばかりに耳を傾け、その不満を解消することが競争力強化だという竹中(平蔵)氏の論法にしたがうかぎり、出てくるのはコストを削る話ばかりです。解雇しやすくすれば人件費を下げられるし、原発を動かせば電力コストは下がるし、二酸化炭素の排出規制を緩和すれば環境コストも下がります。しかしこうしたコスト削減は、ものすごく安易な競争力強化ですね」という(同書、44ページ)。
 他方、水野氏は、最近の経営者が「結果責任」をとっていないことを問題視する。「新自由主義は結果責任の世界です。そういいながら、経営者は全く結果責任になっていない。部長以上は連結決算で配分し、従業員は単独決算にする。単独決算でやると、国内はみんな儲かりません。海外景気が好調で連結利益が増えると、一割ぐらいの経営幹部の人だけはその恩恵に与る。結局、工場で働いている人たちの賃金は、全く上がらない。連結決算によって部長級以上は賃金が上がりますから、そのために一人当たりの平均賃金が上がってみえる。全体が上がっているわけではないですね。ですから購買力は上がってこないのです」と(同書、52-53ページ)。
 しかも、私たちが十分に意識しないうちに、日本の企業の株主構成が1990年以降大きく変化した。高橋氏はまさにその点を突いている。「ところがいまでは、一番の大株主は外国人になっています。日本の企業の株主は、もはやかつての日本人ではないんですよ。外国人が株式の四分の一を占めて、あとは投資信託のようなファンドが占めています。そういう株主に、従業員を大切にする日本的経営が理解されるわけがありません」と(同書、53ページ)。正論である。それゆえ、日本で一人当たりの人件費が下がる背景に外国人株主の比率の上昇があったという研究論文がよく参照されるのだろう(注1)。


 アベノミクスに直接かかわる部分のみを紹介してきたが、以下、それ以外でとくに印象に残ったことを補足しておきたい。
 それは、日本のものづくりがいまや「時代遅れ」になってしまったのではないかということだ。高橋氏がその意味を次のように解説してくれている。

「・・・日本の製造業の競争力を阻んでいるのは、必ずしも円高ではないのです。いまだに価格で競争しようとする発想が、成熟した先進国のものづくりとして時代遅れなのです。それにもかかわらず、自らの置かれた環境を直視しない経営者が、寄ってたかって日銀を悪者に仕立て上げ、アベノミクスの威を借りて円安に誘導したところで先は見えているのです。・・・・・・
 一方、アメリカの製造業はポスト産業化に適応した情報・通信分野で、またヨーロッパの製造業は昔ながらのブランドをベースにした高級品の分野で、それぞれ競争力を発揮しています。日本の製造業は、より安くの分野では新興工業国の追い上げを受け、またポスト産業化や高級品の分野では欧米に遅れをとって、窮地に追い込まれています。そこから逃れるためには、新しい競争力のパラダイムを自ら開発することが喫緊の課題であり、円安に一時の安らぎを求めても根本的な解決にはなりません。旧来の競争パラダイムに浸ったまま、円高に不平・不満を漏らしている日本の製造業に明日はありません。」(同書、110ページ)

 少し厳しすぎる言葉だろうか。しかし、日本の製造業が長期を見据えて取り組まなければならない課題であることは間違いないと思う。それにもかかわらず、「もっと成長を、もっと競争を」という声が消えないのは、水野氏によれば、バブルのときに経営者が精神を病んでしまったからだという。「バブルの本当の恐ろしさは、成長を失うことにあるのではなく、精神を蝕んでしまうということだと思います。そうだとすれば、アベノミクスでまた精神が病んでしまうことになります」と(同書、127ページ)。

 本書は対談集の形をとってはいても実に多くのトピックスを取り上げていて、ここですべてを紹介することができないのが残念だが、「信任」されたといわれるアベノミクスの問題点を鋭く指摘して読者を飽きさせない。もちろん、両者の意見は細部では分かれるが、日本経済がかかえる問題を「マジック」のようにいっぺんに解決してしまうようなものはないことを改めて教えてくれる。ぜひ一読をすすめたい。

