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2013年04月22日

『ハイエク 「保守」との訣別』楠茂樹 楠美佐子(中央公論新社)

ハイエク 「保守」との訣別 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「ハイエク社会哲学への招待」

 ハイエクは現代経済思想史においてケインズとともに最も有名な名前のひとつだが、彼の思想は経済学というよりは社会哲学全般にまで及ぶ広さをもっている。一昔前は、ハイエクよりもケインズのほうが圧倒的に人気があったが、サッチャリズムやレーガノミクスの流行を経た1980年代以降、ケインズ主義や福祉国家を批判するハイエクの本が日本でもよく売れるようになった。ハイエクはフリードマンとともにしばしば「保守主義」の思想家のように紹介されるが、彼自身は自分の社会哲学が「保守的」だとは考えていなかった。なぜか。本書(楠茂樹・楠美佐子『ハイエク―「保守」との訣別』中公選書、2013年)は、この疑問に真正面から答えようとした好著である。

 初期のハイエクは、『価格と生産』(1931年)に代表されるように、景気循環論や貨幣理論の専門家として知られていた。本書も最初の数章はその分野でのハイエクの仕事を丁寧に紹介しているが、ケインズ革命以後、「経済理論家」としてハイエクを高く評価する見方は学界ではほとんど消えてしまった。むしろ、1930年代の社会主義経済計算論争において提示された知識論や競争論(「分散化された知識の有効利用」や「意見形成の過程」として競争を捉える視点)、そして『隷属への道』(1944年)において提示された全体主義批判などの仕事が「自生的秩序論」(すべての秩序を個人の行為の意図せざる結果であるとして捉える考え方)を中核とした後期ハイエクの自由主義論へとつながっていく、そちらのラインに注目する見方のほうが主流を占めているといってよいだろう。本書もそのような流れを重視している。


 ハイエクによれば、「自由」とは、「個人の努力にたいする直接的統制の放棄を意味するからこそ、自由社会はもっとも賢明な支配者の頭脳が包含するよりもはるかに多くの知識を利用することができる」(『自由の条件』1960年)ものだが、「自由」といっても、どのような概念を思い浮かべるかで見方が違ってくる。例えば、「言論・思想の自由」のような精神面にかかわるもの(ハイエクの用語では「知的領域における自由」)と、「職業選択や財産の処分の自由」のような経済面にかかわるもの(再びハイエクの用語では「行為の自由」)があるとき、世の中では「知的領域における自由」のほうを尊重する傾向がある。しかし、著者が注意を喚起するのは、ハイエクにとって両方の自由は無差別であること、ときにはむしろ「行為の自由」のほうを強調するような見解を述べていることである。

「ハイエクにとって、行為することが許されていることこそが自生的秩序の形成にとって決定的に重要なのであって、そういった自由を認めないまま、思ったり、意見を述べたりすることだけの自由を尊重したところで、それは意味をなさない。……なぜ行為の自由が強調されなければならないかといえば、様々な知恵は人々の行為の積み重ねの結果、発見されるものだからである。人々は試行錯誤なしに新しい知識に到達することはない。そしてこの試行錯誤は思ったり、意見を述べたりすることのみでなされ得るのではなく、実際に行うことによってなされ得るものでもある。あるものを使ってみてその不便さに気付き、改良したり、他のものに換えてみたり、あるいはあるものの別の用途に気付くことで、知的領域における成果に結び付くことになる。」(同書、84-85ページ)

 ハイエクの自由論と知識論が不可分に結びついていることが読みとれるが、著者はさらに「人間の営みに関わる秩序形成において、誰も全体として詳細を把握できないからこそ自由の価値があるのである」(同書、86ページ)と敷衍する。ハイエクが一見非合理的に見えるけれども長い時間をかけてできあがった習慣や制度などを尊重するのもそのためである。「そういった習慣や制度は環境への適応のための不可欠のツールであって、それは絶え間ない改良の過程にある。その意味では非合理性を不可避的に伴うものである。そうした状況にありながらも、人々は環境への適応のためにそうした習慣や制度を信頼し、それらに依存し続けているのである。この非合理性への信頼は自生的秩序の本質的特徴である」と(同書、87ページ)。


