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2010年09月10日

『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』ハーバーマス,ユルゲン/ラッツィンガー,ヨーゼフ(岩波書店)

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「宗教と哲学」

 2003年1月にハーバーマスとヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が対話をした時には、世界的な注目を集めたという。若い頃には革新的な姿勢を示したラッツィンガーだが、その頃にはすっかり保守化して、カトリックの右派とみられていたからである。この対話はカトリック教会側から提案されたものらしく、ハーバーマスは「ライオンの洞窟に行くような気分だ」(p.60)と語っていたらしい。やがてこの枢機卿がローマ教皇になるのだから、ものごとは分からないものだ。

 セッティングはカトリック教会側が行ったらしいが、対話のトーンはハーバーマスのものである。「ポスト世俗化時代」というのは、ハーバーマスが長年抱えてきた問題意識なのだ。世俗化というのは、国家が教会と分離してきた長いプロセスを示すものである。これはドイツでは特に深刻な問題として考えられてきた。ルターf派の宗教改革と宗教戦争の後の和解によって定められたのは、その領邦の宗教は、その君主が決定するということだった。

 そのためにドイツは小さな国に分立し、それぞれの国の宗教を支配者が決定することになった。こうして政治と宗教は密接に結びついていたのである。これを分離したのが、ナポレオンによる侵略だった。ナポレオンは、オーストリアを分割してドイツに中規模の国家を建設させるとともに、その代償に修道院の接収と売却を実行した。こうして宗教から独立した国家が設立されるとともに、世俗化が開始される。この時期にドイツという国家の建設を夢見ていたヘーゲルが、国家の主権の確立という意味を含めて、世俗化という概念を初めて提起することになる。

 だから世俗化という概念は、独立した国家の主権と密接に結びついているのであり、近代的な国家形成と切り離すことができない政治的な概念なのである。しかし問題なのは、独立した近代的で自由な国家が、かつてはキリスト教的な規範に依拠して成立していたことであり、世俗化したことでこの規範から分離したことは、国家の独立のためには好都合でも、道徳的な規範の喪失という代価を支払うことになったというである。

 ハーバーマスがこの対話の冒頭で指摘するのは、この代価の問題であり、「世俗化された自由な国家は、その国家自身がもはや支えることのできない規範的前提に依拠しいるのではないか」(p.2)というベッケンフュルデ・テーゼなのである。ハーバーマスがこの対話に応じたのも、キリスト教の権威であるカトリック教会の代表者と、この問題について話し合いたいという気持ちがあったからだろう。

 ハーバーマスは原則として、キリスト教的な伝統に依拠せずに、民主主義的な国家の正当性は、討議という手続きによって確保できると考える。「リベラルな国家の憲法は、必要な正当性をいわば自給自足で、つまり宗教的および形而上学的な伝統とは無関係の、手持ちの知的立論だけでまかなえる」(p.8)と主張する。国民は公共的な領域において活動することによって、その正当性の起源とは別のところで、政治的な徳を見につけることができるというわけである。

 これは社会化の問題であり、また自由な政治文化の日常習慣や考え方になれ親しんでいるかとどうかの問題である。国家公民という法的地位は、シヴィル・ソサエティへといわば組み込まれている。そしてこのシヴィル・ソサエティはそう言ってよければ「政治以前の」生き生きとした源泉からそのエネルギーを得ているのである(p.9)。

 しかし現代の社会においてつねに市民にこうした自覚を求めることは困難であることをハーバーマスも認めている。そこには世俗化ではなく、「国家公民の私生活中心主義」(p.13)が強まって、討議の場に市民が登場せず、公的な活動に参加しないという傾向が強まっているのである。そこにハーバーマスは「ヘーゲル以降に哲学的神学を革新しようとする」(p.17)さまざまな試みが発生すると考えているのであり、警戒しながらも、「哲学は宗教的な伝統に対して、学ぶ姿勢を保ち続けなければならない」(p.17)と考えるのである。

 これにたいしてラッツィンガーの対話は、温和なカトリックらしいものであり、異文化との対話の必要性を強調するものである。「ハーバーマスが見事に描いているような厳格な合理性をもった世俗の文化が今後とも主導的で」(p.41)あることを認めながら、それでも「キリスト教的な現実理解も、同じく変わることなく生き続けるであろう」(同)と主張する。

 本文よりも長い三島氏の訳者解説は、ラッツィンガーの思想的な変遷を詳しく跡付けながら、この対話の背景を示そうとしたものであり、読み応えがある。ハーバーマスとラッツィンガーの対話は「実際の活動面では、われわれにはほとんど違いがない」ということで合意されたとしても、そこにはまだ次のような大きな差が残されていることを指摘する。

--当事者の方法的包摂と、パターナリズムの対立
--公共の政治的規範の合意形成と、上から任意に設定した共通善に依拠する道徳的な訴えかけの対立
--相互承認による人権と、伝統を時代に合わせて読み替えていささか得意げに振りかざす人権の対立
--いまだ実現していないデモクラシーの理論と、少数のエリートだけに依拠したかたちだけのデモクラシーの対立(p.114-115)

 日本ではキリスト教からの世俗化という問題はないとしても、対立の構図には奇妙に類似したものがあることは面白い。

【書誌情報】
■ポスト世俗化時代の哲学と宗教
■ハーバーマス,ユルゲン/ラッツィンガー,ヨーゼフ
■三島 憲一訳
■岩波書店
■2007/03/27
■129p / 19cm / B6判
■ISBN 9784000247580
■定価 1890円


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