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2010年09月27日

『自然と日本人 宮本常一著作集 43』宮本常一(未來社)

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「風景の歴史」

 本書を読んでつくづくと関心するのは、日本の風景を構成している植物にも長い歴史があるということだ。山歩きをしていて里山におりてくると、杉林にであうことが多い。それまでの明るい道とは一変して、陽の指さないうっそうとした杉林には、他に植物も生えず、薄暗い道である。植林のために杉ばかり植えるからと思っていたが、宮本によるとたんに営利的な植林のためではなく、焼き畑以来の自然な流れだという。

 関東や近畿では広く焼き畑経営が行われ、そこであわ、ヒエ、ダイズなどがつくられ、一〇年ほど利用すると山に返され、また数年後になぎ倒されて火入れされる(p.61)。やがて焼き畑が禁止されて杉が植えられる。あるいは別の系列では、山焼き-アワ・ダイズ-コンニャク-ミツマタ-杉という順序を追って、杉山になっていく(p.63)。杉は焼き畑の初年度に植え、その間を利用して作物を作る。そして杉が大きくなると、作物は放棄する。杉の樹間で作物の作れるのは一〇年内外だからだという。

 焼き畑と杉の植林は平行して行われていたということだ。そして杉は建築用に利用されたわけだ。しかしコンクリートの普及とともに、杉の価値が低下してくる。杉の場合には成長して採算がとれるようになるまでに長い期間が必要であるために、宮本は広葉樹を植えることを提案している。二〇年と間隔が短いので、経営的に有利だからだ。

 あるいは人々の暮らしもまた、植物と深い関係にある。奈良時代の国家の建築事業は寺院の建立である。そのために木工が非常に盛んになる。寺で利用する細工物もこれらの人々は手掛ける。平安時代になって寺院の建立が下火になると、これらの人々は全国に散らばって木器を作るようになる。ロクロを回して簡単にできる木の椀、木の皿、木の盆などである。これが木地屋である。山の中で細工物を作りながら、やはり焼き畑をする。

 鎌倉時代になると、木地物に漆がかかり始める。器が丈夫になるからである。それに「漆ぬりの木器というものは口や舌に当たりがよいし、使いやすく長持ちするということで民間に普及してゆく」(p.78)。江戸時代になると朝鮮出兵に伴って陶工が多数渡来し、陶器が普及する。木地屋は少なくなるが、東北地方ではまだ多く、温泉場で働いて、こけしなどをついでに作っている。

 こうして明治まで東日本では木地屋が活発に活動していたが、東北本線が開通すると、安価な瀬戸物が多量に導入される。木地屋は木の器では生計が立たなくなるが、紡績工業が盛んになり、紡ぐスピンの需要が増大する。木地屋はロクロでこれを作る。やがてプラスチックのスピンが登場すると、木地屋は仕方なくこけしを専門にするようになる。東北のこけしはこうして名物になっていったわけだ。「このようにして山中で焼き畑をやりながら椀などの木地物をロクロで挽いていた人たちも、その後いろいろ変転を重ねたあげく山を降り、あるいは百姓になり、従って山の中のそうした集落もとうとう消えてしまった」(p.79)ということになる。

 鋸の発達が、材木として利用できる樹木の種類を変え、人々の生活を変えていったこと、せと瀬戸内海の「骸骨島」と呼ばれたはげ島が、蜜柑の栽培で緑豊かな島に一変したこと、桃は古くから宮廷で桃酒を飲んでいたために、桃の節句の雛祭りで甘酒を登場すること、宮島の杓子作りの歴史など、目を開かれることがとても多い書物である。また「風景は作られる」ことを風景を作ってゆかねばならないことを教えられる書物である。あまり思いつかないが、風景にも長い歴史があるのである。

【書誌情報】
■自然と日本人 宮本常一著作集 43
■宮本常一
■未來社
■2003/05
■298p / 19cm / B6判
■ISBN 9784624924430
■定価 2940円


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2010年09月21日

『ブーバーとショーレム―ユダヤの思想とその運命』上山 安敏(岩波書店)

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「第三世代のドイツのユダヤ人たち」

 上山の『宗教と科学』の巧みな整理によると、ドイツのユダヤ人論は大きく分けて三つの世代に分類できる。実世代ではなく、精神的な世代である。第一世代はフランスの啓蒙の精神を受け入れて、ユダヤ人が同化した時期の世代である。カント、レッシング、メンデルスゾーンの世代であり、ユダヤ教がキリスト教と同じ権利をもつ宗教として容認されながらも、ローカルで、キリスト教に改宗することが望ましいと考える世代である。合理主義のまなざしが強い(もっともメンデルスゾーンは家ではユダヤ人であることを主張した)。