 習慣や制度さらには伝統を尊重するというハイエクの姿勢は、とかく「保守的」という烙印を押されがちである。だが、著者は、それはハイエクの社会哲学を全く誤解しているという。ハイエクにとって、「真の保守主義は激しい変化に反対する態度」(『自由の条件』)のことだが、それは変化をよしとする自由主義の立場とは相容れない。著者は、ハイエクの『自由の条件』に依拠しながら次のように述べる。「保守主義者に足りないのは、『設計されざる変化を歓迎する勇気』である。一方、『自由主義の立場は勇気と確信にもとづき、どのような結果が生じるかを予想できなくても、変化の方向をその進むにまかせる態度に基礎をおいている』」と(同書、208ページ)。
 興味深いのは、原則というものがない保守主義者であっても、それは道徳心が欠けているという意味ではなく、彼らは社会主義者と同様に自分たちの価値を他人に強いる資格があるとみずから信じていることである。それゆえ、著者は、社会主義からの転向者が保守主義者になりやすいというハイエクの文章に注目しながら次のようにいう。「ある価値を他人に強制しようとしてきた者がその価値を放棄するとき、新たなより所となる価値を他人に強制しようとするということだ。その点では社会主義と保守主義は同根ということになる」と(同書、211ページ)。


 ハイエクの社会哲学への理解は、法の支配における「ルール」の重要性をあわせて押さえておくとさらに深まるが、本書の解説は簡潔だが要領を得ている。ハイエクが「一般的行動ルール」というとき、主に人間社会の中で自生的に進化してきた慣習や伝統などが念頭に置かれているが、市場秩序との関連ではどのように理解すればよいのか。著者はいう。

「調整の効率性に優れた市場秩序に属する集団は繁栄し、その伝統や慣習がそうでない集団に伝播され、あるいはある集団が消滅するなどして試行錯誤が繰り返されることになる。結果、より安定し、より普遍的な伝統や慣習が確立する。ハイエクは市場秩序の自生性を説くと同時に、市場秩序を規律するルールの、市場の自生的秩序形成過程を通じた自生性も説いているのである。」(同書、115ページ)

 ただし、ハイエクは、議会改革を通じた「ルール」の意識的な改変の余地を否定しないという。この辺の記述はもう少し詳しい解説が必要だったかもしれない。とくに、「群淘汰」(group selection)を通じるルール進化論が、ハイエク思想の中で最も脆弱な部分として専門家の間で議論されてきたのならなおさらそう思われる。


 それとは反対に、本書の中でハイエクの全体主義批判を解説する部分は最も文章の冴えを感じさせる。実際、著者もハイエクの全体主義批判を「ハイエク哲学の中で最も力強く、魅力的な部分である」と述べている(同書、158ページ)。

「知識と教養を身に付けた者はどうしても意識的に合理的な社会秩序を形成できると考えがちである。計画された財政政策や金融政策を通じて景気を適切な水準に合理的に設定し、あるいはその循環を適切な枠内に合理的に抑えることができると考えがちである。その方が学者冥利に尽きるし、知識人の自負心を維持できるだろう。知識と教養を身に付けた者はそのような誘惑に駆られる傾向がある。同様に、道徳心に溢れ、自ら利他的に行動できる人々は、個人の目標追求とは切り離された全体としての目的をもつ社会正義によって世の中を治めるべきであるし、それが可能であると信じている。自らを犠牲にして、全体に奉仕できる人々は、道徳心に溢れた素晴らしい人々に違いない。そういった人々に社会正義の幻想を突き付けるのには躊躇するだろうし、そういった人々の前では説得力をもたないかもしれない。
 予想される反発を乗り越えてでも、設計主義の誤りと社会正義の幻想を説かなければならないハイエクの全体主義批判の核心部分には一体何があるのか。それは、現代に生きる我々が『開かれた社会』に属しているという、厳然たる事実である。つまり、開かれた社会を前提とする限り、我々はその性質と相容れない設計主義の誤りに気付かなければならないし、社会正義の幻想から目覚めなければならない。」(同書、160ページ)

 はたして「知識と教養を身に付けた者」がこのようなハイエク哲学に説得されるかどうかわからないが、この点を少なくとも理解しなければ、ハイエクの著作のどれを読んでも時間の無駄になるだけだろう。「知識と教養を身に付けた者」は、「彼(ハイエク)にとって最も警戒すべきは、自由資本主義体制を前提にしながら、全体主義の特徴を伴う福祉国家政策を一見整合的な体裁を取りながら接木的にもち込もうとする一連の議論と勢力であったといえるだろう」(同書、161ページ)という文章には反発を感じるかもしれない(例えば、ケインジアンを思い浮かべてみればよい)。さらには、設計主義によって支配されるくらいなら、「法の支配の要請を満たすという条件付きという意味で『制約下にある』独裁制を敷いたほうがまだましであるという、ハイエク社会哲学の中で最も理解され難く、そうであるがゆえに攻撃にさらされやすい民主主義批判の主張につらなっていくのである」(同書、161ページ)という文章にはある種の恐れさえ感じるかもしれない。ただ、著者が何度も強調しているように、ハイエクは、「民主主義」という言葉の前にすぐ「思考停止」状態になってしまうインテリの弱点を突いているのである。