1 野田知彦・阿部正浩「労働分配率、賃金低下」、樋口美雄編『労働市場と所得分配』(慶應義塾出版会、2010年)所収。


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2013年07月19日

『エーリヒ・クライバー 信念の指揮者 その生涯』ジョン・ラッセル(アルファベータ)

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「信念を貫いた指揮者の生涯」

 ウィーン生まれの名指揮者エーリヒ・クライバー(1890-1956)は、いまでは、カルロス・クライバー(1930-2004)の父親として触れられることが多いが、生前はベルリン・シュターツオーパーの音楽総監督として一時代を築いた名指揮者であった。息子のカルロスが天才指揮者として持て囃された時代を知っている世代にとっては、エーリヒは遠い存在かもしれないが、実は、カルロスは指揮者としての父親を深く尊敬していたことが知られている。
 本書(ジョン・ラッセル著『エーリヒ・クライバー 信念の指揮者 その生涯』クラシックジャーナル編集部・北村みちよ・加藤晶訳、アルファベータ、2013年)の原著は1957年というエーリヒの死後に出版されているが、もともと、彼の生前から準備されつつあったものらしい。フルトヴェングラーやトスカニーニであれば、50年以上も前に書かれた伝記を改めて翻訳する必要もないほど関連本がたくさんあるのだが、エーリヒほどの名指揮者にしては伝記や評伝の類がほとんどなかったとみえる。


 幼少期のエーリヒは、将来、「作曲家」「大司教」「医者」「馬車鉄道の運転手」「コンサート・ヴァイオリニスト」などの仕事につきたいと考えていたようだが、マーラーを聴いてから「指揮者」を志すようになった。プラハ音楽院に学びながら、その地のドイツ劇場で大事なリハーサルがあると聞くたびにそこに忍び込んでいたが、たまたまその劇場に来ていたダルムシュタット宮廷歌劇場の新任インテンダント、パウル・エーガー(ウィーン出身)と知り合い、ネストロイの喜劇『それは冗談にしたい』の舞台音楽を指揮してみないかと誘われた。エーリヒの指揮者としての活動は、1911年10月1日、この仕事から始まったと言える。この仕事のすぐあと、ダルムシュタットの第三指揮者としての三年契約を結んだ。まだ21歳の若さだった。
 才能にあふれ、努力家でもある若者の出世物語は、文章にすると味気ないが、1919年5月1日付でバルメン・エルバーフェルト(現・ヴッパータール)の市立劇場の第一指揮者、1921年7月1日からはデュッセルドルフの第一指揮者、1922年の秋からはマンハイムの第一指揮者へと順調に階段を昇って行った。著者によれば、若手指揮者としてのエーリヒの名声は、ビットナーの新作オペラ「小さなバラ園」の初演や、ストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」のおそらくドイツ初演によって確立したという(同書、72ページ)。
 だが、もっと大きな飛躍が待っていた。1923年8月23日、ベルリン・シュターツオーパーにてベートーヴェンの「フィデリオ」を指揮し、大成功を収めた直後、五年契約でこの歌劇場の音楽総監督の地位を手に入れたのである。


 若くして大都市の歌劇場の音楽総監督の地位にまで上り詰めたエーリヒを快く思わない人たちもいただろう。しかし、彼は、ベルリン・シュターツオーパーを文字通り世界一の歌劇場にするために朝から晩まで勤勉に働いた。その頃、エーリヒは家族宛の手紙の中で次のように書いていたという(同書、78ページ)。

「やれやれ! 観客と劇場内の誰もが嬉しそうだ。新聞には毛嫌いされていたが、徐々に認められつつあるようだ。私に関する限りは好きなことを書いてもらってかまわない。観客は、私のやっていることが気に入っていて、それ以上の望みなどあるものか。」
「指揮する時、自分の心と、感情と、作曲家が書いたものへの敬意に身を委ねれば、どうするべきか自ずと分かる。他のものはすべて私には二の次だ――他のものがあるにしてもだ!」