 第二の世代は、ユダヤ主義と反ユダヤ人が奇妙に入り交じった世代であり、ユダヤ主義の古典時代を称賛し、神殿破壊以後のユダヤ教を強く批判するものである。キリスト教はこの初期のユダヤ主義の精神を継いでいるとされるのであり、解明的なプロテスタントたちがこの考え方を採用する。『道徳の系譜学』のニーチェがそうであり、『古代ユダヤ教』のウェーバーがそうであり、『人間モーセと一神教』のフロイトもこれに近い。

 第三の世代が本書のテーマであるブーバーとショーレムの世代であり、ユダヤ教の神秘主義を採用することで、同化のユダヤ人とも、キリスト教に親しみをみせるユダヤ人とも異なり、ユダヤ教の「タルムード、ミシュナー、ハシディズム、ユダヤ神秘主義の研究の世代」(『宗教と科学』38ページ)である。

 ブーバーは、『我と汝』の対話の哲学で有名だが、それ以前には、ベーメで学位論文を書き、ハシディズムに没頭していた。その後はユダヤ教の神秘主義を研究するが、キリスト教の神秘主義とは異なって、神と人間との合一を目指さないところに特徴がある。「神秘体験なるものは、神と人間とのあいだに成立するものではなく、人間の内部において生起する魂の一体化・統合として成立する」(p.59)とされている。

 これにたいしてショーレムは、第二世代のユダヤ人学者たちのように、神殿崩壊以後のユダヤ教を劣ったものと考えるのではなく、カバラやグノーシスがユダヤ教における正統な理論だと考える。グノーシスは「ユダヤ的源泉のもつ創造的なエネルギーが想像的・神話的に噴出したものと、グノーシスを位置づけた」(p.116)のである。ショーレムは神話にこそ、ユダヤ教を「活性化させ、内から推進する力」(p.117)があると考える。

 この新しい世代によって、キリスト教的な見方からユダヤ教の神秘主義が復権されることになる。ベンヤミンとショーレムの往復書簡が語っているように、このユダヤ教の神秘主義は、マルクス主義的な見方をしていたベンヤミンの歴史観にも重要な影響を与えてゆくのである。

 なお第七章の「アーレントとショーレム」は、二人の位置の取り方を遠近法のうちに描きだして読ませる。有名な『イェルサレムのアイヒマン』をめぐる論争以前に、すでにアレントの「シオニズム再考」をめぐって、論争が展開されていた。ショーレムはアレントに宛てた書簡で、自分がナショナリストであることを明確に認め、「永遠の反ユダヤ主義」の存在を主張する者であることを認める(G. Scholem, Briefe, 1) 。

 アレントはファシズムをソ連のヴォルシェビズムとともに全体主義として考察するために、ショーレムのこうした考え方は受け入れようがなかったし、『全体主義の起源』ではこれを明確に批判している。ショーレムのこの「永遠の反ユダヤ主義」は、ファシズムによるユダヤ人の迫害が、この反ユダヤ主義によるものであることを主張するものであり、すでに対話の余地が消滅しているのである。

 最後の章「ポスト・シオニズムと歴史家論争」は、イルシュルミの『フロイトのモーセ』、それをめぐるサイードの批判『フロイトと非ヨーロッパ人』、デリダの批判などを紹介していて啓発的である。


【書誌情報】
■ブーバーとショーレム―ユダヤの思想とその運命
■上山 安敏【著】
■岩波書店
■2009/11/26
■384,45p / 19cm / B6
■ISBN 9784000246521
■定価 4200円


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2010年09月10日

『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』ハーバーマス,ユルゲン/ラッツィンガー,ヨーゼフ(岩波書店)

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「宗教と哲学」

 2003年1月にハーバーマスとヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が対話をした時には、世界的な注目を集めたという。若い頃には革新的な姿勢を示したラッツィンガーだが、その頃にはすっかり保守化して、カトリックの右派とみられていたからである。この対話はカトリック教会側から提案されたものらしく、ハーバーマスは「ライオンの洞窟に行くような気分だ」(p.60)と語っていたらしい。やがてこの枢機卿がローマ教皇になるのだから、ものごとは分からないものだ。

 セッティングはカトリック教会側が行ったらしいが、対話のトーンはハーバーマスのものである。「ポスト世俗化時代」というのは、ハーバーマスが長年抱えてきた問題意識なのだ。世俗化というのは、国家が教会と分離してきた長いプロセスを示すものである。これはドイツでは特に深刻な問題として考えられてきた。ルターf派の宗教改革と宗教戦争の後の和解によって定められたのは、その領邦の宗教は、その君主が決定するということだった。