 ハイエクの社会哲学は、一見「保守的」でありながら現代ではかえって「ラディカル」な面を多分にもっている。多方面にわたるハイエクの仕事を「選書」という枠の中にすべて解説するのは難しいことだが、本書は、ハイエク社会哲学を受容するにせよ拒否するにせよ、重要な論点のほとんどすべてを取り上げた好著だと思う。ハイエク入門書としては、ハイエクの重要論文から精選して編訳した本『市場・知識・自由』田中真晴・田中秀夫編訳(ミネルヴァ書房、1986年)を挙げてきたが、これからは本書も一緒に参照するようにすすめることにしたい。


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2013年04月16日

『ゲーム理論と共に生きて』鈴木光男(ミネルヴァ書房)

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「ゲーム理論にかけた人生」

 ゲーム理論はいまや経済学に限らず他の社会科学や自然科学でも広く使われるようになっているが、本書(『ゲーム理論と共に生きて』ミネルヴァ書房、2013年)の著者(鈴木光男・東京工業大学名誉教授、1928年生まれ)が若い頃はそうではなかった。鈴木氏の人生はひとえにゲーム理論の発展と普及に捧げられたといってもよいが、ミネルヴァ書房の「自伝」シリーズの一冊として著されただけに、単に分析手法の解説に終始するのではなく、鈴木氏の人生とのかかわりがどのようなものであったかに重点が置かれた興味深い本である。

 私の学生時代は、鈴木氏の初期の著作『ゲーム理論』(勁草書房、1959年)がまだ版を重ねていたが、いま思い出しても、学問的水準を落とすことなくゲーム理論がどのようなものなのかを丁寧に解説した名著であったと思う。ゲーム理論の先駆的な業績は、例えば、1920年代(ジョン・フォン・ノイマン「社会的ゲームの理論について」1928年)や30年代(オスカー・モルゲンシュテルン「完全予見と経済均衡」1935年)に発表されていたが、経済学の世界にしっかりと根を下ろしていくのは、ノイマンとモルゲンシュテルンの共著『ゲームの理論と経済行動』(1944年)の公刊以後だと言ってもよいだろう(この古典的名著は、いまでは「ちくま学芸文庫」に収録されている)。
 鈴木氏の『ゲームの理論』はそれから15年経過した時点での著作だが、「ゼロ和2人ゲーム」「非ゼロ和2人ゲーム」「協力ゲーム」「非協力n人ゲーム」など現代経済学の教科書にも載っている分析手法をほとんど取り上げている。もちろん、現在では、ゲーム理論自体が当時よりも高度に進化していることは付言しなければならないが(注1)。このように、私の世代は、鈴木氏のことをゲーム理論の専門家として見なしていたのだが、本書を読むと、鈴木氏がゲーム理論に辿り着くまでには紆余曲折があったことがわかる。


 鈴木氏は、山形高等学校理科甲類を経て、1948年4月、名古屋大学理学部数学科に進学したが、まもなく数学の講義があまりに抽象的で、もっと人間的なことを学びたくなった。だが、文学部では何をやってよいのか自信が持てず、数学の先生からは転向は諦めるようにといわれるなど、自分の進路について悩む日が続いた。そんなとき、友人のひとりが、東北大学経済学部に数理経済学という学問を研究している偉い先生がいると教えてくれた。黎明期の日本の理論経済学の発展に貢献した安井琢磨教授(1909-95)である。そこで、1949年2月には名古屋大学数学科を退学し、同じ年の4月に東北大学経済学部に入り直した。そして、安井教授のすすめでゲーム理論の世界へ入っていくことになるのである。
 ゲーム理論の大家となった後年、「なぜゲーム理論家になったのか」と尋ねられるたびに次のような趣旨のことを答えていたという。

「私が数学から経済学に移ったのは、抽象的な世界よりももっと人間的な世界について勉強したいという気持ちからであった。私は天下国家を論ずるというタイプではないので、集団としての社会よりも、個々の人間の行動に関心があって、個々の人間の行動から出発して、集団としての社会現象を理解しようとする気持ちがその基礎にあった。
 そして、それまでのケインズ経済学や一般均衡理論、また、新しく入ってきた投入産出分析や線型計画と違って、ゲーム理論では、人間がプレーヤーとして表面に出てきて、人と人との相互間の行動を直接考えるところに魅力を感じていた。農村工業の調査で、人と人の関係が経済の基礎にあると感じていたことも大きい。高校時代から演劇に興味をもっていたことも、背景になっている。」(同書、161ページ)


 鈴木氏は、モルゲンシュテルンのいるプリンストン大学への留学のあと、東京工業大学に職を得て、その大学の社会工学科の設立と発展に寄与することになるが、鈴木氏がその頃に書いたエッセイ(「社会工学の誕生」『経済セミナー』1968年6月号)の中には次のような文章がみられる。