 ベルリン・シュターツオーパー時代のエーリヒの仕事としては、ベルクの「ヴォツェック」の初演(1925年12月14日)がよく挙げられるが、ヤナーチェクの「イェヌーファ」の高水準の上演も作曲家を感激させたことが知られている。もちろん、現代オペラばかりでなく、モーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ヴェーバー、リヒャルト・シュトラウス、ヴェルディなども重要なレパートリーの中に入っていたが、ベルクの「ヴォツェック」の大成功は、ジャーナリストが次のように書いたほどの完全な勝利であった。「批評家が何を言おうが言うまいが、わがシュターツオーパーの名は、べルックの『ヴォツェック』の初演のおかげで、末永く音楽史において名誉な地位を占めることだろう」と(同書、113ページ)。
 だが、1933年に入ると、ヒトラーが権力を掌握し、その後、ナチズムの影響が社会全体を覆うほどになると、エーリヒはもはや妥協の余地はないと音楽総監督の地位を辞任した。最後に指揮したのは、ワーグナーの「タンホイザー」であったという(1935年1月1日と1月3日の二回)。

 その後のアルゼンチンへの移住、ブエノスアイレスにあるコロン劇場の首席指揮者としての仕事、南米各地のオーケストラとの客演など、クラシック音楽のファンには比較的よく知られている活動が続くが、彼の心の故郷はやはりヨーロッパにあったようだ(同書、237-238ページ参照)。それゆえ、第二次世界大戦後(1954年)、二つのベルリンの間に「橋」をかけることがもしかしてできるかもしれないと期待しながら、古巣のベルリン・シュターツオーパーの音楽総監督の地位に復帰したのだが、西と東の「政治」に翻弄されてその希望が叶わぬと見るや、その地位をすぐに辞任した(1955年3月16日)。著者は、この件について、次のように解釈している。

「シュターツオーパーの一件は、悲劇的な過ちであったという以外に捉えようがない。彼の経歴のほとんどすべての段階に大いなる戦いの跡が見られるが、これは最後のひとつであり、私はそれが彼を死に追いやったと確信している。彼の仕事自体は何も影響を受けなかった――夏に録音された「フィガロ」、ケルンでの「魔弾の射手」と「フィデリオ」、そしてシュトゥットガルトでの大晦日の演奏会は彼の最高の業績に数えられる。しかしどんな人間にも立ち直れない打撃というものがあり、これはそのひとつであった。」(同書、273ページ)

 本書の原著は、前に触れたように、1957年に出版されているので、私たちが関心のあるエーリヒとカルロスとの関係についての記述はほとんどない。その頃はまだカルロスは無名の若者に過ぎなかった。父と子のレパートリーが重なっており、音楽の解釈についても子が父を踏襲しているところがあるなど、もっと知りたいことはたくさんある。しかし、これはほとんどないものねだりの類であり、将来だれかがこのようなテーマで本を書いてくれることを期待したい。


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2013年07月11日

『日本経済の憂鬱―デフレ不況の政治経済学』佐和隆光(ダイヤモンド社)

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「経済学者の批判精神」

 佐和隆光氏(滋賀大学学長)の新刊(『日本経済の憂鬱』ダイヤモンド社、2013年)を久しぶりに手にとった。学長職は激務である。京都大学教授時代は年に数冊の本が出ていたが、さすがに最近はあまり本を出していなかったような記憶がある。
 本書は、「失われた20年」の政治経済学的総括を試みたものだが、全体を通読して、過去の話よりは安倍首相の経済政策(いわゆる「アベノミクス」)に対する懐疑的な見解表明のほうが印象に残った。もっとも、著者は、アベノミクスが「壮大な社会実験」であり、その最終的な評価が時期尚早であることは認めている。それでも、現時点での経済学者としての知見から、アベノミクスのいくつかの問題点を指摘しているのがわかるだろう。