 そのためにドイツは小さな国に分立し、それぞれの国の宗教を支配者が決定することになった。こうして政治と宗教は密接に結びついていたのである。これを分離したのが、ナポレオンによる侵略だった。ナポレオンは、オーストリアを分割してドイツに中規模の国家を建設させるとともに、その代償に修道院の接収と売却を実行した。こうして宗教から独立した国家が設立されるとともに、世俗化が開始される。この時期にドイツという国家の建設を夢見ていたヘーゲルが、国家の主権の確立という意味を含めて、世俗化という概念を初めて提起することになる。

 だから世俗化という概念は、独立した国家の主権と密接に結びついているのであり、近代的な国家形成と切り離すことができない政治的な概念なのである。しかし問題なのは、独立した近代的で自由な国家が、かつてはキリスト教的な規範に依拠して成立していたことであり、世俗化したことでこの規範から分離したことは、国家の独立のためには好都合でも、道徳的な規範の喪失という代価を支払うことになったというである。

 ハーバーマスがこの対話の冒頭で指摘するのは、この代価の問題であり、「世俗化された自由な国家は、その国家自身がもはや支えることのできない規範的前提に依拠しいるのではないか」(p.2)というベッケンフュルデ・テーゼなのである。ハーバーマスがこの対話に応じたのも、キリスト教の権威であるカトリック教会の代表者と、この問題について話し合いたいという気持ちがあったからだろう。

 ハーバーマスは原則として、キリスト教的な伝統に依拠せずに、民主主義的な国家の正当性は、討議という手続きによって確保できると考える。「リベラルな国家の憲法は、必要な正当性をいわば自給自足で、つまり宗教的および形而上学的な伝統とは無関係の、手持ちの知的立論だけでまかなえる」(p.8)と主張する。国民は公共的な領域において活動することによって、その正当性の起源とは別のところで、政治的な徳を見につけることができるというわけである。

 これは社会化の問題であり、また自由な政治文化の日常習慣や考え方になれ親しんでいるかとどうかの問題である。国家公民という法的地位は、シヴィル・ソサエティへといわば組み込まれている。そしてこのシヴィル・ソサエティはそう言ってよければ「政治以前の」生き生きとした源泉からそのエネルギーを得ているのである(p.9)。

 しかし現代の社会においてつねに市民にこうした自覚を求めることは困難であることをハーバーマスも認めている。そこには世俗化ではなく、「国家公民の私生活中心主義」(p.13)が強まって、討議の場に市民が登場せず、公的な活動に参加しないという傾向が強まっているのである。そこにハーバーマスは「ヘーゲル以降に哲学的神学を革新しようとする」(p.17)さまざまな試みが発生すると考えているのであり、警戒しながらも、「哲学は宗教的な伝統に対して、学ぶ姿勢を保ち続けなければならない」(p.17)と考えるのである。

 これにたいしてラッツィンガーの対話は、温和なカトリックらしいものであり、異文化との対話の必要性を強調するものである。「ハーバーマスが見事に描いているような厳格な合理性をもった世俗の文化が今後とも主導的で」(p.41)あることを認めながら、それでも「キリスト教的な現実理解も、同じく変わることなく生き続けるであろう」(同)と主張する。

 本文よりも長い三島氏の訳者解説は、ラッツィンガーの思想的な変遷を詳しく跡付けながら、この対話の背景を示そうとしたものであり、読み応えがある。ハーバーマスとラッツィンガーの対話は「実際の活動面では、われわれにはほとんど違いがない」ということで合意されたとしても、そこにはまだ次のような大きな差が残されていることを指摘する。

--当事者の方法的包摂と、パターナリズムの対立
--公共の政治的規範の合意形成と、上から任意に設定した共通善に依拠する道徳的な訴えかけの対立
--相互承認による人権と、伝統を時代に合わせて読み替えていささか得意げに振りかざす人権の対立
--いまだ実現していないデモクラシーの理論と、少数のエリートだけに依拠したかたちだけのデモクラシーの対立(p.114-115)

 日本ではキリスト教からの世俗化という問題はないとしても、対立の構図には奇妙に類似したものがあることは面白い。

【書誌情報】
■ポスト世俗化時代の哲学と宗教
■ハーバーマス,ユルゲン/ラッツィンガー,ヨーゼフ
■三島 憲一訳
■岩波書店
■2007/03/27
■129p / 19cm / B6判
■ISBN 9784000247580
■定価 1890円


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2010年09月02日

『アドルノ伝』シュテファン・ミュラー=ドーム(作品社)

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「最強のアドルノ伝」

 本格的なアドルノ伝。ロ-レンツ・イェ-ガ-の『アドルノ ― 政治的伝記』が「政治的な」という但し書きをつけたのが、少しわかる。こちらは研究者がじっくりと調べた伝記で、あまり楽しい逸話はないとしても、アドルノの思想的な動きが詳しく追跡されているのだ。現在のところ、最高のアドルノ伝と言えるだろう。

