2018年01月31日

『ホワイトハウスのピアニスト ヴァン・クライバーンと冷戦』ナイジェル・クリフ(白水社)

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「冷戦に翻弄されたピアニストの生涯」


 本書(ナイジェル・クリフ『ホワイトハウスのピアニスト――ヴァン・クライバーンと冷戦』松村哲哉訳、白水社、2017年)はもっと多くの新聞や雑誌に取り上げられるかと思っていたのだが、意外に書評は少なめだった。もちろん、「ヴァン・クライバーン」というピアニストを知っていなければ面白さは半減するだろうが、クラシック音楽のファンでも本書に書かれている内容の詳細は知らないだろう。


 ヴァン・クライバーン(1934-2013)は、創設されたばかりのチャイコフスキー国際コンクール(4年に一度開催)の第一回目の優勝者である。1958年の「大事件」であった。当時はアメリカとソ連が世界の覇権をめぐって争いあっていた冷戦時代である。音楽は実力の世界といってしまえば簡単だが、ソ連の当局者のほとんど全員が、モスクワが創った国際コンクールで優勝するのは「ソ連人」であるべきだと信じていた。本書によれば、コンクールを創るに当たって、「(共産党中央委員会の)委員たちはその文化的メリットよりも、国内外に向けたプロパガンダとしての側面を見て賛成に回り、反対はまったく出なかった」という(本書、128ページ)。ところが、その一回目のコンクールで、テキサスからやってきた23歳のアメリカ人、ヴァン・クライバーンのピアノ演奏が審査委員にも聴衆の目にも最も優れていると映った。
 「冷戦」といっても、あまりピンとこない若い人たちも多いだろうが、その頃、アメリカとソ連は熾烈な兵器開発競争(もちろん、核兵器を含む)を繰り広げており、「直近では、クリスマスイブにソ連の戦闘機がアメリカ空軍のB-57爆撃機を黒海上空で撃墜し、搭乗者全員が死亡するという事故があった」(本書、160ページ)ばかりであった。審査員で自身も名ピアニストのエミール・ギレリスは緊張した。内密に文化大臣ミハイロフに相談した。この件は引用に値する。

 「・・・ヴァンの人気に驚いたミハイロフはフルシチョフにお伺いを立てた。フルシチョフはハンガリーを公式訪問して帰国したばかりだった。
 「どうすればよろしいでしょうか」と文化大臣は切り出した。
 「なんだって。どういう意味だね」。フルシチョフはぶっきらぼうに答えた。
 「現在チャイコフスキー・コンクールを開催しておりますが、アメリカ人ピアニストが非常によい演奏をしまして・・・・・・どうしたらよいか困っております」と大臣は震え声で言った。
 「みなは何と言っているんだ。そいつが一番上手だったのか」。そう言いながら、フルシチョフはおそらく、いい加減にしろ、という雰囲気で大臣をにらんだに違いない。
 「はい、彼が一番でした」
 「それなら、そいつに一等賞をやればいい」とフルシチョフは面倒くさそうに答えた。」(本書、214ページ)

 もしこの時のソ連の権力者がフルシチョフではなく例えばブレジネフであったなら、結果はどうなったかわからない。ヴァンには運も味方した。しかし、ヴァンの優勝が発表されると、世界中で大騒ぎになったばかりでなく、アメリカのFBIやソ連のKGBがヴァンについての調査を開始した。テキサスから出て来たばかりの世間知らずの若者には、両大国にとって政治的に危険となりそうな経歴は何もなかっただろう。だが、アメリカ人でソ連が創った国際コンクールで初めての優勝者になり、ソ連内に友人や知人やファンをたくさんつくってしまったヴァンは、それだけでも警戒に値する人物であった。ヴァンの不幸の始まりである。しかも、同時に、優勝したことによって、ピアニストとしての実力、成長や成熟の程度もろもろが世界中の注目の的となり、それはその後のヴァンに重く圧し掛かっていく。

 ヴァンはその後もソ連やソ連崩壊後のロシアを訪問し、どこでも歓迎された。かつてチャイコフスキー国際コンクールで弾いて大成功を収めた、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、何度もどこへ行ってもリクエストされた。ヴァンはそうしてソ連(ロシア)への訪問を重ねることが、アメリカやソ連(ロシア)の情報部局にどう思われているか、まるで頓着していないかのようであった。もちろん、表向きは、彼はいつも両大国の指導者に歓待されていた。歴代のアメリカ大統領の前でピアノを演奏したのは、おそらくヴァンくらいだろう。レーガン大統領夫妻がゴルバチョフ大統領夫妻を招いたホワイトハウスでの「モスクワの夜」での演奏は、その頂点であったかもしれない。
 だが、あまりにも若くしてプレスリーのように人気者になり、各地で同じ曲を弾くことが要求されるピアニストにとって、時間をかけてレパートリーを広げ、音楽的に成熟していく道は次第に閉ざされていった。悲しいことだが、私がクラシック音楽をよく聴くようになった頃(1970年代終わり)には、彼は、「伝説」のひとではあっても、「名ピアニスト」の一人とは評価されていなかった。
 ヴァンの人生は、冷戦に翻弄された一人のピアニストの栄光と影を物語っているといってもよいだろう。本書は、これまであまり語られなかった側面を含めて、膨大な資料を解読し、周到な取材をもとに書かれた優れた評伝であると高く評価したい。本書が次のように結ばれているのは、せめてもの救いである。


 「彼の音楽、それは、世界のリーダーたちが世を去り、彼自身もまたこの世から姿を消したのちも、人々の心の糧となる、人間性への讃歌だったのである。」(本書、471ページ)



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