「科学技術をいかにして、人類の手にしっかりと捉え、それを人間社会の内的存在と化するかという課題こそ、これからの人間社会の最も重要な課題である。資本主義か社会主義かという問題も、そのいずれの体制が、この重要課題に対してより適切な解答をもち、より完全に科学技術を人間社会の内的存在と化しうるかという観点から評価されなければならない。
 諸科学の綜合という困難な課題に対して、工学の立場から、その第一歩を踏み出したのが、わが社会工学である。機械の発明によって人間を手の労働から解放した工学は、科学技術が生み出した社会の急激な変動がもたらす苦悩から、ふたたび人間を解放し、人間が真に人間らしく生きる社会を創造しなければならない。
 われわれの社会工学科は、工学のなかに社会科学的要素を導入して、工学を新しい視点から組織し、社会工学という新しい皮袋にもるという希望から生まれた。それは細分化された諸科学を綜合しながら、より高い次元で、社会と技術との統一的な体系を確立しようとするものである。
 新しい技術、新しい思想とはまさにこのようなものである。技術なき思想は無力であり、思想なき技術は危険である。両者が統一されてこそ初めて現代の思想といえるであろう。」(同書、212-213ページ)

 高度成長期を反映した未来志向の格調高い文章であるが、公害をはじめとする成長の影に隠れていた諸問題が吹き出すにつれて、鈴木氏の関心も情報化社会の矛盾(故郷の崩壊や人間の風化など)へと向かっていく。『社会を展望するゲーム理論』(勁草書房、2007年)は、このような問題意識をもって書かれたが、鈴木氏が指摘した問題はいまだに未解決と言ってもよいのではないだろうか。


 一昔前、一般均衡理論では、均衡解は存在するのか、存在するとすればそれは一意(唯一の意)なのか、そしてそれは安定的なのかということが大問題であったが、ゲーム理論では、有名な「ナッシュ均衡」のように、均衡点が複数存在しうる。おそらく、そのような世界に長くかかわってきたがゆえに、鈴木氏はある対談の中で次のように発言したのだろう(注2)。

「私は、均衡点がただ一つ存在し、しかも、それが極めて安定であるような社会に不安を感じた。ただ一つの強安定な均衡点を持つ社会では、希望が持てない。もしそのような社会ならば、それを変革する運動が起こるのは必然である。均衡点がただ一つとは限らず、そしてそれが必ずしも安定でない社会こそ、人間的な社会である。」(同書、230ページ)

 鈴木氏のようなゲーム理論家からこのような問題提起がなされたことは重要だが、逆に言えば、当時、経済理論家の中にはそんなことをいう人はほとんどいなかったということでもあり、ある意味で恐るべきことである。「多様性」を失った「人間的な社会」などは存在しないからだ。鈴木氏は、のちに東京工業大学の工学部社会工学科から理学部情報科学科へと移籍し、そこで定年(1988年3月)を迎えるわけだが、東工大を去るに当たって、「情報科学科をどのような学科にしたいですか」という質問への回答にも同趣旨のことを繰り返している。

「去る者は言わず、と言いますから、多くのことを言うのは差し控えます。願わくば、多様性のある学科であってほしいと願っています。さまざまな分野があって多様な花を咲かせ、どの分野でも日本の指導的立場に立って研究を進めるような学科になることを期待します。」(同書、282ページ)

 鈴木氏は、東工大を定年したあと、東京理科大学(工学部経営工学科や経営学部)で教鞭をとることになるが、1980年代はゲーム理論が飛躍的に発展し、経済理論のメインストリームの中にも入っていった時代なので、新たにゲーム理論のテキストを執筆する必要性を感じていたらしい。その成果は、『新ゲーム理論』(勁草書房、1994年)となって現れたが、この本を読んでも、鈴木氏がゲーム理論の研究者としてばかりでなく教育者としての使命感を持っていることがひしひしと伝わってくる。
 東京理科大で二回目の定年(2000年3月)を迎えたとき、鈴木氏は大学を去るに当たっての言葉の中で次のように述べている。

 「日本は明治以来今日まで役に立つ知識の量を一生懸命に増やして来ました。確かにわれわれの知識の量は増えました。しかし、それによって日本の社会が知性的になったと言えるでしょうか。むしろ役に立つ知識の量を増やすことに熱中している間に、日本人が本来持っていた知性や感性を失ってしまったのではないでしょうか。インターネット社会は、日に日に飛躍し、グローバル化はますます進行し、人々の心はこの新しい社会に適応することができず、混迷を深めています。われわれは、今、失った知性や感性を取り戻さなければなりません。」(同書、315ページ)

 正直に言えば、私は鈴木氏のゲーム理論の本しか読んだことがなかったので、この方がこのような考え方をするとは認識していなかった。ミネルヴァ書房の「自伝」シリーズが、著者の学問的遍歴ばかりでなく「人間性」を伝えるような企画となっているとすれば、本書は稀にみる成功例のひとつではないだろうか。