 たとえばウェーバーの跡を継いだ音楽社会学的な構想は、クシェネクとの対話のうちで、練り上げられる(pp.174-185)。作曲家でもあったアドルノにとっては、音楽とその批評は他の哲学者の誰にも負けない本領だったが、音楽批評の方法は同時にアドルノの方法論を決めるものでもあった。

 アドルノは、大作曲家は、「まさにその外見上の主観主義のなかで客観的な社会的要請のメガフォンとなる」(p.176)と考える。このようなイデオロギー的な批評方法を採用することで、アドルノは音楽家の内部に立ち入ることなしに、作品を批評することができる。音楽的な素材というものは、「作曲家が歴史的に機能なものという枠内で解かねばならな諸問題を含んでいる」(p.178)ものであり、作曲とは一種の「暗号解読」(同)として他者が読み解くべきものだと考えるのである。

 またジャズ論(pp.230-237)では、「ジャズの音楽的構造の中に社会的なもの、社会的諸矛盾の表出を探しだす」(p.232)ことに先駆けた。アドルノは「軽音楽の仮象の中に弁証法的にひとつの真理が映し出されている」(同)と考えるのである。そしてジャズのうちには「ステレオタイプ的特質と個人主義的特質」(p.233)が現われでていると考える。そして権威主義的なパーソナリティの研究と並行する形で、「権威主義的な傾向をもったジャズファンの衝動構造」(p.235)が分析される。

 ベンヤミンとのアウラ論争(pp.250-257)では、ベンヤミンの側は、大衆が映画を集団として観照しながら大笑いすることに、肯定的な意味づけをする。大衆芸術はアウラを取り去られることで解放作用をもたらすのであり、ファシスト的な「政治の美学化」に対抗する手段となると主張する(p.254)。これにたいしてアドルノは、「映画の観客の笑いは革命的で良いものであるどころか、最悪のブルジョワ的サディズムに満ちている」(p.255)と反論する。現代の技術の性格にもかかわる重要な論点だろう。

 ファシズムの本性論争、実証主義論争、アウシュヴィッツと詩論争、学生運動論争など、アドルノの生涯は、こうしたさまざまな論争の歴史であり、この歴史を追うことでドイツの現代の思想的な歴史をかなり跡付けることができるのである。その意味では、この思想的な伝記は、ドイツの思想的な伝記の一つの顔を描きだすものだとも言える。

 もちろんアドルノのついての楽しい逸話もないわけではない。アドルノの一家が休暇を過ごすことを通例としていたオーデンヴァルトのアモールバッハの町の様子は、つい訪れてみたくなるし、コケモモのソースの鹿のソテーもつい食べたくなる。フランクフルトから二時間だというから、前から知っていたら、絶対に訪れていたのにと、残念に思う。

 アドルノと妻のグレーテルの物語も、不思議な感じを与える。アドルノはどんな女性とでも、席を同じくするすぐに口説き始めるという。誰でもいいのだそうである。「一人一人の女性の個性に対して〈色盲〉のようだった。どうも〈女性それ自体〉が自動的に彼に火を点すらしい」(p.72)という。なんともはや。

 妻はたまったものではないが、アドルノがどれほどほかの女性と恋に落ちようと、じっと耐えていたという。そしてアドルノが心臓発作で亡くなり、遺稿の『美の理論』を刊行してしまうと、「催眠薬を多量に呑むことで自殺をはかった。生命はとり止めたのだが、以後二三年間、死ぬまで彼女は介護を必要とする身になってしまった」(p.61)。なんともアドルノ、愛されたものである。

【書誌情報】
■アドルノ伝
■シュテファン・ミュラー=ドーム【著】
■徳永 恂【監訳】
■作品社
■2007/09/11
■811p / 21cm / A5判
■ISBN 9784861821233
■定価 8190円

●目次
第1部 源泉―家族と子ども時代と青春期。マイン河畔の町で過ごした勉学の年月(対照的な父母の家系;ジャン・フランソワ、またの名をジョバンニ・フランチェスコ―コルシカの祖父 ほか)

第2部 住所の移転―フランクフルト、ウィーン、ベルリン。多様な知的関心(哲学と音楽の越境;流れに抗して― フランクフルトの街と大学 ほか)

第3部 亡命時代―余所者の中での知的実存(二重の亡命―伝記的運命としての知的故郷喪失;民族共同体のための画一化とアドルノのためらいがちの亡命 ほか)

第4部 思考は無限だが、忍耐には限界がある(「ノー」という爆破力;転居。廃墟を視察する ほか)
エピローグ 自己自身に逆らって考える



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