 アベノミクスとは、新聞や雑誌で何度も取り上げられたように、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という「三本の矢」に支えられた経済政策のことである。
 このうち、第一の矢(大胆な金融政策)によって一時はかなりの株高と円安が進行したので、安倍政権への期待も高まったが、「期待」というのは移ろいやすいので、今後も株価や通貨の動きは決して一方向にスムーズにはいかないだろう。著者も次のように述べている。「実験結果のみきわめがつきにくい最大の理由は、日銀の首脳陣に居並ぶリフレ派エコノミストが『異次元金融緩和』の実体経済におよぼす波及効果を『あり』とする論拠の決め手が、『インフレ期待(予想)』という計測(予測)不可能な心理的要因だからである。『期待』ないし『予想』は心もとなくゆれうごく。ゆえにアベノミクスの効果について一寸先は闇なのである」と(同書、248-249ページ)。
 第二の矢(機動的な財政政策)は、不況になるたびに何度も試みられてきたが、著者はすでに数十年前から乗数効果が以前と比べて低下していることを理由に、財政政策の効果を疑問視してきたように思われる(例えば、『経済学における保守とリベラル』岩波書店、1988年)。本書でもその立場は変わらない。「ようするに、ひととおりの家電製品や乗用車を保有している半面、将来への不安と不透明感がぬぐえない家計の限界的な消費性向が低い(収入が1万円増えたとき、消費にまわされる額が少ない)、いいかえれば、貯蓄性向が高いため、乗数は低位にとどまるのである。やはりいまどきの消費者は収入が増えたからといって、すぐさま量販店に飛んでいったりしないのだ」と(同書、201ページ)。
 となると、第三の矢(民間投資を喚起する成長戦略)に期待がかかることになるが、産業競争力会議や規制改革委員会などに著名人が入ったものの、著者は、全体的に「官主導」の印象が拭えないと辛口の評価を与えている。本書の目玉のひとつでもあるが、著者は、第三の矢の実態を観察して、この国が官主導の「国家資本主義」への道を歩み始めていることに危機感を感じているようである。例えば、安倍首相がみずから「トップセールス」(今年の4月末から5月初めにかけてのロシアとアラブ諸国訪問の際に、100人を超える経済人を伴ったこと)をおこなうとか、民間の設備投資や大学教員の採用に関して「数量目標」を義務づけるとか、業績が改善している企業に賃金の引き上げを要請するとか、例はいくらでもある。
 それゆえ、「アベノミクスは国家資本主義体制の再構築をめざす成長戦略」に他ならず、「陣頭指揮にあたるのは経済産業省、主役をつとめるのは農林水産省、厚生労働省、国土交通省、そして文部科学省である。必要な資金を手当てするのが、財務省と日本銀行」であると看破している(同書、245ページ)。


 著者は国立大学の学長をつとめているが、最近の大学改革をめぐる教育再生実行会議や産業競争力会議などの「要請」についても懐疑的である。
 例えば、グローバルに活躍する人材となるには英語力のアップが欠かせないとよく主張されるが、「英語力アップ」と「グローバル人材」になることとは全く違うことだと反論する。ご自身やノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の例をあげて、英語力にはあまり自信がなかったけれども(多少の謙遜も含まれているだろうが)、どういう経緯で若い頃の努力が実って国際学会で通用するような研究者になることができたかという経験を語っている。最初に英語力があって「グローバル人材」につながっていったのでは決してないと強調している。正論である。

「教育再生実行会議、そして産業競争力会議に望みたいのは、次の点である。英語力は、グローバル人材育成のための十分条件ではないことはもとより、必要条件ですらないということだ。研究者の場合は、大学や企業から、画期的なイノベーションを世界にむけて発信してはじめて『グローバル人材』、すなわち、世界のあちらこちらからその優れた業績が注目をあび、客員教授などに招聘されるに足るだけの価値ある人材が育成されるのである。そのための環境整備につとめることこそが政府の責務であり、TOEFLの平均点を高めるなどという、うすっぺらな目標を掲げて事足れりとしてもらってはこまるのである。」(同書、231ページ)

 著者は、計量経済学という数学や数理統計学を駆使した分野で若くして名声を博した研究者だが、ご自身の研究遍歴を綴った本(『経済学への道』岩波書店、2003年)を読むと、高校時代から人文・社会科学への関心が強かったことがわかる。そのような経験もあって、最近、研究開発競争で日本のメーカーが後れをとっているという現状に鑑み、アップルの創業者スティーブ・ジョブズの言葉を共感をもって紹介している。「技術だけではだめなんだよ。リベラルアーツ、なかんずく人文知と融合させた技術こそが、私たちの心を高鳴らせるような新製品を生みだすのだよ」と(同書、235ページ)。