 昔の経済学の大家は、ジョン・ヒックスにせよポール・サミュエルソンにせよ、ゲーム理論の可能性に対しては懐疑的であった。日本のある大家などは、「遊戯の理論は理論の遊戯である」とまで言ったという(ゲーム理論は日本への導入期に「遊戯の理論」と訳されたことがある)。だが、本書を一読すれば、そのような「逆風」のなかでゲーム理論がどのように日本に受容され、発展し、ついには経済学のメインストリームにまで食い込んでいく、まさにその過程を辿ることができるだろう。難しい数学などは一切出てこないので、数学が苦手な読者にも一読をすすめたい。


1 『ゲーム理論』の付録には「不動点定理」の解説が載っていたが、鈴木氏は、この部分はゲーム理論自体に批判的な人たちにも好評だったという。実際、私も学部時代は一般均衡理論を勉強するゼミに属していたのだが、その分野で使われる不動点定理の理解に役立ったことを覚えている。
2 対談の一つは、『週刊東洋経済』の企画「幸福と社会科学」(対談者は岡本哲治氏)、もう一つは、『週刊東洋経済臨時増刊 近代経済学シリーズ』の企画「真の豊かさとは何か―福祉の文明論考察」(対談者は、江藤淳、大木英夫、公文俊平の三氏)だが、どちらも『経済学との対話』(東洋経済新報社、1972年)に収録されている。


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2013年04月10日

『フルトヴェングラーと私-ユピテルとの邂逅』ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(河出書房新社)

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「大声楽家、大指揮者を語る」

 大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の名前をタイトルに含む本がどれほどあるか知らないが、私自身が過去に新聞や雑誌に取り上げた本だけでも最低4-5冊はあるはずだから、わが国にもいまだに根強いファンがいると思われる。フルトヴェングラーのディスク案内の類ならここに取り上げる必要もないだろうが、昨年亡くなった大声楽家ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)が晩年に書いたものとなれば、本書(『フルトヴェングラーと私―ユピテルとの邂逅』野口剛夫訳、河出書房新社)を見過ごすわけにはいかない。

 クラシック音楽の世界では、大指揮者としてのフルトヴェングラーの名前はとうに神格化されている。本書にもそのような記述を探そうと思えばいくつも見つかるが、フィッシャー=ディースカウほどの大声楽家が月並みなフルトヴェングラー論に終始するようなことは決してしていない。彼は声楽家としてフルトヴェングラーと一緒に仕事をした1950年から54年までの記憶を辿りながら、指揮者としてのフルトヴェングラーの本質に迫ろうとしている。
 フルトヴェングラーの指揮する音楽を少しでも聴いたことがあるなら誰もが気づくはずだが、彼の解釈は楽譜に忠実という意味での「新即物主義」とは対極にあるものである。現代では、さらにモーツアルトやベートーヴェンの時代の楽器や奏法を忠実に再現すればよしとするような傾向がみられるようになったが、フルトヴェングラーなら必ずこれには異議を唱えたはずである。フィッシャー=ディースカウも同意見で、フルトヴェングラーへの共感が自分の進むべき道を決めたのだと言っている。

「彼が憎んだのは、作品への忠実さのはき違え、すなわち『オリジナル楽器』による小編成での歴史考証的な演奏であった。このような演奏からは生きた音楽は生まれない。フルトヴェングラーにとって音楽は世界の理解だけを目指すのではなく、個々の人の心をとらえ、魅了し、変容させるためにあった。聴くということから音楽の全てが始まる。今日では人気のない十九世紀の概念だが、これが私の進む道を決めたのであり、今もその途上にある。これはワーグナー的な態度と言えるかもしれない。いずれにせよ、ワーグナーにはフルトヴェングラーのあらゆる思考の源泉がある。」(同書、19ページ)

 たしかに、フィッシャー=ディースカウも初めてフルトヴェングラーの指揮に接したとき、「慣れ親しんだ教則本に書かれている規則からは遠く隔たっている」という意味で「主観的」なものように感じられたことを認めている。しかし、「彼の精神性と魔術的な放射の力」にはとうてい抗うことはできなかったという(同書、19-20ページ)。それどころか、「感情と知性の絶えざる戦いとして描かれるべきものを再現するには、それはほとんど理想的と言えるほどにふさわしかった」とさえいうのである(同書、20ページ)。このような芸術を真似することはほとんど不可能である。


