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2013年05月28日

『新自由主義の帰結』服部茂幸(岩波書店)

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「”新自由主義" への戦闘宣言」

 著者(服部茂幸氏)はポスト・ケインズ派経済学の研究や最近の量的緩和政策批判などで極めて精力的な活動を続けている経済学者だが、本書(『新自由主義の帰結―なぜ世界経済は停滞するのか』岩波新書、2013年)は、一連の仕事を一般の読者にも近づきやすい形にまとめた話題作である。

 本書は、全体を通じて、新自由主義の経済学に基づく政策が危機を拡大させたことを厳しく批判しようとしているが、著者によれば、新自由主義とは、ケインズ主義や福祉国家による民間の経済活動への余計な介入を廃し、市場メカニズムによる効率的な資源配分を信頼する思想であり、その主な政策は、金融の規制緩和、供給サイドの重視、富の再分配よりも「トリクル・ダウン」(富裕者の優遇によって経済を活性化されれば、富が貧困層にも「滴り落ちる」という説)などに代表されるという。これだけでは、新自由主義の解説としては十分ではないが、当面はこの理解でよしとしよう。
 では、この新自由主義の実践の結果、世界はどうなったか。著者は、ジョージ・オーウェルの『1984』の三つのスローガンに倣って次のようにまとめている(同書、167ページ)。

 「成長とは99%の国民の賃金・所得が停滞することである。」
 「パイの増加とは1%の富裕層にパイを集中させることである。」
 「供給サイドの改善とは、家計に返済できないカネを貸して、支出させることである。」

 つまり、ITバブルや住宅バブル期に普通の人々が借金して支出することを覚えたせいで、一時はアメリカ経済が「復活」したかのような活況を呈したが、結局、1%の人々のために富と所得を集中させることに成功しただけだったというのだ。なかなか大胆なスローガンである。


 著者の従来の仕事の印象からは、量的緩和やインフレ目標に対するもっと理論的批判を期待したいところだが(注1)、本書では、おそらく新書という制約もあって、むしろレーガン政権以後の金融自由化がもたらした経済的「帰結」とそれを支持する政治勢力への批判のほうに重点が置かれているようである。著者は次のように述べている。

「バブルと投機が生じても、神聖な市場には介入しない。しかし、反社会的なバブル崩壊によって、金融市場が暴落したり、金融機関が危機に陥ったりした時には、市場を支え、金融機関を救済する。こうした救済主義によって、アメリカの金融当局はウォール街の特殊利益を守るとともに、金融システムを不安定化させてきたのである。こうしたバブルと不良貸付を促進する政府は破滅的であると同時に、社会的にも不公正な政策である。
 このような愚かな政策が実施される理由として、最初に考えられるのは、アメリカの金融当局に初歩的な経済学の素養が欠如していることであろう。次いで考えるべきは、こうした政策がだれの利益になっているかである。こうした金融崩壊促進政策は、破滅的な政策だとしても、ウォール街の金融機関にとっては素晴らしい政策であった。1%の利益を追求する政治が政策を歪めているのである。」(同書、174-175ページ)

 著者がこれまで書いてきたものからは、とくにナショナリスティックな傾向やあふれる正義感などは感じられなかったのだが、本書は新書ということもあってそれらがストレートな表現で随所に現れているようだ。
 例えば、バブル崩壊後にアメリカ政府が危機に陥った金融機関を救済するということまでは否定しないが、崩壊に至ったまでの過程を考えると釈然としないものが残るのだろう。「政府が公的資金を投入するのであれば、少なくとも過去の誤りを繰り返さないように経営改革を行わせる必要があろう。しかし、市場主義のイデオロギーが強いアメリカではこうした経営改革は行われなかった。加えて、破綻して救済された金融機関の経営者は以前と同様の高額報酬を受け取っている。こうした行為もまた国民の怒りをかった。ところが、オバマ政権は政府は金融機関の経営には口をだすべきではないとして、高額報酬問題に介入しなかった」と(同書、97ページ)。
 あるいは、アメリカの新自由主義が日本にも浸透していくにつれて、アメリカの悪いこともすべてとりいれてしまったと手厳しい。「貧困大国、格差大国アメリカのまねをして、アメリカと同じ病が日本に広がるのは、全く不思議なことではない。もともと新自由主義の政策はアメリカにおいても成功していなかった。アメリカで失敗した政策をまねて、アメリカのような失敗が生じるのは当然の結果と言えよう」と(同書、181ページ)。
 著者の立場は、アメリカでは異端の烙印を押されるポスト・ケインズ派に近いのだが、スペースの制約もあって、ハイマン・ミンスキーのような優れたポスト・ケインジアンが主流派に対して金融危機が生じる可能性をかねてから警告していた意味を掘り下げていないのが惜しまれる(注2)。


 さて、前に指摘したように、本書では「新自由主義」がフリードマンの思想に近い形で定義されているのだが、「こうした新自由主義の考え方を支えるのが、現在のミクロ経済学と現代思想である」(同書、5ページ)という文章はきわめて誤解を招きやすいと思う。ミクロ経済学の専門家がみな新自由主義者というわけではないし、現代思想(経済の分野だけに限っても)といっても多様なので何を指しているのかがわからない。おそらく、著者もこの点は十分に承知しているのではないだろうか。それにもかかわらず、「わかりやすさ」という大義名分の下でそのような書き方を選ばざるを得なかったとすれば、そのことは新書という形での啓蒙主義にも反省を迫るものであるかもしれない。これは、著者だけの問題ではなく、出版文化の問題でもあるのだが、次に新書版で出すときには、多少難しくなっても、自分の本領を最もよく発揮するような書き方をしてほしい。


1 例えば、著者による『金融政策の誤算―日本の経験とサブプライム問題』(NTT出版、2008年)、『危機・不安定性・資本主義―ハイマン・ミンスキーの経済学』(ミネルヴァ書房、2012年)などを参照のこと。
2 著者の前作『危機・不安定性・資本主義』では、この問題が専門的に取り扱われているので、関心のある読者はその本を参照してほしい。


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