 
 著者の久しぶりの新刊は、いつの間にか忘れられつつある「経済学者の批判精神」の重要性を再認識させてくれる。現状をよくわかっている著者だけに、随所に登場する鋭い批判精神には素直に耳を傾けるべきだろう。


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2013年07月01日

『「坂本龍馬」の誕生 船中八策と坂崎柴瀾』千野文哉(人文書院)

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「龍馬「船中八策」の謎に挑む」

 坂本龍馬は幕末維新史のなかで最も人気の高い人物のひとりと言ってもよいだろう。司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』(1963-66年)が龍馬人気の定着に大きく貢献したことも今日では周知の事実だが、本書(千野文哉『「坂本龍馬」の誕生』人文書院、2013年)は、龍馬の名前とともに語られる「船中八策」がどのように形成されてきたか、利用できる限りの資料を渉猟して解明しようとした話題作である。

 NHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)の冒頭に土佐の新聞記者、坂崎柴瀾という人物が登場したが、柴瀾は本書でも鍵となる役割を演じる。どういう意味かといえば、「船中八策」として知られる文書を坂本龍馬作として世の中に紹介し、それを普及させたのが他ならぬ柴瀾の作品「汗血千里の駒」であったからだ。論証のプロセスはかなり複雑なので、詳細は本書を読んでもらうしかないのだが、先に著者の結論を紹介しておくほうが理解しやすいだろう。

「①「船中八策」のテキストは、明治二十九年刊の弘松宣枝『阪本龍馬』に掲載された「建議案十一箇条」を、坂崎柴瀾が一つ書き・八箇条の形式に整理し、それを最終的に明治四十年刊、宮内省『殉難録稿 坂本直柔』が採録することで「史実」として扱われることになった。
 ②「船中八策」の名称は、慶応三年六月十五日に土佐の藩論が大政奉還策で確定した、という説から逆算する形で夕顔丸船中の協議が注目され、その協議の成果物を表す「記号」として、維新史料編纂会の中で使用されていた。」(同書、94-95ページ)

 歴史家が史料を扱うには慎重にも慎重を期さなければならないのが現代の常識だが、柴瀾の活躍していた頃は、必ずしもこの常識は当てはまらないどころか、まだ確立さえしていなかった。しかも、「船中八策」のなかに、慶応三年の時点で一般的に使われていなかった用語が複数存在するとなれば、その文書の史料的価値についての疑問はさらに深まるだろう。
 もっとも、「船中八策」とよく似ているものに「新政府綱領八策」という文書があり、これは明確な日付・署名がある歴とした龍馬の自筆文書である。著者の立場は、基本的に龍馬の国家構想はこの文書を基づいて評価すべきだというものだが、「船中八策」と比較して、重要な相違がある。すなわち、「大政奉還」の条文がないのである。大政奉還は龍馬でなくとも他に唱えるひとが少なからずいたらしいのだが、著者は、そもそも、龍馬が紋切り型の「大政奉還論者」であったこと自体を疑っている。

「これまでの龍馬本の多くは、龍馬=大政奉還論者=平和革命論者、という前提条件を当然のことのように設定し、龍馬の武断的言動は大政奉還拒絶という最悪の事態に備えた『保険』であり、決して彼の本意ではないのだと説明してきた。
 確かに『保険』ではあるのだが、・・・・・・龍馬にとってはむしろ拒絶後の武力展開こそが想定されるシナリオであり、龍馬は明らかに土佐の武力行使勢力の一翼を担う存在だったのである。」(同書、43ページ)