 フィッシャー=ディースカウは、このようなフルトヴェングラーの指揮の特徴を、彼が作曲家でもあった(自分自身は指揮者よりはむしろ作曲家になりたかった)事実と結びつけて考えているようだ。「彼が自らを作曲家として感じ、作曲する者として常に音楽を考えていたということは、彼の演奏を、ただ演奏しかしない者の演奏とは全く違ったものとした。その生涯にわたって、作曲は彼の指揮における力強い原動力ともなったのだ」と(同書、65ページ)。
 このような見解はフィッシャー=ディースカウだけのものではないが、興味深いのは、イタリアの名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニがフルトヴェングラーの指揮を指して「天才的な素人」と呼んだことに関連して、その「素人」と呼ばれることの意味を掘り下げようとしていることである。
 フルトヴェングラーの指揮については、アインザッツが正確ではないとか、ぶるぶる震えている腕を見ても何を意味しているかさっぱりわからないとか、いろいろな批判があることは確かである。だが、フィッシャー=ディースカウは、フルトヴェングラーとは対照的なもう一人の名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンでさえ、次のように言っていたという。「フルトヴェングラーの中には創造的な優柔不断があり、それは非常に特殊なものだったが、自分はそこからとても多くのことを教えられた」と(同書、87ページ)。「創造的な優柔不断」とは言い得て妙だが、これも言葉では説明しにくそうだ。だが、ヒントはある。

「彼には一切が初めてでなければならず、同じであってはならなかった。≪コリオラン≫序曲のユニゾンの出だしなどを聴くとそう感じられる。常に彼は苦闘していた。意志の強さ、悩ましい法悦を体現する一方で、あえて優柔不断でもあろうとした。ヨアヒム・カイザー(音楽評論家)の報告によると、フルトヴェングラーのピアノ五重奏曲のスケッチには『不確かに』と書いてあるようだ。」(同書、89ページ)


 このような演奏哲学は、やはりフルトヴェングラーが最も得意にしていたベートーヴェンの音楽に向いているというべきか。テンポが揺れることもときに問題にされたが、決して恣意的に揺らしているのではない(これには、ダニエル・バレンボイムの証言もある)。これに加えて、フィッシャー=ディースカウは次のようにいう。「彼は実験もしていたのであり、その様々な処置がさりげなく効果をあげたということだ。何の知識に囚われてもいないし、既成の伝統に寄りかかっているのでもない。そうではなく、彼の音楽はまさに『今』、素晴らしく極めて自然に現れるのである」と(同書、138ページ)。

 フィッシャー=ディースカウは、フルトヴェングラーが第三帝国のドイツにとどまり、戦後ナチスとの持ちつ持たれつの関係を厳しく批判された問題も素通りにはしていない。フルトヴェングラーは、名誉博士号をはじめ次々と栄誉を与えられたが、フィッシャー=ディースカウは、ゲーリングから授けられた「プロイセン枢密顧問官」(この肩書きがあれば、帝国内のどこでも一等車を無料で使える)が最も危険な顕彰だったという。フルトヴェングラーがナチスの脅威を過小評価していたことは否定できない。ただ、フィッシャー=ディースカウは、次のように言っている。「自分がドイツに留まった本当の理由を、フルトヴェングラーは言わなかった。彼は重病の母を残して出ていきたくはなかったのだ」と(同書、95ページ)。


 私たちのほとんどは、レコードやCDでしかフルトヴェングラーを聴いたことがない。テンポの揺れなどは単なる「即興」ととれなくもない。しかし、声楽家として彼を間近にみたフィッシャー=ディースカウの見解は違っている。

「この大柄な男は、内面では感動で震えていたのだ。しかし、神経過敏になることはなく、芸術を形成しようとする意志そのものになりきっていた。彼は聴き手に息を飲ませるような休止や停滞をすることができた。高揚や減衰を生み出し、人を忘我の思いにさせた。その際、彼は決して無理強いすることはなく、自然にそれが生じるように心がけていたのである。危険や空腹に苛まれた戦時中そして戦後も、彼の『偉大な』音楽が、あたかも礼拝のように人の心を慰めたということを、これ以上詳しく説明する必要はなかろう。」(同書、106-107ページ)


 本書は分厚い本ではない。クラシック音楽のファンなら短時間で一読できるだろう。しかし、書かれている内容を本当の意味で理解するのはそれほど簡単ではない。実際、これだけ文章を綴ったとしても、フルトヴェングラーを生で聴いたことのある音楽家の耳には遠く及ばないからである。


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2013年04月02日

『デフレーション』吉川洋(日本経済新聞出版社)

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「デフレをどう捉えるか」

 経済学はアダム・スミスの昔から優れて実践的な学問であったが、バブル崩壊後の日本経済が長いあいだ低迷し続けるうちに「デフレからの脱却」という課題が急浮上するようになった。だが、経済学者やエコノミストの見解が容易に一致しないように、デフレをどう捉えるかについてもいろいろな考え方がある。本書(『デフレーション』日本経済新聞出版社、2013年)の著者である吉川洋氏(東京大学大学院経済学研究科教授)は、わが国を代表するケインジアンとして知られているが、一読すれば、自説とは対立する理論や政策(現内閣の「アベノミクス」もそのひとつだが)との違いが明確となるような丁寧な叙述がなされているのに気づくだろう。啓蒙書の模範というべき好著である。


 一昔前、インフレ抑制が重要な経済問題であった頃、アメリカの高名な経済学者ミルトン・フリードマンは、「インフレは貨幣的な現象である」としてマネーサプライの抑制を提言していた。もっと正確にいえば、マネーサプライを実質経済成長率の伸びと歩調を合わせて増やしていく「k%ルール」の提言だが、その理論的基礎は古くからある貨幣数量説の現代版に他ならなかった。貨幣数量説の思考法は、マネーサプライの増加は、短期的に雇用量や産出量に影響を与えることはあっても、長期的には物価の上昇につながるというものだったので、インフレ抑制のためにはマネーサプライの伸びを抑えるという政策が自然と導かれる。
 ところが、いま問題となっているのはインフレではなく、その反対のデフレである。だが、このデフレ問題は、簡単にいえば、インフレ問題に対する貨幣数量説の思考法を逆にすることによって解決することができると主張する人たちがおり、いまやその勢力が現内閣の経済政策の舵取りにも影響を及ぼし始めた。吉川氏の理解もほぼ同じといってよい。


「多くのモノやサービスの価格がそろって下落し続けるデフレは『貨幣的な現象』である。だから、デフレを説明するうえで最も重要な変数はマネーサプライだ。こうした経済学の背後にある理論は『国際標準』の理論、『貨幣数量説』である。デフレを止めるために、日銀はインフレ・ターゲットを掲げてマネーサプライを増やせ、逆にいえば、デフレが止まらないのはマネーサプライが十分供給されていないからだ。」(同書、196ページ)


 吉川氏は、たしかに、ゼロ金利でなければ、マネーサプライの増加が利子率の低下を通じて投資や消費を刺激し、景気にプラスの効果をもつことを否定しない。だが、ゼロ金利の状態ではそうではないという。「実際、これまでハイパワード・マネーあるいは貨幣数量を増やしても、それが実体経済にプラスの影響を与え物価を上昇させる、ということはなかった。マネーサプライの増加が十分でないとか、やり方が悪いというような議論は、説得力に欠ける」と(同書、197ページ)。
 もちろん、量的緩和やインフレ目標を提言する人たちの理論的基礎はこれだけではなく、例えば、わが国でも人気のあるポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)はもっと洗練されたモデルを提示している(注1)。クルーグマンの論文は、金利がゼロに近く、いわゆる「流動性のわな」(貨幣需要が利子率に関して無限に弾力的になる―もっと平たく言えば、貨幣愛が極めて強くなる状態)に陥った経済を解明したとされるものだが、吉川氏は、クルーグマンのモデルが次のような巧妙なトリックを用いていることを見逃さない。


「しかし、『現在』と『将来』という二つの期間からなる動学モデルであるクルーグマン・モデルでは、『現在』流動性のわなに陥っていたとしても『将来』は流動性のわなに陥っていないと仮定されているので、『将来』のマネーサプライを増大させる(より正確には、将来マネーサプライが増大するだろうという期待が持たれる)と、『将来』の名目物価は貨幣数量方程式に従い比例的に上昇する。つまり、将来マネーサプライが増大するという期待を生み出しさえすれば、期待インフレ率が上昇し、たとえ名目利子率がゼロであっても、実質利子率は低下する。実質利子率の低下により需要が刺激され、流動性のわなから脱却することができる――これがクルーグマン・モデルの論理である。」(本書、128ページ)


 「期待」が景気の浮き沈みに大きな影響を与えることは間違いないが、クルーグマン・モデルのように、「将来」は流動性のわなには陥っておらず、マネーサプライと物価の間の単純な比例関係が成立しているという非現実的な仮定を置いている理論を信頼してもよいのだろうか。吉川氏でなくとも、誰もが抱く素朴な疑問だろう。
 また、少し専門的になるが、吉川氏は、クルーグマンが最近の「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」に倣って、需要の「利子弾力性」の問題を「代表的」消費者の最適化(「異時点間の消費の代替の弾力性」)の類比で論じていることにも疑問を呈する。マクロはミクロの単純な合計ではないというのはケインズ革命の遺産であったはずだが、現代経済学の主流は、いつの間にか、この遺産を葬り去ったのである。この点はあとでまた触れることにしよう。