 龍馬は脱藩浪士であり、「世界の海援隊でもやりたい」という自由人のイメージで彼をみてきたひとにとっては、この主張は受け容れがたいだろう。しかし、著者は、浩瀚な文献渉猟を通じて、龍馬が薩長土の少なくとも対等の関係を維持することを重視していたこと、それゆえ、薩長芸三藩の出兵協定を知ったとき、龍馬が土佐が薩長の後塵を拝さないように出兵に向けて尽力したことを明らかにしている。「筆者は最後まで龍馬は『土佐山内家家来・坂本龍馬』であったと考えている。龍馬は土佐を捨てた、あるいは土佐に捉われない自由人であった、というイメージをお持ちの方が圧倒的に多いと思うが、筆者はそれを採らない」と(同書、283ページ)。確かに、「数年間東西に奔走し屡々故人に遇て路人の如くす。人誰か父母の国を思ハざらんや」(土佐山内家・溝渕廣之丞に宛てた書簡より、慶応二年十一月)という言葉には、龍馬の望郷の念が表れているといえそうだ(同書、283ページ)。


 ところで、本書は先ほど名前の出た坂崎柴瀾という人物についても詳しい経歴を紹介しているが、ここでは、複雑さを避けるために、彼が板垣退助の政治的立場に近く、『土陽新聞』という自由党系の新聞の記者をしていたこと、そして、板垣がフランスから持ち帰った「政治小説」という手法を借りて、龍馬を描いたという事実のみを再確認しておきたい。著者はいう。「柴瀾はただの娯楽作品や評伝を書いたのではない。龍馬は自由党のプロパガンダに利用できる人物として柴瀾によって『発見』されたのである」と(同書、121ページ)。
 もちろん、柴瀾に公正を期すためにも、彼が次第に「史料に語らせる」というスタンスをより重視するようになり、それがのちの維新史家としての坂崎柴瀾の誕生につながったことを追記しなければならないが、少なくとも「汗血千里の駒」という作品が厳密な意味での史書ではないことは間違いない(注1)。
 著者は、司馬遼太郎の歴史小説に対しても類似の見解を提示している。

「よく知られているように、司馬龍馬は昭和三十年代後半、高度経済成長期の日本の価値観を体現したキャラクターである。入れ札で選ばれた大統領が下女の給金を心配する国家を作ろうとする『民主主義者』龍馬。経済を重視し海外雄飛を志向する『ビジネスマン』龍馬。そして何よりも無血革命を成し遂げようとする『平和主義者』龍馬。
 司馬のビーズの選び方、そして糸通しが絶妙なために、司馬の物語は戦後の日本人の記憶を支配し、我々に龍馬はこのような人だった、と信じ込ませてしまったのだ。」(同書、10ページ)

 著者は、本書の執筆に三年半の時間がかかったという。しかも、現在は、通信制の大学院で歴史を学びつつあるとはいえ、東京のテレビ局に勤務する多忙な人だ。いかに内容が龍馬ファンを怒らせるようなものを含んでいたとしても、龍馬が本当に好きでなければ、このような本は書けないだろう。その正直な思いは、本書の「おわりに」の中に明瞭に表れている。

「本書は龍馬ファンからすると看過出来ない論旨が並んだはずだ。「船中八策」はなかった、龍馬は西郷を一喝しなかった、龍馬は新政府に入る積りだった、等々。龍馬ファンの一番琴線に触れるエピソードばかりだ。折角最後まで読んでいただいたのに申し訳ない。人にこんな話をすると必ず言われるのが「本当にお前は龍馬が好きなのか」という一言だ。もちろん大好きに決まってます。好きだからこそ龍馬の本当の姿が知りたいし、アカデミズムの中にも龍馬を置きたいのだ。」(同書、284ページ)


 本書には、龍馬についての従来のイメージを覆すような発見が随所にみられるので、それだけでも楽しい読み物に仕上がっているが、龍馬関係の史料の解読はひとつではないので、本書のテーゼをめぐって活発な論争につながればさらによいと思う。著者もそれを期待しているに違いない。その意味で、本書は龍馬ファンの必読書である。


1 幕末維新史には関係ないが、ついでに紹介しておく。薩摩に滞在していた龍馬とおりょうが二人で霧島登山に出かけたことはよく知られているが、柴瀾の作品では、おりょうが書生を連れて登山し、天の逆鉾をひとりで抜いたことになっている。本書によれば、柴瀾は実は「急進的な女権拡張論者」で、おりょうをその模範例として描くことによって女権拡大を図ろうとしたのだという(同書、177-181ページ参照)。


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