 ところで、量的緩和やインフレ目標を掲げる人たちがマネーサプライの動きに注目しているとすれば、吉川氏は何に注目してデフレ現象を捉えているのだろうか。それは、端的にいえば、名目賃金の動きである。吉川氏は、10年ほど前、何をもってデフレと考えるかという質問に対して次のように答えたという。「たしかに物価指数はいろいろありますが、名目賃金が下がり始めるようなことがあれば、それはもう正真正銘のデフレーションです」と(本書、173ページ)。
 かつては賃金には「下方硬直性」があると教わったものだが、1998年以降、先進国の中では日本だけ名目賃金の下落が統計データで確認されるようになった。97年には一連の危機(アジアの通貨危機、日本長期信用銀行や北海道拓殖銀行の破綻など)が発生していたことも見逃してはならないが、この前後に日本の賃金決定のメカニズムに変化が生じたという研究がある。すなわち、バブル崩壊後の不況と厳しい国際競争のなかで「終身雇用」がキーワードであった従来の大企業の雇用制度が崩れていき、「雇用か、賃金か」という選択に直面した労働者が名目賃金の低下を受け入れたのである。吉川氏は次のようにいう。


「名目賃金は『デフレ期待』によって下がったのではない。1990年代後半、大企業を中心に、高度成長期に確立された旧来の雇用システムが崩壊したことにより、名目賃金は下がり始めたのである。そして、名目賃金の低下がデフレを定着させた。」(本書、212ページ)


 名目賃金(と生産性)の動きに注目して物価問題を考えるというのは、ケインジアンの正攻法だが、最近ケインズとともにシュンペーター研究にも打ち込んでいる吉川氏(注2)は、「デフレに陥るほどの長期停滞を招来した究極の原因」として「イノベーションの欠乏」を挙げている(本書、209ページ)。吉川氏は、『構造改革と日本経済』(岩波書店、2003年)以来、「需要とイノベーションの好循環」という視点から「需要創出型のイノベーション」の役割を強調してきたが、ここでもその立場は不変である。


 さて、マクロ経済学のミクロ的基礎づけに関連して前に少し触れた点に戻ると、「全体は部分の単純な合計ではない」というケインズの視点から出発したマクロ経済学は、過去40年の間に一変し、いまや新古典派マクロ経済学が優勢になった(「合理的期待」理論、実物的景気循環理論など)。だが、吉川氏はそれを「進歩」だとは考えていない。とくに「問題は、特定の『資産市場』に適用したとき有効であるかもしれない合理的期待の概念を、無批判に、マクロ経済――しかも……そもそも期待が大きな役割を果たしているとは思えない労働市場、賃金――に適用したルーカスの理論にある」という(本書、214-215ページ)。 
 たしかに、資産市場や一次産品の価格は「期待」の影響を大きく受ける。だが、吉川氏は、ふつうのモノやサービスの価格や賃金決定に「期待」が関与する余地はないという。なぜなら、それらの価格は、ジョン・ヒックスやアーサー・オーカンが強調した「公正」の基準を満たすように決まるからである(本書を読むと、価格が生産費に利潤マージンを足すという「マークアップ」方式で決まることが念頭に置かれているようである)。それゆえ、吉川氏は、そのような当たり前のことを忘れてしまった現代経済学の現状を嘆くのである。


「こうしたことは、ヒックスやオーカンだけではなく、一世代前の経済学者はよく理解していた。『期待』を変えればデフレは止まる、と簡単にいう経済学者は、まさに合理的期待理論によって変貌した現代の『世界標準』にかなう経済学者たちである。ここで問題にしなければならないのは、そうした世界標準にかなう経済学である。」(本書、216-217ページ)


 繰り返しになるが、「全体は部分の単純な合計ではない」というのがケインズ革命の遺産のはずであったが、現代経済学の主流は「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」を追究するあまり、この遺産を踏みにじってしまった。吉川氏も、「『マクロのことはマクロで』というのが、自然科学では確立された方法論であるのに、経済学では『ミクロの相似拡大』で『マクロ』を理解しようとしているわけだ」(同書、220ページ)というように、主流派に対して厳しいスタンスをとっているのがわかるだろう。


 ところが、最近メディアにしばしば登場するアベノミクスは、本書の主張とは正反対の「世界標準にかなう経済学」と称する経済政策である。安倍総理の経済顧問のような役割を演じている浜田宏一氏(エール大学名誉教授)の『アメリカは日本経済の復活を知っている』(講談社、2013年)は、量的緩和やインフレ目標の必要性を情熱的に語っているので、本書とは正反対の視点に関心のある読者は手にとってみることをすすめたい。ただ、なんとも不思議なのは、吉川氏も浜田氏もともに、エール大学でジェームズ・トービンというアメリカの優れたケインジアンに学び、長いあいだ東京大学教授として日本の学界の発展に貢献してきた学者であるにもかかわらず、最終的に、このような見解の相違が生まれてしまったことである。経済学とは本当に面白い学問である。

 1 Paul Krugman,"It's baaack:Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap," Brookings Papers on Economic Activity 2,1998.
 2 吉川洋『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』(ダイヤモンド社、2009年)を参照のこと。


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